始まりの食卓
ゴ ォ ォ ォ ォ ォ ッ !!!!!!
蒼い衝撃が神殿を貫いた。
黒い霧が吹き飛ぶ。
床を侵食していた闇が、一瞬だけ押し返された。
だが。
消えてはいない。
霧は神殿奥で蠢いていた。
生き物みたいだった。
トシオは天裂海牙を握ったまま動かない。
蒼い槍。
深海色の光。
神殿全体が低く唸っていた。
フィルニアが思わず呟く。
「すげぇ……」
アークも目を細める。
「さっきまでと別人だな」
「別人ではない」
老人が静かに言った。
『海槍が本来の力へ応え始めただけだ』
黒い霧が再び広がる。
今度は遅い。
様子を窺っているみたいだった。
その時。
ミツコが小さく首を傾げた。
「……なんか、お腹空きそうな匂いやねぇ」
全員止まる。
「は?」
ミーコが振り向く。
ミツコは黒い霧を見ていた。
「焦げたみたいな匂いするぅ」
タマが鼻をひくつかせる。
「……あ」
「なんか分かる」
フィルニアまで頷いた。
「焚き火消した後みたいな感じだな」
シェルファが少し驚く。
「感じるんですか?」
老人だけが静かだった。
『侵食とは、世界の火が消える事』
空気が変わる。
老人は黒い霧を見る。
『閉じる者は、繋がりを断つ』
『海を裂き』
『空を断ち』
『命の巡りを止める』
ミツコがぽつりと呟く。
「だから冷たいんやねぇ」
その一言で。
なぜか神殿の空気が少し静かになった。
ユキがミツコを見上げる。
「ばーちゃん……?」
ミツコは柔らかく笑う。
「だったら温めたらええのよぉ」
数秒沈黙。
フィルニアが聞き返した。
「何を?」
「みんなのお腹」
「この状況で飯を作る気か?」
アークが思わず聞く。
「大事やよぉ?」
ミツコはいつも通りだった。
だから逆に。
張り詰めていた空気が少し崩れる。
その時だった。
老人がミツコを見る。
『……変わらぬな』
「ん?」
『始まりの民も同じ事を言っていた』
全員が反応する。
ミーコが目を見開いた。
「え……?」
老人はゆっくり目を閉じた。
『争いの後』
『飢えた者達へ鍋を振る舞った』
『同じ火を囲めと』
静かな空気が広がる。
トシオが小さく笑った。
「それならミツコの得意分野じゃのぉ」
「任せときぃ」
ミツコが買い物籠をごそごそ漁る。
鍋。
野菜。
干し肉。
魚介。
香草。
次々出てくる。
フィルニアが身を乗り出した。
「また籠から無限に出てきた!!」
「もう慣れなさいよ……」
ミーコが呆れる。
だが。
シェルファですら少し驚いていた。
「毎回思いますが、収納量がおかしいですね……」
その頃。
トシオは神殿隅の古い木箱を持ち上げていた。
「これ燃えるかの」
バ キ ッ
分厚い木板が素手で綺麗に割れる。
フィルニアが固まった。
「手で割った!?」
「乾いとるから柔らかいのぉ」
「柔らかくねぇよ!?」
タマが即ツッコむ。
だが。
老人は静かに頷いていた。
『……それで良い』
全員が見る。
老人は天裂海牙を見る。
『本来、始まりの力とはそういうものだ』
『戦うためだけの力ではない』
ミツコが鍋へ具材を入れていく。
ぐつぐつ。
温かな音。
不思議だった。
さっきまで神話みたいな空間だったのに。
今は妙に落ち着く。
香りが広がる。
ユキが小さく笑った。
「いい匂い……」
やがて。
スープが完成する。
ミツコが器へ注いでいく。
「はいどーぞ」
最初に受け取ったのはユキだった。
「ありがとう……!」
次はフィルニア。
「熱っ!? でも美味い!!」
タマも食べる。
「うっま」
アークは半信半疑だった。
だが。
一口飲んだ瞬間。
「……なんだこれ」
身体の奥が温まる。
疲れが軽くなる。
不思議な感覚だった。
シェルファも驚いている。
「魔力循環が……安定してる?」
ミツコは首を傾げた。
「お野菜ちゃんと食べなきゃダメよぉ?」
「そこなんですね……」
フィルニアのお腹がまた鳴る。
ぐぅぅ……
「…………」
タマが肩を震わせる。
フィルニアが睨む。
「笑うなよ!!」
「いや無理だろ!!」
ミーコが苦笑する。
「食べるの早すぎるのよ……」
やがて。
鍋は綺麗に空になった。
誰も少し喋らなかった。
身体が温かい。
張り詰めていた空気まで緩んでいた。
老人は鍋を見ていた。
懐かしそうだった。
『遥か昔も、同じ光景を見た』
静かな声。
『戦いの後』
『泣いていた子供達へ、温かな鍋を振る舞っていた』
ミツコが笑う。
「お腹空いてると、余計に辛くなるもの」
トシオも頷いた。
「飯食うと少し元気出るしのぉ」
老人は目を閉じた。
そして。
本当に小さく笑った。
『……だから世界は、お前達を選んだのか』
静かな時間だった。
だが。
次の瞬間。
ピシィッ……
神殿奥。
黒い亀裂が大きく広がる。
空気が変わった。
冷気。
重圧。
鍋の余熱すら揺らぐ。
老人の顔が険しくなる。
『来るぞ』
黒い霧が溢れ出す。
神殿の紋様が黒く染まり始めた。
ユキが息を呑む。
「な、なに……?」
その瞬間。
トシオの右手紋章が蒼く光る。
ブゥン……
空間が裂けた。
そこから。
天裂海牙が姿を現す。
トシオは静かに槍を握る。
怒りではない。
守る時の顔だった。
黒い霧の奥。
巨大な影がゆっくり蠢いている。
フィルニアが立ち上がる。
その瞬間。
黒い腕みたいなものが亀裂から飛び出した。




