第10話
「この――馬鹿野郎がッ!」
リディアナは自分の目を疑った。
イリュネアの首からネックレスが飛び出るや、〝魔本〟として〝衝喚〟されたのだ。
その〝魔本〟を、リディアナは知っている。
はるか先の未来で、イリュネアが手にするはずのそれは――。
「手ェ伸ばせ! 〝誓約〟すンぞ!」
リディアナは反射的に手を伸ばしていた。
イリュネアとは距離があるが、その〝魔本〟があれば関係ない。
「〝タイム:ロールバック〟!」
〝時の魔本〟。
あらゆるモノ、あらゆる場所、あらゆる人を対象に、変幻自在に時を操る――それが、イリュネアが将来手にするはずの〝魔本〟。
巻き戻ったのはほんの数秒。
落ち行くばかりだった体が、数メートルほど上昇する。落ちていく感覚そのままに上から吊り上げられるのは、実に妙な気分だった。
そのおかげで一気にイリュネアと距離が縮まり、その腕を互いに取る。
「〝我は汝と約する――私が助ける〟!」
「〝我は汝と約する――今度こそ死なせねェ〟!」
互いの右手の甲がカッと光り、〝誓紋〟が現れる。
それは〝誓約〟が成立したのと同時に、〝魔王〟イリュネアの降臨も示していた。
「掴まってろ」
言われずとも、リディアナはイリュネアの首に抱き着いた。
イリュネアはわずかな重心移動で塔の壁に手を触れ、過ぎ行く窓のサッシをつかむ。二人分の体重を左腕一つで受け止めたのだ。
「ったく……。無茶しやがる」
「うう……。体が動いたんだから、仕方ないじゃない」
「とりあえず、上に戻ンぞ」
〝誓紋〟による恩恵は、個々で異なる。
〝魔王〟イリュネアの場合、武器召喚と身体強化。身長ほどの幅広な大剣を、山をも砕くパワーで振りぬく。
いかなる魔法も真正面から打ち砕く、正真正銘の純正パワータイプ。
それが〝誓紋〟の恩恵を活用したイリュネアのスタイル――そのはずだった。
「――え?」
「フン……。ま、想定通りか」
リディアナは、てっきりイリュネアが地面を蹴って飛ぶものだと思っていた。
その衝撃に備えていたというのに……音もなく、突風もなく、五階の空き教室に戻っていた。
「なにが起こって……?」
「私の〝誓紋〟に〝時の魔本〟の力が組み込まれた……ってこったな。小技なら〝代衝〟なく力を使える」
「……! そんなことが……?」
「まァ、見てろ。――〝タイム:リペア〟」
イリュネアは確かに〝魔本〟をネックレス化している。
手元に〝魔本〟がなければ、その力を使うことはできないはず。
だというのに、彼女が手を向けただけで、魔王により破壊された教室の壁があっという間に修復された。
「なにそれ……知らない」
「私もだ。――けど、お前もできるだろ」
「……え?」
「簡単だ。いつもみてェに念じるだけだ。ほら、私を閉じ込めてみろ」
〝魔本〟の使い方は実に簡単。
頭の中にイメージを思い浮かべて、それが現実に現れるように祈るだけ。
いつもは〝魔本〟を〝衝喚〟せねば闇の力は具現化しないが――驚くほどスムーズに、イリュネアを閉じ込める〝黒キ茨〟が発現した。
――〝魔本〟には〝代衝〟が伴う。
〝魔本〟の力は、借りものに過ぎない。
借りたからには、相応の代償を支払わねばならない。
だが、たった今、〝魔本〟を使わずにその力を使うことができた。
たとえ威力が小さかろうと、その理から外れることができたのだ。
その事実に、リディアナは吐き気にも似た恐ろしさを覚えた。
「――で。お前は、何なんだ?」
イリュネアが〝黒キ茨〟を片手で払い、〝魔王〟と謳われるにふさわしい鋭い目つきを向けてくる。
「何って、それはこっちの台詞よ。入学したてなのに、なんだって――」
「質問を変える」
まるで黙れとでもいうかのように、イリュネアがかぶせて言う。
リディアナはその迫力に口を縫い付けられた。
「私は、お前を何と呼べばいい?」
その問いかけの意図がわからず、リディアナはきょとんとするばかり。
何をどう答えればいいか口ごもり……そこで、彼女の目つきが少しばかり変わったのに気がついた。
「――なァるほど。しわ寄せがお前らに行ったか」
「お前ら……?」
イリュネアが何に納得したのか。彼女が何を見出そうとしたのか。そもそも何をどこまで知っているのか。
なにもかもが不思議でしかなかったが、一つだけはっきりとしたことがある。
「あなたは――〝魔王〟イリュネアその人なのね?」
「ま。こいつを見りゃァ、明白だわな」
ネックレスとなった〝時の魔本〟を親指で引っ張り出して見せて、ニヤリとする。
それが意味するのは、彼女が遥か未来からタイムスリップしてきたということ。
苛烈な性格であることも、ずば抜けた身体能力を有していることも、〝魔本〟について熟知しているのも、それで説明がつく。
何より。
先ほど見せた一瞬の目つき。
〝リディアナ・ニューアーク〟へ向けた、ひどく懐かしむような慈愛のまなざし……。
未来人であるイリュネアからしてみれば、過去の〝リディアナ〟と出会うのは、心が引き裂かれるような痛みを伴っただろう。
なぜなら――二人は無二の親友なのだから。
「じゃあ……〝私〟は、一体……?」
しかしそうなると、イリュネアは転生者ではないということになる。
だからこそ、〝リディアナ〟に転生した〝私〟の異質さがより浮き彫りになる。
「私は知ってるぞ」
あっけらかんとしていうイリュネアに、リディアナは思考が停止した。言葉が喉の奥につっかえて、ジッと見つめることしかできない。
「だが言わない……つか、言えねェ。ヤツらに記録されっからな」
「奴ら……? 記録……?」
「ともかく、今は何も出来ねェんだ。お前も、私も……ヤツらでさえもな。なら悩むのも無駄だろ」
「軽く言うわね……」
「望むとしたら、何も気負うことなく普通にしてくれりゃァいい。時期が来たら、知らなきゃならねェことが向こうからやってくるさ」
けたけたと笑いながら空き教室を出るイリュネア。
豪快で強引な彼女に戸惑いはしたが、心が軽くなったのも事実であり……。リディアナは、その後ろ姿を追いかけることにした。
「そういえば、嫌がらせ犯がいないわね」
「すっかり忘れてたけど……あいつら、何がしたかったんだ?」
「あなたを魔王候補から引きずり下ろすためよ」
「ふうん……。空き教室に誘導したのは?」
「私を怒らせるためよ。ほら、お茶会、誘ったでしょう?」
「ああ……? ああ、そういうことか……フン。ンなことする小物なんざァ放っておいてもいいだろ。第一……面倒」
「悪評……なめてると痛い目見るわよ。現に私は苦しんでるんだもの」
「ふっふ。それァ大変だ」
「笑い事じゃないんだけど」
〝第八別塔〟から渡り廊下を渡り、〝本塔〟へ。
するとイリュネアの態度が一変。やはり魔王時代の苛烈な性格をさらすつもりではないらしく、学園時代の彼女を演じる。
歩き方一つにしても素朴で純情で、暴力の『ぼ』の字も知らないような少女だった。
するとそこで、慌てた様子の男性教諭が駆け寄ってくる。
「リナーシタ嬢に……ニューアーク嬢。何やら別塔が爆発したらしいが……何か知らないか?」
イリュネアは戸惑ったように小首をかしげた。
「いいえ、何も……。すごい音が響いたのは聞こえていましたが……」
「そうか……。二人とも、念のため〝第八別塔〟には近づかないように。ほかの生徒にも周知しておいてほしい」
「わかりました」
教諭が走り去っていくのを見届けて、リディアナはイリュネアに目をやった。
彼女もまたチラとみてきて……いたずらっぽく笑う。
「随分、慣れてるわね?」
「何のことでしょうか……。それよりも、お友達を紹介してほしいです。ずっと話しかけてくれようとしてたお二人……アイレンブルクさんとベーハバッハさん」
「ええ、そのつもりよ。――って思ったら、あっちから来たわね」
エルザとコレットも慌てた様子で駆け寄ってきて……その様子があまりにもおかしくて、リディアナはイリュネアと顔を合わせて笑った。
次回更新は7月6日(月)です。




