28.元に戻った
マテウスの物言いに、ディルクは苛ついた様子で舌打ちをする。
「この僕を愚弄するか! ふざけるなよ!」
ディルクはマテウスに向かって拳を振り上げようとする。
しかし、マテウスの眼光の鋭さに気圧されてしまい、その手を止めた。
「丁重な扱いをお願いします」
もう一度、マテウスは念を押すように言い放った。
「くっ……わかった……」
ディルクは渋々といった様子で引き下がる。
それでも未練がましくマテウスを睨みつけていたが、ふと何かを思い出したかのように口元を歪めた。
「ああ、そうだったな。散々、聖女を手放したくないと駄々をこねていたんだものな。それを、あっさり奪われる負け犬の気持ちを考えてやるべきだった」
嘲笑うディルクだが、マテウスの表情は変わらない。
愕然としたのは、シルヴィアだ。まさか、シルヴィアの知らないところで、そんなやり取りがあったというのか。
「この地の作物に祝福を与えたことで、もうあなたの役割は終わったのです。王家も神殿も、早くあなたを王都に戻すべきだと判断いたしました。それなのに、この男は卑劣にもあなたを手放そうとしなかったのです」
ナイジェルはシルヴィアに語り掛けながら、マテウスを軽蔑するような目で睨む。
「ですが、私利私欲に聖女の力を使おうとするのならば、異端審問にかけるべきとの声が上がりました。そんな男の側にいた聖女も、影響を受けているのかもしれません。そう追及された途端、その男はあっさりあなたを差し出したのです」
ナイジェルは勝ち誇ったように言った。
だが、シルヴィアの心に芽生えたのは、ナイジェルが期待したような感情ではなかった。
脅されて保身のためにシルヴィアを差し出したかのような言い方だが、実際には違う。
マテウスはシルヴィアを守るために、あえて自分から身を引いたのだ。
彼はシルヴィアを守るために、自分の心を押し殺してまで悪者を演じている。
そのことを思うと、シルヴィアは胸が張り裂けるような思いだった。
「マテウスさま……」
シルヴィアはマテウスに向かって呼びかける。
彼は作ったような微笑みを貼り付けて、シルヴィアに語りかけた。
「今までありがとうございました。あなたがお帰りになれば、私は罪に問われないのです。ですから、どうぞお帰りください。そして、どうかお幸せに」
そう言って、マテウスは深々とお辞儀をする。その動作は洗練された優雅なもので、マテウスらしくなかった。
自分のためにシルヴィアを犠牲にするかのような言い方だが、そうではないことはよくわかっている。
彼は最後まで自分を押し殺して悪者になり、シルヴィアを守ろうというのだ。
シルヴィアがどう答えるべきか迷っていると、蹄の音が響いてくる。
純白の馬がこちらに向かって駆けてきていた。
「ティア……!?」
シルヴィアは驚きの声を上げる。
馬小屋から抜け出してきたのだろうか。ティアはシルヴィアの側に駆け寄ってくると、甘えるように体をすり寄せてくる。
「おい! 何だこの馬は! 早くどこかへやってしまえ!」
ディルクが苛ついたように声を上げると、ティアは不満そうに嘶きを上げた。
「いえ、でも……なんと見事な白馬でしょう。王都にもこのような見事な馬はおりません」
ナイジェルが感嘆の声を漏らす。
「……シルヴィア嬢、ティアも一緒に連れて行ってやってはくれませんか? あなたがいないと、寂しがるでしょう」
マテウスはティアを見つめながら言った。
シルヴィアは戸惑いながらも、ティアの首筋を撫でる。
すると、ティアは戸惑うように小さく鳴いた。
どうしてシルヴィアがマテウスと離れなければいけないのか理解できない様子だ。
「そうね……そうよね、ティア……」
シルヴィアはティアを抱きしめ、愛しさを募らせながら、その毛並みに頬をすり寄せる。
そうだ、どうして離れなければいけないのか。
シルヴィアはずっとマテウスと一緒にいたいのだ。彼だって、本当はそう思ってくれているはずだ。
それならば、シルヴィアがするべきことは何か。
「大丈夫ですわ……少し、出かけてくるだけ。わたくしの帰る家は、ここですもの。ティアは、マテウスさまと一緒に待っていてくださいね」
シルヴィアはそう言って、優しくティアの体を撫でてやった。
「それは、どういうことだ!?」
「シルヴィアさま? いったい……」
困惑の声を上がるディルクとナイジェルを無視して、シルヴィアはマテウスに向き合う。
彼もまた、困惑したような表情をしていた。
シルヴィアはマテウスに近づいて微笑みかけると、その頰に手を当てる。
そして、ゆっくりと顔を近づけていき、彼の唇に自分のそれを重ねた。
「……っ!?」
マテウスは驚いたように目を見開くと、体を硬直させた。
その様子を見て、シルヴィアは小さく微笑むと顔を離す。
「お慕いしておりますわ……マテウスさま……」
そう言って再び口づけを交わす。今度は舌を入れて、より深く口づけをした。
「なっ……!? 何をしている!? やめろっ!」
ディルクが驚愕と怒りが入り交じった声を上げる。
「そ、そんな……聖女さま……?」
ナイジェルもまた、信じられないといった様子で呆然としている。
しかし、そんなことはお構いなしに、シルヴィアはマテウスとの口づけを続けた。
「お、おい……」
マテウスは呆然とした様子で、されるがままになっている。
シルヴィアは最後にもう一度、強く唇を押し付けてから顔を離した。
すると、マテウスは頰を赤く染めながら口元を手で覆う。
「な……なにをやってんだよ、あんたは! 正気か!?」
マテウスは慌てた様子でシルヴィアに詰め寄る。
そんな彼の反応を見て、シルヴィアは思わず笑みをこぼした。
「ふふっ……やっと元に戻ってくださいましたね」
シルヴィアがそう言うと、マテウスはハッとした表情を浮かべる。
そして、バツが悪そうに目を逸らした。





