戦記88
『公国側の情報提供により、ファリス将軍の嫌疑が晴れたため同将軍を即刻釈放する。』
この通達は講和会議の最終日に軍内部でひっそりと発表された。事前に流出した条約内容やエヴァに関する記事の掲載合戦と比べれば新聞への掲載も小さな取り扱いだったが、基幹第十一軍の幹部や兵士にとって大事な朗報だった。
無論、この取り扱いは政府側の意図的な情報制御であり、講和会議の喧騒の中で静かな幕引きを意図したものだった。
「長い間不自由をさせてしまい申し訳ありませんでした。」
ファリス将軍の開放に立ち会った憲兵隊の隊長の敬礼はおざなりではなく、憲兵隊内でも疑惑の信憑性が低かった証でもあった。
憲兵隊の見送りを受けて軟禁施設の玄関を出たファリス将軍は、副官エルモアの出迎えを笑顔で受ける。
「将軍、ご無事で何よりです。」
「ありがとう。そして心配かけて済まなかった。」
「少し痩せられましたか。」
続いて近寄る第一騎兵隊隊長エッジヴォルは笑みを浮かべながら迎える。
「全く、今回も無事で何よりです。」
補給総監で幹部最年長のサルマンは嘆息しながらも無事を喜ぶ。
「本当は兵達も来たいと言って、大変だったんですよ。」
「兵達を抑えるのは一苦労でしたよ。」
エルモアとエッジヴォルはここに来るまでの事態を説明する。
通達や新聞の記事からファリス将軍の開放を知った第十一軍の兵士達のうち、数百人ではきかない人数が各部隊長を通じて出迎えに向かおうとした。部隊長を通じて動きを知った幹部達は、今回の裏事情を推察した参謀のミュレアの目立たぬようにすべきだとの提言により兵士達の説得を行い、ファリス将軍の出迎えは第十一軍を代表して幹部四人となった。
「しかし、急に解放されたのは軍中枢が悔い改めたわけではなさそうだね。」
ファリス将軍の一言で幹部達は顔を見合わせる。
「それは。」
「ここでは、ちょっと。」
先にミュレアから事情を聞いていた三人は、ファリス将軍に言いにくそうな態度をとる。
「戦女神に、いやその従者に助けられたかな。」
ファリス将軍が何気なく言った一言に三人は驚愕する。
「閣下、その情報は。」
「いつの間にお知りに。」
「まさか洞察されたのですか。」
驚く部下達に対して朗らかに笑いかけながらファリス将軍が説明する。
「いえ、顔なじみ憲兵の一人が教えてくれました。」
「そうでしたか。」
「私はてっきり。」
「そんなに私は万能じゃないですよ。それよりも彼女はなぜあのような表情なのですか。」
告げるファリス将軍の視線の先には、少し離れて控えているミュレアがいた。
「ご無事で。」
敬礼するもその表情は常に冷静な参謀には似合わぬ申し訳なさそうな顔。他の幹部達のように自分に近づかずに離れて佇んでいる理由を、ミュレア将軍は二つに一つだと考える。何もできなかったか、何かをやり過ぎたか。
「やり過ぎた方ですか。」
困り笑顔の将軍と恐縮する参謀を見ながら、三人はファリス将軍のミュレア参謀に対する洞察力に感心していた。
「よくがんばってくれました。」
迎えの馬車に乗り込んだファリス将軍は、目の前に座った地味に控える参謀に改めて礼を言う。
「いえ、私など何も。」
「いや、絶対参謀殿のおかげですよ。」
副官から全面肯定されたミュレアは、そのままファリス将軍の理由を問う視線に耐えきれず決意する。
「今からお話しすることは軍人として逸脱する行為であり、閣下や部隊に迷惑をかける行為です。」
前置きののちに、ミュレアは帝都への潜入とノエルとの会談をファリス将軍に全て話す。そしてノエルに利用されたとの独自の解釈もつけ加える。
「なんて危険な事を。」
ファリス将軍は予想よりも危険で、共和国軍人であれば逮捕と裁判は避けられないミュレアの行為にため息をついた。事実、ミュレアがここにいるのは策が成功したからであり、それも公国の配慮あっての事だった。
「申し訳ありません。」
「いや、これは私の油断だ。あの黒策士が撒いた種の威力を低く見積もってしまった。」
アルザニアでの第十一軍帰還命令から、自分の身に謀略が仕掛けられた点を予想したファリス将軍としては、その根の深さを推測すべきだった。それが全軍撤退を優先したため、帰還中も有効な手が打てず、結果は帰還後の逮捕であった。ファリス将軍は部下に負担を強いた事を反省する。
「それで、かの男爵からこれを閣下にお渡しせよと。」
ミュレアが取り出した箱の中身はファリス将軍が想像したものの枠外だった。箱の中の輪を取り、眺めるファリス将軍は銀製の輪が細かな細工を施した恐ろしく高価なものだと知る。
「なるほど。こう来ますか彼は。」
ファリス将軍はノエルの顔を思い浮かべ、戦場の外では自分は及ばないとその智謀に感心した。
「私に大変有効であると共に、策が成ったことが耳に届くようにしているのが彼の恐ろしいところですね。」
「あ、あのこれは。」
ミュレアがどうしても理解できない様子のため、ファリス将軍は実践するしかなかった。
「つまりこういうことです。」
ファリス将軍は信頼する参謀の左手を取ると銀製の輪を左手の指に嵌める。その指に指輪を嵌めるのは、その者が異性と特別な関係にあると示す。その意味をようやく理解したミュレアは悲鳴に近い声を上げて狼狽する。
「あ、あの、こ、これって、いや、いえ、いやじゃなくて、でも。」
指輪を嵌めた左手の薬指を見ながらミュレアのうろたえは止まらない。
「私は変わり者で軍にいながら組織に馴染まない偏屈でこれ以上の出世の見込みもありませんが、それでも私についてきてくれますか。」
ファリス将軍の申込みは、傍で聞いていると駄目な男の告白だったが、ミュレアには最後の部分だけしか頭に入っていない。
「わ、私で、よければ、もちろん、っはい。」
非凡と秀才の会話としては落第点だ。同じ馬車に乗る第十一軍の後方責任の補給総監は思った。
参謀の可愛いところなど始めてみた。ファリス将軍の隣に座る副官は驚いた。
この時期に結婚と賭けた奴はいただろうか。二人のやり取りを眺めながら第一騎兵隊の隊長は賭け表を思い出す。
馬車の中の微妙な雰囲気に気が付いたミュレアは、咳払いをすると出来る限り自分を取り戻す。
「これは黒策士の策であり、閣下が、無理に、その。」
自分の指に嵌った指輪を見ながらファリス将軍に告げるミュレアだが、どうしても自分から指輪を外せない。
「これが条件というのでしょうから、参謀の責任ではありません。」
「あ、はい、そう言っていただけると。」
真顔で答える参謀と、頷くファリス将軍の様子に副官と隊長と長老は顔を見合わせる。
「結局、どうなるんだこれ。」
「過程ではなく、結果でよしとするべきでは。」
「まあ、そうでなければ参謀殿が将軍の思いに気がつくとは思えんが。」
日頃は意見を言うにも身構えるほどの相手に三人は言いたい放題だった。
「これはあくまで取引の条件であって。」
三人の言いようにミュレアが言い訳を並べようとして、三人揃って首を振られる。
「参謀殿が軍律を破って帝国に向かった時点でもう。」
「それにこの偏屈閣下が気にいらない者を参謀なんかに置いておくないでしょうが。」
若くてまだまだ未熟と思われた副官と、年中騎兵を率いて戦場のみしか知らないと思われた片目の隊長、それぞれからの一言は効果的だった。ミュレアは耳まで赤くして驚き、ファリス将軍に尋ねる。
「い、いつから。その、私を。」
「初めて貴女と一緒になった作戦、私の軍令違反に抜け道を作ってくれた上で、最後まで支えてくれた時ですね。」
「あの時、は、その。」
ミュレアは若過ぎる自分の姿を思い浮かべながら恐縮する。
西域小王国群と共和国のいく度目かの戦争で、共和国西部国境に展開していた基幹第九軍の本隊が奇襲を受ける。威力偵察中で本隊より離れていた同軍第三大隊のファリス大隊長は、この事態に同行していた第九軍新人参謀のミュレアと部隊の進退で口論となる。
本隊の後退支援を主張するミュレアに、敵の追撃戦の妨害のために敵補給拠点の先制確保を提案したファリス大隊長は譲らない。ミュレアは全軍への後退命令から逸脱するファリス大隊長の作戦は、戦術的にも困難で最悪は第三大隊が敵軍の中で孤立すると判断した。
「御自分の無謬性を過信しておられるのですか。」
西部戦線で一戦毎に出世するファリスの実績を知りながらも、無茶な作戦による手柄ではないかと考えていたミュレアは不信感を一気に膨らませた。
「今回はこれが次善です。」
「これが次善ですか。ならば最善は何だというのですか。」
ミュレアの厳しい問いかけにファリス大隊長はあくまでいつも通りに答える。
「大隊をここに進出させ、敵の連絡網を遮断。本隊が反転して追撃部隊を迎撃、その間に大隊を貫通させ一時的に敵を分断する。」
大胆過ぎる作戦に唖然とするも、ミュレアはその策の可能性について気がつく。
「ポックスまで辿り着けると思いますか。」
現在地点から国境の街ポックスまでの行程は七日。その間、第三大隊の動きに惑わされて敵の追撃が緩めば本隊の反転迎撃、もしくは再攻勢まであり得る。
「ですが、完全に命令違反です。」
第三大隊に課せられたのは第九軍の駐屯地ムーアへの後退だったため、次善の策なら退路の一時的な変更で済ませれるが最善の策は目的地が異なるため命令違反となる。
「ですから、次善の策しかないできないのです。」
ファリス大隊長の瞳に熱も狂もない。あるのは知性と若干の諦め。
「何故、この最善の策を行いたいのですか。」
「第九軍の損害が最も少なく、かつポックスの街の安全も確保できます。」
単なる大隊長のはずが、一個軍と西部国境の街のことまで考えている。ミュレアは、より上位の視点で考えるファリス大隊長の評価を少しだけ修正した。
「最前線での緊急時における参謀権限で本作戦を大隊長に提言します。」
この戦いは公式記録ではミュレア参謀の大胆な作戦立案により、第三大隊は兵を一割脱落させながらも敵の分断と誘導に成功、本隊は追撃軍を撃退して無事にムーアに退却、第三大隊もポックスの街に到達した、だった。
この功績によりミュレアは昇進、参謀本部勤務となり二年後に基幹第十一軍参謀となる。新たな司令官にファリス将軍が配属すると、大胆な発想のファリス将軍と緻密なミュレア参謀の組み合わせで共和国西方部の国家群との戦いで完勝する。
特に小王国各国が集結した兵五万の軍を基幹一個軍二万の機動戦で叩きのめした戦いで、ファリス将軍の描いた半包囲戦術をミュレア参謀が砂時計を用いた精密な三個大隊の時間差機動展開で実現した戦果は、共和国軍内で称えられるだけでなく西域小王国群から魔女の称号を得るまでに至る。
「ならあの時も。」
ミュレアはファリス将軍が自分に好意を持っているとは知らず、基幹第十一軍司令官着任当初は冷たく当たっていた。
「当時は大変失礼な態度を取り、申し訳ありませんでした。」
「いえ、私も規則を守らずに組織の長としては問題ありましたらか。」
日々の時間も守らず、書類もろくにチェックしないファリス将軍に厳しい言葉で接したミュレア。本当に見直したのは、ファリス将軍が劣勢の中でも手柄を立てるのは、常に兵や住民の犠牲が想定される時にのみと気がついてから。
ミュレアが自分の記憶をたどり恥ずかしげにファリス将軍に謝罪する光景に、それ以外の者は居心地を悪く感じ始める。
「我々はお邪魔ではないでしょうか。」
「奇遇だな、俺も同じ事を考えていた。」
「まあ馬に蹴られるのは避けたいですな。」
横で小声で話す三人の声は狭い馬車では聞こえないはずもなく、ミュレアは引き留めようと言い繕う。
「いや、そんな、貴官らが邪魔とかはない。第一、今後の事も相談しないといけないではないか。」
ミュレアは慌てて振った手に嵌る指輪が目に入ると、今後の事という自分の言葉に動揺して再び顔を赤くする。
「さすが黒策士です。指輪一つで我が軍の参謀を機能不全に陥らせるとは。」
「全く、全く。」
ミュレアの様子にサルマンが感想を述べると、エルモアとエッジヴォルは力強く同意した。
喜劇を演じる羽目になった部下達の様子を眺めながら、ファリス将軍はノエルの伝言の真の意味を考えていた。
「おそらく、サティ・ミュレアが何者かを知っている。するとこれは私に共和国軍を纏めろという伝言。だとすると彼が見えているものはいったい。」
騒がしい馬車の中でその呟きは誰にも聞えなかった。
ファリス将軍が部下達と馬車に揺られていた頃、別の憲兵隊施設でより過酷な扱いを受けていた容疑者が久しぶりの日差しを浴びていた。
「あの、私は何故。」
新聞記者である夫が密偵だと疑われて憲兵隊に勾留されていたエルマは、厳しい取り調べが続くなかで突然釈放される。知らぬ存ぜぬを押し通したエルマはそれでも夫が密偵であったと理解した。生きて出られぬと思っていた矢先の釈放により、外に連れ出され戸惑いを隠せない。
「上からの命令だ。」
「娘は。」
唯一の気がかりの娘の事を尋ねると若い憲兵は吐き捨てる。
「売女の子供など軍が知るものか。」
強い口調に驚きそれでもその上官と思わる人物に目を向けると、およそ感情のない口調で説明を受ける。
「貴様は釈放後、三日以内に国外追放となる。」
「それでは娘は。」
「本来であれば国外追放では共和国民としてのすべての権利を剥奪される。」
エルマの顔から血の気が引く。重罪の親から子の親権の剥奪は珍しいことではない。
「しかし、今回は貴様の後見人からの要請で超法規的措置として家族の同行も許される。」
娘と一緒にいられる、エルマはそう解釈したものの後見人と言われても心当たりがない。
「あの後見人というのは。」
「公国のさる筋の方だ。」
「え、あ、あの。」
相手が公国人というのも、憲兵隊長が畏まった表現を使うのもエルマにとって疑問が増すばかりだった。
「詳しい事は引受人から直接聞け。以上だ。」
これ以上の問答は不要とばかりに、憲兵隊長は公国が手配した馬車にエルマを乗りこませる。暗い馬車の中には大きな影と小さな影があった。
「お母さん!」
「ミシャ!」
一瞬で互いに娘だと母だと判った親子は、馬車の中でしっかりと抱き合う。
「ミシャ、ミシャ、よかった。本当に。」
「お母さん、お母さん、お母さん。」
泣き喜ぶ二人を乗せて馬車は静かに動き出す。
馬車に乗り込んだ時点でエルマは憲兵隊の手から離れる。公国の紋章が入った治外法権の馬車を見送った若い憲兵は隣にいた隊長に尋ねる。
「この取引で我々は何を得たんですか。」
聞いた憲兵は憲兵隊長から睨まれ沈黙する。部下と同じく心の整理に苦労していた憲兵隊長が口にしたのは当たり前かつ最も重要な事だった。
「共和国軍の名誉を守った。それが全てだ。」
憲兵隊に所属する以上はその一言で納得すべきだと自分に言い聞かせ、若い憲兵は隊長室に向かう上官を敬礼で見送った。




