第12話「選ぶということ」
朝の共存村は、まだよそよそしかった。
焚き火の煙がゆらゆらと立ち上り、
人族の区画と魔族の区画の間には、
見えない溝が残っている。
昨夜の脱走未遂の話は、すでに広まっていた。
誰も声を大きくしない。
だが、互いの視線は鋭く、
少しの物音にも、肩が強張る。
畑の一角で、人族の中年の女が立ち尽くしていた。
水瓶が倒れ、
足元には濁った水が広がっている。
「……はあ」
溜め息が漏れる。
その様子を、角の短い魔族の若者が遠巻きに見ていた。
水路を直した、あの魔族だ。
近づけば、また怯えられるかもしれない。
だが、放っておけば、水は無駄になる。
彼は、一歩、踏み出した。
「……手伝う」
短い言葉。
女は、びくりと肩を震わせ、
一瞬、後ずさった。
だが、倒れた水瓶と濡れた地面を見て、
視線を戻す。
「……触らないで」
声は震えている。
魔族の若者は、その場で動きを止めた。
「……言うとおりにする」
そう言って、少し距離を取る。
女は、唇を噛んだ。
本当は、
“触らないで”と言いたいわけじゃない。
ただ、どう振る舞えばいいか、分からないだけだ。
「……そこに、置いてくれる?」
女は、そう言い直した。
魔族の若者は、ゆっくりと水瓶を起こし、
女の手が届く位置まで運んで、そこで止まった。
二人の間に、短い沈黙が落ちる。
「……ありがとう」
女は、視線を逸らしたまま、呟く。
魔族の若者は、何も言わずに頷いた。
一方、集落の反対側では、
人族の若者たちが、夜のことを蒸し返していた。
「……結局、閉じ込められてるだけだ」
「魔王の言葉なんて、信用できるか」
「ここで何かあっても、誰も助けちゃくれない」
不満と不安が、渦を巻く。
そこへ、怪我をした青年が口を開いた。
「……それでも、逃げられなかった」
誰も返事をしない。
「外に出れば、もっと危険かもしれない」
自分に言い聞かせるような声だった。
「……少なくとも、ここでは殺されてない」
沈黙。
誰もが、その事実から目を逸らしたくなかった。
少し離れた高台で、ノアは村を見下ろしていた。
(……選ぶのは、俺じゃない)
ここに留まるか。
憎み続けるか。
それとも、知ろうとするか。
魔王は、道を用意するだけだ。
歩くかどうかは、彼ら自身の選択になる。
風が吹き、
焚き火の煙が流れていく。
その煙の向こうで、
人族と魔族が、同じ空の下で、それぞれに“選んでいる”。
まだ、小さな選択だ。
それでも。
選ぶという行為そのものが、
この世界にとっては、
久しく失われていた“変化”なのかもしれなかった。




