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何をすればいいか解らないまま、頭に知識だけ詰め込んできたのだ。やりたいことなんて考えずとも、勉強することならいくらでも出来る。それに疑問を抱いたこともなかった。
鯨の視線に、急かされるような感覚を抱いた大介は、どうにか答えをひねり出す。
「……安泰?」
大介は思い出したのだ――担任の教師が、「大介君は春日中学でも成績優秀だし、将来安泰だな」と言ったことを。だから彼は、それを将来の夢として答えてみたのである。すると鯨は、なんだか複雑そうに顔をしかめた。
「何かダメでしたか」
「いや、ダメってわけじゃないんだが……大介君はそれでいいのか?」
「別にどっちでもいいけど、先生はそれがいいって言ってました」
ううん、と鯨が唸る。鯨は「ダメってわけじゃない」なんて言っていたが、大介としては、なんだかダメだと言われたようにしか思えない反応だった。もっと具体的な方がいいのだろうか、と「いっぱいお金を持って、いい生活が出来て」と説明してみる。「先生の受け売りか?」と聞かれたので頷けば、鯨は短い黒髪をかいた。
「……ま、それでもいいんだけどなあ。先生には先生の考え方があるだろうし、子供が皆夢を抱いてなきゃいけないわけでもないし」
「そのわりには、全然良さそうじゃないです」
「いやいや。ごめんな、こっちから聞いといて」
「それは別にいいですけど」
大介の言葉に頷いた鯨は、「そういえば、犬が好きなんだって?」とあっさり話を変える。
「特にどの犬が好きなんだ?」
大介はパッと顔を輝かせた。
「どんな犬でも好きです。大型犬は大抵キリッとしてかっこいいし、もふもふしてるし。小型犬はちまちま歩いてるのがすごく可愛いし。俺も犬に生まれて、犬としゃべりたかったです。すごく後悔してます」
「後悔して終わる話なのか?」
鯨は喉を鳴らす。大介が大きく頷くと、彼は「そうか」と言ってますます愉快そうに笑った。
それから大介は、ずっと犬について語っていた。ゴールデンレトリーバーからコリー、ポメラニアン、チワワ、はてはブラック・アンド・タン・クーンハウンドに至るまで、その愛らしさを説明する。鯨は退屈そうなそぶりを見せず、うんうんと聞いてくれていた。
そうしてそろそろ語りが佳境に入ろうという時に、車内アナウンスが、もうすぐ春日駅に到着する旨を告げた。まだ言いたいことがあったのに、とうなだれる大介に、鯨が「また遊びに来い」と笑う。交番ってそんな気軽に行っていいものなのかな、と大介は思ったが、まだ話したいのは彼の方だったので、大介はすぐに頷いた。
*
大介達が春日駅に到着した頃には、空は真っ暗になっていた。浮かんでいるはずの星々は、ビルの明かりに掻き消されて、ひとつも見つけられない。大介がくしゃみをひとつすると、「帰ったらすぐ風呂にでも入れよ」と鯨が言う。
「体冷えてるだろ。風邪ひいちまうからな」
「ん」
「でも、結構時間かかっちまったな」
鯨がホームにぶら下げられた時計に視線をやる。時刻は二十二時をまわってしまっていた。
「大介さ、設定としては“朝一番に塾に行って、この時間まで勉強してた”ってことになるんだよな?」
話しているうち仲がよくなった二人は、知らぬうちに言葉が崩れていた。鯨は大介を呼び捨てにしているし、大介も敬語が取れてしまっていた。
「うん。そういう設定」