戦記67
連合王国は陸ではマルーノ丘陵からの撤退、海では北方諸国艦隊の参戦による退却で事実上、公国包囲から脱落した。これはノエルが行った二十を超える策謀の一つが、瀬戸際ではあったが有効に働いた成果であった。
帝国と連合王国や東域小王国群を隔てるエルノ河の起点となる北海に近いルマン湖。その湖は大河の生みの親に相応しく周囲の山脈から水を集めた大湖で周辺の村々に様々な恵みを与えている。湖からは複数流れがあり、本流であるエルノ河で河川を使った南北交易の窓口となる港は最も近い東域小王国群の一つ東方騎士連合国の港は半日の位置にあるため、湖自体は戦略的要地としては見られていなかった。
北方諸国から内海に向かう荷は通常は北海から帝国を経由するか、陸路で東域小王国群を通りエルノ河に入るか、北海から西へと進み外洋に出るかの三通りである。
いずれにせよ周辺の各村は国境地帯でありながら政争や戦乱と無縁で穏やかな日々を暮らしていた。
そのルマン湖の小型の荷船や漁船が行き交いする穏やかな光景を覆す事件は、連合王国が公国に侵入したその日、太陽が最も高い位置に来た頃だった。
「ひけー!」
「あともう少しだ!」
「気合をいれろ!」
湖全体に響く雄叫びとともに、木の軋む音と大勢の人が動く騒音が続き、最後に激しい水音を立ててそれはルマン湖に投じられた。
「戦士団集合せよ。」
「バルク班の船員は泳いで向かい、迎えの船を準備せよ。」
「準備できしだい乗船を始めるぞ。」
ルマン湖の砂浜に大柄で屈強な男達が次々と現れ、声を上げて忙しく作業をする。それが北方諸国の戦士や船員だと知らされていた村民は、遠巻きに見守るだけで近付かない。
「村長はどこだ。」
彼らとは異なる鎧を着た騎士の一団が村民達に近づいていくと、群れの中から一人が声をあげる。
「ここに。」
初老の男と若い男が村民の中から一歩進み出ると、騎士の一団が左右に分かれて列をつくる。その奥から位の高い貴族が現れて村長の前に立つ。
「貴様の話の通りだった。無事に運ぶ事が出来たぞ、感謝する。」
「いえいえ、お役にたてて何より。」
「頼んでおいた荷はどうだ。」
「この奥に揃えております。」
初老の村長が確認のため三名の騎士を案内する間に、巨体が丸太の上を滑りながら湖に投じられる。
「全部で何隻あるんだ。」
最初ものよりは小振りとはいえ、自分が知るどれよりも大きなものが次々と運びこまれる光景に、若い村長代理が思わず口にすると騎士の一人が親切にも答える。
「あの大きさが十隻、それよりも少し小さい船が二十隻だ。」
「ルマン湖が埋まっちまう。」
あくまで比喩であると騎士は笑うが、村長代理には視界が北方諸国の船で埋まる光景にただただ唖然とするしかなかった。
帝国と北方諸国を隔てる海は北海と呼ばれ、冬の寒さと荒波で有名だった。この海は北方諸国が五割、列島王国が三割、帝国が二割支配している係争地であると共に交易船が行き交う商業の海でもある。
プトラ伯爵領は帝国の北海に面する海岸線の三割を占め、貿易港から漁村まで様々な港を有している。その一つザスニッツに北方王国の使者が現れたのは二か月前、一ヶ月間の交渉の末に北海からルマン湖へ向かう街道で祭りにも似た事業が執り行われることになった。
「これがアグニート王が自慢する船か。」
ザスニッツの港で北方王国の座乗船を前にしてプトラ伯爵は感嘆の声をあげる。都市連盟の外洋船や連合王国のと比べると高さが無い変わりに横幅は十分あり、無風でも櫂を用いて航行可能で衝角を用いた接近戦や上陸戦に威力を発揮する北方王国の主力船、その中でも最も巨大で豪奢なレダリアル号は最新の技術を用いた半帆半櫂の強力な武装船だった。
「陛下はこれがお気に入りで、この巡行も自ら参加したいと最後までごねておりましたわ。」
豪快に笑う船長のダガは日焼けした肌と髭が特徴の北方の海の男であり、また強力な戦士でもある。帝国貴族であるプトラ伯爵はそれを見抜くと、この事業の裏にある事情を思い巡らせる。
「しかし、貴国も大胆なことを提案する。」
プトラ伯爵は右手に持った書状を振って笑う。
「それを受けた貴国も大概だと思いますが。」
ダガ船長は両手を広げて驚きの仕草をする。帝国人からは北方の蛮族と呼ばれる北方諸国だが、交易の民でもあり、ダガ船長のように若い頃から各国を訪れ商売の腕を磨いた者は十分に教養もあり社交儀礼も備えている
「わが国としてはこのような試みは、見過ごすわけにはいかぬのでな。」
大陸の中心にあり、大陸の覇者を自任する帝国にとって開拓とは自らが行うべきだという考えを持つ。プトラ伯爵もまたその考えを受け継ぐ者であり、同時に自身の好奇心も関係する。
「戦以上に心躍るとは、中々に愉快な案。」
周囲の目を気にしての発言はお互い承知のため、二人は案の詳細や発案者については口にしない。
「ダガ船長。」
「プトラ閣下。」
それぞれの部下が呼びに来たため北方王国の船長と帝国の伯爵は礼を交わして互いの用事に向かう。
「準備は。」
「人足千名、牛五百頭、丸太二千本、油ハ百壺、全て準備が整いました。」
「街道沿いの警備は。」
「騎士団三百と兵五百を配しております。」
「野営地の準備は。」
「二ヶ所準備、接待役に近くの村四ヶ所から三百名ほど集めました。」
プトラ伯爵の問いに、澱みなく答えていく腹心の行務官は最後に本音を漏らす。
「しかし、本当にできるんですかね。」
「帝都から許しがでた手前、何としてもやらねばなるまい。」
北方諸国の同盟艦隊を北海からルマン湖に移動させる計画は、北方王国より持ち込まれ帝都の判断を経て実行されようとしていた。港に簡易の船渠を造り、水抜きした後に船を丸太を使って街道を通してルマン湖へと運ぶ手段と、ルマン湖からエンドル港へと向かう航路は話自体の出鱈目さとは異なり、詳細まで詰められた計画に依っていた。但し目的が新造の座乗船のお披露目とエンドル港寄港権の交渉のためと言われるとプトラ伯爵も首を傾げてしまう。公国への連合王国と共和国の宣戦布告はこの地まで知られており、公国とその周辺海域が戦場となるのは確実と聞いている中で北方諸国の船団が内海に入るのは、各国との軋轢を生む可能性がある。
プトラ伯爵は帝国南部や内海の情勢に疎いものの、莫大な費用をかけて西回りではなく東回り航路を、一部陸を通るため航路というべきかどうかという話があるが、開拓する真の目的が別にあるのではと勘繰る。
もっとも北の一領主には帝都で行われている国際政治は与り知らぬことで、プトラ伯爵はこの事業を切っ掛けとして自領にどのような恩恵をもたらすべきか、それのみを考える事とした。
船団の陸上移動はレダリアル号を先頭に三週間がかりで行われ、湖へ三十一隻を三日に渡って進水させる事で、ようやくルマン湖に北海最強の『白鯨船団』が出現する。
「それでは良き航海を。」
「世話になった。」
船団の総帥の北方王国王弟アエラフトは、帝国貴族プトラ伯爵に手を上げると目的地である内海にある公国唯一の商業港エンドルを目指して船団の出陣を命じた。
『白鯨船団』は二日後には森の港に寄港するついでに、港を包囲していた連合王国のエルノ河河川艦隊であるリーヨン艦隊を襲い壊滅させた。理由は船団の寄港を邪魔したからであり、奇襲を受けたリーヨン艦隊十五隻は半数が焼かれ、残りの半数は捕獲、残りが撤退する。
クキラ将軍はノエルからのこの事態になった場合の対処を指示されていた港の顔役から補給物資を受け取ると、宴を催す暇もなく『白鯨船団』をエルノ河を下流へと移動させた。
「港を包囲してい艦隊は壊滅、船は散り散りになり脱出できたのは数隻のみ、艦隊司令も行方不明です。」
リーヨン艦隊の一部が下流の橋頭堡に到達したのは焼き討ちから半日後だった。
「いかん、すぐさま浮き橋に兵を回せ。」
エルノ河守備隊のグレール隊長の叫びに部下が進言する。
「一旦、橋を回収したほうが。」
「間に合わん。やつらはすぐに来るぞ。」
浮き橋はエルノ河を往来する商船には不評だったが、連合王国は軍事を優先させ、公都侵攻の長期化や増援の投入を考えて強化していた。橋は五本に増やされ中央部分のみ可動できるように工事が続けられている。故に橋を回収は容易でなく、守備隊長は休養中の部隊も駆り出して浮き橋上と河の両岸に混乱しながらも防衛体制を構築した。
「合図と共に引き綱による妨害を実施する。」
「隊長、船影が。」
河上から現れた巨艦に全員が息をのむ。北方諸国の軍船はエルノ河を行き交う大型の河船に匹敵する。だがその背後にいるのは横幅だけでも三倍を越えていた。
「なんだあれは。」
「砦が動いているのか。」
外洋船と変わらぬ帆を持ち、櫂を用いる平船といえども甲板が広すぎる超大型船は兵の動揺を誘うには十分だった。
「心を乱すな。」
兵達を落ち着かせようと声を上げるグレール隊長だったが、超大型船の甲板でうごめく鎧を見て衝撃を受ける。
「くそ、北方王国の戦士団か。」
戦闘力では帝国騎士団を凌駕すると言われている戦士団は、選りすぐりの巨体戦士が斧や剣を振り回して敵船や港に殴り込む北の暴力装置で、その破壊力と行動は近隣諸国に鳴り響いていた。
「弓兵隊準備しろ。敵船を近づけさせるな。」
上司であるバストラミ将軍の信頼あついグレール隊長は自分の責務を放棄することなど考えられず、覚悟を決めると『白鯨船団』に対して攻撃を開始した。
連合王国の橋頭堡が船の行き来を邪魔していると知った王弟アエラフトは、全ての浮き橋の破壊を命じる。船団が浮き橋を破壊している間に上陸した戦士団が備蓄された膨大な糧秣を焼き払い、守備部隊を壊滅させると船団はさらに下流へ向かい、内海に入ると西へ進路を向けエンドル港へと向かった。
公国東方面軍への第六次攻撃の寸前で事態を知った連合王国軍では、参謀団が即時退却を提案する。
橋頭堡と兵三万の補給物資が破壊されたことで、マルーノ丘陵への安定した糧秣輸送は不可能となり、増援の投入計画も見直しが迫られ、連合王国の軍略は完全に破綻したためだった。
これには最後までメイリオ王子は渋ったが、参謀長から戦場が公国から王都へ移るため急ぎ備える必要があると諭されて承認した。
公国軍の追撃を避けるため深夜の撤退を行った連合王国軍は、若干の脱落者を出したものの完璧な撤退作業を行いマノール丘陵を後にした。




