第296話 入門
禅との話が一段落したところで、今まで沈黙を貫いていた宗次が、意を決したように口を開いた。
「あ、あのっ! オレ、この水月道場に入門したくてっ!!」
思い切りのいい声だった。
その言葉に、禅は即答せず、静かに俺とキヌへ視線を移す。
禅の顔には『え? 従者じゃないの?』――とでも言いたげな戸惑いが、そのまま出ていた。
「こいつは宗次って言ってな。この街へ来る途中、鎌鼬に襲われてたところを助けたんだ。俺たちが道場の場所を知らなかったから、案内を頼んでただけでさ」
「なるほど……」
禅は宗次へと向き直る。
「宗次くん。剣を触ったことはありますか?」
「あ、えっと……、木刀なら……!」
「では、構えてみてください」
促され、宗次は慌てて立ち上がり、腰に差していた木刀を抜いた。
ぎこちない動き。構えも決して洗練されてはいない。
誰かの真似事で木刀を握っている――そんな印象だ。
だが。宗次の視線は、確かに“何か”を見据えていた。
おそらく、道中で命を脅かされた魔物、“鎌鼬”。
恐怖の記憶と、それでも立ち向かおうとした意思が、そこには残っている。
「……悪くない目ですね」
禅は小さく頷いた。
「良いでしょう」
「……え?」
宗次が目を丸くする。
「あ、あの……それって……?」
「入門、という意味です」
あまりにもあっさりした一言。
宗次の思考が、一拍遅れて動き出した。
「し、試験とか……ないんですか……?」
「水月道場では、“剣を学びたい”という意志そのものを拒みません。故に、入門のための特別な試験はありません」
宗次の顔が、一気に明るくなる。
「……ただし」
その空気を切り裂くように、禅は続けた。
「ここに残れるかどうかは、別の話です。剣は、生半可な覚悟で続けられるものではありません」
「……はいっ!」
それでも、宗次は即座に頷いた。
逃げ道を与えられた上で、それでも前に進むと決めた声だった。
「今日から君は、水月道場の門下です」
一瞬の沈黙。
そして宗次は、勢いよく頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします!!」
畳に額が付きそうなほどの深い礼。
その姿を見て、禅はほんの僅かに口元を緩めた。
やがて宗次は、道場の者に連れられて下がっていく。
部屋を出る直前、振り返ってこちらへ満面の笑みを向けた。
(――良かったな)
剣を志す場所を得た少年の背中は、ここに来る前よりも少しだけ大きく見えた。
◇ ◇ ◇ ◇
翌朝。
水月道場で一泊させてもらった俺たちは、再び昨日の和室へ通された。
そこには、すでに一人の男が待っていた。
年の頃は五十を少し過ぎたあたり。
無精髭を生やし、腰には年季の入った槌袋。
武人でも商人でもない――土と火の匂いを纏った、鍛冶師特有の佇まいだ。
「……禅様。ご依頼の剣、仕上がりました」
男はそう言って、布に包まれた一振りを差し出す。
禅はそれを受け取ると、丁寧に布を解き、鞘から剣身を抜いた。
水の魔剣。
序列戦で、キヌと相対した際に使われていた一振りだ。
光を受けて静かに輝くその剣身から、この鍛冶師が一流であることが分かる。
「さすが孫呂久です。いつも通り、完璧な仕事ですね」
「恐れ入ります」
孫呂久と呼ばれる鍛冶師は一礼し――そして、視線を上げた。
「……禅様、この方々は?」
「阿吽とキヌさん。私の友人であり、同士であり、ライバルです」
「ライバル……なるほど」
そう頷いた孫呂久の視線が、ふと揺れる。
そして、吸い寄せられるように――俺の横に置いてある白鵺丸へと向かう。
「……失礼」
俺に対し一言断り、一歩近づく。
だが、白鵺丸へと伸ばしかけた指は、途中でピタリと止まった。
まるで……不用意に触れてはいけない、とでも言うように。
「……この太刀は……」
続く言葉が出ない沈黙。
そして孫呂久は深く息を吐き、静かに正座した。
「……阿吽殿。ご自身で引き抜いていただけますか」
「うん? いいけど……」
普段通りに鞘から白鵺丸を抜く。
ただ、武京に来る直前から感じていた、あのざらつく違和感は、まだ消えていなかった。
白鵺丸を受け取った孫呂久は、鍔と柄を丁寧に外し、茎を確認する。
――『二代目 國光』。
茎に刻まれた銘を見届けた後、静かに組み直すと孫呂久は重々しく口を開いた。
「……単刀直入に申し上げる」
その声音は、職人としての覚悟を帯びていた。
「この刀、このまま使い続けるのは――危のうございます」
次話は2/6(金)投稿予定です♪




