第13話「恐れの向こう側」
魔族の若者、ラグは、集落の外れで空を見上げていた。
共存村に来てから、
人族と同じ空の下で夜を迎えるのは、これが何度目か分からない。
本来、魔族は人族に近づかない。
近づけば、人族が恐怖で暴走することを知っているからだ。
それでも、魔王の命令で、ここにいる。
(……やはり、無理なのかもしれない)
畑の方から、騒がしい声が聞こえた。
ラグは、嫌な予感を覚えて走り出す。
水場のそばで、人族と魔族が言い争っていた。
人族の若者が、割れた壺を指差して怒鳴っている。
「お前らが触ったんだろ!」
「近づくなって言ったのに……!」
魔族の女が、困惑したように首を振る。
「……触っていない」
だが、その言葉は届かない。
誰かが投げた石が、地面に転がる。
空気が、一気に張りつめる。
(……まずい)
ラグは、人族と魔族の間に割って入った。
「……違う。
壺は、俺が割った」
嘘だった。
だが、誰かが“悪者”になるなら、
自分でいいと思った。
人族の視線が、ラグに集中する。
「……やっぱり、魔族じゃないか」
怒りと恐怖が、混じった声。
ラグの喉が、ひくりと鳴る。
(……ここで、下がればいい)
頭では分かっている。
近づけば、また恐怖を煽る。
だが、
ここで引けば、
誤解は“事実”になってしまう。
「……違う」
魔族の女が、小さく言った。
「壺は……私が、躓いて……」
言いかけた言葉が、
人族の怒声にかき消される。
「庇うな!」
誰かが叫ぶ。
別の石が、宙を舞う。
ラグは、反射的に腕で庇った。
鈍い音。
痛みが走る。
(……怖いのは、人族も同じだ)
ラグは、歯を食いしばる。
(……それでも、誰かが立たなければ)
その様子を、遠くからノアは見ていた。
(……踏み出したな)
魔族側が、
一歩“人族の恐怖の中”へ入った瞬間だった。
魔王として、
ここで姿を現せば、
衝突は力で終わる。
だが、それでは意味がない。
ノアは、あえて動かなかった。
やがて、周囲の人族の一人が、
ラグの流れる血に気づいた。
「……血、出てるぞ」
怒声が、わずかに弱まる。
石を投げた手が、止まる。
人族の少年が、震える声で呟いた。
「……魔族も、痛いんだな」
その一言が、場の空気を変えた。
ほんの、わずかな変化。
だが、確かに“恐れの向こう側”が覗いた瞬間だった。
騒ぎは、完全には収まらなかった。
不満も、疑念も、まだ残っている。
それでも、
この日の衝突は、
ただの“断絶”では終わらなかった。
ラグは、血を拭いながら、
夜の空を見上げた。
(……それでも、立った意味は、あったか)
共存村の空は、
今日も同じ色をしている。
だが、
そこに映るものは、
昨日までとは、少しだけ違っていた。




