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銀鎧馬形のおかげか、カーディナルが思っていたより二日ほど早くサント=ジョフロワ大教会のある街に着いた。ケガレが出なかったのも大きいだろう。
ラムグルナにおける女神信仰の要、聖都アディトは王都リフェスにはやや劣るものの十分な活気に満ちている。隣に座るスミレは、荘厳な白い石造りの街並みに目を奪われて周囲をきょろきょろとせわしなく見回していた。時間があったら街を案内してもいいかもしれない。どうせ大教会に用事があるのはリリだけだ。クロード達はリリの側を片時も離れようとはしないだろうが、カーディナルやスミレまで大教会にとどまる理由はない。
(そうですね……。侍女殿は甘い物がお好きなようですし、甘味も味わえる食事処を探しましょう。それから、聖女殿と揃えてつけられるようなものでも買い与えましょうか)
カーディナルだって一応は聖職者の端くれだ。アディトにも何度か足を運んだことがある。案内役を買って出るのに不足はない。「時間があれば一緒に街を見て回りませんか?」隣のスミレにそう提案すれば、スミレは若干怪しげな挙動を見せたものの頷いた。「わたしだけ遊んでていいのかな……」とスミレは申し訳なさげに呟いていたが、そもそも大教会にいたところで彼女にできることは何もない。気になるなら土産でも買っていけばいいだけだと言えば、スミレはすぐに気持ちを切り替えられたようだった。
ひとまず、禊の旅の最初の目的地であるサント=ジョフロワ大教会まで馬車を走らせる。白亜の教会の尖塔の頂点では、そこがラムグルナに属していることを示すように国章である踊る炎が刻まれた旗がはためいていた。同じものは王城の頂上や謁見の間にも掲げられている。
「あ……」
この大教会を預かっている大司教の歓待を受け、カーディナル達は大教会の内部に足を踏み入れる。礼拝堂を通過していたとき、スミレの足が止まった。もともとカーディナルとスミレは最後尾を歩いている。歩みを止めても、誰にも気づかれなかった。
その視線の先を追うと、荘厳なパイプオルガンがある。音楽に疎いカーディナルでも、とても大きなそれはさぞ高名な職人が作った立派な品なのだとわかった。さすがは大教会、備品一つとっても最高級品のようだ。
「侍女殿は、あれに興味がおありのようですね」
「……はい。わたし、一応ピアノが弾けるんです。あんなすごいオルガンを演奏できたら、きっとすごく楽しいだろうな、って。あそこまで高そうなもの、下手に触るのも怖いですけど」
スミレは気まずげに笑って再び歩き出した。カーディナルも距離の空いた一行の後を追う。「聖女様には女神の間で一晩祈りを捧げていただきます」「祈りの儀が無事に終わるまで、随行者の方々はお好きなところでお過ごしください」「滞在先はこちらでお世話させていただきます」案内役の修道女の言葉を流し聞き、リリとともに女神の間に来る。案の定、クロード達はリリの側にいるようだ。邪魔者のカーディナルはスミレを連れてさっさと出ていった。
大教会内部の貴賓室が一人一人にあてがわれるらしい。そこに荷物を置き、大教会前で待ち合わせる。部屋の前では急かしているようで何かと都合が悪いと思ったからだ。しかしスミレの準備はカーディナルが思っていたほど時間がかからなかった。
「おや、お召し物はそのままでよろしかったのですか?」
「わたし、高校の制服と替えのメイド服しか持ってなくて。やっぱりだめでした?」
別れたときと大して変わらない侍女服姿のスミレは、恥ずかしそうにスカートをつまむ。違いと言えば白い帽子を外していることぐらいだが、多少の堅苦しさが消えたとしても制服は制服だ。あまり散策にはそぐわない格好のように思えた。
「だめというわけではありません。ですが、私用で回るわけですから、もう少し気楽な格好をしてもいいと思いますよ」
「カーディナルさんだって祭服のままなのに……」
「祭服と言っても、しょせんは平服のそれです。私にとってはこれが私服ですので、何も問題はないかと。……お嫌でなければ、そちらの買い物にも付き合いますが? とはいえ、荷物持ち程度の役目しか果たせませんがね」
「え!?」
何気なく言うと、スミレは顔を赤くしてばっとカーディナルを見た。すぐに視線を彷徨わせ、意味を持つ言葉にならない呟きを繰り返す。逡巡の果て、「……おねがいします」絞り出した声はか細く震えていた。
「わかりました。では、行きましょうか」
「あ、あの、カーディナルさん。い……いつも、女の子に、そういうこと言うんですか。これまでみたいに優しくしてるんですか」
「はい?」
振り返り、半歩後ろを歩くスミレを視界に収める。華奢で小柄な少女は俯いて肩を震わせていた。
今、カーディナルの前には二つの選択肢がある。ここで選択肢を間違えれば、侍女は聖職者の厚意を本気にするだろう。そうなったら彼女は、わたしにそんな気はないときっぱり拒絶するかもしれないし、聖女が恋敵になることを恐れて聖女が聖職者に興味を抱くことを拒むかもしれない。どちらにせよ、それはカーディナルの望むところではなく、侍女を懐柔するという目的を超えている――――それなのに。
「……いいえ。貴方だけですよ」
「ッ!」
スミレの心を踏み躙る、残酷な言葉を吐く。
嘘は言っていない。けれど裏はある。あくまでも聖女に近づく手段として、侍女を踏み台にしているだけで。優しくしているつもりはない。懐柔したいだけだ。それは純粋な厚意ではないし、ましてや好意なんてものでは決してない。
最初こそ、ただの親切心だったけれど。カミーユに煽られて火がついて、それ以降の振る舞いはすべて計算だ。ああ、なのに何故、間違っているとわかっている選択をしてしまうのだろう。そんなことを言って、後で苦しむのはスミレなのに。後悔するのは自分なのに。
「あ……ありがとう、ございます……!」
スミレは険しい表情を一転させて、とろけるような笑みを浮かべた。スミレのそんな顔を見たことがあるのは、スミレが感情豊かな少女だと知っているのは、きっと自分だけだろう。
しかめっ面にしか見えないが、けれどよく観察すれば感情の起伏が激しい表情の少女。それでも笑みだけは固くぎこちないものが多くて、だというのに時たま安心しきったような柔らかい笑顔を見せる。何度見ても、その顔を前にするたび胸が締めつけられるようだった。
(私の本心を知れば、彼女がこの笑みを見せてくれることもなくなるのでしょうね)
スミレはカーディナルの作為的な厚意を、好意と受け取ったのだろう。そのうえで彼女はそれを受け入れた。突き返すことをせず、礼まで言って微笑んだ。言う必要のなかった甘い囁きでわざわざスミレを絡め取った意義は果たせた。それに囚われたのは、カーディナル自身でもあったが。
ひな鳥のように後をついてくる少女のことを思って奥歯を噛みしめる。彼女の笑みを見たいだなんていっときの欲に惑わされ、可能性に過ぎないそれに賭け、一番大事な選択をわざと誤った。その反動はとても大きく、きっともう取り返しがつかないことになるだろう。スミレを人扱いしないクロードに憤りながら、自分はスミレをおもちゃのようにもてあそんでいる。スミレのことも考えないで、自分のことだけ考えて。そんな自分に対しても吐き気がした。
それでも、あの日の誓いを反故にする気はない。目的のためなら利用できるものは何だって利用するし、それについて心は痛まない。痛んではいけない。孤独に震えて泣いていた幼い少年を、他でもない自分が裏切るわけにはいかないのだから。




