慣れていた男
前回のあらすじ
29階層の『ボス部屋』に侵入し、30層への道を阻む敵と対峙する。宙に浮く骸骨魔法使いが悪役の高笑いと共に、地面から次々と腐った死体を呼び覚ます。包囲されぬように室内の外壁へ、ドーナッツ状に展開する兵士たち。死人を操るボスが次に放った一手は……
骸骨魔法使いの杖が怪しい波動を広げると、囲んだ兵士たちの視界がクラリと歪む。次に目にしたのは――
「お、おっ母ぁ……?」
「えっ……な、なんで長が……!?」
「あ、あ、あぁ……!」
新兵の手が震える。呼吸が乱れ、危うく武器を落としそうになる者までいる。何が起きたのか……それを説明するのは、宙に浮いた邪悪な魔法使いだった。
「ふははははは……! お前たちの知った顔……大事な人間をゾンビに変えてやったぞ! それでも戦えるかなァ! ほれほれ!」
変わり果てた知人の姿に、誰も彼もが動揺を隠せない。何たる非道。何たる悪辣。魔法の性能がいいのか、それとも『特殊なゴーレム』だからか……ルノミでさえも固まってしまった。
「っ……名前は、思い出せない、けど……く……!」
記憶の一部を失っているが、顔や容姿は覚えているらしい。緩慢な動きで唾液を垂らし、近づいてくる『名を思い出せない誰か』に迫られ、分離飛行した指先を向けるも突き刺せない。他の兵士たちも同じ有様だ。
「こ、来ないでくれよ……! お、お、おっ母ぁ……!」
「流石に、これは……!」
「はっはっはァ! 立体旗で補助しようとも、お前たち自身の心を折ってしまえば手を出せまい! なぁに安心しろ! お前もこいつらの仲間に入れやるってんだよォ!」
高笑いする悪の魔法使い。歯噛みしながらも、手を出せない兵士たち。じりじりと壁側に追い詰められる中――一人の男が一歩踏み出した。
右手には大振りのカトラスを、左手に剣より小さい大型ナイフを手に、死体の群れに自ら飛び込む。まさか自らの身を捧げる気か? 誰かが呼び止める前に人影が敵に飲まれて――そして、鈍い輝きがいくつも舞った。
どの攻撃も、適切に急所を貫いていた。
ダガーは一本残らず首と頭部へ直撃し……カトラスの斬撃が容赦なく首を落とす。新兵たちは『知った顔』が転がったのを見てギョッとする――余裕もない。反射的に睨んだ男の顔は、凄惨凄絶そのものだった。
男は……努めて無表情を作ろうとしているのに、隠し切れない怒りが眉を吊り上げていた。
食いしばった奥歯の音が聞こえる。そんな幻聴を予感させるほど口を噛み締めているのに、何も言葉を発しない。
鋭く据わった眼光の奥に、ドロドロと濁った情感が燃えている。
荒々しい呼吸は獣じみていて、なのに殺す所作はしなやかで……穏やかな海のような静けさだった。
「お、おい! お前何やって……!」
『自分の知人のゾンビ』を殺して回る男に、ためらいがちな声を上げるが……男の横顔を見れば言葉を失うしかない。ただ一人戦意を失わない男へ、カタカタと骸骨が啼いた。
「術にかかってない……訳じゃねぇ。って事はなんだ? お前、知った人間を躊躇なく殺せるって!? おっかねぇなぁ! どんな人生送ってんだよ!」
邪悪な魔法使いの煽りを受け、ゆらりと顔を上げる男……大平晴嵐。発言を受けて、やっと少しだけ心に情感が湧いたらしい。宙に浮く骸骨と視線が交差させ――ただそれだけで、クラリと骨が姿勢を崩しそうになった。
彼がどんな人生を送ったかなんて……『この世界』の者に想像出来まい。そうでなければ『晴嵐が過去関わった人間のゾンビ』なんて物を、彼に見せつける訳が無い。知らず知らずとはいえ……骸骨魔術師は特大の地雷を踏んでいた。
「まぁいい! やる気あるのはてめぇ一人だ!」
無数の死体たちが、一斉に晴嵐を見つめる。腐り果てた生ける屍の群れは――『晴嵐の目には』こう映っていた。
(奥川……宇谷……三島に……加賀さんまで使うか)
この世界、この場所に絶対にいない人々の顔が、腐り果てたゾンビの姿で迫って来る光景……パッと見で判別可能なのはそれぐらいだが、きっと他の人間も……覚えていないだけで、知った顔なのだろう。すべてひっくるめて、絶対にありえない光景だ。
「――偽物め」
みんな死んでいる。とっくの昔に死んでいる。ユニゾティアの事なんて、影も形も知らない時期に死んでいる。骸骨野郎は「知った顔をゾンビにしてやった」などと嘯いていたが、別世界で死んだ人間をどうやって引っ張るのか? 恐らく、何らかの手品があるのだろうが……どうでもいい事だ。
「……お前たち! やれ!」
黒幕が号令をかけるが、彼は最初からためらいを捨てていた。
奪った剣が首筋に吸い込まれた。彼の知人の頭に、次々とダーツを刺すように投げナイフを突き刺していく。あまりに手慣れた技は……事実、幾分か彼が『慣れていた』事実が大きい。
「吸血鬼より鈍いぞ。出来損ない」
知った顔が殺されて、化け物となって蘇る光景……大平晴嵐にとって、実に懐かしい光景だった。違いは彼の知る『化け物』と比べて、ゾンビは明らかに緩慢な点。こんな相手に後れを取る晴嵐ではなく、気が付けば複数のエネミーが、地に伏して消滅していった。
「お前……何者だ?」
29階層のボスが骨を鳴らす。ただ一人殺意に身を委ねた男が、するりと一歩前に出る。すっと上げたその表情は……死体よりも濃い死臭を錯覚させた。
「お前が何者だろうと……必ず殺す」
真っ黒い瞳が敵を見据え、骨が僅かにたじろぐと――刹那、晴嵐は空中に飛んで詰め寄った。




