夢の続き9
炎嘉は、維心が月の宮を支援し、蒼を教育していることを知っていた。
しかし、維月には書状一つ送っていないらしい。それは、龍の宮を探っていた軍神や臣下から聞いていた。あの気まぐれで女嫌いの維心のこと、維月への興味は薄れてもっぱら月と近しくなろうとしているのかと思ってはいたが、ある日、維心が蒼に招かれて月の宮へ忍びで行くということを聞き、悟った…維心は、まだ維月を諦めてはおらぬ。
維心は、公式な事以外で滅多に宮から出ることなどない王だった。この1500年、自分が無理に引きずって来て、やっと鳥の宮へ数回来た程度だった。それなのに、蒼が軽く会話の端で言ったことをすぐに受けて、月の宮へ向かうなど…どう考えても、それを待っていたとしか思えない。
炎嘉は、維心の堅実なやり方に歯軋りしたが、しかし思った。これを利用すれば、自分も月の結界を越えて中へ入ることが出来る。一度訪問してしまえば、蒼と面識が出来、蒼は自分を簡単には追い払えなくなる。
なので、維心が月の宮へ入るのを待って、炎嘉はこちらへやって来たのだ。
炎嘉が月の結界を抜けて降りて来ると、そこには人の屋敷にしてはかなり大きな、しかし神の宮としては小さな木造の平屋造りの屋敷が建っていた。大きく低い塀で囲まれた一部に、門があるのを見た炎嘉は、そちらへと降りて行った。
砂利を踏みしめて門を入って行くと、正面の開かれた戸の前に、蒼が一人、立っていた。炎嘉は、それを見て驚いた…本当に、誰も居ない宮なのか。
炎嘉が近付くと、蒼は頭を下げた。
「炎嘉様。初めてお目に掛かります。私が、蒼でございます。」
炎嘉は、軽く会釈で答えた。
「蒼。やっと会えたの。我は、龍の宮へ寄って維心が居らぬので、こちらへ来ておると聞いたのだ。なので、突然ではあるが訪問させてもろうた。」と、後ろについて来ている軍神一人に頷き掛けた。「これは、僅かばかりであるが、迷惑を掛けた詫びぞ。」
蒼は、また山のような厨子が置かれているのを見た。神世では、どこかへ出かける時はこんなに何かを持って行かなきゃならないのか。覚えておこう。
「お心遣い、ありがとうございます。では、申し訳ないのですが、そちらは入って左の応接間の方へ、そちらの軍神のかたに運んでいただいてよろしいでしょうか。何しろ、ここには侍女も侍従も軍神も居らず、本当に私と母の二人きりでございますので。」
炎嘉は、頷いた。
「もっともなことぞ。良い。運ばせようぞ。」
炎嘉が頷き掛けると、その軍神は頭を下げた。そして、気でまとめてそれらの荷物を持ち上げると、簡単に運び始めた。
それを見た蒼は、炎嘉を促した。
「では、こちらへ。維心様も、お待ちでございます。」
それを聞いた炎嘉は、俄かに表情を険しくした。蒼は、やっぱり二人は母さんを取り合ってるのか、と思いながらも、気付かぬふりをして炎嘉を伴って、奥の座敷へと歩いたのだった。
庭側の廊下から、その座敷へと入って行くと、そこには維心が、蒼と維月には見せなかった厳しい顔付きで座っていた。側には、義心が控えている。炎嘉は、それを見て一瞬維心を睨んだが、しかし次の瞬間には、飄々とした風を装って言った。
「おお維心。ここに居ったか。滅多に出かけぬ主が居らぬと、探し回ったわ。」
維心は、厳しい顔を崩さずに言った。
「何用ぞ。そこまでして話さねばならぬことなのだから、大した用であろうの。」
維心の棘のある言葉にも、炎嘉は表情を変えなかった。
「相変らず口の悪いことよ。友に会うのにいちいち理由を考えねばならぬか。」そして、促された座布団を引き、維心の向かい側に当たる場所に座った。「昔から、主は先々を考えて動くことに長けておるの。見習わねばならぬことだろうて。」
維心は、ふんと鼻を鳴らした。
「主のように、考え無しではないからの。」
義心が、まるで毎日淹れているかのような手際の良さで茶を淹れて、炎嘉の前に進み出て頭を下げて置いた。炎嘉は、さすがに驚いたような顔をした。
「申し訳ありません、本当に侍女は居らぬので。」蒼が、本当に申し訳なさげに言った。「義心が、こうして淹れてくれるのです。」
炎嘉は、蒼を見て首を振った。
「良い。少し驚いただけぞ。しかしこうも静かであると、逆に落ち着かぬの。屋敷は大変にこじんまりと美しいものだが、手入れをする者も要るようになろう。手が必要なら、申すが良い。我が侍女侍従を貸し出すゆえな。」
蒼は、維心とは違って人懐っこい感じの炎嘉に、戸惑いながらも頭を下げた。
「はい。ありがとうございます。」
何だろう、書状とは受ける感じが違う。
蒼は、そう思っていた。炎嘉は、確かに王らしい威厳はあるのだが、維心のように重厚な感じではなく、とても明るく華やかで、親しみの持てるような王だった。人世で言うと、維心が教師なら、炎嘉は頼れる兄といった感じなのだ。
炎嘉は、微笑みながら頷いた。
「維心から、いろいろと学んでおろう。しかし、神世はややこしい。気を抜けば未だ戦なども起こるような危うい世ぞ。主も、王として君臨する覚悟を持たねばならぬ。月という、特別な種族であるのだからな。」
蒼は、炎嘉のその暖かいような声音に驚いていた。同じことを維心が言うと、ただかしこまって頭を下げていなければならない印象があるが、炎嘉は軽いアドバイスを受けている、といった印象にしかならないのだ。
蒼が戸惑っていると、維心が言った。
「我からも重々蒼に申し付けておるわ。それよりも、用件を申せ。」
突き放すような維心の言い方に、蒼はハラハラした。こんなに機嫌よく話しているのに、それは無いかも。
しかし、炎嘉は気を悪くした風でもなく、言った。
「用か。用は、主と同じ。」と、蒼を見た。「蒼、我は謝らねばならぬの。維心に会いに参ったのは口実ぞ。我は、維月に会いたいと思うて来た。ここへ呼べぬか。」
蒼は、あっさり白状した炎嘉に困惑して維心を見た。維心は、炎嘉を見て唸るように言った。
「…まだそのようなことを。」
しかし、炎嘉は維心を、今度は睨みつけた。
「そのままそっくり返すわ。維心、己が堅実であるからと、それで成功するなどと思うておらぬだろうの。我とて、学習したわ。もう、略奪しようとは思うておらぬ。真実、維月が我を望まぬのに娶ることはせぬ。娶ったところで、簡単に月に取り返されてしまうわ。なので、我も今はただ、維月と語らいたいだけぞ。」そして、また蒼を見た。「維心には会わせて、我には会わせぬと申すか。我は、もう無理にとは言わぬ。ただ、主も同席しておるここで、維月と語らいたいのだ。左様伝えてくれぬか。」
蒼は、迷った。だが、確かにそうだ。こうして、自分も維心も居て、その上十六夜の結界の中で、炎嘉が維月に何か出来るはずなどなかった。
「…では、母をここへ。」維心が、蒼を睨むように見た。だが、蒼は困ったように維心を見た。「維心様、母は何も知りませぬ。維心様も、母を妃にと思われておられるのですか?」
維心は、蒼にはっきりと聞かれて、言葉に詰まった。だが、蒼にはいずれ言わねばならぬこと。
維心は、頷いた。
「我は、維月を望んでおる。だが、無理にとは思うておらぬゆえ、それに維月が王の妃となるのを厭うておるのを知っておるゆえ、言い出すべきではないと思うた。いずれ時が来たら、我から維月に申す。なので主は、維月に何も申さずで居て欲しい。」
蒼は、やっとはっきりして、あの母のどこがいいのか皆目分からなかったが、それでも頷いた。
「はい。決してオレからは言いません。ですが、母は手ごわいですよ?あの、本当にお二人共、あの母でよろしいのですか?何かの間違いなのではありませんか?」
しかし、二人は同時に首を振った。
「間違いではない。」
そして、お互いにお互いを見て睨み合った。それを見た蒼は、神の好みって分からないとため息をついたが、維月を呼びにそこを出て行ったのだった。
しばらくして、維月は緊張感漂うその座敷で座っていた。
蒼が居るのでまだマシではあったが、維心と炎嘉の空気がなぜだかぴりぴりと痛い。蒼に、炎嘉も来たのだから、やはり挨拶もしないのは失礼なんだと言われ、仕方なく出て来たのだが、この空気の重さに潰されそうだった。
維月はしかし、ここで負けてたまるかと手を付いて頭を下げた。
「炎嘉様。お久しぶりでございます。」
炎嘉は、維月に親しげに微笑みかけた。
「おお、そのように硬くなることはないのだ。臣下達に申して書状ばかりを遣わせて…我が、直接に文を書けば良かったの。これからはそうするゆえ。主も、気軽に返事を寄越すが良いぞ。我もあれから人を学んだ。確かに主が憤るのも道理。もう、無理を申したりせぬからの。」
維月は、驚いて顔を上げた。炎嘉様、あの時険しいお顔で強硬に妃に妃にと、それしか印象になかったのに、これほどに人懐っこいかたでいらしたなんて。
維月は、炎嘉が明るく微笑むのに、思わず微笑み返した。
「はい、炎嘉様。」
維月が微笑んだのを見た炎嘉は、少し驚いたような顔をしたが、困ったように言った。
「ほんに…主は、真っ直ぐにこちらの目を見るの。そのような女神は居らぬゆえ、じっと見つめられると困ってしまうわ。」
維月は、そういえばじっと見つめるのは失礼なんだったっけ、と慌てて下を向いた。
「あ、申し訳ありませぬ。人の頃の癖で、つい。」
しかし、炎嘉は首を振って維月に膝を擦って近寄ると、手を取った。
「良い。咎めたのではない。主になら、いくら見られておっても良い。さあ、もっとこちらへ。これ以上は、我も無理を申さぬゆえ。」
維月は、言われるままに戸惑いながらも炎嘉の座る場所へと寄った。炎嘉は、満足げに頷くと続けた。
「さて、何を話そうかの。おおそうよ、我の宮の花のことなど話そうか。我が宮は、神世でも随一の花の都と言われておるほど、多種多様な花が植わっておってな。主は、香りのある花が好きか、それとも見目の良い花が好きか?」
維月は、問われるままに答えた。
「難しい事でございまするわ。シャクヤクのように大振りで派手やかな花も好きでございますが、桜のように一斉に咲き潔く散るのも好きでございます。梅の花の香りも、薔薇の香りも好きなのですの。選ぶのは難しゅうございます。」
炎嘉は、微笑んで頷いた。
「おおなかなかに欲が深いの。確かにそうよ。我が宮には、主の言う全ての花がある。しかし、もっと珍しい物もあるぞ?」
維月は、興味を持ったようで、炎嘉を見つめた。
「何でございましょう。」
炎嘉は、片手は維月の手を取ったまま、もう片手を翳した。すると、目の前にふんわりと小さな赤い実が浮いた。維月は、それを見て歓声を上げた。
「まあ!苺だわ!」
炎嘉は、フッと笑った。
「やはり主はこれが好きか。我が軍神達が主らを見ておって、蒼が人世からよくこれが使われた菓子を買い求めているのだと知っての。もしかして主が好むのかと思うて、我が領地内を探したら、大量に自生しておる場所を見付けた。宮へいくらか移植させたゆえ、春には実をつけるだろう。また、その頃訪ねるが良い。」
維月は、そんなことまで考えてくれた炎嘉に、無視をし続けて悪いことをしてしまった、と後悔した。無理さえ言わずに居てくれれば、炎嘉はとても接しやすい神だった。
「炎嘉様…わざわざにありがとうございます。また、その頃には蒼と訪ねてみたいと思います。」
炎嘉は、穏やかに微笑んでいる。
蒼は、それをじっと無表情で見ている維心を、ちらと見た。維心は、ただじっと黙っている。維心が何を考えているのかは分からないが、維月を求めているのなら心中穏やかではないだろう。
蒼から見ても、炎嘉は大変に饒舌で人付き合いに長けた神だった。対する維心は、寡黙で宮から出る事も少ない、人付き合いをしない神。こんな時、どうしたらいいのかもまず分からないのではないか、と思われた。蒼は、他人事ながら、維心が心配になった。話してみれば、維心は穏やかで実は優しい神なのだ。とても蒼にも親切に分かりやすく指南してくれた。短い付き合いながら、誠実で、堅実な性格なのは蒼にも分かった。
どうにか出来ないか、と焦っていろいろ考えるものの、炎嘉は次々に話題を提供して維月から言葉を引き出して行く。時間だけが過ぎて行く中、維心と蒼だけは沈黙して、異常に長く思える時間を過ごしていたのだった。




