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「水商売ってなんですか。水を売るんですか」
ジュースにした方がいいです、と真剣な無表情で忠告してくれる大介に、鯨は痛むこめかみを押さえた。
更に大介が、「そういえばさっき入った店では、イケメンなお兄さんに囲まれてごはんを食べました。びっくりするくらい高かったので、夕飯代として持ってきてた五百円じゃ、全然足りませんでした。それで、イケメンのお兄さんの提案で、ツケというやつにしてもらいました。水商売ってことは、あれは俺が頼んだ水がすごく高かったんですか」なんて付け足したので、眩暈を起こしそうになる。
あとで店の名前を聞いて、厳重注意をしに行かねばならない。勿論、ツケの撤回もさせるべきだろう。ほぼ間違いなく大介は騙されているだろうし、そうでなかったとしても、見るからに未成年な彼を相手に接客したのだから、落ち度は店の方にある。
「おまわりさん、ここの水はそんなに高いんですか」
まだボケたことを言っている大介に、「そういうわけじゃないよ」と簡潔に答えながら、鯨は考える。とにかく、彼を保護するところから始めた方がよさそうだ。近くに同期や先輩が在中している交番がある。そこに連れていくことにして、鯨は笑みを浮かべた。
「とりあえず、大介君」
「ん」
「まずは交番に行こう。自転車で来てるんだったよな? 一緒に取りに行こうか」
「自転車は、夜ごはんを食べてる間に盗まれました。鍵をつけっぱなしにしてしまったから」
「…………それなら、あとで盗難届を出そうな」
「お願いします」
ぺこりと頭を下げた大介に乾いた笑い声を立てながら、鯨は自身の自転車を押して大介の隣を歩いた。大介はひたすら無表情で、とことことついてくる。
「……それにしても、本当によくここまで自転車で来たな」
「頑張りました」
「頑張りすぎだよ。サーカス代があるなら、電車代も出せばよかったのに」
「足りませんでした。ギリギリ三十円」
「三十円なら、友達とかご両親に借りればよかったんじゃないか?」
「親も友達もいません。お姉ちゃんと二人暮らしです」
冗談かと思ったが、大介は真面目な顔をしている。なんだかまずい話を振ってしまった気がして、鯨は「た、大変そうだな」なんて曖昧な相槌を打った。大介も、それ以上何も言わない。しかし、見知らぬ土地で迷子になって不安で口数が少ない――なんてことではなさそうだ。むしろ、興味深そうにあたりをきょろきょろと見回している。
鯨は、適当に雑談を振りながら進んでいった。しばらく歩くと、前方にいた女性の集団が目についた。キャバクラの前でたむろして、やかましい笑い声をたてている。鯨が頬をひきつらせると同時に、女達がふとこちらを見た。大きく胸元の開いたワンピースを着た一人の女性は、くすんだ金の髪を揺らしながら寄って来る。
「鯨じゃん。お仕事ご苦労様」
鯨は笑みを返しながら、内心困惑した。別に彼女らが嫌いなわけではないが、今声をかけられるのはあまり嬉しくない。眉を下げてちらと大介を見れば、彼は黙って一歩引いていた。つけまつげをバサバサとさせて、魔女のように長い爪を装着した彼女らの姿は、大介に警戒心しか与えなかったようだ。
一方、大介に気付いた女性達は、パッと顔を明るくする。
「やだ、見て、なんか子供がいる」
「ほんとだ、なんかいかにも田舎の子って感じ。何も知らなさそう」
「何、鯨の隠し子?」
キャッキャと騒ぎながら、彼女らは大介を取り囲もうとした。鯨は溜息をついて大介を背中に隠してやりながら、「違ェよ」と言い返す。
「あのな、どう考えても年齢がおかしいだろ」
「そんなこと言って、鯨の子なんでしょ? 大丈夫だよ、ウチら口固いから」
「どこがだよ。ていうか、この子は迷子なんだ。あんまりこの辺に慣れてないから、変に絡むな」
「え、迷子なの? こんなところに?」
「へえ、可哀相」
「てか、ウチら別に変に絡んでねえし!」
げらげらと笑いながらも、彼女らは一歩引く。その瞳はまだ、品定めするかのように大介に向けられていた。鯨は、その大柄な体躯でもって、改めて大介を背中に隠してやる。