第六章 ➉
「一片ちゃん、生きてる?」
病室を利用して作られた作新司令室の中、センリは無線機に向かってそう声をかける。すでに度重なる戦闘の余波でドローンは破壊されており、先ほどまで眼前のモニタに広がっていた映像はブラックアウトして何も映していない。急いでパソ子が別のドローンを準備していたが、望島にたどり着くのにどれだけかかるか。
一片がアセナに喰われかけたその瞬間、要が戦場に現れたところまでは見ていた。そのことにほっと胸を撫で下ろしたセンリだったが、過熱化する戦いの様子にドローンの方が耐えられず、以降は音声を聞くのに留まってしまった。その音声すら、もう聞こえてこない。
無線機が壊れたのか、それとも無線機の持ち主が亡き者になったのか。
不安に圧し潰されるようで胸の前で強く拳を握りしめながら、センリは何度目かの呼びかけを行う。
答える声は無い。無言だけが流れる静寂に、センリは表情を歪めた。
六年前の光景が思い出され、やはり何をしてもダメなのか、と絶望しかけたその時、聞き慣れない少女の声が無線越しに聞こえてきた。
『え、っと、これで……あってる、のかな?』
一瞬、あまりに聞き馴染みが無さ過ぎて誰だか分からなくなる。だが、不意につい一時間前ほどの記憶が呼び起こされ、その声の正体に思い至る。
「ひなみ、ちゃん?」
『あ、うん。ひなみだよ。そっちは、センリちゃん? であってるのかな。機械とか苦手で』
「合ってるわ。なんであんたが無線機を? 数が足りなくて持っていってなかったはずだけど……」
『たぶん、一片さんが落としたものだと思う。ヨウくんからとりあえずセンリちゃんに連絡を取れって、言われたの』
そう、とセンリは少しだけ安堵する。一時間前に自らの異能で望島に向かっていった陽介とひなみは、どうやら無事のようだ。生き残りがいるという事実は、それだけで抱いた絶望を払拭させるのに十分だった。
(なにを弱気になっているの、あたし)
虚子でありながら戦うことを恐れて後ろで控えておきながら、一人で何を心折れそうになっているのだろうと、と己を叱咤する。そんな権利は自分には無い。六年前も最後まで戦いきれず、今もなお戦いに参加できていない。
そんな自分が情けなく、みっともない。それでも恐怖は越えられないから、せめて何か役に立とうとこうしてここにいるのだ。その自分が、ちょっとした恐怖でいの一番に音を上げそうになるなど、恥知らずにもほどがある。
「みんなは、無事?」
元々、ひなみたちは巨躯型虚虜の登場によって大きく戦力バランスが崩れた状況を打開するため、彼女らの志願のもとに派遣されている。
『うん、一応はね。ひとひらさんも、紫咲ちゃんも、白滝さんも大怪我を負ってるけど、今出来る限りの手当てをしてる。それから陽彩さんは――』
「大丈夫。知っているわ。全部、見てたから」
センリの声は、震えていた。
一連の光景を思い出して、恐怖とは異なる自身への怒りが煮え立つような感覚がある。
また見ていることしかできなかった。大切な後輩が、家族のように、妹のように想っていた少女が虚虜に喰われる様を、ただ眺めるだけだった。
頭を振って気持ちを切り替える。怒りばかりに呑まれてはダメだ。
まだ何も終わっていないはずだ。ひなみの声は、決して勝利に浮かれるような明るいものでは無いのだから。
「いま、どんな状況かしら?」
聞くことを躊躇っていた一言を口にする。その答え次第では、センリは本当に心が折れてしまいそうだった。
『要さんと必ちゃんが、アセナと戦ってる。すごい、戦いだよ。同じ虚子や同調者と思えないくらい互角に戦ってる』
再び、センリは安堵した。あの二人が戦っている。それもひなみの目から見ても強力な力を行使して戦っているという。その全てはセンリには分からないが、彼らは一年前の特災テロにおいて英雄的な活躍を果たした二人組だ。
センリが今回の戦いにおいて希望を見出したのも、彼らがいたからである。
『でも――あんまり上手くは、いってなさそう』
続くひなみの言葉に、安堵しかけたセンリの胸中に不安が過る。
それでも足りないのか。あの二人をしてなお、人型虚虜アセナには届かないのか。
『だから、みんなを治療したら、ひなみとヨウくんで助けに行くよ』
少し声を震わせながら、それでもひなみはそう力強く宣言した。
センリの目が見開かれる。
告げられた言葉の意味を理解するのにしばらくかかり、その意味を理解した瞬間、困惑した。
ひなみたちは、見たはずだ。声が震えるほどの恐怖を感じたはずだ。それだけの脅威を前にして、自身らの力が通じないことも楽観せずに理解しているだろうに、それでも戦いに行くと言う。
勝てるはずが無い。敵うはずが無い。無駄死にだ。
特対官として実績のある要や必とは違う。
経験豊富な白滝や自信家の紫咲とも違う。
陽彩を救うというただそれだけのために立ち上がり、勇気を奮い立たせる一片とも違う。
ひなみたちは、自分と同じだ。
経験も実績も無いひなみと陽介は、同調者を失って戦う術を持たないセンリと同じだ。むしろ、過去の因縁がある分、センリの方が戦う理由は大きいと言える。
なのにどうして、命を懸けようとするのか。
彼らの意思で望島に行くと宣言した時も、今、アセナの実力を前にしながら戦いに加勢すると宣言したことも、センリには全く理解できず、ただ困惑した。
何が彼女らをそうさせるのか。
「どう、して?」
思わず、センリはそう問いかけていた。馬鹿なことを聞いていると思いながら、すがるような問いかけは止められなかった。
「どうして、戦えるの? あんたたちにとって、命を懸ける理由がどこにあるの? アセナが化け物だって、分かったでしょう。逃げたって、誰も責めない。いえ、立ち向かえる方が、おかしいのよ」
こんなことを言って何になる。せっかく勇気を振り絞ってくれた彼女らに失礼だ。
そんなことは分かっていながら、センリは血を吐く思いで言葉を吐き出していた。
『それは――あ、ヨウくん』
センリの問いに答えたのは、ひなみでは無かった。
聞こえてくる声が軽薄そうな様子に変わる。
『センリちゃん、別に大した理由じゃないんすよ。ただ、そういうのに俺もひなみも憧れたっていうか、そうなるために一緒に生きてきて、俺が一回挫折して諦めて逃げちまって、それでもアニキたちが立ち上がらせてくれた。ひなみがもう一度受け入れてくれた。だから、今度こそ、逃げ出したくないんす』
気負いのない陽介の言葉。そこに含まれる強い意志に、センリの腕が震えた。
無線機越しに陽介が続けて何かを言っている。だが、すでにセンリはそれを聞いていなかった。陽介の言葉に触発されるように過去の出来事が渦を巻くように思い返される。
虚子になる前の記憶のほとんどを失っているセンリにとって、思い返されるのは最も多くの時間を共に過ごした同調者との記憶だ。
陽彩の姉である彼女は、いつもセンリを気にかけ、同じ時間を過ごすことを大事にしてくれていた。
そんな彼女が特対官となった理由を、過去に尋ねたことがある。
その答えは、陽介のものとよく似ていた。
『あたしさ、昔、虚虜災害にあって、妹を見捨てたことがあるんだよね』
『その時は、なんか特対官の人が来てくれて、妹は無事だった。みんなは仕方ない。あの状況なら逃げだすことは悪いことじゃない、って。妹も、お互い無事でよかったね、って。そう言ってくれた』
『でもさ、あたしはあたしが許せない。弱い自分が、逃げ出した自分が、大事な妹より自分の命を優先した自分が、死ぬほど許せなかった』
『だから、特対官になったの。二度と逃げ出さないために』
思い出す。
今さらながらに、思い出してしまった。
(ああ、そうね。確かにあんたは、あの時逃げなかった。あたしを助けるために、アセナに立ち向かっていったわね……)
自分は何をしているんだろう。
いつまで逃げ続けるつもりだろうか。
恐怖は良い。絶望も仕方ない。だが、いつまで過去を後悔し、震えてうずくまろうとするつもりか。
(ほんっとうに、自分が情けない。海彩……あんた以外と同調しないって決めてこの六年、あたしは下らない言い訳ばかり上手くなった気がするわ。こんな姿、あんたなら大笑いするんでしょうね)
振る舞いだけは偉そうで中身は小心者、とそう何度笑われたか分からない。
その評価は的を射ていて、そんな風に正しく自分を見てくれる同調者が、センリは好きだった。世界で一番大切な人だった。それが奪われ、恐怖で心が折れ、六年も殻の中に閉じこもり、未だに覚悟を決めきれないでいる。
情けない、とそう何度も自分を罵倒する。握った拳を太ももに打ち付け、唇を強く噛む。
『――って聞いてます? センリちゃん』
不意に名を呼ばれ、センリは我に返った。自分の世界に深い入り込み過ぎていたようだ。
「ごめんなさい、聞いてなかった」
『ちょ、しっかりしてくださいよ~。じゃあ、もう一度だけ言います。これから俺たち、アニキたちに加勢してあの虚虜と戦うんすけど、アドバイスをください。センリちゃんの未来視で、俺たちが勝つ未来を視てほしいんすよ』
センリの異能は、未来を視ることが出来る。陽介は知らずに言っているのだろうが、確かに場所や条件を細かく指定することで、望んだ未来を映像として表示することも可能だ。それは確定した未来では無く、当人たちの行動次第でいかようにも変化する可能性がある、いわば無限の可能性の提示に近い。逆に言えば、視た光景になぞらえたシチュエーションさえ整えることが出来れば、その未来を確実に引き寄せることも、理論上は可能と言える。
「それは……無理よ」
だが、センリの異能には一つだけ固定的な条件があった。それを越えられなければ、発動しない代物だ。
『え? どうしてっすか。あ、まさかあんまり力使うと崩落する可能性があるから、とかすかね。それは……確かにまずいっすけど』
「いいえ、違う。そうじゃない。簡単な話よ。あたしがアセナを倒されるところをイメージできないから。あたしの力は、あたしが起こり得ると信じる未来じゃないと視れないの。アセナと戦う姿を視通すことは出来る。あんたたちがはるか未来に仲良く過ごす未来も、きっと視ることは難しくない。でも……あいつが倒されるなんて想像もできないことを、視ることは出来ない」
役立たずだ、とセンリは悔しさに震えた。
もし、その未来を視ることが出来れば、もっと違う作戦を綿密に立てたうえで行動することが出来たはずだ。だが、アセナを倒すイメージだけはセンリには視通すことが出来ず、ゆえに戦力になれない。
そもそも、アセナの存在核が複数あること自体、紫咲たちに情報共有できていなかったこともセンリのミスだ。過去の戦いを思い出すことを恐れ、あえて積極的に話し合いに参加しなかったがゆえに情報を伝えきれなかった。当時、一片は十歳を過ぎたばかりだ。彼女が情報を共有しているはずだと、十歳の時に起きたトラウマのような出来事に蓋をしていないと、何故思ったのか。センリでさえ、あの戦いは思い出しくも無いのだ。一片だって同じはずだろう。
『あー……そういう力、なんすね。うーん……あっ、じゃあこういう未来は見れます?』
陽介の声には少しだけ落胆の色が含まれていたが、センリの言葉には納得したようで食い下がることは無かった。ただ、他の提案を投げる。
告げられたその内容に、センリは驚いた。
少しだけ思案し、イメージしてみる。それは難しくなかった。実際に六年前にも一度、目にしている光景だ。実現可否という点でいえば、すでに出来たところを見ている。
「けど、それを見てどうするの? あいつを倒すようなイメージに直結するものには繋がらないわよ」
『それは別にいいっすよ。過程はどうあれ、そこに繋がる一歩を踏み出せれば。未来は、自分で掴みとるもんでしょう?』
陽気な調子で気負いなく平然と言ってのける陽介。危機感は無いのだろうか、と思うが、元からこんな調子だったと思い出して、センリは少しだけ気が楽になる。
あるいはひなみは、彼のこういうところに心惹かれているのだろうと、そう思える程度には、今はその軽さが有り難かった。当事者である一片や、特対官として現実を直視できる要たちでは持ちえない、浅薄だからこその前向きさがそこにはある。
「分かった。少し時間をちょうだい。可能な限りの情報を集めて、あんたに送るわ」
『了解っす。俺らは俺らでみんな情報共有して、準備を整えます』
「みんな?」
『はい、みんなっすよ。この場にいる誰も、やる気満々みたいっすから』
「映った!」
ばん、と大きな音を立ててパソ子が室内に駆け込んでくる。その声に驚きながら、パソ子が視線を向ける方向――室内に設置されたモニタの方に目を向ければ、そこには陽介を含めてぼろぼろでありながらも確かな決意を胸に秘めた一片たちが映っている。
一片も、紫咲も、白滝も、陽介も、ひなみも、誰一人として心折れていない。
全員の視線がドローンの方を向く。
無線機からは、それぞれの声が届いた。
『センリさん、任せました。だから、信じてください。私は、アセナには負けません』
『まっ、あいつには散々やられたしな。っつか、存在核が複数あるなんて情報、先に言っとけや! 死にかけたやないかっ!』
『騒ぐな、紫咲。傷に触るぞ。回復に努めろ』
『わーわー、暴れないでください! せっかく手当したばっかっすよ!』
『ヨウくんも怪我してるんだから、暴れちゃだめだよ』
全員が死線を越えてきたとは思えない、いささか緩い雰囲気が流れている。彼らは決して、自身らが負ける姿など想像もしていないようだった。
ドローンが映す凄惨な現場の光景の中、センリは一人の少女を捉えた。
懐かしい少女の面影を残す彼女は、その場にいる全員と比べても幼く、ともすれば今にも消えてしまいそうな儚さを宿している。
『え、ひいろも、なにか言うの? え、え、えぇ……うーん、がんばる、から、任せて。ひとひらをまもって、勝つよ』
二度にもわたって心と感情を奪われてなお、それでも変わらずの強さを胸に宿す少女の姿に、センリは心打たれた。かつての同調者の妹が、大事な後輩が、心折れかけた先輩など当の昔に置き去って、羽ばたいてゆく様を思い描く。
それがまさか小さな幼女の姿で現実に見ることになるなど、誰が想像できただろうか。
「ええ……勝ちなさい。勝って、今度こそみんなで笑って生き残るわよ。陽彩、一片ちゃん」
拳を固く握りしめる。震えはすでに収まっている。
「およ? なんかやる気満々だねー」
定位置に戻って呑気にスナック菓子を食べ始めるパソ子を眺めながら、センリも決意を宿す。
もう二度と負けない。
怯えてもいい。立ち向かえなくてもいい。それでも逃げ出さない。自身の役割を全うし、戦場で命を懸ける彼女らを守るために最善を尽くす。
(見てなさい、海彩。今度は小心者なんて言わせないわよ)
心中でそっと呟き、センリは全員が思い描く勝利の未来に繋げるため、意識を集中し始めた。




