第4話 ヴァルダのスパイ
ようやく足を踏み入れた収容所内。煙と熱気がグレウを一度に襲った。鼻がおかしくなりそうなほど、強い火薬と血の匂いが充満していた。
空っぽの胃から何かが飛び出てしまいそうだ。
鼻と口を手で強く押さえながら、及び腰で一歩ずつ前に進む。
そして、そこで見た景色に目を見張った。
床に転がっているのは全て焼死体だった。顔も形も皆一様の、ただの黒い塊。それが兵士なのか、捕らえられた捕虜なのかの判別もつかなかった。焦げた匂いと共に沈黙している。
少し前までは、あの圧巻な軍隊の一部として呼吸をしていたのに。
ただの虐殺だ。
ーーいや、違う。仕方なかったんだ、これは。俺達だってやらなきゃきっと殺されてた。ここで殺さなきゃ、ヴァルダは負けていた。
煙を吸いすぎたせいか、ガンガンと激しく痛む頭を押さえた。
捕虜が全滅しているということは、民間人も虐殺されたということだ。
それを受け入れるための理由を求めてグレウは考え続けた。
すると、足早に前へ歩いていった大佐からの視線に気づいた。大佐はこちらを振り返ると、グレウに向かって言い放った。
「まだ奥の方には生きている人がいるから。手当てを頼みたいんだ」
それだけ言うと、大佐は焼け焦げた部下たちを避けるようにして再び歩き始めた。
その淡々とした言葉に了承するしかなく、置いていかれないように大佐の後を追った。
奥へ進むと焦げたような匂いが薄まり、代わりに生々しい血の匂いが強く漂ってきた。
まだ息を残しているであろう、満身創痍の体がいくつも倒れている。激しい出血によって、冷たい床が赤く染まっていた。
そして、その中にはエドルの姿があった。グレウは咄嗟に駆け寄り、エドルを見下ろした。
「おい、お前……」
額から血が流れ、左腕が妙な角度に曲がっていた。
目は虚ろに開かれたままだったが、辛うじて意識はあるようだった。
グレウはその場にしゃがみ、医療班として持たされた救急バッグを床に下ろした。
「……とりあえず、その腕ーー」
グレウの言葉を遮るように、エドルは正常に動く方の腕を奥へ向け、指差した。
「……さ……」
「え?」
「……しょう、さ。……さきに……」
少佐を先に。
掠れて途切れ途切れの声だったが、そう聞こえた。
グレウは立ち上がり、奥に転がるオリーブ色の頭部を見つけた。
彼に向かって足を進めようとしたがーーピタリと足が止まった。
一度、ゆっくりと瞬きをする。
数秒の沈黙の後、グレウは再びその場にしゃがみ込んだ。そして、横たわるエドルに向かって告げた。
「死んでるよ。もう」
腰から下が無かった。
エドルはその言葉に何も返さなかったが、差し出していた腕から力が抜け、ゆっくりと指がほどけていった。
グレウは黙って救急バッグを開けた。
ー
だいたい半日が経過した頃。
収容所の開けたスペースには怪我人が集められ、数少ない医療班からの治療を受けていた。
グレウは包帯を手にしたまま、負傷したエンテ軍人を見下ろす。男は痛みに耐えているのか、唇を強く噛み締めていた。
グレウの脳裏に、黒煙と焼死体の光景がチラつく。ヴァルダの行った行為の結果を直接突きつけられたのは、これが初めてだった。
「………」
包帯を持った手が動かなかった。
すると、背後から声がかけられた。
「ちょっと、グレウ。早く手動かして」
ラミーの声だった。だが、いつもの軽やかな声とは打って変わって、機械的で疲労が滲んだような声色だった。一瞬誰か分からなかったほどだ。グレウは遅れて返事をした。
「……あっ、ああ。ラミー、無事だっーー」
振り返り、ラミーの姿を目にした瞬間に声が詰まった。
「……それ、目。どうした」
ラミーの右目には、血の滲んだガーゼの上から薄く包帯が重ねて巻かれていた。
ラミーは感情の失せた表情で返す。
「破片が飛んできてね。それより、グレウは怪我してないんだから早く動いて」
「……ラミーは、その状態で動いて大丈夫なのか」
「うん。片目あれば手当てはできるから」
「………」
「そういえばグレウって記憶喪失なんだっけ。じゃあ、こういうのにも早めに慣れた方がいいよ」
それだけ言うと、ラミーはすぐに次の治療へと戻っていった。背を向けられ、グレウはどうすることもできずに、大人しく目の前の兵士の治療を始めた。
もはや、鉄の匂いには慣れてきていた。
あらかた治療が終わった。お世辞にも綺麗とは言えない包帯の巻き方だったが、血の滲んだ唇を動かし、男は「ありがとう」と感謝を伝えてきた。
「……そういや、あの子供があっちの部屋に向かったが。大丈夫なのか」
男がふと思い出したように尋ねてきた。
子供とはマリシャのことだ。
「あっちの部屋って……?」
男は目線を奥にある、重そうな金属製の扉へ向けた。
「安置所だよ」
グレウが反応した。
安置所とは、あの焼死体たちが集められている部屋だ。一体何のために、と思ったが、すぐにマリシャの父親の件を思い出した。
「……少し見てくる」
グレウは立ち上がり、安置所へ向かった。
重い扉を開けると、すぐ目の前にマリシャがいた。背を向けたまま、ぽつんと立ち尽くしている。
グレウは異臭に眉をしかめた。マリシャに声をかけるよりも、自然とマリシャの背景に目が向いていた。
酷いものだった。
黒い焼死体はそのまま縦一列に並べられていた。貴重な布は怪我人の手当てに回されるため、冷たい床の上に直接横たわっていた。
あれでは、誰が誰かなのかさえ分からない。たとえば、あの中にヴァルダ人がいようと、悪魔がいようと判別などつかないはずだ。
そこまで考えて、自分が思い描いた思考の恐ろしさに遅れて気づき、ぞっとした。
燃やしてしまえば種族も国も関係ない、と自分は考えたのか。今、自分たちはその違いの一点のために殺し合っているというのに。
「許さない」
「ーーえ?」
突然、グレウの思考を割り込むようにして入ってきたマリシャの声。
「あなた達のせいで、みんな死んだ。……私のお父さんも」
グレウは咄嗟に口を開いたが、何の言葉も出てこなかった。グレウが彼女に何かを言う資格など微塵も無かった。
「許さない」
うつむいたマリシャの声には、恐ろしい呪詛のような響きがあった。
しばらく重苦しい沈黙が続いた。グレウは、どのような感情から湧き出ているのかも分からない汗を感じながら、ただ突っ立っていることしかできなかった。
どのくらい時間が流れただろうか。突如、背後の扉が強引に開いた。
バンッと強い音をたててグレウの背中に直撃した。
「いっ!」
「こんなとこで何してんだお前」
入ってきたのはエドルだった。謝罪の一言もなくズカズカと踏み込んでくる。
だが、部屋の中で佇むマリシャの背中を見て事情を察したのか、一瞬押し黙った後、グレウの首根っこをひっ掴んだ。「ちょっと来い」とだけ言うと、グレウを引きずるようにして部屋を連れ出した。
マリシャはその部屋に一人残され、嵐のように去っていったグレウの後ろ姿を睨み付けていた。しばらくして二人の足音が聞こえなくなると、マリシャも静かに部屋を後にした。
強い消毒液と鉄の匂いにはもう慣れて、マリシャはあてもなく怪我人たちの間を歩いた。
ふと見ると、ラミーの後ろ姿があった。一人の兵士に向かってテキパキと手を動かしていたが、やがてその動きがピタリと止まり、ラミーは血に染まった自分の腕を兵士の胸の上にそっと置いた。
ラミーは痛みに耐えるかのように腰を曲げ、跪くようにして小さくなった。
徐々にその肩が震えはじめ、押し殺した泣き声が漏れ聞こえてくる。
マリシャは遠くからその光景を眺め、スカートの裾を強く握った。
「おっ、おい。なんだよ急に!離せ!」
強引に引きずられていくグレウが激しく反発する。エドルはパッとグレウの首元を離すと、振り返った。
「……仕事だ。黙ってついてこい」
真剣な眼差しで言われ、グレウはいじけながらも後を追うしかなかった。
エドルは階段を上り、二階へ向かう。鉄の段差を踏むカツカツとした音だけが響く。
チラリとエドルの左腕を見る。雑に包帯で巻かれ、三角巾を使って首から吊るされていた。上等兵にしてはガサツな処置だったので嫌味の一つでも言ってやろうかと思ったが、その処置をしたのが自分であることを思い出し、グレウは黙った。
やがてたどり着いたのは、殺風景で暗い部屋だった。窓も無く、充満する埃っぽさにグレウは思わず咳き込む。
エドルは唇の前で人差し指を立てると、床に座った。グレウは頷くとエドルの向かい側に距離をあけて座った。
エドルは壁際に置いてあった木箱を静かにずらす。すると、壁に穴が空いているのが見えた。子供一人なら通れそうなほどの大きさの穴だ。だが、反対側の部屋の壁には何か立て掛けられているようで、部屋の中の様子までは見えなかった。
すると、その穴の向こうから声が聞こえてきた。
エドルとグレウの潜んでいる部屋の隣。
ここも変わらず殺風景で、灯りはテーブルの上の蝋燭だけだった。
部屋の中には、白い軍服を纏った三人のエンテ軍人が集まっていた。大佐と中佐、そして医療班長の女性だ。
「ーーとにかく君の処分については後だよ。あの時現場にいなかった私たちに、君の選択を責める権利は無い。そもそも、非常時の指揮権は君にあったんだから」
大佐が、深く頭を下げる中佐に向かって静かに告げた。中佐はしばらく黙り込んでいたが、やがて絞り出すように「……はい」と返事をし、顔を上げた。
重苦しい空気に耐えかねたように、中佐は自身の右腕を擦ろうとしたが、爆発で肘から先を失くしたことを思い出し手を止めた。失われた腕の先で、軍服の袖が所在なさげに揺れている。
「そうですよ~。それより、今から話さないといけない本題は別のことでしょう?」
医療班長のピアタがのんびりとした口調で口を挟んだ。彼女は椅子に座り、横に松葉杖を掛けていた。頭と首に白い包帯が巻かれ、目の下には薄い隈ができていた。
「どうして作戦が失敗したか、ですよね?」
首を傾げると、癖のある暗い栗色の髪がゆらりと揺れた。
大佐は頷いた。
「そう。今回はエンテ軍が特攻するより前に捕虜が焼き殺されていた。更に、エンテ軍が突入した直後に爆発が起きた。これは事前にこちらが何をするか分かっていないとできないことだからね。作戦が敵に漏れていたことは間違いないよ」
「つまり、ヴァルダのスパイが紛れ込んでいるって言いたいわけですね?」
飄々とピアタが言い放った。
動揺が走った中佐とは対照的に、顔色一つ変えず大佐は「そうだよ」と返した。
「それ以外に考えられないからね」
「……ですが、大佐。そういった行為を防ぐためにも、兵士達には五人組での互いの監視を命じています。目立った行動はできないはずです」
「その五人組の編成も、確か完全ランダムでしたよね?五人全員で協力してました~というのも、無理がありそうですね」
「それに、もし兵士に紛れ込んでいるのだとしたらリスクが高すぎる。今回の作戦では……兵士の、約八割が命を落とした。その中に自分が含まれないという保証は無かったはずです」
大佐は黙っていた。その様子を見たピアタは、どこか面白そうに唇の端を吊り上げた。
「あぁ~、成程。じゃあスパイはこの三人の中にいる、と?」
大佐の眉が一瞬ピクリと反応したが、すぐに元の涼しげな顔に戻った。
「……は、どういう意味だ、ピアタ!」
「そのまんまの意味ですよ?兵士の可能性が低いなら、互いに監視が無かった我々が怪しいと。そう考えるのは自然なことでしょう」
やがて、大佐も口を開いた。
「……私もそう考えているよ。私達は、実際に手紙を介してやり取りをしていた。その手紙の内容を書き換えることも可能だったわけだからね」
ピアタは納得したように頷く。すると大佐と中佐の目線は、自然とピアタへと注がれていた。
「……ですよね~。はいはい、手紙の置く場所を決めたのは私ですよ。でも、それだけじゃ根拠としては薄いでしょう?それに……ほら、私怪我してますし。こんな体でスパイ活動なんてやってられませんよ」
ピアタは太股を持ち上げ、包帯でぐるぐる巻きにされた痛々しい足を見せた。
「これは南方の町で敵にやられたんです。危うく片足持っていかれるところでしたよ」
「だったら、俺だって右腕を失くしたんだ」
中佐はひらひらと揺れる軍服の右腕の部分を見せつけた。
大佐は冷静に告げる。
「二人がどれほど重傷を負っていようと関係はないよ。もし相手が悪魔なら、傷を再生させることができるからね」
沈黙後、ピアタは「確かに」と呟いて足を下ろした。
「とりあえず、今はこう言ったけれどスパイが一般兵士の中に紛れている可能性もゼロじゃない。二人は注意深く見張るように」
「「はい」」
その後は今後についての簡単な取り決めを行い、中佐とピアタは部屋を後にした。
隣の部屋でそのやり取りを盗み聞きしていたグレウは、エドルに向かって小声で問い詰めた。
「……おい、どういうことだよ。何で、俺にこんなものを」
語尾が震えるのをなんとか抑えた。目の前の男が何を考えているのかまるで分からなかった上に、そのスパイの正体がグレウだと言われているような気分になったからだ。
エドルはグレウの問いを無視して、そのまま部屋を出ていく。グレウは焦って後を追った。
すると、エドルはそのまま隣の部屋の扉をノックした。先程まで大佐達が話をしていた部屋だ。エドルは「失礼します」と短く告げて、扉を開け中に入った。グレウもそれに引っ張られるようにして室内へ踏み込んだ。
室内では、大佐が机に肘を突き、静かにエドルたちを見つめていた。エドルは机の前まで進むと、手を後ろで組んで直立した。
大佐の整った顔立ちが揺らめく燭台の火に照らされ、赤茶色の濃い陰影を作り出している。
「エドルから話は聞いているよ」
大佐が突然視線を合わせてきたことに、グレウは息を飲んだ。
「……は、話……?」
「うん。さっきの話を聞いていたよね?単刀直入に言うと、君にヴァルダのスパイ探しをしてもらいたいんだ」




