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夢の続き8

次の日は、蒼もだが維月も緊張して空を見上げていた。

今日、維心が来るのだという。あれから、数ヶ月経った…相変らず維月に矢のような書状を送って来る炎嘉とは違い、維心は全く維月には何も言っては来なかった。しかし、維心は細やかに蒼や十六夜の世話をしてくれているようだった。月の宮には結界が敷かれ、新しい着物が毎日のように届けられて、蒼も維月も着物には困らなくなった。蒼は、維心の宮へ毎日ほど通っては神世の指南を受けて、今ではかなり神世に通じて来たようだ。迷惑を掛けているだろうに、面倒だとは露ほどにも感じさせない対応なのだと蒼から聞いていた。

そんな維心を、蒼が招いたのだという。確かに、お礼を言わなければならない。何から何まで、最近では維心が揃えて宮を安定させてくれていたのだ。

こちらが侍女達も軍神達も持たないというので、維心は軍神たった一人だけを連れて単身月の宮へと忍びで飛んで来る予定だった。蒼と維月は、じっと空を見上げて、その時を待っていた。


一方、維心は前日から臣下達総動員で準備した土産の品を持ち、新しく仕立てられた着物に身を包んで出発口に立っていた。今日もそれは凛々しいいでたちで、侍女達のため息を誘っている。維心も、維月が美しい容姿を好むと聞いたので、今回は積極的に仕立ての龍に協力して装ったのだ。

洪が、そんな維心の前に膝をついて言った。

「王。これは第一歩であられまする。どうか、これまで堅実に進めて来られたこと、ここで崩れてしまわぬように、良しなに。」

維心は、真剣に頷いた。

「分かっておる。我は、愚かではない。」

洪は、深々と頭を下げた。この長い時をたった一人で生きて来られた王が、これだけはと望まれているものなのだ。どうか、維月様のお心が、王の御元に溶けるように…。

維心は、筆頭軍神の義心ただ一人を連れて、龍の宮を飛び立った。


維心は、月の宮の結界に触れた。

結界はかなり強固なもので、維心の力でも破れるか疑問だった。

しかし結界は、維心を前にすんなりと通した。これは、相手が自分を待っているということだ。

眼下に、人の屋敷が見える。人の物としては大変に大きな物だったが、神から見るとかなり小さな物だった。維心は、表情を引き締めてそこへ降りて行った。

すると、入り口近くで蒼が立って出迎えていた。王自ら出迎えを?そうか、侍女も侍従も居なかったのだった。

維心が義心を後ろに歩いて行くと、蒼は頭を下げた。

「維心様。ようこそお越しくださいました。」

維心は、頷いた。

「蒼。出迎えご苦労であるの。」と、背後をちらと振り返った。「あれは、此度招いてくれた礼の品。おさめてもらえると良いの。」

蒼は、驚いた。かなりの量の厨子が見えたのだ。

「ありがとうございます。ですが、次からはどうぞお気軽にいらしてください。こちらの方が、いつもお世話になっておりますのに。」

維心は、笑った。

「これぐらいはなんでもないことよ。気を遣うでない。義心に、運ばせようぞ。どこなり指示するが良い。」

蒼は、慌てて戸口の方を振り返った。

「ああ、では…そこの、入ってすぐ横の応接間に。後で母とゆっくり見せて頂きます。」

維心は頷いて、義心を見た。義心は、頭を下げるとサッと指示通りに気でそれらを持ち上げて移動した。蒼は、維心を促した。

「こちらへ。お茶でもいかがでしょうか。」

維心は、蒼について歩き出した。

「もらおうか。」

そうして、二人は奥の客間へと向かった。


その屋敷は、平屋で大きな対が廊下で繋がっている形の物だった。蒼について庭に面した廊下を歩き、開かれた障子を抜けると、そこには座布団を敷いた畳敷の拾い座敷が広がっていた。そして、維心は息を飲んだ…そこに、維月が頭を下げて座っていたのだ。

突然の事に維心が絶句していると、維月は頭を下げたまま言った。

「ようこそお越しくださいました。維心様には、蒼も大変にお世話になっておるとの事…御礼申し上げまする。」

維心は、また胸が苦しくなった。だが、やっとの思いで答えた。

「当然の事をしておるまで。そのように恩義を感じる事はないのだ。」

蒼は、微笑んで維心に座布団を差し出した。

「どうぞ、お座りください。本当に二人きりですので、寛いで頂ければ。」

維月が、顔を上げた。維心は、やはり目が覚めるほどに美しく凛々しかった。少し赤く頬を染めながらも、維月は用意してあった茶器を使って、すっすと茶を淹れ始めた。維心は、緊張気味にそれを見た…維月が、茶を淹れるのか。

それでも、気にしていないように必死に装って、維心は勧められた座布団に胡座をかいて座った。

すぐに、維月が寄ってきて維心の前に茶を置いた。維心は軽く会釈して、茶碗を持ち上げて口を付けた。蒼が、そんな緊張感には気付かないまま言った。

「何もないのですが、静かで。結界を張ってからは、何の心配もなく過ごしております。それまでは、時に鳥の気配などを感じて、十六夜がその度に追い払うの繰り返しでしたから。」

維心は、それを聞いて眉を少し寄せた。やはり、炎嘉はまだ諦めておらぬか。しかも、そのような強硬手段をまだ取ろうとしておるとは。

「神世には、けしからぬ輩も多い。未だ略奪の世で、それを禁じる法律とかいうものもない。主らには、暮らしにくい世よな。」

維月は、着物の袖で口元を押さえた。やっぱりそうなのか…無理矢理さらわれて妃になんて、お互いに不幸でしかないのに。

維心は、側に居る維月と話したくて仕方がなかった。だが、ぐっと堪えて蒼に言った。

「して、主は他に困っておることはないのか。何でも良いぞ。」

蒼は、困ったように首を振った。

「今は何も。維心様が全て支援して下さっておるので、不自由はありません。あれほど困っていた、着物もたくさん戴きましたし。」

維月は、ソッと維心を盗み見た。維心は、それはどっしりと威厳のある様でそこに座り、蒼の方を向いている。王族として生まれ育ったからか、その仕草は洗練されていて、本当に遠い世界の住人のような、そんな気がした。あの時は、その美しさに目が眩み、ただ下を向いて話していたが、こうして改めて見ると、自分などこんな王の側に座る事など出来るはずもなかった。妃にと言ったのも、きっと、一時の気の迷い…それこそ衝動買いしようとしただけだったのだ。今は、自分が側に居てもこちらを気にする風もなく、ただ本当に蒼に会いに来ただけのようだ。

維月は、勢いで結婚して面倒がられていたことを考えて、少しホッとしていたが、それでも何か寂しい気がした。身分も生きて来た道も何もかもが違う龍王。そんな手の届かないかたを想ってしまってはいけない…今は、こうして側で見られるだけでも幸せなのだから。

維月は、そう思うと何か吹っ切れたようで、顔を上げて微笑んだ。

「皆、趣味の良いお着物で。普段はまだ洋服で居る事が多かったのですが、最近では蒼と共にせっかくなので着物に慣れようとしておるところです。」

維心は、維月が話し掛けて来たので緊張したが、平静を装って維月に頷き掛けた。

「気に入ったのなら良かった事よ。人の洋服は露出も多いゆえ、神世の女にはそぐわぬのだ。何しろ、先程も申した通り略奪もあるからの。なるだけ姿は目につかぬようにするのが、常であるな。」

維月は、維心の声に聞き惚れた。初めて会った時も、この声が心地よくて体が震えたものだった。

維月は、頷いた。

「はい。肝に銘じておきまする。」

蒼は、そんな二人をじっと見つめた。洪が言うには、維心は女と同席するのも嫌がるほどの女嫌いで、話など決してしないのだと聞いている。それなのに、維月とはこうして話している…全くそんな素振りを見せないが、やはり維心は維月を少しは気にしているのではないか。だが、蒼から見てこの母が、炎嘉に気に入られていることすら信じられないので、まさかそんなことは、とも思った。

三人がそれぞれに言葉が見つからずふと黙ったその時突然に十六夜の声が振って来た。

《炎嘉が来てるぞ。》

蒼は、驚いて思わず空を見る。維心は、眉を寄せて険しい顔をした。維月は、驚いて反射的に袖で口元を隠した。

蒼は、空に向かって言った。

「炎嘉様からは、訪問のご連絡なんてなかったけど。」

十六夜の声は答えた。

《今、オレに向かってこちらに維心が来てると思う、維心に取次ぎをと言って来た。》

維心は、それを聞いてしまった、と思った。蒼とは面識がない炎嘉も、自分が中に居れば自分に会うためとの口実でここへ来ることが出来るのだ。蒼は、困惑した顔で維心を見る。維心は、ため息をついた。

「…筋は通っておる。我が軽はずみであった。我が中に居れば、あれは我に会いたいとここへ入る口実に出来るのだ。神世の理の上でも、間違ったことを言ってはおらぬ。」

蒼は、まだ困惑していたが、空を見た。

「十六夜、ちょっとごたごたしそうだけど、炎嘉様を招き入れるしかないみたいだ。」

十六夜は、頷いたようだった。

《だろうな。炎嘉がやけに落ち着いてるから分かった。じゃあ、結界を通すぞ。維心が居るから大丈夫だろうが、手に負えなかったらオレを呼べ。》

そう言うと、十六夜の声は途切れた。蒼は、維心を見た。

「炎嘉様には、ずっとここへの訪問をお断りしていたので、とても顔を合わせづらいのですが。」

維心は、首を振った。

「気にすることはない。あれは、我に会いに参ったのであろう。ならば我が対応すれば済むこと。主は我に任せておれば良いのだ。」と、維月を見た。「維月、主はここに居らぬ方が良い。炎嘉が無理を申しても我に逆らうことは力から見て無理であるが、それでも姿を見たら何を言い出すか分からぬからの。」

維月は、しかしためらいがちに維心を見た。

「ですが…ここには侍女も居りませぬから。お茶もお出しせぬわけにはいきませぬでしょう。」

維心は、断固として首を振った。

「良い。そのようなもの、義心にでもやらせるゆえ主はここから出よ。ここに居ることは許さぬ。」

維月も蒼も、驚いた。維心が、かなり険しい顔で命じるように言ったからだ。それを見て、蒼はやっぱり維心様も母さんを、と思ったが、維月はただ驚いただけなようだった。

「は、はい。では、お任せして、こちらは失礼致します。」

維月は、急いで立ち上がると、自分の部屋へと足早に出て行った。維心は、ホッとしたように表情を緩めると、蒼に言った。

「蒼。では、炎嘉をここへ。我に会いたいとか言うその顔を見てやろうぞ。」

蒼は、その薄っすらと湧き上がる闘気を見て、慌てて立ち上がった。闘気というものがあることは知っていたが、初めて目の前で見たのだ。それは、神が戦いの時に発する気であると聞いていた。維心は、炎嘉と戦おうとしているのか…だが、何のために?やっぱり…。

蒼はそう思いながらも、口に出すことは出来ずに、そこを出て炎嘉を迎えるために到着口であり出発口である、玄関の方へと走った。

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