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不良債権ダンジョンと借金三千億年から始まる魔王討伐記  作者: 伊阪証


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酒焼け

酒場は、夜になると船着場より先に海の話をする。


樽の匂い、焦げた肉、濡れた外套、賭けの負けで荒くなった声。どの卓でも、沈んだ船と消えた積荷が肴になっていた。誰がいくら飛ばした、どこの保険屋が渋った、あの航路は今やめとけ、次は当たる。死んだ人間の数ではなく、動いた金の話だけが残る。そういう場所だった。


私は盆を片手に、入口に近い卓から順に回っていた。白い前掛けは清潔で、袖は細く、足取りは軽い。屋敷の中と同じだ。持てる量はもっと多いが、一度に運ぶのは三杯までにしている。気を遣う女中にしか見えない程度で止めておく方が都合がいい。


今夜の目的は一人だ。南回りの保険賭けに出入りする男。船主でも商人でもない。酒場で先に噂を拾い、勝ち筋だけを乗せ換える癖のある小物だ。小物だが、こういう手合いは流れの変化に敏い。自分で荷を見ない代わりに、誰が夜に動いているかだけはよく知っている。


問題は、その卓に三人も寄っていることだった。


同業だ。片方は荷役の元締めと顔が利く顔をしている。もう片方は、ろくに飲めもしないくせに強い酒ばかり頼む見栄張りだ。残る一人は、話に割って入る時だけ笑う。どれも邪魔だった。


潰す必要はない。黙らせる必要もない。判断を半歩遅らせれば十分だ。


私は最初に、見栄張りの前へ甘い酒を置いた。匂いで度数を誤魔化しやすいものだ。喉当たりだけは軽いから、ああいう手合いは勢いで飲む。元締め気取りの方には逆に強いものを薄く見せて出す。飲み慣れている顔ほど、舌ではなく色で判断する。笑う男には塩気の強い皿を追加し、水ではなく次の杯を勧めた。どれも大した細工じゃない。ただ、酔い方の種類を揃えないだけでいい。足並みが揃わなくなる。会話の噛み合いも悪くなる。


三度目に卓を回った時には、もう効き始めていた。見栄張りは声だけ大きくなり、元締め気取りは言葉の途中で間を置くようになり、笑う男は空の皿を見ている時間が長くなっていた。立て続けに飲ませて潰すのではなく、それぞれの酔いを別の方向へ散らしただけだ。これで横から噛まれても深くは続かない。


私は目当ての男の横へ入った。足音はない。勇者の力を上げるほどではないが、重さを抜くことだけはできる。膝から先を脱力し、床板の返りを殺し、靴底の角から先に落とす。酒場のざわめきの中でなら、それだけで十分だった。


「おかわりは」


女の声で聞く。柔らかく、短く、覚えられない高さで。


男は顔を上げ、こちらを見た。目線が胸元を滑る。そこで終わる。警戒はない。屋敷で学んだ通り、視線を受けても意味を持たせない。私は空になりかけた杯を拾い、少しだけ身を引いた。


その一歩で、卓の陰に入る。


「最近、南でよう当ててるな」


今度は男の声で言った。低く、喉を開いて、笑いを混ぜる。昔の知り合いが横から口を挟んだような、遠慮のない調子だけを真似る。


男が反射でそちらを見る。だが、そこには誰もいない。視線が迷った一拍の間に、私はもう反対側から杯を置いている。


「南って荒れてるんですか?」


女の声に戻す。知らないふりは簡単だった。男は自分から訂正したがる顔をしていた。


「荒れてるっていうか……まあ、あそこは最近動きが多い」


「へえ」


私は首を傾げるだけに留めた。聞き出そうとする顔をすると閉じる。相手に、自分で言ったと思わせないと意味がない。


「表は静かだが、夜に流してんだよ」

「どこの話だ」


元締め気取りがようやく口を挟んだが、舌が少し重い。私はその前に皿をずらし、わざと肘へ軽く当てた。


「失礼しました」


女の声で謝る。男の視線が一瞬そちらへ逸れる。その隙に、もう一度だけ横から差し込む。


「例の保険屋が噛んでる便だろ。あの商会、昼は死んだ顔してんのに夜だけ元気だ」


男の声。今度は少し鼻で笑う。知っている者同士の雑談にしか聞こえないように。


目当ての男が、釣られた。


「ああ、あそこな。今週は二回だよ。片方は南の表じゃない、川沿いの乾き場の方だ。正面から入れねえ荷を夜に回してる。保険掛けてる連中が先に嗅ぎつけて、もう卓が立ってる」

「乾き場って、あの木柵の?」

「そう。昼間は空荷みたいな顔してるが、夜に人数だけ増える。積んでる物は見えない。だが重さだけはある。あれで何も載ってないわけがねえ」


そこまで言ってから、男はようやく喋りすぎたことに気づいたらしかった。口の端が止まる。だがもう遅い。必要な分は出た。場所、時間、隠し方。私はそれ以上追わない。


「よくご存じなんですね」


女の声で笑う。軽く持ち上げると、小物はそこで止まる。もっと話したがるか、逆に黙るかのどちらかになる。今夜は後者でいい。


「まあな」

「おかわり、いります?」

「……いや、今はいい」


私は頷いて盆を引いた。そこで終わる。終わらせる。元締め気取りの方は、ようやく遅れて「乾き場?」と聞き返したが、見栄張りが別の話を大声で始めていた。笑う男はさっきから皿の塩気で水を探している。三人とも、もう同じ拍では動けていない。混ぜた酒はよく効いていた。


卓を離れてからも、私は一度も振り返らなかった。必要な情報は取った。川沿いの乾き場。今週二回。昼は空荷の顔、夜だけ人数が増える。積荷の中身は見えないが、重さは隠せない。そこまで分かれば十分だ。


酒場の出口近くで、私は空いた杯をまとめて持ち上げた。持てる数より一つ少なく。歩幅も小さく。ここでは最後まで、ただの女中でいた方がいい。男の声も、足音のなさも、今の卓にだけ置いて帰ればいい。


外へ出ると夜気が少し冷たかった。川の方から湿った風が来る。乾き場なら、明日のうちに一度遠くから見ておけばいい。墓荒らしが要るかどうかは、その先で決まる。まだ決めない。まだ行かない。今夜は一つ取れた。それで足りる。


私は前掛けの皺を指で伸ばし、屋敷へ戻るために石畳を曲がった。


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