緊急対応
前回のあらすじ
意識を失っていた晴嵐は、洞窟の中で目を覚ます。過程を思い出すうちに、身体の一部の様子がおかしい。視界を足元に向けると……なんと彼は人魚族の姿に変わっていた。
目を覚ました救助対象者が、取り乱す事はよくあるらしい。事前に先輩シーフロートから聞いていたのに、いざ直面すると慌ててしまう。新米シーフロートにして人魚族のクマノは、情けない事に気圧されていた。
「何が……何がどうなったんじゃ……⁉ わしは……わしはこれから、人魚として生きねばならんのか!?」
目を覚ました男性の表情は、危うさが全面に出ていた。パニック状態の彼につられそうになるが……一度深呼吸したクマノは、自分自身にも言い聞かせるように声を発した。
「え、えぇと……と、とにかく落ち着いて下さい。ちゃんと一つずつお話しますから」
「本当に大丈夫じゃろうな……⁉」
放つ気配が殺気に近い。彼自身も危うい様子だが、それ以上にクマノは身の危険を感じた。最初からそのつもりだけれど……彼女は拙いながらも、誠実な対応を心掛ける事にした。彼が持つ暗い気迫を察知し、危害が及ぶ予感がしたのだろう。真っ先に彼が気にしている事から話し始めた。
「まずは……『何故あなたが人魚族になっているか?』からお話しましょうか?」
「……ちゃんと元に戻れるのかを知りたい。その方法も」
いきなり別種族になってしまった事に、彼は大変驚いているようだ。緊急避難の措置とはいえ心苦しくなる。重い身体を引きずって、クマノは彼の首元を指さした。
「今あなたは……首に下げた輝金属の『マーメイドの抱擁』で人魚族に変身しています」
「これか……それで元に戻るには? 首飾りを外すのか? それとも念じればいいのか?」
「元に戻る時は首飾りを外して、一時間ほど待ってから……ヒレと胴の付け根に指を入れれば『ヒレが脱げる』そうです」
「ズボンを脱ぐように?」
「多分そんな感じだと思います」
元に戻る方法を知って、彼は大きく息を吐いた。新人のクマノが界隈の常識を知らなかったように、この事態になるまで、彼も何も知らなかったのだろう。勝手ながら、彼女は親近感を抱いていた。
「出来れば許可や同意が欲しかったが……緊急の事だったか」
「そうですよ。覚えてないですか?」
「海に落ちて、何とか海面まで上がろうと藻掻いた所までは覚えている。その後は人魚の誰かに口を塞がれて、そのまま意識を失って……この状況なら、緊急避難でこうするのも仕方ないか?」
「口を塞いだのも私ですけど……」
「なんだと?」
彼の目が据わる。先ほども感じた圧が強くなる。もし後ろめたい事があったなら、目を背けていただろう。自信が無いなりにクマノは釈明した。
「だって……どう見ても溺れているようにしか……急に海に落ちた人が、パニックを起こして暴れる事はよくありますから。だから肺に水が入る前に押さえ込んで、意識を絶ってから首飾りをかけるのが基本……って、先輩シーフロートから習いましたよ?」
傍から見れば……この男性が落ちた直後の行動は水難事故に遭った人間のソレだ。言い分を聞き入れ、本人も冷静になったのか、男は目を逸らして頭を掻いた。
「…………そんなに泳ぎ下手じゃったか?」
「知識のある人なら……水に落ちたら何もせずに、身体が浮き上がるのを待つものですよ? 変に暴れる方が溺れる危険が高まります。着衣水泳の訓練も受けていないようでしたし」
「誤解を生むのもやむなしか……」
「海に落ちる前、何があったんです?」
「戦闘に巻き込まれていた。だから水面に顔を出したら、悪魔の遺産に狙われかねない状況だったんじゃよ」
「えっ?」
「えっ?」
お互いに言葉を聞き返す。特にクマノは混乱した。
「だって……あなたただの乗客ですよね? 戦闘に巻き込まれる事なんて……」
「あー……船と船が衝突した時の衝撃でふっとばされ、海賊船側に乗っちまった」
「……そんなことあります?」
「あの時ばかりは運命を呪ったわ」
「で、でも私掠船の人たちと話をすれば、保護してもらえたんじゃ……?」
「言い訳が通じる空気じゃ無かったわい。交戦せざるを得なかったよ」
なんてことだ……とクマノは髪を振り乱した。ただの自分の独断専行、新入り特有の早とちり。それで済むかと思いきや、かなりややこしい事になってしまった。
一縷の希望を掴むべく、男に向けて質問する。
「……私掠船と海賊の違いって分かります?」
「全く分からん」
「ですよねー……どうしよう……」
クマノは泣きそうだった。何ならちょっとだけ涙が出てしまった。自らの失態と不安から生じたストレスに、涙腺が耐えきれなかったのである。
「じ、実はその『私掠船』というのは……非正規ですけど軍隊なんです。『悪魔の遺産』を使う海賊に、同じ武器を使って対抗するための組織でして」
「客船側と会話している節があったが……あんな荒々しい事やっといて国の傘下なのか?」
「ガラが悪いのも確かですけど……海上の警察と呼んで差し支えありません。ですから、私達シーフロートとも連携しますし、客船側も救援要請する魔道具もあります。不審船を発見した段階で、船長さんが通報していたのでしょう」
「だからタイミング良く到着したのか。って事はわし、もしかして味方を?」
「……そうなります」
知らなかったとはいえ、大変な事をしてしまった……さらに面倒な事態は重なっており、これから伝えなければならないのが心苦しい。洞窟の中、二人して頭を悩ませていた。
用語解説
マーメイドの抱擁
白い貝殻を模した首飾り。身に着けるだけで、人魚族に変身させる道具。主に溺れている人物を救助するために用いられるようだ。
元に戻る時は、外してから一時間ほど待てばズボンを脱ぐように外せるらしい。




