ごく稀に顕現する恐怖
前回のあらすじ
晴嵐が船員に帽子を届けに行くが、戦闘中でそれどころではない。客室から出る口実として使い、海戦の様子を観測する事にする。あまり船上からでは援護が難しい様子だが、ワンパターンの人魚を発見し……
シーフロートのクマノは、集中攻撃を受けていた。
己の未熟から、うっかり船下から引きはがされてしまい……セイレーンどもからの襲撃に晒されている。戦闘訓練も受けたし、座学もちゃんと合格点も取ったけど、いざ現実に『失敗例』となった自分は甘かったと歯噛みした。
陸上戦においても、数的不利や孤立は致命的になりやすい。だが海中での戦闘に置いて、人魚同士の戦闘に置いては、はっきり言って比較にならない危険度だ。
何せ水中は……すべての方位、すべての角度に位置取りが可能だ。前後左右だけでなく、上下の軸にまで気を配らなければならない。水面を背にしていたとしても、海上を経由して着水する奴らも、死角から圧力をかけ続けて来る。船上からのハープーンも着弾しているが……これに頼り縋るようでは、いよいよ弱り果てているのだとクマノは知覚した。
(アラン隊長は……まだ、ですよね……)
罠に掛かった五名は、辛うじて信号を送り合えるものの……まだ回復には至っていない。他の仲間たちも機を窺ってはいるが、迂闊な事をすれば被害者が増えてしまうだけ。人数不利をこれ以上広げる訳にもいかない。人魚の仲間に出来るとしたら、周囲を泳ぎ囲む敵が軌道を外れた所に、どうにか割り込めるかどうかだ。
しかしこれも期待薄。となると他の手段は……隙を見て敵の包囲を抜けるしかない。何とか船下側に移動できれば、積極的に味方の援護も受けられる。ゆらりとクマノが体を揺らした瞬間、鋭い殺意が飛び込んできた。
『ヒャァ‼』
『我慢できねェ!』
『突撃だァ‼』
こちらが脱出したい。そんな心情を挫くように、セイレーンどもが攻撃を仕掛けてくる。獰猛なサメが牙を剥くように、真下と左側、そして背後から聞こえた叫び声にギョッとした。
『っ……!』
逃げ道は少ない。三次元の軸線で見ても、綺麗にすべての回避方向を潰されている。焦りと恐怖の中で、震えながら唯一の回避方向に……目を閉じて、飛び込んだ。
この場面、後ろに引くのは論外だ。身体を使った突撃は同士討ちを避けるため、敵は『同時には』突っ込んでこない。だから、敵のいない方向に引いてしまうと……第二波、第三波で襲い掛かる敵に、軌道修正の余地を与えてしまう。しかもクマノのいる位置は水面近く。上方向への退路は限定されてしまっている。
故に唯一の活路は一つしかない。敵の包囲陣形側に、最大速力で逆に自分から突っ込んでいく――!
『『『ゲッ!』』』
敵の三名が苦い声を上げる。勢いをつけて突撃するがために『手前側』での軌道修正は効きにくい。急いで包囲を狭めようとするが、ここでも同士討ちの懸念が攻撃を躊躇わせる。このまま抜けられる……ほど甘くはない。敵の一人が、手にした石灰質の槍を手折り投擲する気配を見せた。
未熟なりに勇気を振り絞ったクマノには、見えていない。ただ、肌に刺すような悪意だけは、彼女にもひしひしと感じられた。
敵から槍が放たれる。泳来する殺意が水をかき分ける。恐怖がどっ、とクマノの胸に押し寄せ、心臓が強く鼓動した。水中をらせん状に回りながら迫る悪意は――僅かに、クマノの腹部付近を掠めた。
結果論だが、目を閉じたのが返って良かったのかもしれない。強いストレスが全身に巡る血を熱く迸らせ、全身に強い活力を与えたのだろう。火事場の馬鹿力は、あらゆる生命に備わっている。ぐんと加速した彼女の速力を、捉え切る事が出来なかったのだ。
『チッ!』
危険を脱したと思い、目を開けるクマノ。が、それで囲いを抜け出せはしない。残りのセイレーン達が彼女の進路を塞ぐ。奴らが展開する盾の腕甲を壁にされ、がっちりと海中を封鎖されてしまっている。彼女も槍を数度打ち付けるが、軽々といなされてしまった。
そうして時間を使わされている内、後方で攻撃に失敗した人魚たちが水面を跳ねる。このまま足止めされれば、三名が反転して突っ込んで来る。歯がゆい思いだが、もう一度自分から離れるしかない。後ろ髪を引かれる中、突如海中に怖気の走るような絶叫が聞こえた。
『あ、あ、あぁぁ……‼』
クマノの行く手を阻み、悪意ある笑みを浮かべていたセイレーンが……すっかり戦意を折って絶望の表情を浮かべている。やっと生じた隙を逃さず、彼女が脇をすり抜けるが背後から追撃の気配はない。何故? と後ろを振り向けば……敵とはいえ、気の毒に思える光景が広がっていた。
『ひ……ギィっ……』
船上からの援護射撃、大型の弩から放たれるパープーン……鎖で繋がれた、そうそう命中しないとされる銛が、セイレーンの下半身を貫いていた。
深々と肉体に食い込みながら、人体を貫通している銛……人間であれば、槍に串刺しにされている光景に等しい。ただそれだけなら水中戦でも起こり得るが、ハープーンの恐ろしい所はここからだ。
カリカリ……カリカリ……カリカリカリ……
金属の擦れる振動音が無慈悲に響く。ハープーンの巻き取り機が、穿った人魚を地上へと引き上げていく。暴れてもがく程に……体を串刺しにした銛が、より深く棘を食いこませていった。
『たす……! た、たた……助…ヶぇ……!』
命中率が低く、その存在意義を疑われる事もあるハープーンだが……こうして目の前で『直撃』した場面を見ればよく分かる。
肉体に貫通する禍々しい異物に海中を引きずられ……陸に水揚げされるのを、ただ待つしかない。
たとえそれが、極稀に降りかかる災難であっても――いざ現実に起これば、明日は我が身と身体を震わせるのだ。
『ひっ……ひぃぃいいぃいいいいぃぃっ‼』
まだ数の優位もある、包囲されていたクマノを逃がさなければ、奴らにも勝ち目は残っていた。少なくても、新入りのシーフロートを追い込めただろう。合理的に考えれば、目の前で一人『滅多に起こらない』現象が起きたのだがら、次は自分の番かも……と想像するのは理性的と呼べない。
だが知性だけて、物事を測りきれないのもまた人間。あまりの恐怖に飲み込まれたセイレーン達は、一目散に逃げだしていた……




