第十二話「祭の後とサングラス」
先生が目を覚ましたのはあれから一日経った夕暮れ時だった。
「せ、先生!」
僕は少し涙目になって先生に抱きついた。
「やあ、おはようございます。ロッシュ」
先生はベッドから起き上がり、うすぼんやりとした顔でそんなことを言う。
「おはようじゃないよ! あの後、先生ずっと目を覚まさないままだったんだよ」
僕は先生の胸元にぼすぼすと握りこぶしを当てる。涙がじわじわと溢れてくる。
「もうずっと眠ったままなんじゃないかって、僕、ぼく……」
「……すいません。心配かけちゃいましたね」
先生はそう言うと僕の目元からこぼれる涙の雫を指でそっと拭ってくれる。
「私はもうどこにも行きませんから、泣かないで下さい。ね?」
「う、うん」
先生の優しく響く声で少しは気持ちが落ち着いてきた。
あれ? でも、ちょっと待ってよ。何か違和感が。
「あのさ、先生」
「なんでしょう」
「何で、僕が泣いてるってわかったのさ?」
「それは、ロッシュが目に涙浮かべてるのが見え……え?」
「そ、それって、も、もしかして……」
「え、ええ、そのもしかしてかもしれません。見えます、私の手もロッシュの顔も、窓に映る秋の景色も。全部……見えます」
先生は驚いた。僕も驚いた。
こんなことがあるのだろうか、先生の目が見えるようになるなんて。
見えるようになったのはどうやら片目だけらしいけど、それでも凄いことだと僕は思う。
「ところでロッシュ、昨日の騒ぎはあれからどうなったんですか」
「うん、あれから先生は地面の上に倒れてたんだけど、血まみれになってて洗い落とすのが大変だったんだから」
「血?」
「竜の返り血だよ、先生はほとんど怪我してないみたいだから……あ」
そう言えば、先生はまだ竜のこと信じてないんだっけ。でも、先生にもいい加減現実を見つめて貰った方がいいよね。
「あ、あのね、先生。先生は竜のこと信じてないみたいだけどね、竜は本当に……」
「わかってますよ、ロッシュ。竜はいますよ」
「へ?」
先生のあっさりとした肯定に正直拍子抜けしてしまった。
「な、何でそんなにあっさり」
「いえ。光を取り戻すと、幻想に溺れてたのは私の方だったんだなってわかったんですよ」
「ごめん、さっぱりわかんないんだけど」
「あははは。落ち着いたら、そのうち全てを話しますよ」
先生はそう言って、僕が剥いたリンゴをシャクシャクと食べ始める。
そして独り言をぼそりと呟いた。
「返り血か。その血のせいで呪いが解けたのかもしれませんね」
「え? どういうこと」
「まあ、この話もまたいつか話すことにしますよ」
夕暮れ時の真っ赤な太陽が部屋を赤く染める。
「それにしても、このベッドは普段よりずいぶん柔らかいようですが」
「ああ、ここ村長邸だから」
「え」
先生は状況が分からず、また当惑の表情を浮かべている。
「あれから、僕とハイネは倒れた先生をこの屋敷まで運んだんだよ。あと、お医者さんにも見せたし」
「ああ、なるほど。そういうことですか」
「そう。それから隣町の管制局がやってきて竜の死骸とか色々な処理してるみたいだよ」
「管制局が?」
「うん、やっぱり竜とか珍しいからそれなりの機関が事後処理するんじゃないの」
「そんなもんなんですかね」
先生はベッドの上に仰向けになって、天井を見つめる。
するとドアがガチャリと開いて誰かが入って来た。ドアの向こうには老人と体格の良い男の二人が立っていた。
「失礼するよ」
「その声は村長さんですか。お久しぶりです」
「ああ。どうだね、身体の調子は」
「ええ、もう何ともありませんよ」
先生と話す老人はこの村の村長だ。つまり、僕のお爺様に当たるわけなんだけど、直接会って話したこととかないからそんなに「お爺様」って感じじゃない。
すると村長は先生に向かって頭を下げ始めた。
「ちょ、村長さん。何ですか、急に」
「キファーノ君、ありがとう。君がいなかったらこの村は竜のせいで消えて無くなっていただろう。そして……」
村長は続いて僕の方を向いて、頭を下げた。
「ロッシュ、すまなかった」
「え」
頭を下げる村長の目からは大粒の涙がボロボロと流れていた。
「はじめは、お前の身を魔物から守るために旅人だったキファーノ君に預けたんじゃ」
涙がよく蓄えられた村長の白い髭を濡らした。
「あの村外れなら魔物も攻め込みにくい、そう思ってのことだったが、結局お前を危険な目に遭わせてしまった」
白い髭から滴り落ちる涙の粒が床板に丸い跡をいくつもつける。
「お前がどんなに辛い状況にあってもワシは救いの手を伸ばすことが出来なかった。すまなかった、本当にすまなかった」
「もういいの、お爺様。もういいの」
僕の前で、子供のように涙を流す村長を見ていると、知らないうちに僕も泣いていた。そして、気が付けば二人で抱き合っていた。
「ま、そんな危険な目も私が解決したんですから、万事上手く行ったってことじゃないですかね」
先生が僕の頭を撫でながらそんなことを言う。僕とお爺様の顔に笑顔が戻った。
「キファーノ君、本当にありがとう。どんな礼を尽くしても礼をしきれんよ」
「あはは、そんな大袈裟な」
先生とお爺様が談笑しているところで、ずっと後ろの方で控えていた男がお爺様に歩み寄って来た。
最初はこの屋敷の使用人かと思ったけれども、使用人にしてはずいぶん厳めしい恰好をしている。サングラスなんてしちゃってさ。
「村長殿、そろそろこちらの話に移ってもよろしいかな」
「あ、ああ。ずいぶん待たせてすまなかったね。キファーノ君、紹介しよう、管制局のサンソン君だ」
「どうも、サンソンです」
このサンソンが出てきてから部屋の空気ががらりと変わった。
先生もこの管制局から来た男に明らかに不審そうな表情を見せている。
「どうも。で、管制局が私に何の用ですか」
「ええ、自分は回りくどい話は苦手ですので、単刀直入に言わせて貰います。キファーノ殿、あなたに魔王討伐をお願いしたい」
魔王討伐、サンソンの口から出たこの言葉は実に予想外なものだった。
「どうしてそんなことを私に頼むんですか」
「いえ、先日の竜騒動はほとんどあなた一人で片をつけたそうじゃないですか。竜の死骸を見てもあなたの腕が一流以上のものだってのは分かります」
「そんなことじゃない。今まで管制局は魔王に対して余りに無関心すぎた。それが今頃になって急に……」
そう、管制局は魔王が世に現れても、ボヤ程度にしか思わず何の対策も講じようとしなかった。そのせいで魔王の手は大陸全体に大きく広がってしまった。
そんな管制局が今さら魔王討伐を頼むなんて、変な話にも程がある。
だけど、サンソンは不敵な笑みを浮かべるだけだった。
「上層部の方針が変わったんですよ。魔王討伐はもう民間に任せてはいられない、ってね」
「私が断ったらどうするんですか」
「いや、あなたは断らないさ」
サンソンのサングラスがギラリと光った。
「ふふ、管制局の計画では各自治体から一人づつ魔王討伐の戦士を供出することになっている。あなたが断ったら他の村人が選ばれることになるんだろうが。どうだろう、現にあの竜騒ぎを解決できたのはあなた一人のようだし、あなた以外の村人が討伐兵に選ばれたとしても先は見えてるんじゃないのかな」
サンソンがそう言ったとき、先生の手は握り拳を作ってブルブルと震えていた。
「サンソンさん、あなたは卑怯な人ですね」
「卑怯も戦略の一つだよ。それに選ぶのあなただ。アロンソ・キファーノ君」
沈黙が部屋を覆った。日はもう落ちて、まるで夜の闇が音を全て吸い込んでしまったようだった。




