戦記92
白鯨船団の帰還を祝って北方王国王宮で催された祝宴は、北方諸国の他にも各国の大使や駐在武官を招いての盛大なものになった。ルマン湖からエルノ河を下り内海を横断して外海に抜け、北上して北海に戻る航路は史上初であり、北方王国の国をあげての一大事業だった。更には北方諸国の絆を深めるものと位置付けており、この成功を大々的に広める祝宴でもあった。
「叔父貴、酒が足りねえんじゃねえか。」
「馬鹿いえ、貴様より飲んでおるわ。」
王族とはいえ国王に対してニライカンムが敬語も使わずに話すのは、親しい叔父と甥の関係だけではない。戦士や将としてだけでなく使者や視察としての役割も担うニライカンムは、国王の貴重な目となり内外の情報を迅速に伝えるため、敢えて気軽に会話する関係を構築していた。しかしその情報が、この先は帝国が北方諸国を飲み込むかもしれない、となると国王も笑って聞く事はできない。
「新しい皇帝になる第二皇子の人物評は判った。」
北方王国の国王アグニートは杯を空にすると、ニライカンムを睨め付ける。
「しかしその程度で帝国が北の地で我らを凌駕するとは納得できんな。」
豪胆豪放と言われるアグニート王でも一国の政務をこなすからには思慮も洞察力も携えている。それでも北方諸国が自領である北の地で帝国軍を相手にして遅れを取る想像はできるものではない。北の地で冬の進軍など帝国軍には不可能と考え、実際に補給が滞った帝国の遠征軍が過去何度も北海に叩き落とされている。
「正面切ってなら俺も負ける気はしねえ。しかしな、第二皇子の配下の中に息をするように謀を企む者がいる。」
「ああ、あの内戦で第二皇子を勝たせ、今まさしく帝位につかせようとしている男か。」
「帝都で宰相より権力を握っているぜ。若造だが油断すると喰われる。」
今やマグオリンに対する情報収集と警戒は周辺国全ての必須事項で、勝手に準宰相の肩書をつけている国まである。
「確かに王佐の才はあるようだが。今は忙しくて簡単には他国にちょっかいは無理だろう。」
帝国の力を侮るのでは無く、選帝会議を控えてた帝国に外征の余裕はないとの判断であるが、ニライカンムは叔父にもう一つの事実を伝える。
「だが帝国にはノエル、いや、ダロワイヨ男爵がいるぜ。」
言った甥は叔父の表情から余談が本題に変ったと悟る。
「何かあったのかよ。」
アグニート王が杯を空けて、暫くしてからニライカンムに告げる。
「一昨日、連合王国から密使が来た。」
ニライカンムが帝都から戻る二日前に訪れた連合王国からの密使がもたらしたのは、ノエルを排除するための大掛かりな計画だった。
「連合王国も懲りねえな。何度もあの小僧に遊ばれているくせに。」
ニライカンムは連合王国は対帝国同盟ではノエルに手玉に取られたうえ、公国包囲戦では撤退に追い込まれたことを揶揄した。
「その遊びが毎回、よそでやってくれる保証は無いがな。」
皮肉を口にしたアグニート王の脳裏には、帝国の内乱勃発前に王宮を訪れたノエルの記憶が蘇る。
飾らない北の王宮とはいえ商人が国王に謁見を許されるのはそれ相応の理由が必要になる。
国益に関わる豪商や寄進を欠かさない旅商人などはその例だが、初見の商人が飛び込むのには紹介状は欠かせない。それが今、話題となっている公国の激発姫となれば国王の興味も多少は出るものであった。
「勇猛なる北方王国国王アグニート陛下におかれましては、その威光は内海にまで届き、拝謁の暁光を得ましたことまことに恐悦にございます。」
公国商人として若手でも年は三十を越え、新興商人を束ねる立場のモレットはこの機会を逃さぬように低頭挺身でアグニート王に接する。第二公女の庇護で商会を大きくしたモレットには、公国国外への商い開拓は二度目の絶好の機会であり、公女殿下より密命を含めて成功させるしかない。
そのための手土産も十分に用意した。
「我が国で商売をしたいというのであれば、その手土産で十分であるな。」
馬車に満載されて運び込んだ土産を広間に並べ口上を述べる公国の商人を、国王アグニート王は冷淡に扱う。他国の王族からの紹介とはいえ、国王自ら特別扱いは相当の理由がいる。
「あとは財務官とよきにはからえ。」
十分な財力を見せての交渉は定番だが、アグニート王にとってあの激発姫の紹介と期待したほど楽しませるものでも無く、北の盟主としてこの程度では北からは帝国の属国と考える公国の商人に、おいそれと良い顔を見せるつもりはない。気勢を制するように告げられたモレットは、アグニート王の非友好的な態度に怯むことなく説明を続ける。
「いえ、こちらは目録です。お納めするのはこの品々を船一隻分です。」
「船一隻分だと。」
「これがか。」
広間でざわめきが広がるのは当然だった。広間に持ち込んだ土産で船一隻分となると、商人が示した財力は北方王国の豪商に匹敵する。
「船も献上の品の一つとなりますので、後ほどごゆるりと吟味下さい。」
言葉一つで公国商人の豊かさを見せつけたモレットの堂々たる姿に、国王の興味がようやく表層に現れる。
「このまま返すは我が器量を問われるな。」
アグニート王の言葉を逃さずにモレットはすかさず申し出る。
「勇猛なる北方王国国王アグニート陛下にお願いの儀がありますれば。」
「手土産が代償が高くつかねばいいがな。」
皮肉混じりでも発言の許可を得たと判断したモレットは本題に入る。
「間もなく始まります帝国の動乱。公国も戦火に巻き込まれるのは必定。故に陛下にはご配慮を頂けますれば幸いかと。」
「北からの産物を上手くそちに回るようにとの事か。」
北から公国へ向かう交易品の殆どは帝国経由する。帝国が乱れれば交易路が滞るのは自明の理のため外海を通る交易路を開拓したい、という論理なら商人自身としての利と公国の求める北の物資の確保が一致する。内約が成されてもあくまで商人を通してなら公国政府から帝国への言い訳もできる。これがエヴァを通してノエルが依頼した商人モレットの仕事だった。
「いえ、その議ではなく。」
モレットがここで依頼の枠を超えてしまう。エヴァが懸念を話したのはこの役の重要度を知らせるため。それをモレットに使命感を負わせて、次の言葉を言わせる事になってしまう。
「出兵を一時お控えいただきたく、何卒お願いいたします。」
居並ぶ重臣達の騒めきの中で深々と頭を下げたモレットは、そのままの姿勢でアグニート王の声を待つ。
「何ゆえに。」
それまでのどこか気怠い感もあったアグニート王の口調が変わり、モレットは首に刃を当てられたような鋭さを感じる。返答如何によっては命が無い。理解しながらもモレットは口にせねばならなかった。
「陛下の戦士が戦に参じれば帝国の戦では済まず、やがて大陸中央で周辺諸国を交えての大戦となります。商いするものであれば戦は“どこかで”が理想、近場や全てが戦場では商いが成り立ちません。」
願いを語りながら本心も混ぜる。モレットが吟味した台詞は本人の真剣身もあり十分な訴えとなる、と広間に居並ぶ重臣達の中に感じた者もいたが、同時に蛮勇だと思った者が大半だった。
「我に戦をするなと。」
先ほどの首筋への感覚程度では済まない、心臓を鷲掴みにされるほどの気配に、モレットは顔を上げる事も返事をする事も出来なくなる。それでも頭を巡らせ、肯定でも否定でもない曖昧な答えを必死に探す商人の姿に、王の性格を知る重臣達はこれ以上は無理だと悟る。互いにこの場を納める役を誰かがと牽制しあう重臣達を尻目に、献上品の横で膝を付き留まっていた従者が国王の前に進み出る。
「その議については私めからお答えします。」
「貴様、無礼であろう。」
護衛の戦士が槍の穂先を従者に向け威嚇する。これ以上進み出るのは許さんとの意志が込められた穂先に、従者は溜息を吐きながら護衛の戦士を諭す。
「いやいや、私を見て槍を向けるとか。そんなに強そうに見えたのか。」
北の民と比べて小柄で線の細い風貌の従者の言に失笑が広がる。
「従者のくせに大胆な奴だ。」
「というより、子供ではないか。」
「商人よ、貴様の子供か。」
「いえ、あの。」
帝国以上に力を信奉する北方諸国の民には、南の民族は貧弱に映る。その嘲りの中でモレットは内心の混乱をできる限り飲み込むもそれ以上は言葉がでず、代わりに従者が国王に向かって平然と申し述べる。
「我が主人、公国第二公女エヴァンジェリン殿下より預かりましたお言葉を、お届けいたしました。」
重臣達の失笑が興味への騒めきへと変化したのは、ノイフォンとマルーノの戦いがエヴァの名を北の地まで知らしめていたから。特に騎士を率いての敵陣突入は北の民の好みであり、この王宮でも何度も話題になった経緯がある。
「聞こうか。」
「陛下、こ奴は。」
「かまわん。」
例え簡素を好む北の王宮でも、従者風情に王への直言など許されるものではない。しかしアグニート王の興味が儀礼を上回ったのであれば、衛兵として口を挟むのは控えるべきだった。
「今より公女殿下の言葉を、国王陛下にお伝えします。」
前置きした従者は一気に告げる。
「これから始まる帝国の内乱にお手出し無用。どうしてもというのであれば、公国から時期をお伝えするまで南下はお控えください。」
王宮が静まり返る。小国の姫から大国の王へ伝える内容ではなく、対等であるともとれる傲慢な内容だった。
「公国は我と戦をしたいのだな。」
戦を楽しむ北の将軍達すら委縮する国王の怒りに、従者はそれまでのどこか事務的な様子から真っすぐ国王を見つめ答える。
「いえ、我が主の目的は竜騎士の首です。」
「おいおい、気は確かか。」
重臣達の列から赤毛の戦士ニライカンムが声を上げたのは、十五年前の帝国との戦で北方最強の戦士と王弟が率いる北方王国戦士団を打ち破った竜騎士団がアグニート王の復讐の対象であり、王宮でその名は禁句となっているためだった。
従者の発言は、他の歴戦の将軍達にも公国が北方王国との戦争を望んでいると思わせる。
「まあ主が狂っているのは確かですね。」
事もなげに公女を貶める従者の言い草に、北方王国でも理性派として知られるクキラ将軍が問う。
「貴様は一体、何者だ。」
既にただの従者では無いのは確実だったが、問われた従者は迷惑そうな顔で答える。
「ただの使い走りです。」
「貴様。」
全く敬意を表さない従者にクキラ将軍の言葉も荒くなり、周りの重臣達の不快さが顔に出る。この空気の中で王宮の主が静かに命じる。
「名乗れ。」
一斉に静まり返る謁見の広間で、従者は上着を脱ぎ黒衣の姿を晒してから悠然と名乗る。
「公国五十貴族の末席に名を連ねるダロワイヨ家の四十七代目、ノエル・フォン・ダロワイヨでございます。」
仰々しい言い方でノエルは自己を紹介すると、黒策士の二つ名とともに名を聞き及んでいる者は、それぞれの表情を見せるが大抵は驚きだった。
「このような子供がか。」
「我が息子より小さいではないか。」
「貴様が万の軍を退けたというのか。」
北の地の価値観は大きさと強靭さにあり、戦場ではそれが全てだった。優男との風聞は北の価値観に変換されており、北の地の体格の良い男性達から見ればノエルは小さく幼く男らしくなく、この姿は想像の範囲外だった。
「本当に、貴様が黒策士というなら。」
笑みを浮かべながら近づくニライカンムは、腰の剣を擦りながらノエルに尋ねる。
「貴様の智謀で俺を退けてみよ。」
ノエルは威嚇するニライカンムの盛り上がった筋肉を見ながら溜息をつく。
「私が相手にするのはあくまで兵。個人的武勇には興味はありません。」
「ほう、小細工しなければ戦はできぬか。」
「あらゆる策を事前に配し、必要な時に用いるのは戦の常道。現にノイフォンは十の策を配して五を用い、マルーノでは二十の策を配して八を用いて敵を退けました。」
ノエルの反論にニライカンムがさらに問う。
「では帝国ならばどうする。」
「帝国ならば百の策を配します。大陸一つというなら千の策を配しましょう。」
平然と答える内容は自身の智謀が最も優れているとでも言わんばかりの傲慢さだった。これにはニライカンムも二の句が継げずにいると、ノエルはアグニート王に向き直り頭を下げながらも見栄をきる。
「最も熟した果実の刈り取り時期はお教えします。熟すまでお控えいただければ幸いです。」
国王の激発を危ぶんだ重臣達の視線をよそに、アグニート王は熟考の末に決を出す。
「冬までだ。」
その一言を告げ、国王が手を振る。それを合図にノエルとモレットは広間から下がっていった。
「閣下申し訳ありません。しかしいつの間に入れ替わっていたのですか。」
「単なる興味本位だ。しかし勇み足にも程がある。次は自重しろ。」
ノエルがエヴァを通して商人のモレットに課した役割は、交易を滞らせぬ事で政ではない。ノエルの叱責は当然のため、モレットはうな垂れ素直に謝罪した。
なおノエルは本人のみ真面目な悪戯心でモレット商会の丁稚と入れ替わり、破局寸前の現場で北の蛮人に大見得を切ることとなったのは自業自得なのだが、自身は運命の非常さに嘆く。これが帝国に伝われば問題になるのは目に見えている、というかエヴァに伝えた時点で殴られる。
「くそ、北の蛮族と口約束とか最悪だ。いいか、今日の事は公国では内密にしろ。」
「はい。」
ノエルに救われた手前、モレットも同意するしかない。ノエルは、唯一の救いは公国にとって利点のある約束を結べた事だと、考えを前向きに切り替えるとエヴァへの報告は忘れる事に決めた。
「あの時は列島王国と事を構えてたから提案にのっただけだが、結果は上手く小僧に利用された。この航海もそうだ。」
目の前で繰り広げられる酒宴は間違いなく北方王国の威光の証だが、一方でノエルの謀の一つ、いや、エルノ河の橋頭堡にエンドル沖海戦と二つの仕掛けに利用された実態がある。
「内海への足掛かりができたじゃねえか。」
「だからだ。」
ニライカンムが指摘する成果を肯定しながらも、注がれた杯を飲み干してアグニート王は続ける。
「あの小僧は徹頭徹尾、公国を守る事だけ考えてやがる。他はお構いなしだ。それでいて相手の望むものを把握して交渉する。悪党の見本のような奴だ。」
ニライカンムは叔父の評価が自分と同じなのを意外に思いつつ話を聞く。
「おまけに最後は帳尻は合わせやがる。」
内乱中でなく内乱後に行われた帝国との交渉はあっさりと進み、白鯨船団の偉業につながった。帰り駄賃にノエルに持たせたエンドル港への寄港要請も結果達成した。エンドル港で得た物資と情報と繋がりはどれも貴重なもので、公国を支援した先見の明と合わせて国王の権威を高める結果となった。
「つまり、叔父貴はノエルが気に入ってんだな。」
それにはアグニート王は答えない。沈黙した叔父に甥は話を元に戻す。
「で、話にのるのかよ。」
「そんなもんに、付き合えるか。」
アグニート王は吐き捨てるように言うと、数十杯目の杯を一気に空けた。
「剣や頭で負けたから暗殺だと。あの小僧を殺って、溜飲下げるのに付き合えだと。」
どんなに美辞麗句で飾り理路整然と話そうと、根底にあるのはノエルへの復讐だと判れば北方王国が付き合う義理はない。アグニート王の判断に若干安心したニライカンムは確認する。
「なら兵は出さねえんだな。」
「いや、出す。」
ニライカンムは口に運ぼうとした杯を止めて卓に戻す。
「どういうことだ。いや、対帝国政策とは別ということか。」
明敏な甥に叔父は称賛の視線を送りながら返答する。
「貴様が言うとおりならその第二皇子の登極は邪魔すべきだ。皇太子がなってくれりゃ申し分ない。」
皇帝選定会議の開催時期に対外侵攻があれば会議が揺れる。下馬評の第二皇子確定が崩れれば、最悪遺恨が残る。状況によっては皇帝即位が延期となる可能性もある。
「なるほど、連合王国に貸しも作るのも、さっさと講和して帝国に貸しを作るのもこちらに主導権ありか。」
顔と体に似合わぬ二人の知恵者は、杯を打ち鳴らして飲み干す。
「てめえは副将で付いていけ、交渉役だ。」
出兵を命じるアグニート王に、ニライカンムは不満を漏らす。
「擬装出兵は楽しくないな。」
「馬鹿野郎、隙があればやるに決まっているだろう。」
北海の海賊。そう呼ばれる北方戦士団の長に相応しい顔のアグニート王に、ニライカンムは最後に確認する。
「で、叔父貴。ダロワイヨ男爵はいいんだな。」
「こちらの手間が省ける。」
為政者としての顔で答えて話を切り上げたアグニート王の決断を、臣下としてニライカンムは受け入れた。
連合王国と都市連盟の連携に、北方王国は計画に参加しないが、支援は行い、情報も伝えない。これとは別に共和国も動き、更には同様の会話と計画が他でも練られていた。自国の都合、個人の栄達、復讐心、莫大な懸賞金と様々な思惑があり目的は異なれど目標は一つ、大陸一の策士の命。
帝都を舞台として行われる最大規模の暗闘が始まろうとしていた。
「それで仕込みは万全なんだろうな。」
目の前で優雅に茶を飲む帝国の悪魔に、ノエルは嫌味っぽく尋ねる。
「はい、帝国は皇帝即位の恩赦でダロワイヨ男爵の死一等を減じるかもしれぬ、との噂は十分広まってます。」
選帝会議の余興に各国の密偵や裏組織、外注先を根こそぎ潰すつもりのマグオリンに、ノエルはつい皮肉を混ぜてしまう。
「違うぞ。見世物小屋に集まる犬どもに首輪を付ける準備だ。」
「そちらのほうも着々と。何より生餌が良いため獲物も十分集まることでしょう。」
「ああ、狩人が餌にたっぷりと油を染み込ませたおかげだな。」
ノエルは自分を餌に罠を張る優雅な陰謀家を睨むが、怒りの衝動は持たない。ノエル自身も同じことをするからで、実はマグオリンがノエルを評価しているのはこの極端な客観視だった。しかし、マグオリンは当然そんなことを話すつもりも無くお茶を口にして希望を添える。
「少しは生かして捕らえたいですね。」
大多数は土の下にするつもりか。
ノエルは肩を竦めると自分以外の生贄の命運を勝手に祈るのだった。




