旅順要塞攻略戦(三)
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旅順要塞攻略の第一段階として二〇三高地の奪取に成功した第三軍。しかし、これには様々な懸念があった。
「敵の砲撃で移動に難渋しているようですな」
「まあ想定内だな」
第十一師団は敵による妨害に悩まされていた。前線へ人や物を届けるだけでも命がけ。だが、時とともにそれも減っていた。というのも、そうして妨害してくる砲台に対しては航空攻撃が行われたからだ。
ロシア側もようやく空に注意を払うようになり、報告では歩兵が対空射撃してきたという。命中率を少しでも上げようと方陣を組んでの射撃。効果は多少なりともあり、戻ってきた機体には被弾痕が見られた。だが、爆弾引っ提げている相手にそれは悪手というもので、兵士が固まっているところへ爆弾が落とされ一団は動かぬ骸と化したそうだ。
一応、エンジンやパイロットに被弾したら墜落してしまうので用心するよう注意はした。第二次大戦での記録だが、高射砲は一万発に一発の命中率とか。その一万分の一がいつやってくるかはわからない。何にせよ、貴重なパイロットを失いたくはなかった。
「ですが、次第に妨害も少なくなっているようです」
「発砲したら反撃される。下手に手は出せないわな」
ほぼ一方的に攻撃できることもあって航空隊の面々はハイになっていた。誰もが某魔王のように出撃を繰り返す。お供は牛乳ではなく緑茶だが。むしろ整備の方が追いつかず、支援要請が来る度に機体は奪い合いになる。喧嘩まで起きたので飛行中隊ごとに待機。三回以上の出撃では飛び乗った者勝ちで恨みっこなしとなった。
こういう一幕もありつつウキウキで出撃する航空隊。散々襲撃された結果、ロシア軍も学びを得る。それは攻撃しなければ爆撃されないということだ。そうとわかるとあまり攻撃してこなくなった。パイロットたちは出撃回数が減ってつまんねー、なんてボヤいている。整備兵は安堵していたが。
だが実際、出撃が頻繁に繰り返されたことで稼働率が悪くなっていた。予備機をフル活用してどうにか回している状態で、それも危うくなりかけている。中隊ごとの交代制にしたのも、稼働率の悪化で飛行隊全機を稼働状態にできなくなったという事情もあった。なので頻度が減ったのはありがたい。
「砲撃で解決しないとなれば、いよいよ攻めてくるか」
「恐らくは。攻撃と並行して行っている航空偵察では、二〇三高地周辺への部隊の移動が確認されています」
師団司令部はもちろん、第三軍司令部でも警戒を高めているのだとか。ロシア軍の逆襲に備えて陣地構築に勤しむ一方、高地に向けて電話線が引かれた。頂上部には観測班を派遣し観測射撃の準備を整えている。永野修身も向かっていた。
「連合艦隊は?」
「準備はできていると通信がありました」
主力は港で整備と補給を行っていたがそれも概ね完了。連絡があれば出動可能だという。観測班が展開し次第、出港してもらうことになる。
予行演習も兼ねて陸にある陸海軍の砲で旅順艦隊を砲撃した。嫌がらせ以上の意味はなかったが、これが意外にも大きな影響を与える。
大人しくなっていたロシアの砲台が砲撃を開始。歩兵の陣地も慌ただしくなった、と二〇三高地から報告が入る。
「二〇三高地を奪回しようとしているのかと」
「だろうな」
やはり戦力になる艦がゼロなのと一隻でも残っているのとでは重みが違う。ロシア側もそれがわかっているからこそ高地の奪回に来たのだろう。それが我々の狙いだとも知らずに。
例によって大連からは航空隊が発進。戦地へと急行した。その間にも前線は動く。ロシアの歩兵部隊が前進を開始したのだ。砲撃も高地に降り注ぐ。だが、日本軍にほとんど被害はなかった。
「山縣閣下のご慧眼だ」
二〇三高地防衛の指揮を執る第十一師団長・土屋光春中将は呟く。周りの参謀も頷いていた。なかでも参謀長の斎藤力三郎中佐は、
「斜面に陣地形成したのでは敵のいい的。しかし、反対側に築けばそう簡単には狙えない。言われてみれば頷けますが、言われないと気づきません」
この発想は盲点だったとする。敵が攻め寄せる方向とは逆の方向に陣地を築く――いわゆる反斜面陣地だ。沖縄戦では嘉数の戦いで用いられたことで有名で、米軍から「死の丘」だとか「忌々しい丘」などというあだ名をつけられた。
元々二〇三高地の攻略は旅順艦隊を砲撃してこれを炙り出す一方で、奪回に来るだろうロシア軍を消耗させることを目的としていた。ただ、敵が睨みを利かせるなかでのんびりと防御陣地を作っている暇はない。そこで山縣は考えた。
作る暇がないなら既にあるものを再利用すればいいじゃない
と。高地防衛のためにロシア軍が築いた防御陣地である。しかし、これには非常に大きな問題があった。
「こちら側を向いている陣地は役に立ちませんよ?」
という至極もっともな意見。こちらに向いている陣地は、奪取したからといって向きを180度回転させるわけではないのだ。しかし山縣の考えは違っていた。むしろそれが好都合なのだと。
「敵に面した陣地は砲撃される。だが、反対側ならば相手には見えない」
仮に砲撃されても盲撃ちとなるので被害は抑えられる。幕僚はそれはそうだが、こちらも迫る敵を攻撃できないと反論した。しかしそれは否である。
「我々にはあるじゃないか」
それが三一式擲弾筒。塹壕戦の研究をするなか、既存の火砲では塹壕にいる敵に効果が薄い。そこで真上から攻撃する兵器が求められ開発されたのがこれだ。
性能はほぼ史実の八九式重擲弾筒。通常の擲弾に加えて歩兵が携帯する手榴弾も撃ち込めるようになっている。後世の軽迫撃砲と同等の性能を誇る傑作であった。四個分隊を以て小隊を構成するが、うち一個分隊を擲弾分隊にしている。あまり多くても装備や弾薬の生産が追いつかないので妥協した。それでも航空支援がないなか、歩兵が任意の場所を攻撃できる手段として重宝されている。
この三一式擲弾筒こそが二〇三高地防衛の要である。つまりは高地の背面から前面に向けて擲弾を撃ち、登ってくるロシア兵に叩き込むのだ。姿を曝露せず一方的に攻撃できるというわけである。
ただこれで万事解決するわけではなく、頂上では小銃や機関銃を使いロシア兵を釘付けにする必要があった。なので犠牲がゼロというわけにはいかない。それでも戦場で高所をとる有利と銃座の配置の工夫などで彼我の犠牲者数には違いが出てくるだろう。
そのような構想の下、頂上には新しく散兵壕が造られる一方、中腹では既存の陣地を擲弾筒陣地へと改修するに留めていた。
「弾を惜しむな。補給は来る」
ロシア軍が前進を開始したという報告はこれらの陣地にも届いている。指揮官は射撃準備を行う兵士たちにそう言い聞かせた。
これは嘘ではない。
同地で消耗戦を行う構想があったため、第三軍は届いた弾薬を第十一師団へと優先的に配分していた。特に擲弾についてはほぼ全て割り当てている。だから弾薬は他所と比べて潤沢だった。
今後、他の部隊も要塞への攻撃を始めたら今ほどの量は入ってこないだろう。指揮官はそんな将来を考えないことにして、撃ち放題ともいえる莫大な在庫を見て喜ぶ。そして自身が教育されてきた通り弾を惜しまず使うことを兵士に徹底した。
ロシア軍の攻撃が始まると、常識外れの反斜面陣地は猛威を振るう。まず前進してきたロシア兵を頂上から機関銃などの弾幕を張って釘づけに。足が止まったところで高地の後ろから擲弾が次々と撃ち込まれる。さらには大連から飛んでくる飛行機に爆撃もされ、損害が積み上がっていった。
ロシア軍もある程度の損害は承知の上。予想外に損害が大きいものの、火力を集中させて諦めずに攻撃を続ける。その成果というべきか、一部の陣地を奪取することに成功した。
だが、これは日本側の罠だった。意図的に陣地を渡したのである。その意図は、
「人間、何も成果が得られなければ案外、スパッと諦められるものだ。しかし、何らかの成果を上げることができればついそこに拘泥してしまう」
という山縣の言葉によく表れている。
相手を完封してしまってはダメだこりゃ、とすぐに諦められる。しかし少しでも成果があればいけるかも? と考えてしまう。これはギャンブルなどにのめり込む心理と似ていた。
二〇三高地で消耗戦を行う構想を実現させるため、山縣はこの心理を利用することを計画に盛り込む。陣地をある程度ロシア側に渡すことで継続的に戦力を投入させるのだ。参謀たちもギャンブルの話を聞いて納得していた。そしてその構想を乃木なり土屋なりが現場で実現している。軍や組織にとっての理想であった。
日本側の作戦にまんまとはまったロシア軍は二〇三高地にて出血を強いられる。致命的にならない程度に陣地を渡して希望を持たせたかと思えば、逆襲して取り返すというようなことが一週間ほど続いた。
日本は死傷者三〇〇〇あまりとなかなかの損害を出したがロシアはそれ以上。五〇〇〇近くの死傷者を出す。最終的にロシア軍は高地の奪還を諦めた。あまりに死傷者が積み上がったのと、奪還に動いた主力部隊――東シベリア狙撃兵第七師団の師団長ロマン・コンドラチェンコ少将が砲撃を受けて戦死したことが影響していた。
「いや、乃木たちはよくやってくれた」
一連の戦いを見ていた山縣は第三軍を称賛。これで要塞の運命は決しただろう、と総司令部を大連から北上させることを決める。既に第四軍も満州に到着しており、いよいよ満州の野原で戦う。
なお、第四軍の司令官は野津道貫大将、参謀長は上原勇作少将となった。山縣としては立見尚文を大将に昇進させた上で司令官にしたかったのだが、大将のうちでも筆頭格で戦上手の野津が世紀の大戦争で黙っているはずもなく。部内でも野津をあてるべきとのことで司令官就任が決まった。
野津は有能だ。史実の日露戦争でも、奉天会戦が終わって各軍が満身創痍のなか最も多くの兵力を残していたのが野津の第四軍だった。それも日清戦争で突撃を繰り返して大損害を被った戦訓からきているのだが。そんな経験があるため山縣が主張する火力主義にも共鳴している。
ならばなぜ司令官に推さなかったのか。それは彼の性格によるものだ。とにかく頑固で扱いにくい。山縣は(この時代では)邪道な作戦指導をするので、思想はともかく相性はあまりいいとはいえない。扱いにくい人間を置くよりは負けず劣らず有能で従順な人間を置きたい、というのは無理からぬことだろう。
野津の性格は部内でもよく知られた話で、ゆえに参謀長には娘婿の上原勇作をつけた。野津と各方面からのクレーム処理係。最初からサンドバッグとなることが決定している悲しい人事であり、山縣たちは彼に同情していた。
ともあれ決戦の地に向かうにあたり、山縣は自ら第三軍司令部を訪れている。レディに跨り大連から旅順の柳樹房(第三軍司令部所在地)へ。お供の将校がアラブ馬に跨るなか、ひとり立派なサラブレッドに跨る山縣はとても目立っていた。
「ようこそ閣下」
「長岡くんか」
外で出迎えてくれたのは参謀長の長岡外史。乃木の待つ司令部がある建物まで案内してくれた。ただ、その軒先では馬とともに待っていた乃木。長岡はあれ? というような顔をしている。そんな空気を察してか、
「前線視察をご希望とのことでしたから」
と言う。私は乃木らしい、と笑う。そして二人轡を並べて前線へ。もちろん騎乗した状態では目立つので、攻撃発起点からは徒歩で移動する。そのために山縣が下馬して手綱を随伴していた兵士に預けたところ、レディが置いていくなと言わんばかりに暴れだす。激しく嘶き体を寄せてくる。
山縣はすまない、と周りに謝りつつレディの鼻先を手で上下から挟みわしゃわしゃと撫でてやった。少し辛抱していてくれよ、帰りは少し走ってやるから、と宥める。その甲斐あってか、次第に大人しくなった。
「これでよし。――では頼む」
従兵も慣れたもので、はいと頷いた。
そして徒歩で二〇三高地へ。反撃したロシア軍は手痛いしっぺ返しを食らったため、最近は何もしてこなくなったという。山縣の前線視察もそんな事情があって認められた。その途上、乃木と馬の話になる。
「山縣閣下の馬はかなりわがままですな」
「ああ。英国の国王陛下から賜ったものだが、元は競走馬。かなり気性が荒い」
わがままお嬢様で手を焼いている、と苦笑する。実際、山縣邸の馬房区画はレディの影響で立派な牧場というレベルで整っていた。
「我々の軍馬がそうであるように調教なさらないので?」
「うーん、乗る分には問題ないからな」
山縣は基本的に矯正することはない。自由にさせて、何かあればその人の個性に合わせた仕事を振る。レディはたしかにわがままだが軍馬として必要な素養は持っているし、乗り手(山縣)の指示はちゃんと聞く。性格を変えるレベルで徹底的に調教する必要はなかった。
他方、乃木は自分に厳しく他人にも厳しい人間。厳格な乃木からすると問題を正さないことには違和感を覚える。……そんなすれ違いがありつつも坂を登り頂上へ。
「……これが旅順要塞か」
山縣のコメントはそれだった。日露戦争でも屈指の激戦地。難攻不落の大要塞ということは知っていた。だが、実際にそれを目の前にすると圧倒されてしまう。
「これは難物だ」
「はい。ですが、閣下には感謝しております」
「なぜだ?」
特に何もしていないはずだが……と困惑する山縣。すると乃木は懐から紙を取り出す。それは要塞の地図であった。熱心に研究しているのだろう。細かな書き込みがされている。
「この地図にある堡塁の位置や内部の構造は航空偵察によって得られたものです。もし飛行機がなければ、我ら第三軍は兵の命と引き換えにこれらの情報を得ていくことになったでしょう」
だから飛行機の開発を推進した山縣には感謝しているのだと乃木は述べた。
「なるほど。ありがたく受け取ろう」
その後、二〇三高地にいた永野修身や第三軍に属する第三師団長の立見尚文などと話した山縣。最後にこう言い残す。
「旅順要塞は堅固である。しかし、私は確信している。諸君らが必ずやこれを陥れると。ゆえに私からの言葉はただひとつ。――諸君らを北の地で待っている!」
そう訓示して去っていった。
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