戦記94
帝国歴四百九十二年帝国皇帝ルーエン一世は退位を宣言する。同時に帝国宰相が帝国法典に基づき皇帝選定のため選帝会議の開催を宣言すると、選ばれた使者が帝都を急ぎ出立、帝国内の四選帝侯と公国の公王に向かう。
開催は宣言から僅か三週間後となるため、帝国は宰相を始め全ての機構が選帝会議の開催に全力を傾ける。軍も騎士団及び兵団に招集が掛かり、他国の干渉を防ぐため主要な駐屯地に配置される。帝国全体が物々しい雰囲気となる一方で、新皇帝の即位式典に備えて祝いの準備も始まり、全ての街そして村落までもがお祭り気分になるのも特徴だった。帝国最大の都市である帝都に至っては、全く関わらない帝都民は存在せず、全てが選帝会議と新皇帝誕生に向けて動き出す。
選帝会議は例え紛糾しても二日間で終わる。他国の干渉を省くため皇帝不在を長引かせず、同票の場合の神託の方法まで決められている。ゆえに会議の後には必ず新皇帝が告知され、その後は戴冠式に向けての祝い期間となる。
帝都出身者でも冷静でいられない雰囲気は異邦人にも伝わり、特に利害ある立ち場の他国の駐在文官武官の緊張感も増幅させていた。
そんな中で選帝会議の招集のため旅立った使者達が戻って来る。各使者が帝国宰相へ選帝侯の当然の出席の告げる中で、最後に戻った公国への使者が、数百年のしきたりを破る。
「真か。」
「はっ、ルクタール陛、公ご自身から、出席されるとのお言葉を頂きました。」
宰相に問われて繰り返す際に、使者が公王を陛下と言いかけた点について誰も言及しない。それどころではなかったからだ。初代公王から常に白紙委任だった公国からの参加表明は意表を突き、それに伴う波紋は広がり続けた。
「だから何故、俺に知らせる。」
ノエルは今や準宰相とまで言われるマグオリンが話す公王の帝国来訪の情報に驚き、そして不機嫌になっていた。
「鳥籠の中だ退屈されているノエル卿には、常に新鮮な情報が必要と思いまして。」
鳥籠の持ち主であるマグオリンのにこやかな表情に対して、ノエルの眉間は険しくなる。
「世俗から引退した俺には不要だろ。」
帝国で悠々自適の暮らしを満喫するノエルにとって、繰り返しマグオリンによって持ち込まれる国際政治の厄介事など耳汚しであった。何より、つい興味を持つと乗ってしまう自分がいるため、ノエルは聞く事すら嫌がっていた。
「単なる茶飲み話ですよ。」
そう軽く言い茶を啜るマグオリンを、ノエルは睨み付ける。
「茶菓子代わりに帝国の裏事情や諸国の動向を語るな。茶が不味くなる。」
結局、楽し気に話すマグオリンと聞いてしまうノエルの傍らで、ハイネスは慣れとは恐ろしいと感じていた。
膨大な職務とそれ以外の謀で忙しいはずのマグオリンが、合間に時間をつくりノエルに会い来る。語るのは常に国際政治の舞台裏で、一介の騎士が聞く事も憚る内容。それが嫌がりながらも会うノエルと、笑顔で話すマグオリンという光景が見慣れたものとなり、ハイネスは聞き覚えずの能力を身に着けていた。
「しかし、目的は気になりませんか。」
「ならない。」
「ノエル卿に会いに来るためでは。」
「俺にではなくて先帝に会いに、あ、まだ皇帝陛下でよかったか。」
呼び方はさておき、ノエルの指摘にマグオリンの目に怪しい光が灯る。
「この状況で、ですか。」
「この状況だからな。別に次の帝位は決定したわけではないだろ。」
茶を啜りながら嫌味半分に予定はあくまで未定だと言い切るノエル。
「なるほど。さすがはノエル卿。」
たとえエイロンとエヴァの関係があろうとも、帝国と公国の関係は今だ危ういものであるため、次期皇帝の人となりと次の政治体制を知るために公王自ら乗り出したとしても不思議では無い。マグオリンは更に、公国が皇帝選出に本格的に介入する、と考えるまでに至る。
四人の選帝侯のうちエイロン支持で確定はモンシャル選帝侯とローゼリオ選帝侯の二名。残りのバイラル選帝侯とアーナヘムン選帝侯の二人は元は皇太子派で、皇太子が官僚達と繋がりを深めたため貴族派に参加した経緯がある。無論、マグオリンはそれを促進したのだが。その二選帝侯が皇太子を押しても、互いに二票と白紙委任状一票であれば最後に宰相裁定となり、エイロンの勝ちは確定する。しかし公王が参加するとなるとその一票が後継者を決める可能性が高くなる。
それを未然に防ぐために公王を第二皇子側に引き込む方策が必要となる。
マグオリンと同じく思考を進めたノエルは、マグオリンが情報を伝えるふりをしながら、実は公王懐柔の情報を得ようとしていると気が付いた。
「まあ、誰が帝位に付けば公国が安泰か。そこをはっきりさせれば良いのだろう。」
探り合いは面倒で助言したノエルは、公王への口添えまではするつもりも無く、マグオリンも期待しない。
「やはりそこですよね。」
「最も、密約があれば手遅れだがな。」
「全く、今回の件は想定外過ぎますね。」
公王の参加はマグオリンでも予想できなかった。これが皇太子派の仕込みですでに公王及びバイラル選帝侯とアーナヘムン選帝侯の二選帝侯への懐柔が済んでいれば、今までの過程など全て茶番にできる。
「まあうちの陛下がもっと狡猾であれば、貴公の元にも使いをだしていただろうし。」
「双方の派閥を天秤にかけ一票を高値で買わせる、ですか。」
ノエルの仮定をマグオリンは具体例として付け加える。ノエルとマグオリンは同時に否定する。
「しかしそれはあり得ない。」
「ありえませんね。」
小策士のような選択をとる公王ではないと二人とも把握していた。
「そうすると本気ですか。」
「真面目な方だからな。」
公国の未来のため自ら赴き、敢えて危険な介入を行う。公王の姿勢はノエルには容易に想像できる。
「なるほど。ノエル卿が従うのも判ります。」
「おいおい、俺は従順な公国貴族だぞ。主君に従うのは当然だろう。」
ノエルの冗談はともかく、マグオリンは公王を再評価する。地道な治世で国力をつけ、ここ数年の外敵の侵攻を退け続け国の威信も増した。ここで新皇帝に選出の貸しを作り、安全保障上の安泰を勝ち取る。ただ、これまでの公王に似合わぬ冒険的であるためノエルほどマグオリンは腑に落ちてはいなかった。
「正攻法で迎えるとしましょう。」
「まあお手柔らかにな。」
帝国の策謀家と公国の策士は、互いに笑顔を交わしながら思考は別の方向を向いていた。一方は今回の公王の帝国来訪に対して、ノエルをどのように利用するか。もう一方は面倒事に巻き込まれないためにいかにして公王に会わないか。ハイネスは二人の会話に微妙な差異を感じつつも、いつも通りの終わり方に黙して語らずを貫き通した。
「皇太子殿下のご様子はいかがでしょうか。」
「まだ体を起こすこともままならぬ。」
元宰相の答えに高級官僚達は色を失う。このままエイロン皇子が皇帝に選出されれば、間違いなく官僚派の中心である自分達は失脚するからだ。大乱の責任の一端として軟禁中の元宰相の邸宅に集まった面々は、自然と灯りを控え薄暗い中で密談を交わしていた。
「腹を据えよ。殿下が回復されれば他の道理などすぐに引っ込む。」
他の官僚とは違い、良くて身分剥奪、悪ければ投獄や死罪が見えている元宰相は覚悟を決めていた。皇太子の即位意外の道はないため、多少の情報漏れは気にせずに活動する元宰相の回りには人が尽きない。なにより帝国でも有数の商家の一族出身で現皇帝との繋がりや貴族人脈が豊富な元宰相以外に、旧官僚派の中心になれる者がいなかった。
「貴族だけでは帝国は成り立たぬ。全ての文官を貴族で埋めるなど不可能。」
本来官僚は皇帝が大貴族達の権力と均整を保つために必要で、要職を貴族で埋めれば自らの手足を縛るに等しい。それを知っているための自信だが、それでも元宰相は一抹の不安から呟きを漏らす。
「それが判らぬ皇子では無いと思うが。」
一方で仮とはいえ、エイロン皇子が新宰相に老齢のランス・リーアライト・ハンドルフ伯爵を充てた事で不安が増したのも事実で、元宰相は決断を迫られていると自覚していた。
「ルクタール公の選帝会議への出席について何か情報は。」
元宰相が問い掛けた文官は、宰相周辺で各局との調整役を任されている。
「こちらは憶測はあれど真相はまだ。第二皇子の側近達も掴めておりません。」
元宰相は宮廷内の情報源から、公王の出席は選帝会議で元から優位な第二皇子派の策謀では無いと判断していた。しかし自身でも公王の真意が判らぬ以上、疑心暗鬼になるのは当然で様々な手を打っていたが成果は思わしくない。
「そういえば第二皇子の周辺から貴族局に問合せがあったのですが。」
「なんだ。」
貴族局の文官の発言に他の者が興味を持つ。守秘義務があっても守るのは他者と弱者、そのような認識で帝国法典にも詳しいその文官が話を続ける。
「他国で官位や爵位を持つ者を帝国に迎える際の宣誓書の内容についてです。」
生まれた国で一生を終える者は沢山いる時代でも、他国で生き新たな官位や爵位を授けられる者もいる。帝国でも騎士や下級貴族で多く存在し、希に政務に携わり領地を拝領した者もいる。
「具体的でない様に見せて、帝国法典に抵触しない点を気にする内容であったため、ある人物のための確認ではと思わずにはいられませんでした。」
ある人物と言われた元宰相には心あたりがある。自分の未来を潰した黒策士と呼ばれる、若く顔の良いだけのつまり無能で無害なはずの存在で、今や大陸で知らぬ者がいないダロワイヨ男爵。
「奴を帝国貴族として迎えるだと。」
比較的冷静な振る舞いの元宰相が声を荒げたため、場にいる全員の視線を受ける。素早く冷静さを取り戻したものの、報告者への視線は強い。
「まだそう決まった話ではありませんが。」
尻すぼみになる貴族局の文官に対して顔の険しい元宰相に、傍に近づいてきたマルド元軍務官が私見を述べる。軍務局人事部の長であった彼だけは、元宰相と同じく罷免されていた。
「第二皇子が登極すれば大貴族の影響力は拡大するのは必定。これに他国の貴族の取り込みまで行われ、あの噂が真実になるとすれば、我らはどのようになるか。」
常々囁かれる政務は全て貴族出身者とする古の習わしの復活。剣の腕一本でのし上がることも可能な武官と異なり、商家や騎士階級出身の文官は完全に栄達の目が無くなる。
「帝国は貴族だけのものではない。」
元宰相の言葉は単なる権力への固執では無かった。自分を推挙してくれた皇帝への思いや、能力への自信、そして祖国に対する考え。その全てが今一度の復活への望みを支えている。ある種の理念を持つ元宰相とは違い、マルド元軍務官にあるのは復讐と復活の意識だけだった。
「まずはマグオリン、そのためのダロワイヨ男爵、ではないでしょうか。」
マルド元軍務官の言葉が元宰相へと注がれ、満たされた時にこの場に集う者の命運が決まった。
公国の公王ルクタールが親衛隊先鋭二十騎と付き人五十名の行列で帝都に現れる。特に公王専用の馬車は十二頭立ての大型馬車で体を横たえることが可能な大きさは人の目につき、帝都の噂好き達がさっそく酒場で吹聴するほどであった。
公国に充てられた宿舎は帝宮の南に位置するベフェリクス公爵家の帝都別邸で、格式で公王家に十分互する家柄になる。この采配を行った帝国中枢の意志とは別に、百八十年前に公爵家から公王家に嫁いだ一族女性がいる縁もあり、公王は十分な歓待を受ける。
その二日後、公王の願いにより皇帝への謁見が許されたのもベフェリクス公爵の力によるものだった。
「久しゅうございます。」
「二十五年ぶりか。」
帝都の離宮の奥の部屋、重厚な調度品に囲まれた部屋でもう間もなく帝位を退く皇帝は、姿の変わった義理の弟と再会する。
「目は見えぬのか。」
「間近でなければ見えませぬ。離れては光の加減で輪郭が判るぐらいです。」
説明しながら公王は皇帝の声に強さがないことに内心驚く。二十五年前の若々しい声とは異なるのは当然としても、皇帝となり年月を経て獲得したはずのものが無い。
「ふっ、そちはまだ退くことができぬのだな。」
「嫡男が幼少でありますれば、あと十年は座する必要があります。」
皇帝は公王の決意の姿が、あの時の姿とかぶる。
「して何用があったその身でありながら帝都に来たのだ。」
「我が妃の願いについて。」
「何を言うかと思えば。」
皇帝は笑いを浮かべ、義弟のもとに駆け落ちした時の妹の顔を思い出す。
「勝手した挙句に父上やこの兄より先に死んだ妹の願いなど聞けぬな。」
皇帝の言葉は公王の胸に響く。
「だが娘を先帝のもとに送り出した件には感謝する。」
皇帝はエヴァに会い程なくして崩御した先帝が、見たこともないほど安らかな顔で眠りについた事に驚き、そして改めて末娘である妹を愛していたと知った。
「そしてその娘が帝国を救ったこともな。」
全身病に侵されながら帝国のために生きていた先帝が、エヴァに指輪を授けたのは老いによる戯れかと考えた皇帝は、帝国の危機を回避するきっかけを作ったのはエヴァだったと知る。皇帝の感謝の意に公王は頭を下げ受け入れる。その姿に何かを決断した皇帝は公王へ確認する。
「あれの願いとはなんだ。」
「帝国と手を携えての平和。そのために我が娘の帝国への輿入れをと。」
しばらくの沈黙の後で皇帝が皮肉めいた表情で口にする。
「最後まで勝手と来たか。」
皇帝が視線を上に向けたのは死者への言葉だからだったかもしれない。
「よかろう。帝室の長として認める。」
今度は公王は深々と頭を下げる。妃の死後、一人抱えてきた誓いを果たせるに至り、公王の心が軽くなる。顔を上げた公王の晴れやな表情は、二十五年前に皇帝が帝宮での見たものと重なる。
我が昧を魅了した笑顔か。
皇帝は早くに亡くなった兄弟姉妹に思いをはせ、それを共有することのできる義弟との会談を終えた。




