第13話 祭りの夜
「今日は秋の祭りの日なんだ。夜市があって、出店も並ぶから俺達調査隊も警備に付かなくちゃならない。夜中までずっとひとりになるけど、大丈夫か? それとも、祭りに行く?」
と、ブレンダン。
そういえば、昨日、フタサから帰ってくるときに色々な飾り付けが街にあったのを思い出した。なるほど、この世界にも祭りはあるわけか。人って祭り好きだよなあ、とつくづく思う。
「人混みは好きではないです。ひとりで待っていますので、大丈夫です」
「そうか。昨日の強風で外れて以来、台所の小窓の建付けが悪くなってるから気をつけてくれ。まあ、あれだけ高い位置にある小さな窓だから、よほどの細身で、よほど運動神経抜群な奴じゃないと侵入は不可能だと思うが」
言われ、小窓を見る。天井近くに、横に細く伸びた窓があるのが見えた。換気のために設けたのだろう。あれでは子どもひとり通るのも難しいはずだ。そのうえローレンでは手を伸ばしても窓に届かない。
「わかりました」
「気を付けてくれ。……あと、誰かが来て応対するときは女の格好はするなよ」
「はあ」
女性は狙われやすいからか、と勝手に納得して頷く。
朝食を終えると、ブレンダンはいそいそと家をあとにした。
ということは、今日は調査の指南もないし1日中休みということか。
ローレンは誰にも邪魔されず、誰の顔色も窺わず、思いきり昼寝をしてやろうと、早々にベッドに潜り込んだ。
◇◆◇◆◇◆
急に目が覚めた。
寝すぎたがゆえの睡眠時間の限界かとも思ったけれど、違った。森での冬はなるべく動かないように1日中寝ていた日もあったのだから、自分がそんな簡単に起きてしまう体ではないと知っている。
音だ。
外の祭りの音が、大きくなった。近付いてきたのではない。抑えられていたものが、開けられた。
窓。
窓が開いて、外の音がよく聞こえるようになったのだ。──台所。
思い付くのは、今朝ブレンダンが言っていたあの小窓だけだ。
ローレンは弓ではなく、ナイフを手に取った。この狭い室内では弓は使い物にならない。それに、あの窓から入ってきたのであればかなりの細身。ナイフがあれば、なんとか渡り合えるはずだ。
滑るようにして階段を下りる。
暗闇に沈んだ家の中。玄関扉の隙間や、窓の向こうから、祭りの輝きがちらちらと照る。人影が動いては、ちらちら。ちらちらと明暗を繰り返した。
太鼓。笛。鈴の音。笑い声。話し声。足音。
たくさんの音に溢れる外に比べて、家の中に音はない。
不自然なほどに、無音だ。静寂にして、だが緊張がある。ローレン自身の緊張だ。
人がいるのにこれほど無音というのは難しい。それとも人の侵入はただの杞憂で、単に建付けが悪い窓が振動かなにかで開いてしまっただけだろうかと思いつつ、ダイニングを覗く。
食器棚の前で蠢く影があった。
ちらちら。ちらちらと外の明かりに照らし出される黒ずくめの影。頭からすっぽりフードを被る影は、蝙蝠にも似ている。
あれが噂の空き巣か。
ここはブレンダンの家。正直、どうでもいいといえばどうでもいいし、盗まれたとて自分の金ではないから痛みはない。しかし、もはや自分のテリトリーではある。
森では、自分の縄張りは死守しなければならない。生き残るには、守るしかないのだ。
その癖がどうやら染み付いているらしかった。
ローレンはナイフを構えて、ぐっと姿勢を低くした。
そこで、気付いた。
ふわり、ふわり。
ゆらり、ゆらり。
影に向かう、この糸は──。
糸のその色に気付くと、ローレンは戦意を失った。だらりと手を下げて、立ち尽くす。
なんで?
そして、声を掛けた。
「……ツケの、回収ですか」
びくりと影が揺れた。
振り向かずに、食器棚の奥から取り出した麻袋をそっと戻しているのが見える。
それからしばらくして、影が立ち上がった。
黒いフードを外すと、現れたのは眩しいくらいの白髪だ。ちらり、ちらりと白髪が輝く。
キース。
彼はゆっくりと振り返ってきた。また笑っている。
「てっきり、ブレンダン隊長に付いて行ったのかと思っていました。予想が外れましたね、残念。いやぁ、気配を消すのは得意なのですけどね、気配を感じるのは鈍いみたいです。お恥ずかしい。あ、誤解しないでくださいね。ここにお金があるのは、以前、購入いただいた洋服をお届けしたときにここからお金を出していたのを見ていたからです。断じて繰り返し侵入しているわけではありませんので、そこはご理解いただければ嬉しいです」
奇妙なくらい、変わらず抑揚のない口調だ。全然、悪びれていないというか。今の自分の立場をわかっていないというか。
ローレンは敢えてまともに返事をしなかった。
「この前、いくら足らなかったんでしたっけ? 来月、私の給料が入ったら払いに行きますから、とりあえず今日は帰ってくれませんか」
キースも、まともに質問に答えなかった。互いにちぐはぐな回答をする。それが、今の事態のようでもあった。空き巣と対峙する、住人。互いに出方を見る、不思議な空間。
「ブレンダン隊長に言いますか」
「言いません」
「なぜ」
「言ってほしいんですか」
「いいえ。でも言うのが普通の人の心理かとも考えます」
「変わった人なんだなと思っていただければ嬉しいです」
「……同情してるんですか?」
キースの声が低くなった。
それもそうかもしれないと思った。ひとりでふたりの介護をしている彼に同情しているのかもしれない。ふたりに掛かる金を考えれば、盗みを繰り返したくなる気持ちもわからんでもない。そのうえ、その金はローレンのものではないし、別に騒ぐ必要もない。
どうでもいい。
可哀相な人だし。
その程度の、ちょっと変わった考え。
「それとも、馬鹿にしてます?」
キースはつかつかと大股で歩み寄ってきた。
逃げようと思えば、逃げられただろうし、刺そうと思えば、手に持つナイフでキースの首を貫けただろう。
けど、ローレンはそのどれもをしなかった。
する気が起きなかった。
どうでもいい。
別に、興味がなかった。
キースはローレンの胸倉を掴んで、壁に押し付けた。
「叫ばないんですか」
「まあ、はい」
「叫んだら助けがくるんじゃないんですか?」
「どうでしょう」
「なぜしないんですか?」
「あなたも、なぜ、そうしないんですか?」
言うと、「は?」と笑顔のまま聞き返された。
「ひとりでふたりの介護をするのは辛いはずです。なぜ、誰にも助けてと言わないのですか」
「助けてと言う相手がいないからですよ。いいですか、世間知らずの田舎者の移民であるあなたに教えて差し上げますけどね、この国は自分の親の世話は子どもがして当然という考えなんです。僕が面倒を見て当然なんです。助けてと言う相手なんていないんですよ、あなたと違って」
「ああ、そういう風習があるところなんですね」
日本もどちらかというとそっち側か。かろうじて、自分はその問題について悩む環境ではなかったが。
当たり前。当然。
そんな考えで世界は支配されている。
ベンのように、この人もまた他人の当たり前に苦しんでいる人だった。
「補助金がね、出るはずなんです本当は。けど、介護の必要度合いによって金額が変わってくる。危険な行動もしないし、トイレにさえ連れていけば排泄も自分でできるし、体を起こせばシャツの着替えだって自分でできるし、ほとんど補助金なんてありません。楽なはずなんです。
僕は恵まれてるほうなんですよ」
「へえ」
そう思いたいだけなのだろう。楽なほうだから、辛い人の中では楽なはずだから、自分は大丈夫、辛いけど、辛い中では辛くないほう。だから助けてなんて言ってはいけないと、そう思いたいだけなのだろう。
キースは鼻で笑った。
「……『へえ』って、癇に触る返事ですね」
「すみません」
それから、どうしてかキースは俯いて、肩を震わせた。泣いているのかもしれなかった。泣きたくなった感情はわからないけれど、きっと自分でもよくわからない、はっきりとしないゴチャゴチャの気持ちが溢れてしまったのだろう。
キースは乱暴にローレンの胸倉を何度も押し付けた。がん、がん、と背中にぶつかる壁。しかし次第に弱くなって、とうとうキースは縋るように膝を折った。
「……──て」
キースがなにかを言ったけれど、聞き取れなかった。
「……頼みます……たすけて……」
たすけてください。
俯きながらそう言ったキースの手は、頼りなさげに、けれど指先に確かに願いを託してローレンの頬を包んだ。
ローレンがその手を握り返してやろうとしたとき、がちゃり、と玄関扉の解錠の音がした。
はっとした。
ローレンが玄関扉を見るのと、玄関が開くのと、キースが服を翻して蝙蝠のように軽やかに小窓から逃げ出すのはほとんど同時だった。
(運動神経抜群)
彼の母がそう言っていたのを思い出す。
(へえ。本当だったんだあ)
なんて思いつつ、ブレンダンと目が合った。その目が見開かれたのは、黒い影が逃げた残像を見たからに違いなかった。
次の瞬間には、ブレンダンは影を追って台所に踏み込んだ。影がいないと知って、ローレンの元へ戻ってくる。
「大丈夫か!?」
両肩を掴まれ、顔を覗き込まれる。
「大丈夫です」
「でも、怪我は……!?」
「ありません」
「今のは!?」
「無人だと思って侵入したようです。食器棚のお金を取っていこうとしましたが、私に気付いてやめました」
「気付い……!? なら、遭遇したのは偶然じゃなくて、わざわざ君が2階から降りてきたからか!?」
「え、ええ、まあ」
「なんで!?」
なんで、と聞かれるとは思わなかった。あまりにも必死な形相で訊ねてくるものだから、気圧されてしまう。
「え、だ、だって、なんとかしないと、って思って、当たり前じゃないですか」
「当たり前なはずがあるか! そういうときは逃げろ!」
「えぇ……?」
「俺が帰ってきてからどうにかすればいいんだから!」
そうか。
それもそうだよな。
別に、ひとりで戦う必要もないし、別に、侵入に気が付いた時点で逃げれば面倒ごとに巻き込まれることもなかったし。
まさか自分も、当たり前の支配下にあるとは思わなんだ。
「……すみません」
「心配したぞ! 心臓が飛び出るかと思った!」
言って、ブレンダンはローレンを抱き締めた。ぎゅうぎゅうに締め付けられて、苦しいくらいだった。
「も、もう大丈夫ですから」
そう諭すのにブレンダンは、よかった、と繰り返すだけだった。
──たすけてください
(私に、なにができるっていうんだ)




