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不良債権ダンジョンと借金三千億年から始まる魔王討伐記  作者: 伊阪証


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鋭利かつ営利

地下に持ち込まれた家具は、家具というより、家具だったものの残骸に近かった。廃村から引き抜いてきた棚板は角が欠け、寝台の枠は片側だけ曲がり、食器棚の背板には壁ごと剥がした時の土がまだこびりついている。けれど、地上の神殿に生活感を出すわけにはいかなかった。祈りの場は祈りの場として残す。外から見れば、少し掃除された古い墓所でなければならない。人が寝て、食べて、隠れて、武器を置き、悪魔族を閉じ込め、いずれ勇者を受け入れる場所は、全部地下に押し込む必要があった。

メイドは壊れた長机の上に、剥がした扉板を重ねていた。高さは合わない。脚も足りない。だが、板を二枚噛ませれば作業台にはなる。見た目が悪いことは問題ではない。むしろ綺麗に整いすぎている方が、誰かが地下まで入った時に余計な疑いを持つ。まだ使い物にならない場所が、使い物にならない顔をしている。その方が都合がいい。

「机というより処刑台だな」

探偵が言った。黒い上着には、外の埃が薄く残っている。地下へ来る前に、どこかを一つ回ってきた顔だった。酒場か、宿場か、古物商か。どこであれ、表に名前を残さず戻ってくるのがこの男の仕事だ。

「処刑台なら寝台にもなるだろ」

メイドが答えると、解剖医が壁際から顔を上げた。手には短い棒と、古い布の切れ端がある。床の水気を確かめ、壁のひびに布を差し込み、湿り方を見るためだけにしばらく放っていたらしい。

「ならない。寝かせるなら角を落とせ。大人なら擦り傷で済むが、子供なら顔を切る」

その言葉で、地下の空気が少しだけ止まった。

まだ勇者は来ていない。広告も貼っていない。転生者を奪う手順も、召喚された者を逃がす方法も、どれも準備の途中だった。だが、解剖医はもう、そこへ子供が入ってくる可能性を見ていた。

「子供か」

メイドは扉板の角を見た。確かに尖っている。廃村から剥がした時は、使えるかどうかしか見ていなかった。大人を置くなら、布を敷いて終わりでもいい。逃げる気力のある勇者なら、転んでも自分で起きる。だが、転生者の中に子供がいた場合は違う。泣く。熱を出す。説明を理解しない。逃げるのではなく迷う。拘束すれば壊れるし、放せば勝手に危ない場所へ入る。

解剖医は壁に炭で短い線を引いた。

「大人用の仮寝床はここでいい。空気は悪くない。水場も近い。ただし子供を入れるなら別だ。水場が近すぎる。夜に起きて落ちる。床も硬い。壁も冷える。汚物処理も足りない。泣き声が地上へ抜ける穴もある」

「まだ来ていない」

「来てからだと遅い」

言い方は淡々としていた。責めているのではない。ただ、死ぬ場所を先に数えているだけだ。ハンターの部下だった頃から、そういう目をしていた。獣でも人間でも、壊れる場所を先に見る。だから地下の整備には向いている。寝台を作るより先に、寝台で誰が死ぬかを考える人間は少ない。

探偵が壊れた椅子の背に片手を置いた。

「外も同じだ。勇者が来てから道を作ると、王国にも魔王軍にも拾われる。先に紙を置く。ただし長く置かない。一枚だけだ」

彼は懐から薄い紙を出した。紙質は安い。字も、わざと目立たない。祈祷文の余白に混ぜれば、ただの変な文句に見える程度だった。だが、そこには決めた通りの文が書かれていた。

「勇者の隠れ場・逃げ場を作った、理解したならば剥がせ、そして逃げろ」

メイドはそれを声に出して読まなかった。読む必要はない。文は短い。呼んでいない。命じてもいない。ただ、理解したなら剥がせ、そして逃げろ、とだけ置いている。剥がせば反応になる。剥がされなければ、探偵が回収する。長く貼れば、誰かが意味を探す。意味を探される前に消す。勇者は多くない。一枚で一人引っかかれば、それで十分だった。

「貼る場所は」

「宿場の外れだ。旅人用の注意書きが多い。王国語だけでは読まない者もいるから、横に別の言葉を混ぜる。意味は同じにしない。完全に揃えると翻訳に見える。少しずらす」

「賄賂は」

「使う。だが信用はしない」

探偵は紙を折り直した。指の動きに無駄がない。金を撒く、という言い方は軽いが、撒いた金は必ず誰かの手に残る。残った手は売る。王国側へ、魔王軍側へ、あるいはただ高く買ってくれる者へ。だから、金を渡すだけでは足りない。

「一人、試す。受け取ってから漏らしたら消す。大きくは殺さない。事故にするか、帳簿に沈める。周りには理由が分からなくていい。破った直後に消えたことだけ残ればいい」

「面倒だな」

「面倒なものを面倒なまま放っておくと、もっと面倒になる」

それは正しかった。メイドは紙から視線を外し、地下の奥へ目を向けた。そこはまだ空いている。悪魔族を置く場所としては不十分だ。契約を挟まれないために、会話は最小限にしなければならない。だが、捕まえて放り込むだけでは済まない。強く縛れば壊れる。弱く縛れば逃げる。放置すれば不満を溜める。こちらが何も聞かないつもりでも、相手が何も言わないとは限らない。

「結局、一番危ないのはそっちだな」

探偵が言った。

メイドは返事をしなかった。探偵は外で隠れて動ける。解剖医は地下で危険を数えられる。けれど、悪魔族を捕まえるのはメイドの仕事だった。外へ出て、接触し、契約を避け、殺さず、持ち帰る。失敗すれば、被害を受けるのは自分だ。しかも今後、転生者の中に子供が混ざれば、その最初の対応も自分に寄る。戦えるかどうかではなく、抱えるか、運ぶか、泣かせないか、傷つけないか、そういう厄介な問題まで増える。

嫌だった。

だが、嫌だからやらないという選択肢はなかった。

メイドは壊れた椅子の脚を一本拾い、扉板の角へ当てて押し折った。乾いた音が地下に響く。

「子供用の角は落とす。広告は貼れ。衛生はそっちで見ろ。悪魔族は私が持ってくる」

それで話は終わった。

地上へ出ると、神殿は静かだった。祭壇の埃は払ってある。割れた石像も、真正面から見れば古いだけに見える。地下へ物を押し込んだせいで、上は余計に空になった。祈る者のいない祈りの場としては、ちょうどよかった。

探偵は夕方までに姿を消した。夜には宿場の外れに一枚の紙が貼られた。旅人への注意、安宿の値段、失せ物の張り紙、古物商の買い取り表、その端に紛れて、例の文があった。王国語だけではない。見覚えのない言葉が横にあり、別の言葉がその下にあり、完全な翻訳ではないずれが残されている。普通の人間なら、誰かの悪戯か、異国趣味の祈祷文だと思う。だが、勇者なら、そこにある違和感を自分の側へ引き寄せる可能性があった。

探偵は紙を貼った者とは別の顔で、向かいの店に座っていた。酒は飲まない。飲んでいるように見せるだけだ。宿の帳場へは金を渡してある。古物商にも渡してある。掲示板を掃除する男にも渡してある。三人とも、余計なものを見なかったことにする程度の金は受け取った。

そのうち一人が、夜半に別の路地へ入った。

探偵はすぐには追わなかった。誰へ漏らすかを見る必要があった。男は小役人の使いと会った。王国へ売るつもりだったのだろう。広告の意味など分からなくても、誰かが金を払ってまで貼らせた紙なら、売れるかもしれない。そういう判断だった。

翌朝、その男は消えた。

死体は出なかった。血も出なかった。ただ、帳場の鍵が合わなくなり、古い横領の記録がなぜか表に出て、主人が慌てて店を閉めた。男は逃げたことになった。誰も追わなかった。追えば、自分も同じ帳簿に載るかもしれないからだ。賄賂を受けた残りの二人は、それ以降、掲示板を見なかったことにした。探偵にとっては、それで十分だった。

同じ頃、解剖医は地下で水を見ていた。瓶に汲んだ水を石台へ並べ、布を浸し、匂いを嗅ぎ、虫の死骸を拾う。廃村から持ち込んだ布の一部は捨てられた。湿気を吸って、子供に使えば肌を荒らすと言った。棚板の一部も別にされた。大人の武器置きには使えるが、寝床の近くに置くと刺さる。壊れた家具を使うこと自体は否定しない。だが、どこに使うかを間違えると、人間の方が先に壊れる。

「ここは魔族用にしない方がいい」

地下奥の小部屋を見て、解剖医が言った。

「理由は」

「空気が動かない。会話できない個体を置くにはいいが、死んでも気づくのが遅れる。悪魔族を置くなら別の場所だ。契約が危険なら声が届きにくい方がいいと思うだろうが、声が届かない場所は異常にも気づけない」

メイドは壁を見た。声が届かないことだけを利点として見ていた。解剖医は死ぬまで気づかない場所として見ている。同じ場所でも、見方が違う。

「子供は」

「論外だ。冷える。泣き声は漏れないが、泣き声が聞こえない。見張る側が寝たら終わる」

「なら倉庫だな」

「倉庫を子供部屋にするなら、角を全部落とせ。釘も抜け。鍵は外からだけにするな。内側から開けられるが、外の通路へは出られない形にしろ。閉じ込める部屋と守る部屋は違う」

面倒だった。だが必要だった。メイドは内心で舌打ちしながら、壁へ炭で印を付けた。子供が来るかどうかは分からない。だが、来てからでは遅い。そういう理屈には反論しにくい。

そして夜、メイドは悪魔族を捕まえに出た。

悪魔族の所在は、探偵が拾った噂と、解剖医が聞いた死体の処理の話から絞った。人が近づかない古い浴場跡。そこに、夜ごと灯りがある。誰も入らない。入った者は、帰ってきても話をしない。契約を挟まれるのが怖いから、役所も教会も踏み込まない。面倒なものには関わらない。それが人類側の最適解だった。

メイドは扉を蹴らなかった。壊せば音が出る。音が出れば逃げる。代わりに、割れた窓から中へ入った。浴場跡は湿っていて、古い香料の匂いが薄く残っていた。石床には水がない。だが、空気だけが妙にぬるい。奥に影がいた。

サキュバスだった。

人間に近い形をしている。だが、人間ではない。こちらを見た瞬間、口を開いた。言葉になる前に、メイドは踏み込んだ。会話はしない。契約を挟ませない。距離を潰し、喉ではなく肩を押さえ、腕の動きを封じる。殺す必要はない。必要なのは死体ではなく、能力を持った個体だ。

サキュバスは暴れた。力だけなら、メイドの相手ではない。だが厄介なのは力ではない。視線、息、声、意味を結ぶ前の何か。こちらの判断に薄く触れてくる。メイドはそれを嫌って、出力を一段上げた。押さえつける。床の石が鳴る。サキュバスの背中が石に当たり、古い浴場の壁にひびが入った。

「喋るな」

短く言った。

サキュバスはそれでも何か言いかけた。メイドは布を噛ませ、腕を縛り、脚も縛った。強く締めすぎると壊れる。弱いと抜ける。その加減が面倒だった。相手は人間ではないが、雑に扱えば死ぬかもしれない。死なれては困る。逃げられても困る。

「本当に面倒だな」

サキュバスが布越しに何か唸った。文句だろう。内容までは分からない。分からない方がいい。今はまだ、分からない状態で運ぶしかない。

帰り道、メイドは何度か立ち止まった。拘束がずれる。サキュバスが身を捩る。声を出そうとする。そのたびに押さえ直す。殺すより運ぶ方が手間だった。途中で一度、サキュバスが急に大人しくなった。そういう時ほど危ない。メイドは足を止め、目を合わせず、縛り目だけ確認した。案の定、指先が布の端へ届きかけていた。

「そういうのは後でやれ」

また唸り声が返った。

地下へ戻った時、解剖医は嫌な顔をした。

「そのまま置くな。床が冷える」

「悪魔族だぞ」

「壊れたら使えないんだろう」

正しい。腹立たしいくらい正しい。メイドはサキュバスを石床へ転がすのをやめ、廃村から持ってきた布を二枚重ねた上へ置いた。布は子供用には危険だと言われたものだったが、悪魔族の仮置きなら当面は使えるらしい。解剖医が拘束の位置を見て、肩だけ少し緩めた。

「逃げる」

「逃げる前に肩が抜ける」

メイドは黙った。探偵が戻ったのは、その少し後だった。広告は剥がされていなかった。回収済み。賄賂の一件も処理済み。彼は地下の奥に転がされたサキュバスを見て、少しだけ眉を動かした。

「持ってきたのか」

「持ってきた」

「喋ったか」

「喋らせていない」

「正しい」

サキュバスが布越しに強く抗議した。三人とも見た。誰も布を外さなかった。

地下には、まだ何も完成していなかった。広告は一枚貼って、一枚戻っただけ。子供用の部屋は印を付けただけ。悪魔族は捕まえただけ。壊れた家具は積まれたままで、寝床も棚も不十分だった。金も足りない。外の協力者は信用できない。勇者はまだ来ていない。

けれど、始まってはいた。

壁には解剖医の印が増えている。探偵の紙は折られて机に置かれている。サキュバスは布の上で不満そうに身を捩っている。メイドはその三つを順に見て、壊れた椅子へ腰を下ろした。椅子の脚が一本足りず、座ると傾いた。

「これも直すか」

誰に言ったわけでもない。解剖医が「先に床だ」と言い、探偵が「先に紙だ」と言い、布の上のサキュバスがまた何か叫んだ。

メイドは少しだけ息を吐いた。

逃げ場を作るには、逃げ込む前から面倒だった。

それでも、地下には初めて、誰かを隠すための音が増えていた。


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