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山縣有朋は愛されたい  作者: 親交の日


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お祭り戦争

 






 ――――――




 日本軍は兵員と物資が欠乏。現在はそれらの補充と、来る冬に向けた越冬準備を進めていた。


 対するロシア軍も沙河会戦で少なくない損害を被り、その回復に専念している。結果として自然休戦となり、前線は停滞した。


 後方地域では非正規戦が続いているが、大半の正規兵は久しぶりの平穏な日々を送っている。


 補給のため、遼陽には日夜汽車が到着していた。運ばれてくるのは兵員と物資。ただ、そのなかで異質なものがあった。


「これが例のやつですか」


 軍用の規格化された木箱。その中に入っていたのは円盤に筒がついたような不思議な形をした金属の器だった。


 これはプリムス・ストーブ。現代ではキャンプなどで用いられる携帯式ストーブのパイオニア的存在だ。スウェーデンで1892年に発明され、信頼性が高いと評判になった。南極探検を行ったアムンセン、エベレスト初登頂を果たしたヒラリーとテンジンも携行したことで知られている。


 なぜそんなものが送られてきたのかというと、越冬のためだった。寒風吹き荒ぶなかで煮炊きをするための火を維持しておくことは大変だ。だからといって寒いなか温かい食事を提供しないのも将兵に申し訳ない。そこで携帯式ストーブを使おうということになった。


 それだけならただの官品ということになるが、金がない明治政府にそんな余計なものを買っている余裕はない。福利厚生よりも武器弾薬、というのが基本である。


 しかしそれはあまりにも可哀想だ。仕方がないのでこれらは全て倉屋が購入。国に献納するという形をとった。だからこそ注目が集まったのである。


 その夜。試運転も兼ねて早速、プリムス・ストーブを使って調理が行われた。私もしれっと参加する。


「閣下!?」


「少し借りるぞ」


 炊事兵が驚いていたが、そんな彼らを尻目に調理する。今回はイワシの缶詰めを使ったイワシのつくねだ。


 イワシの缶詰めを取り出して身をほぐす。凍豆腐を水で戻して細かくしたものと粗くみじん切りした赤紫蘇(梅干しに漬けてあるもよ)とを一緒に捏ねる。適当な大きさに整形したら焼いて、両面に焼き色がついたところで酒、みりん、醤油を2:2:1で混ぜた調味料を絡めれば完成。


「いい香りだ」


 調味料が焼ける甘辛い匂いが漂い、兵士たちが吸い寄せられてくる。私の周りには炊事兵から一般の兵士までが集まっていた。


「食べてみるか?」


「よろしいのですか?」


「ああ。ほら、飯盒を持ってきなさい」


「ありがとうございます!」


 近くの兵士に勧めると大急ぎで飯盒を持ってきた。そこに焼きたてのイワシのつくねをライドオン。タレがご飯を茶色く染める。


 兵士はいただきます、と断ってからその場でひと口。


「美味い! ……あ、いや、美味しいです」


「はははっ。そう畏まらなくてもいい。美味いものは美味い。それでいいじゃないか」


 高級食堂じゃないんだから、と私は兵士の砕けた口調を咎めなかった。


「ほら、他の者たちも欲しいなら食え食え」


「「「はいっ!」」」


 列に並ばせて配る。もちろん一人前ではひとり一個としても到底足りないので、炊事兵にレシピを伝えて作りまくった。兵士たちには大好評だった。


 ……コンロ関係ないということに気づいたが知らないふりをしておこう。


 ちなみにイワシのつくねは美味しかった。甘辛いタレが絶品で、酒によって缶詰めの匂いもかなり消されていて食べやすく仕上がっている。赤紫蘇もいいアクセントで、我ながら上出来だ。


 この評判は戦地に伝わり、調理もシンプルなことから日々の献立に加わる。さらになぜか私の名前が冠され「山縣つくね」として定着するのだが別の話。







 ――――――







「――そんなことがあったんですって」


「お父様らしいわね」


 ところ変わって東京の山縣邸。主人である山縣が出征して不在のため、今は海と水無子が住んでいる。彼女たちはおおよそ月一で送られてくる山縣からの手紙を読んでいた。早速、つくねの話が紹介されており、二人は笑いあった。


「お義父様は兵隊さんに人気のようですね」


 そこにやってきたのは義娘である雪子。誠との結婚後、彼が習志野の騎兵第一旅団に配属となったためそちらへ借家して住んでいた。しかし程なく夫が出征。さらには妊娠が発覚する。一家で相談した末、東京の山縣邸に住むことになった。実の両親もいて安心だろう、と。


 雪子にとっても山縣邸は慣れ親しんだ環境なので、引っ越してきてもかなりリラックスしていた。散歩をしたり手習いをしたりと自由に過ごしている。海は初孫ということで甲斐甲斐しく世話をしていた。サービス過剰で雪子が恐縮するほどだったが。


 習志野にいた期間は短かったものの、その酒豪ぶりは部内でも噂になっていた。騎兵第一旅団からも挑戦者が続々と現れ借家を訪問して勝負していたが、その悉くを返り討ちにしている。旅団長の秋山も彼女の前に沈んだ。


 その中には兵士もおり、彼らは誠を「山縣の御曹司」と慕っていた。彼らの父兄が山縣の指揮下で戦い、その人柄を聞かされていたという。縁者の部下になれて光栄だと言っているのを彼女はよく聞いていた。酔っ払って出てくる言葉なので本音に近い。海と水無子はそれがとても誇らしかった。


 山縣の人気は別のところからも窺える。


「そういえばそろそろじゃない?」


 時計を見た海が何かの時間になっていることに気づく。それと前後して、屋敷の外から微かに歓声が聞こえた。


「山縣元帥万歳!」


「「「万歳〜ッ! 万歳〜ッ!」」」


 群衆がそう騒ぎながら屋敷にやってきた。沙河会戦の戦勝祝賀会である。大本営が沙河会戦での勝利を発表し、それを新聞が報道。提灯行列をはじめとした祝賀会が催されていた。


 新聞では祝賀会の予定も報道されており、その一環として軍を率いた将軍の家を巡って讃える行事が行われている。なお、旅順要塞については詳細な報道がなされていないため乃木邸は行程に含まれていない。


 遼陽会戦や黄海海戦でも同じように祝賀会が催されており、戦時下の国民にささやかな娯楽を提供していた。ある種のお祭りである。


 海たちは最初こそ戸惑ったものの今では慣れたもので、使用人たちに汁物を準備させて来訪者にご苦労様と振る舞っていた。


 夫(父)が称賛されて嬉しいが、水無子については悪夢の予兆でもあった。


「はぁ。また映画作らないと」


 戦時下の娯楽は少ない。戦費捻出のため倹約と貯蓄が政府によって奨励され、贅沢は敵だと人々は質素な生活を送っていた。そんなとき真っ先に削られるのが娯楽を含む遊興費であることは古今東西において同じである。


 緒戦は勝利の報が届き行政や民間が主体となって提灯行列などの娯楽的行事が企画されたものの、戦況が落ち着いてくるとその機会も減っていった。


 戦時ということで倹約が奨励され、動員令に基づいて兵役のみならず産業分野にも動員され働く毎日。さらには戦死者の葬儀に傷病者の帰国など戦争の悲惨な側面を目にした人々の心は荒んでいった。


 これを問題視したのが全国の知事たち。彼らは政府に対して人心の慰撫を要望した。特に熱心だったのが内務官僚で山縣有朋の次男・明だった。彼は上司である知事の意向も受けつつ、従兄弟で内務次官の勝津伊三郎に対して娯楽の提供を希望する。


「これを放置すれば帝国は内から瓦解して戦争どころではありません」


 前線の兵士を支えるのが内地国民の役目。しかしこれではそれを果たすことができない。何かしら日々の楽しみを与えるべきだと主張した。


 明はまた個人的に首相の桂太郎、軍相の山本権兵衛や児玉源太郎らを訪ねて同様に娯楽の提供を求める。


「国民は仕事と睡眠とに忙殺されておりますが、その成果は上がっておりません」


 と、赴任先の軍需産業の成績を提示して動員数と成績が比例していないことを示し、原因は人々の心理的負担による生産性の低下にあるとした。その対策として娯楽を提供すべきだと述べる。


「話はわかった。しかし今は国家の一大事。遊び呆けている暇などないだろう」


 前線の兵士は苦労しているんだぞ、と児玉。しかし明も引かない。


「毎日を遊んで過ごすならそうですが、偶には遊興に耽るのも構わないと思います」


 明は日清戦争時、第一軍の司令官だった父親が音頭をとって夕食の席で兵士たちに余興をやらせていた事例を紹介。戦地でもこうなのだから、銃後の国民も多少は娯楽に触れさせるべきだと反論した。


「各地の知事からも同じような求めがあり、やむを得ないかと」


 従弟の求めというだけでなく、現実問題として娯楽の提供は必須だと勝津伊三郎は述べる。なお、次官の彼が大臣の芳川を差し置いて発言しているのは、戦時を見越した内閣改造から日が浅いためだ。


 内務省と軍務省の綱引きの結果、条件付きで娯楽に対する規制が緩められた。その条件というのが、現下の時局を十分に認識させる手段を講ずること。これを果たすため、報道映画(ニュース映画)が作られその上映を義務づけることにする。


 この合意に基づき、興行を担う層には本編の上映前に戦況や日本軍の活躍についてのニュース映画を上映することを義務づける。その製作は水無子が管轄する倉屋の映像部門が担うことになった。


 水無子は余計な仕事を増やして……と明と会う度に責めたが、仕事はきっちりやる。最初は戦地から送られてくる映像と情報を羅列しただけのシンプルなものだったが、父親に泣きついた明から話を聞いた山縣の介入により劇的な進化を遂げた。


 山縣は手紙で絵コンテを寄越し、水無子はそれに則って作る。結果、地図を利用して視覚に訴え、また重々しいナレーションをあてることで雰囲気も作ることに成功。評判も上々で、外務省と大蔵省は国外への宣伝にも使えると他言語の字幕版やナレーションも翻訳し、在外公館や船舶で上映する。もちろん倉屋の船でも。外国人からも高く評価され、外債の評価も上がった。


 そんな事情もあり、倉屋の映画部門はニュース映画の制作に忙殺されていた。月一の月間フィルムに加え、大きな戦闘が起きれば臨時フィルムを作る。先日、沙河会戦が生起したためそれについてのフィルムを作らなければならなかった。水無子は毎回大変なんだよ、とボヤきながら制作の指揮をとる。かく言いつつ、その指揮官は彼女が敬愛する父親なのだ。文句は言うが手は抜かない。


 映画の上映は当然、民衆に大受けした。会場には連日連夜、大観衆が詰めかけてお祭り騒ぎとなる。そして意外にも、上映前に差し込まれたニュース映画も好評だった。親兄弟はこんなところにいて、こんな風に戦っているんだと文字ではなく映像で目にすることでより実感が増す。


 ニュース映画の端々で強調されていたのは指揮官の卓越したリーダーシップ。三国志演義の諸葛孔明のように、相手の意図を看破して逆手にとり手玉にとるような描写が随所に見られた。それが痛快で人気を博したのである。まあ、制作の指揮をとっているのがパパスキーの水無子なので、父親を格好よく描くことに全身全霊をかけていた。なのでさもありなん。


 ともあれ娯楽に飢えていた人々は楽しみを得て活力を補充した。おかげで戦時産業の成績も上向き、政府も下手に締めつけるよりは程々に遊ばせた方がいいことに気づく。するとそれまでの姿勢を一変させ、多くの人が映画を見られるよう環境を整えるようになる。


 例えば軍需工場に上映機材を導入し、仕事終わりに鑑賞する時間を設けた。ご褒美は人々の労働意欲を刺激し、わけもわからず徴用されてきた人たちのやる気を引き出した。そしてこうして生産された物資は前線に届けられ、兵士たちを支えるのだった。










「面白かった」


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と思ったら、ブックマークをお願いします。


また、下の☆☆☆☆☆から、作品への評価もお願いいたします。面白ければ☆5つ、面白くなければ☆1つ。正直な感想で構いません。


何卒よろしくお願いいたします。




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― 新着の感想 ―
ちょっと不適切な例えを使ったからか感想が無くなっているので再投稿 総力戦をガチでやるには娯楽もやらなきゃいけないですからね(それら含めて「総力」でやるから総力戦) 軍需と輸送力やエネルギーを奪い合う行…
真冬の満州の戦場に大葉と木綿豆腐が それなりの量あるのはファンタジー。 でも気持ちはわかる。 キャンプでは醤油っぽい肉をご飯にかけて食べたくなる。
映像の世紀やその時歴史が動いた みたいなドキュメンタリードラマ風なのかな?
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