09:旅の同行と名前と疑惑の目
彼等が目指しているのは、大陸の北端にあるこの森の更に北。大陸の端の端。
そこには『災厄』と呼ばれる生き物の巣窟があり、名前の通り災いを呼びこの世に害をなす生き物だという。百年に一度目を覚ます災厄を再び眠りに着かせる、それがこの旅の目的らしい。
柚香にとっては突拍子もないことこの上ない話である。まるで創作物の導入部を語られているような気分だ。
だが話すヴィートの声色は変わらず真剣で、これが彼の作り話でも妄想でもないと分かる。
信じられない話だが、今既に信じられない状況に置かれているのだ。疑うのはやめようと心に決めて柚香は口を開いた。
「それで、その旅が私とどう関係があるんですか?」
「過去の文献を見るに、聖女と聖獣の降臨は災厄の目覚めと時期が被さっている。その時だけは被害が最小限に済んだらしいから、多分、聖女と聖獣の力を借りたんだろうな」
「聖女と聖獣の力……」
「君がこの世界に来たのと俺達の旅は無関係ではない、少なくとも俺はそう考えている。だからどうか俺達の旅に同行してもらえないだろうか。もちろん旅から戻れば君がニホンに帰る術を探そう」
だから、と真剣な表情で頼みヴィートが頭を下げた。彼の金色の髪がはらりと揺れる。
それを見て、柚香はどうすべきかと考えを巡らせた。
いくら聖女とはいえ彼等の旅に同行する義理は無い。だが彼等と離れて別行動をとったところで、必ずしも還る術が見つかるわけでもないのだ。むしろ頼れる人も居らず、森を抜けない事には人に会えすらしない。そもそも狼が居るような森を無事に抜けられるだろうか。
(それなら、ひとまず彼等と一緒に居た方が良いかもしれない。……それに、)
ふと考え、横目でブラッドの様子を窺った。彼は真剣な表情をしており、柚香の視線に気付くと「どうした」と尋ねてきた。
相変わらず素っ気ない口調だ。親しみのあるルーファスやリュカ、それに紳士的なヴィートと話をしたからこそ、彼のぶっきらぼうな話し方がより顕著に感じられる。
だがブラッドは狼に襲われかけたところを身を呈して助けてくれた。それだけではなく、ドラゴンの突風に煽られた時にも支え、ニャコちゃんが狼の残党を見つけた時にも咄嗟に庇ってくれた。そして何かあると、素っ気ない言葉でも案じてくれる。今がまさに。
相変わらず右も左も分からないが、ブラッドが信頼できるのは確かだ。
「分かりました。一緒に行きます。だから顔を上げてください」
「良いのか?」
「はい。今はヴィートさん達だけが頼りだし」
「そうか、ありがとう。俺のことはヴィートで良い。共に旅をする仲だ、敬語もいらない」
「それなら私のことも柚香って呼んで」
家族はもちろん、友人も、それどころか職場でも柚香は下の名前で呼ばれる事が多い。
ここでもその方が早く馴染めるだろうと考えて告げれば、ヴィートが頷いて応じた。「よろしく柚香」と改めて呼んでくれる。
もっとも、ルーファスとリュカは誰に対しても敬称を付け敬語で話すらしく、柚香から呼ぶ分には敬語は必要ないと言いつつも、自分達は敬称と敬語を続けたいと話してきた。だがその口調や表情は穏やかで、彼等が友好的なのは伝わってくる。
そうして最後にと全員の視線が向かったのは、一人地面に座るブラッド。
「俺のことは好きに呼べ、畏まった話し方もしなくていい」
「それなら、ブラッドも柚香って呼んで」
「……柚香」
呟くような声色でブラッドに名前を呼ばれ、柚香は一瞬己の心臓が跳ねるのを感じた。
思わず慌てて胸元を押さえれば、そんな柚香の反応に彼が首を傾げる。
「どうした」
「いえ、なんでもない……」
気にしないで、と柚香が告げれば、ブラッドも納得したのか改めて「柚香」と再び呼んできた。
その声に、跳ねたばかりの心臓が再び高鳴る。彼の低い声は混乱する柚香を落ち着かせてくれたというのに、今はその逆、どういうわけか落ち着かなくなってしまう。
(男の人に名前を呼ばれたから? でもさっきヴィートだって私を呼んでくれたじゃない)
どうしてブラッドに呼ばれた時だけこんなに落ち着かないのか。
更には妙な恥ずかしさも湧いてきて、柚香はニャコちゃんを抱きしめて落ち着こうと膝の上に座るニャコちゃんに視線を落とし……、
「ニャコちゃん、その冷たい目はなに……!?」
と、じっとりと見上げてくるニャコちゃんの鋭く冷ややかな目に撫でようとした手を止めた。
なんて冷めた目だろうか。香箱座りこそしているものの耳は後ろを向いており、ご立腹なのが一目で分かる。
これはいつぞや猫カフェに遊びに行って帰ってきたときと同じ反応だ。浮気を勘繰る目とも言えるだろう。
「そんな、私にはニャコちゃんが一番だから!」
慌ててニャコちゃんを抱き寄せ、頭を撫で、伏せた耳を揉み、喉を撫でる。
可愛い可愛い、と何度も褒めれば、ニャコちゃんはようやく機嫌が直ったのか『ふんっ』と一度鼻を鳴らし、次いでぐりぐりと手に頭を押し付けて甘えてきてくれた。
良かった、と柚香は胸を撫で下ろす気持ちで息を吐いた。
(今はとにかくニャコちゃんの事を一番に考えないと)
そう改めて心に誓う。
もっとも、すぐさま浮ついた気持ちが戻り、
(でも……)
と、チラと横目でブラッドに視線をやった。
彼は不思議そうな表情でこちらを見ている。名前を呼ばれた柚香の反応やニャコちゃんとの一連のやりとりを目の当たりにしても、その意味が分かっていないのだろう。
これにも柚香はまたも「良かった」と心の中で安堵した。
もっとも、全員が気付いていないわけではないようで、ルーファスがニヤニヤと笑みを浮かべだすではないか。それに気付いたブラッドが途端に怪訝そうな顔付きに変え、いったい何だと言いたげにルーファスを睨みつける。
元より厳つい彼が眉根を寄せて睨みつけると迫力があるのだが、ルーファスがそれを臆する様子はない。