遼陽会戦 前編
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満州軍総司令部で考えられた作戦を簡単に示す。
まず状況としては、日本軍の右翼に第一軍、中央に第四軍、左翼に第二軍がいる。これらで遼陽を半包囲しているのだが、中央と右翼で牽制している間に第二軍が戦場を迂回。遼陽へ伸びる鉄道線を寸断することを狙う。これが遼陽攻撃作戦の概要だ。
当然、今回の鍵となるのは左翼の第二軍である。彼らが首尾よく進撃してくれないと作戦が成り立たない。サポートのため火砲を左翼に多く配置し、北部のトラック隊も第二軍に集めている。援護と補給は万全――とはいかないものの、できるだけの手当はした。
「できることならここでロシア軍を殲滅したいが、まあ無理だろう」
日課であるレディの世話を終えて司令部に戻ってきた私。朝食前のルーティンであるコーヒーを淹れながらそんな言葉を漏らす。
「まだ戦もしていないのに消極的ですね」
「君たちの前だからだよ」
外へ向けては勇ましいことをいくらでも言うが、内へは本音を言いたい。そして川上たち幕僚にはそれだけの信頼を寄せていた。
シベリア鉄道の破壊に成功したことにより輸送が遅れ、遼陽にいるロシア軍の数は日本軍とほぼ同数と見られている。史実はロシアの方が多かったのでその点では有利だが、攻撃を仕掛けるとなればなお不足していた。一般的な軍事常識からすれば日本が守りでロシアが攻めるべき規模なのである。それが逆転しているのだから大きな戦果など望むべくもないのだ。
「閣下の仰りたいことはわかります。しかしやらねばならないのです」
「そうだな。君たちも随分と知恵を絞ってもらった」
不可能を可能にするために考えたのは局所的優勢の確保だ。諸説あるものの、攻撃三倍の法則というものがある。これを第二軍が担当する戦線で実現する――それが総司令部が出した答えだった。火砲の配置もそれを意識している。
それが最も現実的な方策だろうと私も思っていたが、しかし遼陽攻撃では実現しないだろうなとも思っていた。色々と充実しているがまだ足りない。実現するためのピースはやはり航空機だ。偵察に近接航空支援に兵站爆撃。旅順と遼陽で戦を見てきたが、やりやすさが航空機のありなしで全然違う。ついあればな、と思ってしまうこともしばしば。
一方のロシア軍には気球の存在が確認されている。こちらは完全に観測用で脅威ではないのだが、それを知るとこちらには航空機があるのに、という思いを抱いてしまう。とにかく遼陽を確保して航空隊を展開したい。
「あとは被害が少ないことを祈る。第二軍が後方への進路を拓いたならロシア軍は撤退するからな」
これは私の見立てなのだが、参謀たちからは批判されている。
「閣下。これだけの陣地があるのですから、そう易々と撤退はしませんぞ」
「それが常識ではあるが、ロシアに関しては違うぞ」
ロシア軍にとって遼陽は第一線陣地でしかない。彼らの構想は後退して日本軍を内陸に引き込み、補給線が伸び切ったところを叩く。ナポレオン戦争の再現である。
「もし敵が必死になって守るとすれば哈爾濱くらいだろう」
旅順へ向かう鉄道の分岐点であり、ヨーロッパロシアとウラジオストクを結ぶ要地だ。ここを失陥すればウラジオストクが干上がってしまう。だからこそ何としても守ろうとするはずだ。もっとも、そんなところまで行けるとは欠片も思っちゃいないが。
「とにかく、敵の撤退と冬には気をつけることだな」
ナポレオン戦争、そして未来に起きる独ソ戦から得られる教訓である。参謀たちにあくまで意見は曲げないという姿勢を示す。だが今は遼陽だと、各軍に通達を出すように言った。
八月一日に総司令部から各軍に行動準備を通達。田村恰与造と東條英教を派遣して構想と細かな連絡事項を伝えた。各軍はその指示と偵察で得られた情報を元に作戦計画を立てる。それは総司令部も把握していた。
「こんなところか」
コーヒーをしばきながら各軍の作戦計画を読み脳内でシュミレーションする。特に手を入れるようなところはなかった。
軍の計画に問題なしということで、作戦開始日のXデーは十六日に決める。それに伴い前進命令も出した。ところが、
「さていよいよ、というときに幸先の悪い……」
恨めし気に私は空を見る。十三日から雨が降り続いていた。ただの雨ではなく、豪雨と言って差し支えないレベルの雨だ。地面がぬかるむのは攻撃側にとってマイナスだが、そんなことを言っている場合ではない。
河川が氾濫した。
このような状況では軍事行動は困難。総司令部は各軍に行動延期を通達した。今は雨が止むのを待っている。
「すまんな。こんな天気では流石に外へ出してやれん」
今日のお散歩――もとい騎乗を求めるレディだったが、この豪雨ではそうもいかない。まだ〜、と鼻先でつんつんしてきたが、頭を捕まえてわしゃわしゃと撫でる。
雨の日に外へ出すと身体も冷えるし、泥まみれになるからその後のケアが大変だ。申し訳ないと思いつつ、厩舎として使っている馬房を軽く散歩するだけで許してもらった。レディはかしこいのでハミを噛ませなくとも後ろをついてくる。まあ私限定なのだが。
雨が止むのと地面がほどほどに乾くまで攻撃は延期となる。判断については各軍に任せ、それを上申させるという形をとった。攻め込むのは前線の部隊なので細かな判断は任せる。
第一軍が前進再開を決断したのは二十五日。天候は怪しいが地面の様子はよくなっていたため総司令部は了承した。他の軍にも共有して鞍山攻撃を準備させる。
会戦の始まりを飾ったのは第十師団。弓張嶺の攻略を命じられた師団は二十五日の夜に夜襲を仕掛けた。地形が険しく、普通に攻めたのでは攻略が困難と判断してのこと。ただこの夜襲は普通ではなかった。
夜襲は難しい。夜間は敵味方がわからなくなるからだ。現代ならば暗視装置によって補うことができるが、明治時代にそんなものはない。高い連携と指揮官には統率力が求められる。ところが連絡手段も無線なんてものはないため、頼りになるのは指揮官の声だけ。そんなわけで通常、夜襲は小規模な部隊で行う。
しかし、第十師団は師団単位でこれをやってのけた。
もちろん第一軍はそんな命令を出してはいない。すべて師団の独断だった。それをやったのは師団長の川村景明中将。史実では鴨緑江軍を率いて奉天会戦の決着をつける役割を果たす人物である。
「川村さんは何を考えているんだ?」
師団単位での夜襲という非常識な戦法に東條は不快感を示す。まあ教本にはないからな。何してるんだという批判はもっともだが、ともあれ成功しているのだから褒めなければならない。
ロシア軍もまさか師団が夜襲をかけてくるとは思わず恐慌状態になったようだ。応戦したものの及び腰で早々に撤退したという。
払暁には残る第四、第五師団もそれぞれの目標へと攻撃を開始。第五師団は寒坡嶺の攻略に成功するも、浪子山を攻めた第四師団は苦戦する。
ある連隊は未明に攻撃を開始したものの、ロシア軍の陣地に阻まれて前進が停止。猛烈な射撃を受けたため急いで壕を掘って身を隠したという。それを見ていた敵はチャンスとばかりに反撃に出た。持っていた火器で反撃するものの攻勢を挫くには至らず、各所を突破され崩壊の危機に陥る。
そんな連隊を救ったのは天候だった。
突如として雨が降りだし、途端に地面が泥濘と化す。ロシア軍のホームグラウンドみたいな環境だが急なことで用意がなく、ぬかるんだ地面に足をとられ攻撃の勢いが鈍った。これ幸いと連隊は撤退して窮地を脱する。
「第四師団がいかんな」
総司令部には逐一情報が入っており、第一軍のうち第四師団だけが手間取っていることが報告された。援軍を出してやりたいところだがどこも余裕がない。既に敵陣を陥れた第一軍の他師団は撤退していったロシア軍と睨み合っている。他軍も攻撃準備中でそちらに回す余裕がなかった。
「報告! 第四師団長の小川中将が負傷されたとのこと」
「なにっ!?」
南山の戦いで躓いた第二軍だが、この戦いで強襲法から正攻法へ切り替えることを進言したのが小川だった。メッケルから児玉に次いで評価を受けた人物でもある。そんな彼が負傷したというニュースに私以下、総司令部は騒然となった。
報告によると、捗らない攻撃に前線視察を行い打開策を考えようとしたところへ敵弾が飛来。弾片で負傷したとのことだ。
「容態は?」
「軍医によると命に別状はないとのこと」
ただし指揮続行は難しいとのこと。前線を離れて静養することを勧めていた。
師団長の負傷もあり第四師団は攻撃を中止して再編成を行うことになった。小川は会戦後、負傷のためとして師団長を辞職した。戦時に怪我人が指揮をとることはできない、と。ただそれは表向きの理由で、本当のところは攻撃失敗の責任をとることだと見られていた。この申し出は受理され、後任には塚本勝嘉があてられる。小川は無念の帰国となった。
そして第四師団が攻略に失敗した浪子山だが、ここにいたロシア軍は撤退していった。これは第二軍と第四軍が目指した鞍山攻略にも影響する。敵中央、右翼の部隊が鞍山を放棄して後退していったのだ。
結局、日本軍はもぬけの殻となった鞍山を占領することに。前日まで砲撃の応酬を繰り広げていた相手が一夜にしていなくなった。前線からはなぜ? という困惑が伝わる報告が上がってきた。
「これは好機です!」
日本軍のなかにはそう色めき立つ者がいた。第一軍の参謀長である井口省吾がその典型で、ロシア軍は総崩れになったからこれを追撃すべしと上申してきた。
しかし私は――というか総司令部ではこれを懐疑的に見ていた。
たとえば第一軍が突破した敵左翼の部隊が後退したなら崩れたといっていいだろう。だが彼らは浪子山こそ放棄したものの、他の部隊は依然としてその場に留まっている。にも関わらず総崩れと判断するの早計だ。
中央や右翼の動きはもっと意味不明である。左翼が突破されたとはいえ大きく戦線が後退したわけではない。にも関わらず撤退していった。これらの情報から前線の内的な発露ではなく、外的な影響があるものと推測すべきだ。
この観測は川上以下、総司令部の高級参謀とも一致。第二軍参謀長の落合も怪しんでいる。よって井口の上申は却下し、第二軍と第四軍に対しては十分な索敵を行いつつ前進せよと命じた。命令を受けた両軍は盛んに斥候を放って情報収集に努める。総司令部も福島ルートを使い情報を集めた。
それらの結果、敵中央は早飯屯、右翼は首山堡周辺の陣地にいることが判明。斥候狩りの被害にも遭ったことから潰走説は否定された。むしろ万全の態勢で待ち構えているらしい。
さらに福島からは中央、右翼から左翼へと大規模な兵力移動が行われているとの情報が入る。また左翼の部隊がいる近辺を流れる河川は増水しており、一部は氾濫。地面がぬかるんでいるとか。こちらは第一軍の報告もある。
これらの情報を総合すると、クロパトキンの狙いが読めてきた。
左翼は周辺陣地が奪取され、雨により河川は増水氾濫。退路が断たれる可能性を考慮したクロパトキンは後退させた。同様に中央、右翼も縮小する。
左翼への兵力移動については、日本軍右翼(第一軍)は第四師団の件もあり弱体と推測。これを撃破することを企図し、中央や右翼から部隊を引き抜いて左翼を増強しての決戦を構想した。これに伴い兵力が少なくなる自軍中央、右翼への手当てとして戦線を後退縮小させた――。
「どうだろう?」
「かなり確度は高いと思います」
川上たちも同意見だという。であるならば遼陽の戦いは仕切り直しということになる。特に第一軍の負担が大きくなることが予測された。兵力を手当てしてやりたいところだが先に述べた通り日本に兵力の余裕はない。
「大本営には近衛師団の派遣を要請しよう」
日本軍は常設部隊のほとんどを満州に派遣していたが、一線級と呼べる部隊で唯一国内に留まっていたのが近衛師団だった。各地の現役兵から優秀かつ眉目秀麗な者を選抜して編制された部隊は最精鋭と目されている。万が一のためにと温存していたが、戦力の払底という状況を前にして投入を決断する。
近衛師団の派遣はあっさりと了承された。ただし条件がつく。それは第三軍の旅順攻撃(東北角攻撃)が行われるまでは満州軍全体の予備隊として大連に留め置くこと。
制海権の確保により日本本土は安全になったということで大本営も近衛師団の派遣を検討していた。ただ、北か南かでは意見が分かれていたらしく、折衷案として旅順攻撃の様子がわかるまでは大連に留めておくことにしたそうだ。
「乃木の旅順攻撃は九月下旬だったか?」
「はい。我々の後に行われます」
補給線がほぼ一本しかないので、南北で積極的な軍事行動をとると補給がパンクする。そのため調整して少し時期をずらしていた。次回の――というか本格的な要塞攻撃は我々の遼陽攻撃が終わる九月下旬を予定している。近衛師団がどちらに振り向けられるかはその様子を見てからだ。
何はともあれこの会戦の期間は自分で戦力を手当てしなければならない。そこで目をつけたのは第四軍。担当戦域が比較的狭く、第二師団を予備隊として温存していた。これをしばらくの間、第一軍に臨時配属する。野津は不満たらたらだったようだが、サンドバッグ役の参謀長・上原が吸収してくれた。ありがとう上原。
思いがけずロシア軍の主力と対峙することとなった第一軍を尻目に、第二軍と第四軍はロシア軍が守る早飯屯、首山堡を前にして一時停止。攻撃の準備に取り掛かった。
余談ですが、遼陽会戦におけるロシア軍の退却に対して児玉源太郎たちは総崩れと判断。第二軍と第四軍に追撃を指示しましたが、遼陽付近で待ち構えていたロシア軍に迎撃されて大きな被害を出しました。難しいところですが、やはり冷静さと情報収集は大切ですね
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