事態への応対
前回のあらすじ
状況説明が続くが、どうもかなり混迷とした状況らしい。人魚のクマノは晴嵐を助けたが、本来なら船に 戻すべきだったけど、新人ゆえに応対を間違えたようだ。
晴嵐も味方のはずの、私掠船の面々と交戦してしまっている。誤認だらけの現状の中、人魚のクマノは上司に相談しに行った。
用意された人魚族用の衣服……競泳用の水着めいた衣装は、着用に少々手間取った。
全身をぴっちり包む水着は、締め付ける様なキツさがある。恐らく水の抵抗を減らすための、機能上必要な物だろう。水着を着るのも久々で手間取った上に、慣れない着衣で落ち着かない。黒を基調にした水着は、ところどころ蛍光色めいた黄緑色が線を引いている。自分自身に観察の目を向けていると、ポチャンと水が跳ねる音がした。
「お待たせしました。アラン隊長……上司と話が付きました。同行をお願いできますか?」
「承知した。よろしく頼む……とと」
「不慣れでしょうから、ゆっくりでいいですよ」
「……すまん」
脚を動かそうとして、上手く動けない晴嵐。彼は地球で生きていた頃、片目と片腕を失った経験がある。あの時も直後は苦労したものだが、それは人魚化した直後も変わらないらしい。なんとか身体を起こして、慣れないヒレを陸に引きずっていった。
水面に映る今の姿、人魚に変化した自分の姿に軽く頬が引きつる。しかし躊躇ってばかりもいられない。クマノの手招きに勇気を出して、晴嵐も水中に飛び込んだ。
(身構えていたが……冷たくないな)
飛び込んだ水の中は澄んでいて、ほんのりと磯の匂いがする。海水で目を開いているが、全く染みたりしない。何より驚いたのは、水中を驚くほどスムーズに泳げる事だった。
クロールや平泳ぎのように手を動かしてはいない。ヒレだって動いている感覚はあるけれど、晴嵐が強く意識して動かしている訳じゃない。ただ行きたい方向を向いて、そちらに意識を向けるだけで、ヒレが力強く水を蹴って……いや、水をかき分け漕いでいった。
人がゆっくり歩くとき、さほど意識して足を動かさないように……注意を向けるだけで体が進んでいく。驚いて声を出そうとして、ゴボッと水泡が溢れた。
「・・……・……・・・⁉」
自分が話しかけようとして、言語とは異なる『音』が出た事に驚く。言葉ではない『信号』めいたソレにクマノが振り向き、彼女も似たような『音』を発して――すぐに言語として伝わった。
『どうしました?』
『いや言葉がただの音に……って、直った?』
『補聴に少し時間がかかったのかもしれません。私達人魚族は音で会話をするので。首飾りに翻訳機能があるのですが……陸から海へ、海から陸へ上がる時は、翻訳が遅れやすいそうです』
あの強弱のついた『音』が、人魚族の言葉らしい。魔法で補正をかけて、晴嵐にも理解できるように翻訳している……か。泳ぎに言語に、実に便利な魔法の道具だ。先導するクマノの泳ぎに追従できている。視界に広がる鮮やかな青色に、海中洞窟の灰色が目に映る。競泳水着の人魚を追って、曲がりくねった洞窟を進んだ。
変に左右にふらつく事も無く、海中の洞窟から二人の魚影が海原へ飛び出す。感心した晴嵐の手が、無意識に首飾りに伸びていた。
『泳ぎもほとんど無意識に出来る。すごいなこれは』
『そうですね。完成した当初は革命的だったと聞いています』
『だろうな……ちなみに、呼吸の頻度は?』
『運動量にもよりますけど、30分から一時間に一回です。不安でしたら、こまめに水面に出て呼吸してください』
彼女に導かれるまま海中を進めば、一人たたずむ人魚の姿が見える。蛍光色の水着のラインが、遠目でも『いる』と認識できた。向こうも気が付いたのだろう。男性人魚族が近寄り、彼らに声をかけた。
『クマノ。その人が?』
『はい……そうです。えぇと、お名前は……』
『セイラン・オオヒラだ』
人魚族の男が名を復唱しつつ、ライフストーンを取り出して書き込んでいる。ちらりと晴嵐に目を向けつつ、状況と今後について説明した。
『こちらのクマノがすまない。本来なら船へ君を返すべきだったが……』
『戦闘中で混乱が酷かったし、わしもちと面倒な巻き込まれ方をしていての……不幸な事故だったと理解している』
『そう言ってもらえると助かるが……なぁなぁで済まない事もある。今後について説明をさせてくれ』
頷く晴嵐。対してクマノの上司と思しき人魚は、別のライフストーンを取り出して文字列をなぞった。
『現在、君が乗船していた『客船・桔梗』は、予定より遅れて到着予定地に向かっている。事態に気づきはしたんだが、君一人のために運航を遅らせる訳にもいかなくてな……』
『ただでさえ海賊・セイレーンの襲撃もあったし、運航する側としてはより多くの人間の利益を優先すべきよな』
『君には申し訳ないが、そういう事になる。船内に君の物が置きっぱなしだと思うが、それらは到着予定だった『青頑岬』の港で、責任をもって保管するので安心してほしい』
『ほとんど手荷物で、大したものは無いがの』
事実を述べる晴嵐に、人魚は『かといって取ったら窃盗だろう』と半笑いで返した。『それもそうだ』と晴嵐が答えてから、今後について人魚が言う。
『ただ事務手続きなどを考えると、即日応対も難しい。急ぎでないなら、一週間ほど待ってもらう事になってしまう』
『私掠船側との兼ね合いか?』
『うむ……クマノから聞いたが、ややこしい状況のようだからな。君の言う所の『不幸な事故』……念のため幾分か時間を置いて、ほとぼりが冷めるのを待ちたい』
『すみません、アラン隊長』
『君だけの責任ではないが、多少の責はある。過剰な反省は好まないが、かといって無責任にもならないように』
『……肝に銘じます』
しゅんとする女性人魚のクマノ。聞く限りだが、妥当な対応だと晴嵐は感じた。完全に信用できない輩とは違う。見せかけだけでない誠意が見える。こちらにから問う前に、アランは今後についてを説明した。
『さて、君には待機期間が生じてしまう訳だが……その間は人魚族の所で『ホームステイ』して欲しい』
僅かに晴嵐の表情が動く。男性人魚のアランの説明が続く。
『ホームステイ』……地球が終わってしまう前に、聞いた事もあった単語。こんな海の中で耳にした単語の意味は、限りなく同一に近かった。




