策謀
瑠維は、部屋で一人、落ち込んでいた。本当に、覚えはない。でも、もしかしてパイを捨てた時に、指輪が混ざっていたのだろうか。それに、気付かずにいたのだろうか…。
瑠維が、自己嫌悪も混じって悲しくなり、一人で声を殺してないていると、フワッと頭を撫でる感覚がした。何事かと慌てて顔を上げると、そこにはこの月の宮に住む、祖父の碧黎が居た。瑠維は、慌てて居ずまいを正すと、頭を下げた。
「お祖父様…失礼を。」
すると、碧黎は苦笑した。
「良い。主はどうも世慣れぬの。それでは生きて行くのが辛かろう。もう少し、何かを疑うということも、あって良いかと思うぞ。」
瑠維は、何のことかと不思議そうに碧黎を見上げた。
「疑う?」
碧黎は、頷いた。
「主は何も悪くはない。我は知っておる。皆、見えたものしか信じておらぬから、このようになっただけのこと。だがまあ、我からは何も言わずにおく。これは主らのことであるからな。誰も我に訊かぬし、答える事もないゆえであるが。」
瑠維は、目を見開いた。そうか、祖父は地…見えていたのだ。
「お祖父様、どうか、教えてくださいませ。我は、ボード指輪を捨ててしもうたのでしょうか。」
碧黎は、微笑して首を振った。
「言うたであろう。主は何も悪くはない。指輪を捨ててはおらぬよ。」
瑠維は、ホッとした。良かった…我は悪くはなかったのだわ。
「安堵致しました。もしかしてと、思うたので…。」
碧黎は、しかし言った。
「…誰が捨てたのか、主は訊かぬのか?」
瑠維は、首を振った。
「もう良いのです。指輪は見つかったのですし…そのような事を聞いても、誰も信じては下さらないでしょう。あれは、済んだ事ですわ。」
碧黎は、驚いたような顔をした。そして、しばらく考えると、言った。
「ほんに、主は生きにくいだろうの。ここには向かぬ。早よう龍の宮へ帰った方が良い。」
瑠維は、碧黎を不思議そうに見た。
「生きにくいとは、こちらではということでしょうか?」
碧黎は、どう言ったものかと悩むような顔をした。
「とういうか、今は時が悪い。そうとしか、今は言えぬの。詳しいことを言うてしもうたら、主の学びにもならぬし。とにかくは、あまり回りを信じ過ぎぬようにせよということよ。神にはいろいろ居る…こちらは、そんな神の集まりであるから。」
瑠維は、よく分からなかったが、自分があまりにも世間知らずだからなのだろうと解釈した。そして、頭を下げた。
「はい、お祖父様。我は、もっと精進して世をいうものを学びまする。」
碧黎は、その素直な様に、余計に不憫になったが、それ以上は何も言わず、そこを出て行ったのだった。
次の日、瑠維は一人で宮を歩いていた。今日は、帝羽は月の宮の軍神の指南をして欲しいと蒼から頼まれ、そちらへ行っているのだ。
どこへ行くのも自由であるので、自分で決めねばならないが、今まで龍の宮の奥にしか居なかった瑠維にとっては、それはとても大変なことだった。どこへ行っても、何をしても自由など、今までなかったからだ。
なので、今日は母のところへ行こうか、と瑠維は奥へと抜ける回廊を歩いていた。
すると、前から美加が歩いて来た。瑠維は、あの事件の時に美加が共に居たこともあり、とても気まずかったが、それでも側まで来た美加に、軽く頭を下げた。
「美加殿、ごきげんよう。」
すると、美加も微笑んだ。
「ごきげんよう、瑠維殿。お一人なの?」
瑠維は、頷いた。
「はい。本日は、帝羽殿はコロシアムで指南をとおっしゃっておりました。」
美加は、少し表情を変えたが、また微笑んだ。
「ふーん。」と、瑠維の腕にある、美しい腕輪に目を留めた。「あら。とても綺麗。見たこともないような石が付いているわ。」
瑠維は、自分の手首を見た。
「はい。これは父から戴いた物。我はこのように姿は父に似ておりまするが、瞳の色が他の兄弟達とは違って母と同じなので、父が、この石を持っておれば良いとおっしゃって。確かに、父のお子である証明であると言って。」と、愛おしげにその石に触れた。「龍王の石といって、お母様しか今までに身につけることを許されなかった石なのだそうです。それを一つ外して、このように作り変えてくださいました。」
美加は、その石を見つめた。聞いたことがある、龍王の石。自分もこの瞳の色は、父と同じだった
龍王の血筋からは、軒並みこの瞳の子が出来るが、稀に瑠維のように違った色も生まれると聞いた。
「そう…あなたは、大切にされておるのね。」
なぜか、その瞳の色が鋭い。瑠維はためらったが、頷いた。
「あの…父も母も、とても大切にしてくださっておると思っておりまする。」
美加は、少し暗い顔をしたが、次の瞬間には、ぱっと表情を変えた。
「いいことね。では、これからコロシアムに一緒に行きません?観覧席から、立ち合いを見ることが出来るのよ。」
瑠維は、慌てて手を振った。
「まあ、気も使うと聞いておりまするし、危ないですわ。いつもの立ち合いの時に、また見せて頂きまするから。」
美加は、明らかに不機嫌な顔をした。
「そう。ならいいわ。我だけ参りまするから。」
そう言うと、瑠維には見向きもせずにさっさとそこを後にした。瑠維は、後ろから言った。
「美加殿!とても危ないと、父からも聞いておりまするわ!観覧席には参られない方が良いかと…」
しかし、美加はこちらを振り向きもせずに行ってしまった。
瑠維は、どうしようかと思ったが、自分ではどうにもならないから、母に言おうと維月の部屋へと急いだのだった。
維月の部屋へ入ると、維月が振り返って微笑んだ。
「まあ瑠維。いらっしゃい、どうしたの?何やら、慌てておるような。」
側の十六夜も言った。
「確かにな。何かあったのか?」
瑠維は、頷いた。
「はい。美加殿が、コロシアムに立ち合いを見に参るとおっしゃって。我は、危ないからとお止めしたのですけれど。どうしたら良いのか分からないので、こうして、こちらへ。」
十六夜が、軽く舌打ちした。
「なんだよ、またか?あいつはいくら言っても聞かないんだから。今日の立ち合いは気弾を使ってるから、危ないぞ?流れ玉にでも当たったらどうするんだよ。」
維月が、心配そうに十六夜を見た。
「十六夜、ちょっと見て来て欲しいわ。あの子、本当に無茶をするから。」
十六夜は、はいはいと立ち上がった。
「仕方がねぇな。ほんとに美羽の娘はとんでもねぇ。お前は自分に似てるとか言うが、あいつは全然似てねぇよ。別物だ。」
維月は、苦笑した。
「それでも、孫には変わりないのよ。」
十六夜は頷くと、窓へと歩み寄って、一気にコロシアムの方向へと飛んで行った。維月と瑠維は、それを見送ったのだった。
コロシアムでは、やはり帝羽相手に、数人の軍神達が立ち合う稽古をしていた。
実戦により近い状況でと、今回は気弾も使用可能だった。帝羽は、さすがに多人数に襲われるのは大変だったが、良い訓練になると受けていた。
月の宮の軍神達でも、序列が中程の者達ばかりが、数人掛かりで帝羽に向かって来る。余裕もなく、ただ相手のことだけを見て必死に避け、また自身からも気弾を放った。
たくさんの光の玉が、コロシアムに降り注ぎ、あちこち穴だらけになっていた。着弾するたびにドーンドーンと地響きがする。あっちこっちへ反れて行く気弾は危ないので、皆こちら側で気の膜を張って観戦していた。
帝羽は、二人を叩き落し、残りは三人だった。
この三人が回りを縦横無尽に飛び回り、その全ての動きを頭の中で読んで対応する帝羽には、全く余裕がなかった。
それでも容赦なく降って来る気弾に、一度地に足を着いて、体勢を立て直して自分も気弾を放とうと、ちょうど下にあった観覧席に足をついた。当然のことながら、今日は誰もいない。はずだった。
「きゃあ!!」
その声に、向かって来ていた三人の軍神も、帝羽も驚いて振り返った。美加が、そこで膝を付いて脅えた目で見上げていろ。軍神三人は、慌てて気を止めたが、いくつかの気弾はもう、放たれた後だった。
「美加様!」
帝羽は、急いでその前に飛ぶと、気の膜を張った。落ちて来ていた気弾は、帝羽の膜に当たって消滅する。上で見ていた三人の軍神も、ホッとしたような顔をしたが、帝羽も冷や汗をかきながら胸を撫で下ろした…もう少しで、直撃するところだった。
美加は、帝羽に抱きついた。
「ああ帝羽!あなたなら守ってくれると思っていたわ。」
しかし帝羽は、厳しい顔で首を振って美加を引き離した。
「何をしておるのです!こちらは、ただ今観覧禁止になっておったはず。なぜにこのような所へ!」
美加は、途端に悲しげに下を向いた。
「…分かっていたわ。ここが危険だということぐらい。でも、命じられたら来なくてはならないでしょう。」
帝羽は、驚いたような顔をした。命じられた?
「いったい、誰に?」
美加は、涙をためた瞳で帝羽を見上げた。
「きっと…話しても信じてなどくれないから。私が、あなたを好きでいるのがいけないの。」
帝羽には、訳が分からなかった。何を言っているのだ。
「真実であるなら、我とてきちんと聞き申そう。このようなことを命じるなど、相手に意見せねばならぬから。」
美加は、嬉しそうに言った。
「まあ、私のために?」しかし、帝羽は困ったような顔をした。それでも美加は続けた。「…瑠維殿よ。私の方が地位が低いことを自覚しなさいと言われたわ。これ以上、帝羽に近付くなと。帝羽は、自分の軍神として生涯使うのだからって。」
帝羽は、眉を寄せた。
「あのかたは…そのようなことをおっしゃるかたではない。」
美加は、大袈裟に泣き伏すと、言った。
「ほら!信じてくれないじゃないの!お祖母様の指輪の件も、私に罪をなすり付けようと起こしたことだったと言っていた。あなたが来てああして調べてくれたので、そんなことにはならずに済んだわ。あの子は…何も思うようにならないことはないのだって。ああして、皇女として良い女神のふりをしていれば、皆が思う通りなのだって言っておったの。だから、私じゃ敵わない。私、こんな風だし、あなただって、あの子より私を疑うでしょう。だから、もういいかと思ったの…こうして、わがままでここで死んだんだって、思われても。かだら、無茶だと思ったけど、来たの。だって…だってここに来る勇気がないなら、永遠に帝羽に近付くなと言われたのだもの!」
美加は、顔を上げずにわんわん泣いている。帝羽は、戸惑った。どういうことだ。しかし、いくらとんでもない女とはいえ、こんな大それた嘘を言うだろうか。だが、瑠維様はそんなことをするような女神ではない。しかし、自分は瑠維の何を知っているだろう。ここへ来て、庭や宮を歩いた程度…。
それに思い至った帝羽は、愕然とした。そうだ、何も知らない。もしかして、あの美しい顔の影で暗い心を持っていたのだとしても、誰にも分からないのだ。
帝羽が呆然と立ち尽くしてそこで美加が泣いているのを見ていると、上空から十六夜が飛び降りて来た。
「ああ、遅かったか!すまねぇ、こいつはまた何かしでかしたか?」と、美加を引っ張り上げて顔を上げさせた。「こら、美加!ここへは来てはいけないって言ってるだろうが!」
十六夜に、美加は悲しげな顔をして言った。
「だって…ここに来なければいけなかったの。」
十六夜は、はあ?という顔をした。
「来てはいけなかったの間違いじゃねぇのか?とにかくは、来い!怪我がなかったのだけが良かった。じゃあな、帝羽。」
十六夜が、美加を担いでそこを出ようとする。美加は、慌てて帝羽の耳元に言った。
「信じてなくてもいいわ。聞いて欲しいの。今夜、北の庭の滝の所へ来て。」
帝羽が、驚いて美加の方を見た時には、美加はもう、十六夜に運ばれて空高く飛んで行くところだった。




