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ランプの魔人と世界の果ての地図  作者: 空野 翔


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第7話「新しい旅」

 町に戻るのに、三日かかった。来るときより、足が軽かった。水が少なくなっても、砂が目に入っても、それほど苦にならなかった。シェードには、その理由がなんとなくわかった。向かっている場所がある、ということは、こういうことなのかもしれなかった。

 ナディームは歩きながら、よく空を見るようになっていた。岩の形を見た。砂の色の変わり目を見た。地平線の歪みを見た。黙って見ていて、時々立ち止まって、何かを頭の中に刻むような顔をした。

 —地図を描くための目で、見ている。—

 シェードはそう思った。同じ砂漠を歩いているのに、ナディームの見ているものが、来るときとは違う気がした。


 町に着いた最初の日、ナディームは市場へ行った。紙を売っている店を探して、新しい地図帳を買った。革の表紙の、厚みのある帳面だった。紙は白く、まだ何も書かれていなかった。店から出てきたとき、ナディームは帳面を両手で持っていた。大切なものを持つときの、そういう持ち方だった。シェードは横に並んだ。

「それで描くのか?」

「そうだ」

「最初は何を描く」

 ナディームは少し考えた。

「まだ決めていない。でも——」

 帳面の表紙を一度だけ撫でてから、言った。

「最初のページだけは、決まっている」


 その夜、ナディームは宿の部屋で帳面を開いた。


 一ページ目。


 白かった。ナディームは鉛筆を持った。しばらく、白紙の前に座っていた。シェードはその横で、黙っていた。何も言わなかった。声をかけなかった。ナディームが動き始めるのを、ただ待っていた。やがて、鉛筆が動いた。最初の線が引かれた。細い、でも確かな線だった。シェードはその線を見た。何の線かは、まだわからなかった。でも、始まったということはわかった。


 翌朝、ナディームが言った。

「シェード、お前は一度、帰らないといけないんじゃないか」

 シェードは少し止まった。

「なぜだ?」

「魔人たちのところへ。お前の話を聞かせないといけないだろう」

 シェードは答えなかった。そのことは、考えていなかったわけではなかった。ジャミールに何か言われるだろうということも、わかっていた。でも、どうしても後回しにしていた。

「怖いのか?」とナディームが聞いた。

「怖くはない」

「じゃあ、何だ?」

 シェードは少し考えた。

「うまく説明できる気がしない」

「何を」

「旅で、見てきたものを」

 ナディームは帳面から顔を上げた。

「言葉じゃなくていいんじゃないか。お前は、ちゃんと変わった。それを見れば、わかる人間にはわかる」

 シェードはその言葉を聞いた。

 —ちゃんと変わった。—

 自分ではよくわからなかった。でも、ナディームにそう見えるなら、そうなのかもしれなかった。

「行ってくる」とシェードは言った。

「ああ」とナディームは言った。「戻ってこい」

 それだけだった。シェードには、それで十分だった。


 霧の宮殿は、変わっていなかった。柱は古く、廊下は冷たく、霧が低く漂っていた。シェードが出ていったことに、誰も気づいていないような静けさだった。でも、ジャミールは知っていた。広間に入った瞬間、ジャミールはシェードを見た。その目が、「来たか」と言っていた。

 シェードは真っ直ぐ歩いた。ジャミールの前で立ち止まった。ジャミールはしばらく、シェードを見た。上から下まで、ゆっくりと。何かを測るように。シェードは視線を外さなかった。以前なら、この目が怖かった。でも今は、ただ正面から受け止められた。ジャミールが口を開いた。

「お前はまだ未熟だ」

 シェードは落ち込まなかった。うなずいた。

「わかっています」

「勝手に出た。報告もしなかった。失敗したときの対処も知らないまま動いた」

「そうです」

「言い訳はあるか」

「ありません」

 ジャミールはまたシェードを見た。今度は少し、違う見方をしていた。何かを確かめるような目だった。

「何を見てきた」

 シェードは答えた。

「願いを失ったと思っていた人間が、本当は失っていなかったことを見ました。願いは消えるのではなく、隠れることがある。そして——人間が自分で気づくまで、魔人には叶えることができない」

 ジャミールは何も言わなかった。

「叶えることと、叶えてもらうことは、違います。僕が叶えたのではない。あの人間が、自分で見つけた。僕はただ、一緒に歩いていただけです」

 広間が静かになった。他の魔人たちも、黙っていた。ジャミールが、低く言った。

「それだけか」

「もう一つあります」

「言え」

「僕の願いが、わかりました」

 ジャミールの目が、少し動いた。

「誰かの願いが叶う瞬間を、見ること。それが——僕が一番したいことでした。認められたいから動いていたわけではなかった。ずっとそう思っていましたが、違いました」

 長い沈黙があった。ジャミールは天井を一度見て、また視線を戻した。それから、ため息をついた。長いため息だった。呆れているのか、疲れているのか、それとも別の何かなのか、シェードにはわからなかった。

「お前はまだ未熟だ」

 ジャミールはもう一度言った。シェードは待った。続きがあると思った。そして、ジャミールは続けた。

「だが」

 そこで一度、止まった。広間がまた静かになった。

「魔人として、一番大切なものを知った」

 それだけだった。褒めてはいなかった。認めると言ったわけでもなかった。でも、シェードには十分だった。それ以上でも、それ以下でもなかった。ちょうど、それだけでよかった。


 シェードが帰ろうとしたとき、廊下でジャミールに呼び止められた。振り向くと、ジャミールは柱の横に立っていた。

「一つだけ聞く」

「はい」

「その人間は、今、何をしている」

 シェードは少し考えてから、答えた。

「地図を描いています」

 ジャミールは何も言わなかった。ただ、わずかに目を細めた。それだけだった。でもシェードは、その表情を見て、初めて気づいた。

 —ジャミールも、誰かの願いが叶う瞬間を、ずっと見てきた人だ。—

 だからこそ、「本当の願いを見抜けるかどうか」と言った。それがどれほど難しく、どれほど大切なことか、自分の長い年月の中で知っていたから、言った。シェードには、それ以上はわからなかった。でも、それだけでいいと思った。


 町に戻ると、夕方だった。ナディームは宿の前の段差に座って、帳面を膝に置いていた。鉛筆を持っていた。シェードが来ると、顔を上げた。

「ん?戻ったか」

「ああ、戻ってきた」

「どうだった」

「まだ未熟だと言われた」

 ナディームは少し笑った。

「なんだ、それだけか」

「あと、一番大切なものを知ったと言われた」

「それはよかった」

 シェードは隣に座った。帳面を覗いた。一ページ目に、線が増えていた。道が描かれていた。建物の輪郭が描かれていた。まだ途中だったが、どこか見覚えのある場所だった。

「どこの地図だ」

 ナディームは帳面を少し傾けて、シェードに見やすくした。

「ここだ」と言った。「この町」

 シェードは線を目で追った。市場があって、井戸があって、宿があって——

「古物商がある」とシェードは言った。

「ああ、あるさ」

「お前の店か?」

「そうだ」

 ナディームは鉛筆を動かしながら言った。

「最初のページは、ここから始めると決めていた」

「なぜこの町だ。もっと遠くから始めてもいいだろう」

 ナディームは少しの間、鉛筆を止めた。それから、答えた。

「お前と出会った場所だから」

 シェードは帳面を見た。古物商の輪郭が、細い線で描かれていた。色褪せた看板も、錆びた蝶番も、砂埃の積もった窓も、線になっていた。あの店は、もう畳まれる予定だった。でも今、地図に残った。どこかへ行ってしまっても、この帳面の中に、あの店はあり続ける。シェードには、それがとても不思議なことに思えた。地図とは、そういうものなのかもしれなかった。消えてしまうものを、残すこと。


 空が暗くなってきた。星が一つ、また一つと出てきた。シェードは空を見た。

「まだまだ、描かれていない場所があるぞ」

 ナディームは帳面から顔を上げずに言った。

「わかってる。だから旅に出るんだ」

「次は、どこへ行く」

「さあ?まだ決めていない」

「決めてから行くのか」

「歩きながら決める」

 シェードは少しの間、その言葉を聞いていた。

—歩きながら決める。—

 それは、答えを持ってから動くのではなく、動きながら答えを見つけるということだった。願いも、そういうものかもしれなかった。最初から持っているのではなく、歩きながら見つけるものだ。

「シェード」とナディームが言った。

「なんだ?」

「また一緒に来るか」

 シェードは少しの間、黙っていた。それから答えた。

「ああ、行くさ」

 二人は、また歩き始めた。地図は、まだほとんど白いままだった。


—おしまい—


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