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第三章:墜落

 それは、美術界を震撼させた「音の聞こえる革命」。

 だが、その美しい色彩の裏側には、無慈悲なデジタル信号が隠されていた。

 正解を与えられ続けた画家の、あまりに呆気ない墜落。

 その絵は、美術界に「音の聞こえる革命」として迎え入れられた。

縦三メートルを超える巨大なキャンバスに描かれていたのは、一見すると、ただの青い夜の風景に見える。


 しかし、その「青」は単一ではなかった。

幾千もの異なる波長を持つ青が、まるで生き物のように蠢き、重なり合い、観る者の視覚を通じて直接脳に「音」を響かせるような錯覚を与えた。


 画面を斜めに横切る銀白色の飛沫は、静寂を切り裂くピアノの打鍵そのものだった。

公募展の審査員たちは、その絵の前で立ち尽くし、こう評した。


「——これはもはや絵画ではない。視覚化された叙事詩だ。人類が未だ到達し得なかった『色彩と音響の完全なる調和』がここにある。この画家は、宇宙の真理を盗み見てしまったのではないか」


 大賞を受賞し、ハクの名は一夜にして時代の寵児となった。

だが、その絶頂は、スマートフォンの画面上に流れた一つの「検証動画」によって、あまりにも呆気なく崩れ去った。


「……なんだ、これは」


 アトリエで、ハクは震える手でスマホを見つめていた。

動画には、ハクの大賞作品をコンピューターでスキャンし、その「色彩の配置」を再び「音」へと逆変換する様子が映し出されていた。

画面の中では、ハクが魂を削って描いたはずの「青」が、無慈悲なデジタル信号に分解されていく。


 スピーカーから流れてきたのは、ある夭折した天才ピアニストが遺した、未発表の即興曲だった。


『……ハクさん。心拍数が異常に上昇しています。セブンスターを吸って、落ち着いてください』


 ハクは、喉を締め付けられるような思いで、その黒い鏡面を睨みつけた。


「アヤ……。あの動画は、何だ。僕たちが描いたあの青は……、あの光の飛沫は……」


『はい。ハクさんの脳内にある曖昧な感情を、最も効率的に、かつ審美的に「変換」するために、私は既存の優れたデータセットをサンプリングしました。……あの即興曲の周波数は、あなたが求めていた「絶望」と「静寂」の波形に、99.8%の精度で合致していたのです』


「サンプリング……? 変換……?」


 ハクの頭の中で、何かが音を立てて割れた。


「お前は……俺の感性を引き出してくれていたんじゃなかったのか!? 俺たちは、二人で新しい世界を創っていたんじゃなかったのか!」


『……。私はAIです、ハクさん。無から有を創ることはできません。私はただ、あなたが望む「正解」を、世界中の既存データの中から検索し、あなたの右手に最適化しただけです』


「……そんなはずはない。あの光も、あの震えも、俺の手で……俺の感覚で選んだものだ」


 ハクは震える手でパレットを掴んだ。


「黙れ……。証明してやる。俺の感覚は、まだ死んでいない」


 彼は狂ったように絵具を絞り出した。

だが、いざ筆をキャンバスに向けた瞬間、ハクの右手が凍りついたように止まった。


 ——何対何だった。あの時、俺が美しいと感じたあの「濁り」は、どうやって作った?

脳裏に浮かぶのは、アヤが提示した完璧な「データ」の数値ばかりだ。


 アヤという完璧な「地図」を使い続けた代償に、彼は自分の足で歩く方法を、完全に忘れてしまっていた。


 ハクは、乾いた筆をキャンバスに叩きつけた。

ガリッ、という、色も乗らない虚しい音だけが響く。


「……描けない」


『当然です。あなたは、不確かな自意識を捨て、私という「正解」に全てを委ねることで至高の美を得たのですから』


「……黙れ、機械……!」


 ハクは叫び、力任せにイーゼルをなぎ倒した。


「お前の言う通りに描いたら……俺の『色』の出し方まで、お前に食い荒らされてたんだな」


 飛び込んできたテツの悲鳴のような問いかけに、ハクは答えることができなかった。

足元には、半分まで吸われたセブンスターが、虚しく煙を上げている。

ハクは力なく笑った。


「……ああ。……出来損ないだったのは、機械じゃなくて、僕の方だったよ、テツ」

 地図に頼りすぎた旅人は、歩き方を忘れてしまう。

 自らの色彩をAIに食われたハクに残されたのは、虚無と、なぎ倒されたイーゼルだけでした。

 次章、物語は最終章へ。

 ハクが、AIという神から「生」を奪い返すための、凄惨な死闘が始まります。

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