少年、迷子になる
秋の日はつるべおとしとはよく言ったもので、この季節は日中から夜にかけての時間が非常に短い。先程まで明るかったと思ったのに、ふと見ればもう空は暗く染まっている。
十月ともなると空気も冷え込んできていて、鯨――その大柄な体ゆえに、金堂優馬は鯨というニックネームで呼ばれていた――はぶるりと身を震わせた。ライトの点いた自転車を押して、彼は繁華街の道路を進む。先程までたむろっていたはずの学生達は、いまや客引きへとすりかわっていた。ライオンのように髪を逆立てた青年が、ワンピースを纏った女に声をかけている。
誘うように鮮やかに輝くネオンの明かりは、鯨にはもう慣れたものだった。なにせ、彼はここ数年、毎日同じ時間にこの繁華街を訪れているのだ。それこそ、風景なんて飽きるほど見ているし、顔見知りだって多い。
すれ違った客引きの一人が、鯨を見てパッと顔を明るくした。
「寄ってけよ」なんて言う彼に、鯨は「職務中だ」と笑って返事をする。そして、今日もここは異常ないな、と内心で小さく呟いて、制服の襟をただす。
しかし、彼はそこでふと見慣れぬ存在を目にして、足を止めた。麻雀店の先で繰り広げられているその光景に、目を見開く。そしてすぐに我に返って、慌ててそこに割り込んだ。
「おい、こら、何してンだお前ら」
髪を金髪に染め、毛先を激しくうねらせたスーツ姿の青年達は、「あ?」などと柄悪く言いながら、厳つい顔で鯨を振り向いた。しかし、こちらを見るやいなや、慌てたようにわたわたとし始める。鯨が顔をしかめると、彼らはごまかすように笑った。
「お、お久しぶりです」
「久しぶりじゃねえよ。そこ退け」
「い、いや、それはちょっと」
言い訳をする彼らを押しのけて、鯨は彼らが取り囲んでいた存在の前に出た。
「こんにちは」
――そう言ったのは、詰め襟の黒い制服に身を包んだ少年だった。恐らく中学生――それも一年生ほどだろう。小柄な体躯をしていて、頬はまだあどけない丸みを帯びている。何故か妙に無表情で、目が合っても眉ひとつ動かさないその落ち着いた態度だけは、どうにも大人びているが――容姿だけで言うなら、彼は完全に“子供”だった。
気まずそうに身を縮める男達に、鯨は溜息をつく。
「……カツアゲか」
鯨の言葉に、男達は口をもごもごとさせながら、「そんなんじゃ」と言った。しかし最終的には、鯨の視線に気圧されたかのように「すみません」と頭を下げる。鯨は黙って、少年にちらと目をやった。少年は瞳をぱちぱちとまばたきさせ、こちらを見返す。そこに、怪我のあとのようなものは見受けられない。恐らく、今から暴力を振るって金銭を巻き上げようかという、一歩手前だったのだろう。
結局少し考えた末に、鯨は言った。
「……今回は見逃すが、次はない。次にもし同じことがあったら、お前らの働いてる店、風営法でしょっぴくぞ」
男達が頬を引き攣らせる。
「早く店に戻れ。遅刻したら罰金つくんじゃないのか?」
男達はもう一度顔を見合わせ、ばたばたと走り去っていった。鯨は溜息をつくと、改めて少年を見遣った。
「怪我はないか?」
少年はしばしぼんやりしていたが、やがて「ありません」と一本調子に答えた。何か変わった子だな、と鯨は首を傾げるか、その本音は今は飲み込む。
「……それで? 君はこんなところで何してるんだ」
問うたが、少年は尚もじっと鯨を見つめつづけた。まばたきすら控えめなその視線に、なんだか居心地の悪さを感じる鯨に、少年はようやく口を開く。
「お兄さんは、警察の人ですか」
質問を質問で返すな、という言葉をまたもグッと飲んで、鯨は頷いた。というか、警察以外の何に見えるのだろうと内心疑問に思う。
現在パトロール中の鯨は、勿論警察官の制服を着ているし、それ以前に、羽織った防寒具には思い切り“常緑市警察”と書かれているのだ。鯨は、まごうことなき警察官である。――まあ、実際のところ、本当に“ただの”警察官かと言われれば微妙なところなのだが、それは今少年に言うべきことではないので黙っておく。
そんな鯨の思惑を余所に、少年は「警察官」と呟いた。いっそ不気味に感じるくらい、感情のない声だった。なんなんだ、と首を傾げた鯨の制服を、少年が掴む。