第9話 変装道具を買いに行く
「つまり、こっちの湿地帯には大柄な動物や毒草がたくさんあるから、近寄らないほうがいいわけか」
「そうですね。こっちには小さな湖がいくつもあるので、動物達が大量にいます。水辺の近くを開拓したい気持ちはわかりますが、安全性と共存を考えると湿地帯を動物達に残してあげて、こっちの乾いた地に建造物を考えたほうがいいです」
「うーん。しかし水辺を手放すのは惜しいな……」
「乾いた地といっても、完璧な砂漠ではないです。だから──」
「では新たな商業施設を建てるとして基礎を打つ地盤は──」
翌日の土曜日、ローレンは依頼通りダイニングテーブルに地図を広げて調査と開拓の指南をしてやっていた。
動物達の土地を狭めると、動物同士の抗争が多くなるので土地の開拓はこの程度に収めたほうがいいだとか、開拓に適した場所や、そこへの行き方、共存のための柵を作るとしたら、その境など。1日では語り尽くせない意見を出し合う。
調査の遅延は事実らしかった。
ヒビナ側からではどうしても湿地帯近くからゴクラクに入るしか出来ず、いつも獣に阻まれて進めない。しかも時期が悪く、今は秋だ。越冬のために食料を確保しようと、動物達も躍起になっている。その攻防の繰り返しだったようだ。
「休憩するか」
午前中の丸々を語ったせいで喉がカラカラだ。ローレンはブレンダンの提案にいち早く乗り、冷たい水で喉を潤した。
そして思い付く。
「そうだ、給与の前借りをしても? フタサに行くための変装道具を買いたいんです」
「ああ。俺が出しておくよ。このくらいでいいか?」
といって、台所の食器棚の下のほうから麻袋を取り出した。ごそごそとして、中から紙幣を数枚掴んで寄越してくる。
「へそくりですか?」
会釈をしつつ紙幣を受け取り、気になって聞いてみる。ブレンダンは不思議そうな顔をした。へそくりという言葉はこの世界にはないのかもしれない。
「着払いの荷物が届いたりして急に金が必要になったときに、わざわざ2階に取りに行くのは相手を待たせて申し訳ないだろ? だから少しここに置いてあるだけだ」
お人好しの性格なんだな、と改めて思った。なんでもかんでも申し訳ないと思ってしまうその性格も疲れてしまうだろうに。まあ、わからなくはないのだけれど。
ブレンダンは席について言った。
「服を買うなら13ブロックのハウソンの店が安くていいものを揃えてるぞ」
「13ブロックのハウソン。わかりました」
とはいえ、ここが何ブロックなのかもわかっていないんですけどね。
「俺も付いて行ってやりたいのだが、すまない、さっきの話を報告書にまとめて陛下に早く届けたい。昨日の大会のことも伝えたいし」
また申し訳なさそうに謝る。
なにもブレンダンは悪くないのに、だ。
「ひとりで歩くのは嫌いじゃないので大丈夫です」
というより、ひとりのほうが好きだ。
勝手気ままに歩けるし、誰にも気を使わなくて済むし、のんびりできる。
「すまない」
「いえいえ」
じゃ、と互いに手を挙げてブレンダンをダイニングに残し、ローレンは家を出た。
そういえば、ベンは無事にフタサに辿り着いたのだろうかと今さらになって考える。まあ、もし発見されていないのであればブレンダンとベンが話しているのは昨日の会場で誰かしらが見ていただろうから、フタサの従者が聞き込みが来てもおかしくない。来ていないということは、つまり、そういうことなのだろう。
(あ、ここは22ブロックなのね)
13ブロックを目指して歩く。
石畳の道は意外に足の裏が痛んだ。固くて歩きにくい。膝も痛い気がする。森は土と葉と木の根と岩と、様々な地面だったけれどここよりかは柔らかくて歩きやすかった。
それに、熱い。
石が、もろに昼の直射日光を吸収しているのか、足の裏が焼けただれそうだ。
東京もそうだったっけ?
あのコンクリートで作られた街も、そうだっただろうか。足が痛いだなんて、思ったことがあっただろうか。
わからない。
思い出せない。
けれど、繁栄もいいことなのか、悪いことなのか。わからないものだな。
と、思ったところで、ふと視線に気付く。
見回すと、さっと人々が顔を背けた。
行き交う人、店先で立ち話をしている人、住宅の2階の窓から街を眺めていた人。
それらが一様にして顔を背けたのは偶然ではなかった。
「ほら、移民の……」
「やだねえ。ここにも移民が来るなんて……首都なのに。ゴクラクの奴らはひとり残らず住まいも仕事も人手のない郊外に飛ばされてるのに、なんでここに? 首都なのに。首都だよ?」
「統一したからって、ゴクラクの奴らは森で暮らすようにって命令しとけばよかったんだよ。お人好しな国王陛下だねえ」
「ヒビナの民度が落ちちゃうよ」
「最近の空き巣も絶対にゴクラクの奴らの仕業さ。やだやだ、治安が悪くなるよ。あいつら人としてのマナーとかわかってるのかね? 動物としか過ごしてないんでしょ?」
「どこに住んでるんだろう」
「仕事は? うちに押し付けられちゃ堪らないよ」
「ほら、調査隊の独りもの。あそこに住まわせてもらってるらしいよ」
「あー……27歳にもなって妻もいないし子どももいない、あの隊長さんね。仕事は出来るし、人柄もよさそうに見えたけど、やっぱり男好きだったのかい」
「さあ、どうかね。結婚もしないで移住してきた男をここぞとばかりに連れ込むんだから、やっぱりそうなんじゃないのかい」
おいおい。偏見と差別のオンパレードか。しかも聞こえるように言ってくるあたり、相当に性格悪いぞ、この街。
どこの世界に生まれても、所詮、人間は人間か。
繁栄しているぶん、ブロックが賽の目に分かれていてよかった。道に迷わずに目的地に行ける。
13ブロックに入って、きょろきょろとすると店主という店主が戸を締めた。
「あからさますぎん?」
どうか俺の店には入ってくれるな、という意思表示だろうか。
ところでゴクラクで育った自分と、ヒビナで育った自分と、なにか違うところがあるのだろうか。
日本でも偏見はあった。
東京は冷たい人が多く、北海道や沖縄はのんびりしている人、大阪は笑いに厳しい、京都は遠回しな言い方をする、だとか、そういった偏見だ。
けれど日本は生まれた場所で差別をする国ではなかった気がする。大阪だから、北海道だから、東京だから、そんなくくりはなかった。
なにが、彼らと自分で違うのだ。
両手両足を眺め、顔に触れる。そんなに化け物に見えるか?
なんて自問しつつ、ハウソンの服屋という看板を見つけた。
丸太を割って掘っただけの看板が軒に掲げられていて、店の戸は開け放たれている。戸口から店内が見えてたくさんの服が並んでいるのがわかった。
背中に集まる視線が痛い。
再びぐるりと見回すと、背けた人の頭だけが大量に見えた。
けっ。
悪態つきながら、店に足を踏み入れた。
古い木の香りがした。
なんとなく、森の家を思い出させる懐かしい香りだ。
誰もいない。
敢えて出てこないようにしているのか、そういうスタンスの店なのか判然としなかったけれど適当に服を見ることにした。
あ、この服がよさそう。安いし、違うデザインを5着くらい買って、靴も2足。あとは──
気配がした。
はっと振り返ると、店の奥からローレンを見る小さな顔があった。顔だけをひょっこりと出すその様子は、どこかのホラー映画に見えなくもない。心臓に悪いからやめてほしい。
顔は若かった。真っ白な髪をしているので高齢者なのかと思ったが、生まれつきの白髪のようだ。睫毛も眉も白い。にんまりとした顔は仮面が飾ってあるのかと見過ごしそうになるが、紛れもなく生きた人間の顔だ。
「よく気付きましたね。僕、気配を消すのうまいって言われるんですよ。真後ろに立つまで、だいたいの人が気付かないんです。で、わっ、と声を掛けて驚かれるというのがいつもの流れでして。視線だけで気が付くなんて、さすが自然児は違うなあ」
馬鹿にしてるのか感心してるのか、いまいちわかりづらい抑揚のない口調だった。
「カツラってあります?」
「ありますよ。ただ店には出してなくて。どんなものがいいです? ご要望があるものを持ってきてお見せする形なんですけどね。いくらヒビナといえどカツラは貴重なもので。見てのとおり、あまり売上がなくて火の車なんでね。それなのにお父さんは倒れちゃうし、お母さんは看護疲れでやっぱり倒れちゃうし、大変なんですよぉ」
やっぱり、抑揚がない。どこか他人事のように話す彼は、10代後半くらいだろうか。覗かせている顔の位置からして、身長はそれほど高くない。ローレンと同じか、少し高いくらいだ。
不気味な奴だった。
感情がない。表情もない。笑っているけれど笑っていない。そんな感じだ。
「銀髪で、背中まで長い髪のものを」
「ああ、ありますよ。よかった、よかった。この国で銀髪ってとても珍しくて買い手がいなかったんですよ。少し古くなってはしまいますが、残しておいたはず。今、お持ちしますね」
仮面のような顔が引っ込んで、戻ってくる。
そのカツラを持った手を見て天を仰いでしまう。
左手の小指。
ローレンと白い糸で繋がっていた。
(もう、オレンジだったり青だったり白だったり、この国に来てから忙しすぎる)
嘆息つく以外になにも出来なかった。