表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

03

 それから週に一度、「通院」している。もちろん診察でもないし、診察券もないし、お金も払わないし、保険証も提示してない。こんなことは本当はいけないのだろうけど、彼ははじめて見つけた「仲間」を大歓迎してくれるようだった。

 話しをして、私は牛乳を、彼はコーヒーを飲む。そして点滴を打ってもらって帰る。点滴のことは病院にナイショ。こっそり分けてもらっている脱脂綿も、エタノールも、ナイショ。点滴を打ってもらうと驚くほど調子がいい。今まで調子が悪かったと言うことに気付くぐらい調子がいい。仕事もよくはかどった。

 3ヶ月ぐらい続いた。こんな心地がいい関係。毎週会った。だけどお互いに名前は知らなかった。必要が無かったから、どうでもよかった。ただ清潔な空間に居たいだけ。お互いにそう思っている。

 そうして初めて彼を私の家へ誘った。遊びに来て、と言った。彼なら私の家に入れても大丈夫だと思った。私の部屋を見てもらいたい気持ちもあった。

 彼が遊びに来る。玄関先で出迎えて、肩にブラシをかけて、消臭剤をかけたスリッパを置く。

「へぇ」

 と、彼は感心しているようだった。ちっとも汚れない。彼は清潔だから、私の部屋の空気を汚さない。

「僕、女性の部屋、っていうか、他人の部屋に行っても、5分と居れないんだ」

「私はその前に行こうとすら考えないけど。考えただけで吐き気がするから」

「でも、この部屋だったら大丈夫だ」

 大丈夫だ。嬉しくなった。

「リノリウムじゃないの」

 私が残念そうに呟く。

「床?」

「リノリウムがいいの」

 彼は私の部屋でもゴム手袋を外さない。だけど、防塵マスクは取った。

 一緒にシリアルに牛乳をかけて食べる。この食事を誰かと共有できるだなんて夢にも思わなかった。

 彼の前では私は白いままで居られる。彼もまた白いから。自然な笑顔も零れて来る。楽しい。幸せ。清潔。

「こんな気持ち初めて」

 私は笑った。

「私より清潔な人に出会えるなんて」

「いつから僕たちはこんな風になってしまったんだろうね?」

 彼が言う。彼は両親ともに「潔癖症」だから、彼の性格も容認されて、病室を一つ与えてもらえるぐらいの立場にある。

「私は、気が付いたら、かな」

 そこではた、と気付く。笑顔が消える。

「ん?なに?」

 私は生まれたときから清潔じゃない……?今まで触ってきた数々の不潔なもの。蓄積された私の汚れ。

 彼は私より清潔。私より清潔。私は清潔……?

 気付いてしまった。リノリウムではない床。見てしまった。フローリングに落ちる一本の髪の毛。

 この部屋には目に見えない埃が充満している。それを集めるパソコンだってある。どんなに漂白してもシーツは真っ白じゃない。今まで私が触れてきた沢山の人。沢山の物。蓄積されたものは拭う事が出来ない。溜まった汚れは消せない。「生きている私」が「汚い」

 ……汚い。私はキレイじゃない。皮脂、汗、垢、唾液、今食べたシリアルも、冷蔵庫の中のバナナの皮も、同じばい菌だらけの汚いモノ……

「あ。あ。あ……」

 目の前が真っ暗になった。この部屋はまだまだ「清潔じゃない」。そう、私は知ってしまった。「私より清潔」な人を。「この部屋より清潔」な空間を。リノリウムの床を。見てしまった。なのに彼を呼んでしまった。勘違いも甚だしい。私は彼を汚してしまう。

「あ、あ、あ、あ……」

 ぐっと吐き気がこみ上げる。一番汚い吐瀉物。何度も吐いた。私の胃の中から出てきたものを見た。私の皮膚。その下にある内蔵。汚い、汚い、汚い、汚い。

「汚い、汚い、汚い、汚い」

 血と肉で構成された私の体。人間なんて清潔じゃない!

「嫌!嫌!嫌ァァァァーーーーー!!!」

 発狂、シタ。

 もう私は正常では居られなかった。元々正常じゃなかったのかもしれない。もう無理だ。全てが崩れた。自分の不潔さに気付いてしまった。

「ちょっと……落ち着いて。何も考えないで。」

 彼が私に駆け寄る。私はうずくまって震える。

「汚い汚い汚い汚いぃぃ!!」

 チカチカした。声の限り叫んでも、口から唾液が無くなる事は無い。全て消毒してしまいたい。キレイに、キレイに、排除排除排除。排除されるべきは私だ。

「落ち着け!」

 彼が白衣を脱いで、それで私を頭から包んだ。

 消毒液の匂いがして少しだけ落ち着いた。

 だけど流れ出る涙にまた私の心は揺れた。

「嫌ァァァ!嫌ァァァァ!」

 泣き叫ぶ私を抱えて、彼は私を家から連れ出してくれた。彼の腕の中で、彼の白衣に包まれて、そこに人らしい匂いは欠片も感じられなかったことに、ホッと胸をなでおろした。




 気が付くと、いつもの病院の、いつものベッドに居た。頭がボーっとして、霞む視界の先に点滴のパックとマスクをした彼の顔が見えた。

「大丈夫?気が付いた?」

「う……ん……」

 あれからどうやってここに運ばれたのか解らない。彼が私の髪の毛を拭いている。一本一本丁寧に。清められていく……

「精神安定剤が入っているから、少し眠ればいいよ。何も考えずに」

 そうだ。排除排除排除。

 薬は私の思考に靄をかけてくれる。それに導かれるように私は眠った。




 目覚めても、もうあの家に帰ることは出来なくなった。彼に頼んで荷物を持ってきてもらう。病室を一つ与えてもらった。手続きはどうなったのか知らない。私の服は白いワンピースが3枚。それだけで充分だった。

「入院」した初日、彼に髪を切ってもらった。長い髪は不潔だったけど、誰かに触られて汚れるのはもっと嫌だった。だから清潔な彼に切って貰った。バッサリショートカットに。ああ、また清められた。私は満足だった。

 食事は彼が持ってきてくれた。バナナとシリアルが多かった。大好きな牛乳は毎日持ってきてくれた。私は彼の手からしか食事をしなくなった。彼以外は部屋に入れない。他の医者が私を診ることは永遠にないし、看護婦が私の世話をすることも無い。

 排泄の瞬間が一番苦痛だった。部屋にトイレは付いているけど、自分で毎日掃除をするけど、彼も来て掃除をしてくれるけど、それでも体の中から汚物が出ることは耐えられなかった。

 自然に食事の回数が減り、点滴の回数が増えた。

 週に2~3回点滴が打たれるようになると、生理が無くなった。私は狂喜した。排泄の回数も減っている。どんどんどんどん「汚れ」が浄化されていく。

 私の体力が磨り減り、一人で歩くことが出来なくなった。たまに車椅子に乗せて公園へと連れて行ってくれる。服も白いワンピースから白いパジャマへと変わった。

 私は私がどんどん病人になっていっていることに気付かなかった。ただ日に日に青白くなっていく肌を綺麗だと思い、歓喜した。

 点滴の回数がほぼ毎日になった。食事はもう何日もしていない。これからずっと食事なんてしなければいいのにと思った。点滴には精神安定剤が含まれていて、すぐに眠くなる。幸せだった、何もかも。毎日髪を拭いてくれる彼も大好きだった。

 眠気に誘われてゆっくりと瞳を閉じる。眠りに落ちる瞬間、マスクをした彼の唇が耳元で囁いた。


「そう、そんな君を待っていた」






END.

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ