第1話
「残念だ……。リディアナ・ニューアーク」
言葉とともに、刃が首に添えられる。
リディアナは、命乞いをしなかった。
できない、というのが正しい。
何せ相手は〝魔王〟イリュネア・リナーシタ。
彼女に敵う者は、もう世界に何人といない。
全ては、彼女の意のまま。
むしろ、断罪の機会を与えられたことを感謝すべきだろう。
静寂が、世界を支配しているかのようだった。
罵る声も、あざ笑う声もない。
いっそのこと、泣きわめいて、恨み言をぶつけて、ありったけの罵詈雑言を吐きたかった。
だが……。
「――ごめんなさい」
口から洩れるのは、それだけ。
そうして。
リディアナ・ニューアークは、〝魔王〟イリュネア・リナーシタの手で処刑された。
〇 〇 〇
――という筋書きの、夢を見た。
「え――私、リディちゃんになってるッッッ!」
ベッドで体を起こしてから、変な感じはしていた。
身体は冷え切り、逆に頭は熱く。頭痛が鳴りやまず、体が妙に重い。
十年に一度の大風邪でも引いたかと思っていた。山積みの仕事もあるというのに、この体調の悪さとも戦わねばならいのかと憂鬱だった。
だが、姿見に全身を映して、その全部が吹き飛んだ。
鏡の中にいるのは、誰もが見惚れる超絶美人。
白煙のように揺蕩う長めの金髪に、強く鋭い光を宿す紺碧の瞳。きめ細やかな白い肌に、キリリとした眉、真っ赤なルージュの似合う唇。
〝カッコイイ〟という言葉をそのまま擬人化したかのような絶世の美女――それが、リディアナ・ニューアークである。
ニ、と〝私〟が笑ってみると、鏡の中のリディアナも笑ってくれる。
ム、と半眼にしてみると、同じようにジト目で返してくれる。
その事実に、〝私〟は震えた。
「じゃあ……。じゃあ、ここは……!」
改めて、室内を見渡す。
目についたのは、すぐそばにある机。卓上には、辞書のように分厚い本が、一冊だけ鎮座している。
装飾の一つもない真っ黒な本。
間違いなく、〝悪役令嬢〟リディアナの持つ〝闇の魔本〟だった。
異質な存在感を放つ〝魔本〟に、恐る恐る手を伸ばす。指先がその表紙に触れると、淡く光ったのち、アクセサリー化を果たす。
ブレスレットとなって手首で揺れ、その感触と重さが現実であることを伝えてきた。
「〝誓約のクロニクル〟の中……!」
ハッ、と再び鏡に目をやる。
鏡の中の〝私〟は……リディアナは、〝リディアナ・ニューアーク〟が絶対に見せないような間の抜けた顔つきをしていた。
ぱち、ぱち、ぱち。とりあえず瞬きをしてみるものの、夢が醒めることはない。
「え……? なら、私……死ぬの?? 推しの身体で……???」
記憶の中にある物語では、〝リディアナ・ニューアーク〟は悪役令嬢という役割を与えられていた。
何をどうあがいても、行き着く先は地獄。
追放、断罪、処刑……より取り見取りである。
「それは――ヤだ。リディちゃんが死ぬのはヤだ……!」
どうしよう、どうしよう、どうしよう……。
頭が真っ白になりかけたところで、コーヒーが欲しくなった。いつも考え事をするときには、濃いブラック一気飲みでキメるのだ。
だが運の悪いことに、〝リディアナ〟は紅茶派。
仕方なくそばの机について、卓上本棚に目をやる。
「教科書……全部新品だ。ってことは、入学して間もないってことで……? そういえば、この部屋もリディちゃんの私室じゃなくって、寮の部屋……。待って待って……っていうことは……?」
整理整頓された本棚の中からノートを見つけて、ぱらりとめくってみる。
やはり真っ白。科目名すら書かれていない。
少し悪い気はしながらも、引き出しを開けて鉛筆を手に取り、ノートに文字を綴っていく。
「ここは〝誓約のクロニクル〟の世界で……。今いるのはレオルディア王国の〝オースティン国際学校〟で……高等部入学直後……」
そのストーリーが、七人の魔王候補を巡るものであること。
紅一点の魔王候補イリュネア・リナーシタが、いろいろなイケメンに言い寄られること。
ライバル的立ち位置に立たされていたリディアナ・ニューアークは、徐々に〝悪役令嬢〟として頭角を現すこと。
鉛筆を動かし、文字を綴っていくごとに、興奮が落ち着いていくのを感じる。
思考して、書き出して、また思考する。そのサイクルを延々と回すことで、頭が冴えわたっていくのだ。
仕事は嫌で厭で仕方がなかったが、その果てで身についたルーティンはお気に入りではある。どんな状況でも、正常に脳みそを回してくれるのだから。
だが、今回ばかりはなかなか上手くいきそうになかった。
「あれ……んー……? リディちゃんの学園生活が……思い出せない……」
気持ち悪さはあるが、それも当然かと納得することにした。
何せ、『〝リディアナ・ニューアーク〟である』という状況そのものが、夢としか思えない異常事態。
寝起きの体調の悪さも、転生というべき事象に起因しているのだろう。記憶の混濁も、当然起こりえる。
ただ……。
「私は……誰? 名前が思い出せない……仕事は思い出せるのに……」
新しいページに進んで、今度は〝私〟について書き出そうとしたとき。鉛筆の進みが途端に悪くなる。
記憶の混濁とは思えないほど、きれいさっぱり忘れている。
少し恐ろしい気がした。
だが、向き合わねばならないとも思った。
〝誓約のクロニクル〟の中にいるのだから。画面の向こう側でしかなかった世界にいるのだから。そう思えば思うほどに、頭が冷静になっていき……冷静に、きちんと、自分を見つめることができた。
「こんなところかぁ……。う~ん……」
名前はおろか、出身地や家族についても思い出すことができなかった。〝リディアナ・ニューアーク〟に転生する直前に何をしていたのかも……。
覚えているのは仕事周りのことばかり。編集の仕事についていたことや、〝あの人〟の担当であったこと、せわしない日々を送っていたこと――それらすべてが、トラウマのようにしてよみがえる。
しかし、何もかもを失くしてしまっていても。
〝私〟の原点は、色濃く覚えていた。
仕事に埋もれて、世界が灰色に染まったかのように絶望していた時、〝リディアナ・ニューアーク〟を知ったのである。
彼女には悲劇しか用意されていなかった。
そう在るように仕組まれていた。〝悪役令嬢〟であることを強いられていた。
なのに、諦めることを知らず、折れることも腐ることもなく、前へ前へと進み続けたのだ。
そのまばゆいばかりの心の輝きに、〝私〟は惹かれたのだ。
だから――。
「よしっ。悩んでも仕方がないから……まずは情報収集!」
何はともあれ、〝リディアナ・ニューアーク〟を助ける。




