第十一話「先生と竜」
赤々と燃える風車の明かりに照らされるのは、杖を手にして竜の前で仁王立ちをする一人の盲目男だった。
「先生! 今までどこにいたのさ!?」
「いえ、ロッシュ。みんながやけにやかましいから音を頼りにね。それにしても何ですかこの騒ぎは? うるさいし、それに妙に暑い。風車火事ですか?」
「先生! 冗談なんていいから、あれ竜だよ!」
「ふふ、冗談が過ぎるのはロッシュの方ですよ。竜なんて幻想の産物です、人の恐怖心が生んだ魔物なんですよ」
先生の顔色は少しも変わってない。本当にこの騒ぎが風車火事であると信じているかのような口ぶりだ。
「どうせ大風車が火事になって誰も手がつけられないってとこですかね」
僕は呆れてものが言えなかった。
さっきの人々が逃げ惑う阿鼻叫喚の声や竜の嘶きを確かに聞いたはずなのに、どうして先生はこうも飄々としていられるのだろうか。
どうにも先生はそこに竜がいるという事実を認めたがらないように見える。
何がそうまでして先生の意志を固くするのだろうか。僕には見当もつかない。
「おい、盲目。馬鹿なことを言ってないで、この小娘を連れてさっさと逃げろ」
「おや、その声はハイネさんですか。何だか声に元気がありませんが。まあ、火事を何とかしようとして失敗したってところですかね」
「き、貴様!」
「まあ、あなたたちはそこでゆっくりと休んでいて下さい。アレは私が何とかしますから」
そう言うと先生は杖を片手に、竜の方へ向かって行った。
「おい、やめろ! 盲目の貴様がどうにかできるもんじゃない! 死にたいのか!」
「先生!」
僕らの叫びに少しも振り向かず、先生はただ前進するだけだった。
「まったく、あの盲目は正気なのか」
「わからない、わからないけど……」
わからないけど、先生なら何とかしてくれる、そんな気がする。
走るでもなく、立ち止まるでもなく先生はスタスタと竜に向かって歩いて行く。
その無謀な戦士に気づいた竜は、またその口から赤々とした炎を吐く。
だけど、先生はそんなことも気にせずに歩き続ける。
驚いたことに竜の炎は先生の衣服を焦がすことすらできず、まるで炎が先生を避けているようだった。
先生が見えないながら意図的に炎を避けているのか、単なる偶然なのかはわからない。
だけど、僕の目には先生がその炎の行き先を全て把握しているような、そんな感じがするくらい自然に先生は進んで行く。
炎も一切当たらず、どんどん自分の方に進み行く一人の人間に竜は恐怖や驚異を抱いたのか、突然暴れ出した。首を振り、地響きを起こし、天高く咆哮した。
それでも先生は竜に近付き、暴れる竜の隙をついて竜の懐に潜り込んだ。自警団が刺した槍を足場にして、その竜の揺れる巨体を軽々と登った。
そして足場の悪い中、杖を大きく振りかぶってその鋭い先端部を竜の喉元に付き立てた。巨体を走る痛みの衝撃に竜は身体を悶えさせさらに暴れまわるけれど、先生は杖をずぶりずぶりと竜の喉元に押し込んでいく。
その深々と突き刺さった杖を足場にして、先生は竜の首をさっと駆け上がった。
ここまでの先生の動きにはまったくの無駄も無く、まるで順調にいくのが当然だと言わんばかりのスムーズさだ。普段から目が見えないことが嘘ではないかと思えるぐらい先生は活動的だけど、今の先生は
普段のそれ以上に思えて仕方が無い。何が先生をここまで変えているのか。
先生が竜を幻想だと言い続ける理由も、先生の驚くべき身体能力の理由も同じところにあるんだろうか。
気が付けば先生はもう、暴れる竜の頭頂部まで登っていた。
懐から短剣を取り出した。それは薬草採取のときに持っていく短剣だった。短剣の刃はキランキランと歪に光り、その振り上げられた切っ先は竜のギラギラと鈍く光る目に向かって一直線に進んでいく。
次の瞬間、天を地を引き裂くような悲鳴じみた咆哮が辺り一帯に響き渡った。
見ると、短剣は竜の眼に突き刺さり、血の涙を流して泣き叫ぶ竜の姿がそこにはあった。
「何て奴だ……。あの盲目野郎、あんなにあっさり竜を……」
ハイネは驚きの表情でポカンとその様子を眺めていた。
本当にすごい。このまま先生なら本当に竜を倒すことが出来るんじゃないだろうか。
僕はただ畏敬と期待の目で先生を見つめていた。
「あ」
だけど、再び竜が暴れた。今度という今度は尋常じゃない暴れ方で、その足元には地割れのひびが何本も入り込んでいる。
その激しい揺れに耐えられなくなったのか、それともたまたま足を滑らしてしまっただけなのかは知らないけど、真っ逆さまに落ちていった。先生は竜の頭から真っ逆さまに滑り落ちた。
「いやあああああ!!」
僕の叫びが空気を震わせる。
そんな、嘘でしょ。先生が、先生が。ダメだ、駄目だよ、そんなの。
誰か、助けて、先生を助けて。
僕は眼を閉じて、ガラスが割れるような悲鳴を上げ続けた。
助けてよ、誰か、先生を助けてよ。
先生が死んじゃうなんて、そんなのダメだよ、イヤだよ。
イヤだよ。死なないで、先生!
先生はものすごい勢いで、真っ逆さまに落ちていく。頭から地面に叩きつけられて、そう、身体がグチャッと音を……立てなかった。
むしろ世界は急に静かになった。竜の咆哮も聞こえなかったし、後ろにいるハイネの声も聞こえなかった。
おかしい。何が起きたんだろう。
僕は恐る恐る閉じていた眼を開けた。
僕は声を失った。
僕が見たのは無残に散った先生の死体でも、真新しい血に濡れた大地でも無かった。地面の上には先生はいなかった。
目線を少し上げれば、そこに先生がいた。
宙に浮いて、そのまま静止していた。僕は眼を疑ったけど、それは確かに現実だった。
「な、何だ、これは……。俺は夢でも見ているのか……」
ハイネがそんなことを漏らす。無理もない、人間が浮くなんて魔法でもない限り不可能だ。
「これは、あれか、あの盲目野郎の能力か何かなのか」
「わ、わかんない、でも……」
見ると、当の本人も呆気にとられているように見える。竜も同じく、その宙に浮く奇妙な生き物を前にポカンと口を開けて黙りこくっている。
先生でも無い、竜でも無い。じゃあ、一体なんでこんな魔法みたいなことが。
魔法……みたいな?
僕はハイネが言った言葉を思い出した。僕の母さんは魔法を使う戦士だったって。
確かにあのとき、僕は必死に先生が落ちないように祈った。でもね、そんなまさか。
ハイネも竜も先生も状況が理解できずに呆然としている。
と、とにかく、今はチャンスじゃないか。今なら竜を倒せる。
「先生! 今だよっ!」
僕がそう叫んだあと、先生は僕の方を向いて笑顔を見せてそのまま竜の方に手を伸ばした。
先生が丁度手を伸ばしたところには、さっきハイネが突撃した時の剣が突き刺さっていて先生はそれを思い切り引き抜いた。
傷口からはドス黒い血がドロドロと流れ出す。竜も痛みに気付いたのかまた騒ぎだし、地鳴りを響かせ、火を吹いた。
炎は全く見当外れのところに舞い散り、空中に浮いたままの先生は剣の握り心地をゆっくりと確かめる。
空中に浮いていても足場と言うものはあるようで、ぐらぐら揺れる竜の巨体の上に比べたらはるかに足元がしっかりとしているみたいだ。
立ち上がった先生は、血に塗れた剣をゆっくり静かに振り上げた。
そして一気に振り下ろす。風を斬る音が僕の耳に届いた。
長剣は竜の首に食い込み、そのまま吸い込まれるようにして肉を深く斬る。
ずいずいと刃先は進み、皮を斬り、肉を斬った。
そして切っ先が再び空気に触れた。
断末魔のような竜の咆哮と、泉のように吹き出る真っ赤な血が夜の闇を染めた。
夜の魔物は鈍い音を立てて、大地に崩れ落ちていった。
グラグラと音を立てて揺れる大地はまるで悪夢の終わりを告げているかのようだった。




