龍の残滓と、慟哭
前回のあらすじ
止まらない晴嵐に対し、タイラー卿は本気を見せる。次の瞬間、圧倒的な身体能力を発揮し、雑魚の群れを薙ぎ払う。十分なお膳立てが終わると、晴嵐もまた殺意を持って敵へ――
ヴェイン家が現在まで、代々継承し続けた真龍素材武器……『龍血剣』。千年前の大戦で亡くなった『活龍ヴァーヴ』の遺骸と活用し製造されていた。
有する能力は、代償の無い肉体の活性化。無尽蔵の体力と筋力増幅を実現する。負傷もかすり傷程度であれば、数時間で完治する。にもかかわらず使用コストは無いに等しい。この『龍血剣』の効果に限って言えば、むしろ肉体の活性化によって回復する始末だ。
(その力を……君は)
踏み台になったタイラー卿は、力を分け与えた相手が、何をしたのかを目撃した。
肩を全力で足場にしたのはいい。タイラー卿本人も『活性化』している。跳躍に合わせて彼を押し出した。最初からその予定だった。
問題は……この男の力加減だ。一切勝手分からないだろうに、手加減なしに全力で真っすぐ跳躍した事だ。
あまりに純粋な殺意の発露。他者が認識した時には、既に彼は敵を貫き、磔にしていた。
「……ぁ……?」
喰らった髑髏が呆然と呟く。やっと攻撃されたと気づいたらしい。
肉体を活性化していたおかげで……いや、活性状態のタイラー卿でさえ、なんとか目で追える動きだった。男は愛用の刃物を胸に抱き、小さく鋭く刺突する構えを取って……振るのではなく、自らの身体を激突させる形で強襲を仕掛けたのだ。
「なん……だと……」
自らの身体を嚆矢にして、ナイフの先端を突き立てた男。強烈な質量と鋭い刃物の重ねがけの一撃。受け止めようとするのは無謀で、直前にタイラー卿の号令で注意を散らされて、活性化の二段構えで突撃されては……
あえて敵を擁護するなら……杖捌きで防ごうと努力の痕跡がある事か。もっとも何の意味も無かったが。事前にオーク騎士がつけた杖の傷部分から、真っ二つ砕け散っている。虚しく地面に落ちる音と……腐った死体共が軒並み制御を失い、地べたに倒れて消えていく姿で、新兵もやっと彼を見つけたらしい。
「て、天井に……磔……」
斜め上に飛びかかり、超速度で天井へ激突。刃渡りの短いナイフ一本で、深々と心臓部を貫いている。どう見ても致命傷。これで戦闘は終了……そう思いきや、まだ彼の殺意は収まっていなかった。
「――……殺す」
天井から、奈落のような声が広がる。男はナイフを引き抜きつつ、骸骨の背中に手を回す。天に縫われた髑髏を引っぺがし、ちょうど半回転しつつ、敵を下側に地べたへと堕ちた。
地面と男に挟まれ、既に瀕死の敵が声を漏らした。あるいは、これ以降も鳴いていたのかもしれないが……誰にも届く事は無かっただろう。
右手は深々とナイフを握って、地面へ打ち込む楔のようにナイフを抉り穿つ。骨が悲鳴を上げても愉悦の笑み浮かべずに、濃縮され尽くした悪意を押し付けた。
「が……ひゅ……っ……」
骸骨がカタカタを震えて、漏らすような呼吸音がする。無視した晴嵐は小指、薬指の折れた左手を無理やり握り込んで……全力で、顔面を殴打した。
ガッ……ガッ……! ガリッ! ゴギッ!
素手の打撃。しかも直接むき出しの骨格に向けての、打撃。普通なら躊躇する場面、既に決着がついている相手への、不要な傷を負うばかりの過剰攻撃。安全を確保した新兵たちが僅かに寄ったが、その姿を見て凍り付くしかなかった。
「ォォォォオオオオオオオォォオオォォオッ‼」
獣のような咆哮が、狭く閉ざされた室内に響き渡る。歴戦のタイラー卿でさえ、無意識に剣を構えてしまった。矛先は、たった一人に向けられていると明確なのに。
強烈な悪意と殺意、怨恨を憎悪に満ちた慟哭。胸の内から吐き出しながら、彼の打撃ペースは上がっていた。
新兵たちは見守るしかない。何が彼をそこまでさせるのか、思う事はあっても手は出せない。幻覚による惑わしもあって、この敵に対して同情を削ぐ要素もあった。
やがて抵抗を失った相手に、男の右手も暴力に参加し始める。激しい怒りを顕わにする彼へ、必死に走り寄るゴーレムがいた。
「晴嵐さん! 晴嵐さん!? 落ち着いて‼」
「――――――‼」
彼の知人なのだろう。後ろから羽交い絞めにして、引きずるように敵から遠ざける。押さえ込まれる直前にも「邪魔するなッ‼」と裏拳をかます男。金属の身体を加減無しに殴って弾かれても、まだ殴り足りないと暴れていた。
――本当に、彼はあまりにイレギュラー過ぎる。だがそれも含めて『訓練』にするしかあるまい。窘める意味も兼ねて、タイラー卿は新兵たちに通達した。
「……兵士諸君。これは悪い例だ」
29階層の強敵は倒した。窮地は抜けた。新兵たちは雑魚の掃討中で、本丸を落とす段階では無かった。そんな中で、敵の首領を仕留めた男を肯定する人間が生まれてしまうかもしれない。教導者として、しっかり釘を刺しておく必要があった。
「憎悪や怒りは、確かに戦闘力を向上させる側面もある。だが……軍単位で見るならば不都合が多い。統率を欠いた行動に独断で走る。過剰な攻撃行動を継続する。自己の破壊を顧みない……見ての通りだ」
不幸中の幸いは、男の行為は誰が見ても行き過ぎな事。表立って彼を庇う者もいない点か。まだ息が荒い彼にも言い聞かせるように、タイラー卿は告げる。
「はっきり言うが、もし彼が軍属なら謹慎ものだ。戦局を大きく悪化させた要因となった場合、除籍や軍法会議もあり得る。いないとは思うが……もし憎しみで剣を取った者がいるなら悪い事は言わん。訓練期間終了後、籍を抜いて個人でやれ。いいな?」
成り行きで合流した部外者故に、男の処遇は『厳重注意』にとどめるしかない。
無事に29階層を突破し、新兵どもの訓練を完了したはずだが……誰も釈然としない結末だった。




