戦記38
「反乱軍は帝都より二日の距離で停止しました。先陣は第三騎士団でそれに選帝侯軍が続いております。」
複数の斥候からの情報を取り纏めた偵察部隊の騎士長が膝をつき、皇帝不在の赤耀の間で報告する。
「そうか。ご苦労。」
空席の皇帝座に背を向けたまま、皇太子が各報告を受けていた。退出した騎士長に代わり軍務局作戦課ドル二ガル男爵が他方面の戦局を報告する。
「同盟軍の動きですが北上する軍の動きは辛くも止まりました。」
ドル二ガル男爵は、一旦、言葉を止めて皇太子の様子を伺う。自軍に大きな影響を与えた対帝国同盟軍の報告に皇太子が冷静でいられるか自信が無かったからだ。もっとも様子を伺っているのは男爵だけでなく赤耀の間に居る帝国の幹部全員だった。
一週間にわたる一大会戦の終局は呆気なかった。竜騎士団の敗北の報、それが両派に多大な影響を与えた。事実は撤退、しかし目的を達成せずには退かない最強軍が撤退した事実は敗北の印象を付け、親族、兄弟、そして息子が竜騎士団にいた者、帝国軍幹部、そしてその忠誠の対象であった皇帝にも動揺を与えてしまった。
それらからいち早く立ち直ったのはエイロンであり、素早く将兵を集めると訓示を発する。
「何故、彼らが敗北したのか。それは帝国が乱れたからにある。」
「私にも罪がある。この帝国の乱れを皇室の一員として止めることが出来なかったからだ。」
「しかし、彼らを支援も無いまま敵に送り込んだのは帝都に篭る愚かどもだ。」
「私はもう待てない。これ以上、他国の蹂躙を許すことも、愚鈍な者に帝国を任すことも。」
これは大歓声を持って受け入れられ、軍の士気を格段に向上させる。この時、寄せ集めの貴族派軍が第二皇太子エイロン軍となった。
その日の夕暮れに官僚派軍は戦場を去り、その地は勝者の声で満たされた。
帝都に戻った皇太子は全ての感情をねじ伏せて皇帝に拝謁する。敗戦の事実、無能な弟と傲慢な弟の存在、傷つけられた名誉、それらを表に現すことを避けて、敢えて皇帝から叱責を受けることも甘んじる覚悟で皇太子は広間に入った。しかし壇上の皇帝は最低限の指示を与えたあと心労を理由に自室にこもってしまった。そのため最高権力者不在の広間では、まだ威厳は保たれていたもののどこか覇気のない空気が流れている。そのことに戸惑いと苦々しさを感じながらも皇太子は代理としての務めを続ける。
「続けろ。」
皇太子に促され、若干安堵のドル二ガル男爵は報告を続ける。
「はっ、現在の共和国軍は西方国境を目指し、連合王国は東方国境を目指しております。」
そこでリヒタール将軍が第二皇子軍に寝返ったため筆頭格となったフルブランドル将軍が確認する。
「両国は自軍の主力の侵攻を支援するために向かっているのだな。」
「間違いありません。」
ドル二ガル男爵は確信を持って報告する。
「各方面からの情報を合わせますと、西方国境には七万、東方国境に五万が配されております。」
共和国と連合王国は南部の対帝国同盟軍の侵攻が予想以上に成果を挙げたため、西部戦線と東部戦線の構築を前倒しした。個々の兵力であれば平時の帝国にとって恒例行事の規模であったが、内乱で余裕がない今は状況では十分驚異になる。
「アイドルト将軍とヴァルク東方伯からの救援要請が届いております。」
西の国境要塞を守る鉄壁の名を持つアイドルト将軍も、前面の共和国軍と背後から迫る同盟軍を一手に受け持つのは厳しく、また日々、連合王国をはじめてとした東部諸国との紛争に敏腕を振るうヴァルク東方伯も背後の兵站を脅かされては采配に支障が出る。このような場合、軍の基本戦略では一個騎士団と二個兵団が急派されるところ、帝国軍指令部はいまや第二皇太子軍となった反乱軍に対抗するためにはその程度の兵力も動かせなかった。
「帝国最大の危機だな。」
皇太子の冷めた口調が幾人かに感情のさざ波を立たせるが、面に表す者はいなかった。
「兄上、まずはエイロン兄上と和睦を結び東西南の敵を排除されては。」
それまで沈黙を続け、周囲からは居ないものとして扱われていたブルノー皇子が、若干震える声で兄である皇太子に諫言した。これをブルノー皇子にしては理性的な発言、と考える者もいれば臆病ゆえの戯言とみる者もいる。
「今、帝国は東西南北の敵を抱えている。」
そんなブルノー皇子の発言に対して、皇太子はむしろ他に居る講和派の気勢を制するかのように、エイロンを明確に敵と言い切ることで退けた。これによりブルノー皇子はこの場での発言権を失う。
「反乱軍はシュバイル平原で軍を再編するつもりですな。」
場の空気が委縮する前にフルブランドル将軍は発言し、皇太子の意思は固いと感じて第二皇子軍のみに話を絞ることに決めた。
同時にフルブランドル将軍は帝都北西に広がる平原を思い浮かべながら、そこにいる帝国軍が敵であることに複雑な心境だった。過去に起こった帝国のどのような国難でも、敵軍にこの平原まで進出されたことなどなかったからだ。
「それが身内とは。」
さすがに小声でつぶやくも背後の側近には聞こえ、副官の騎士ラーデンは将軍の苦悩の一旦を知る。それでも一瞬の弱気ともとれる言葉はすぐに消え、フルブランドル将軍は居並ぶ将官、文官に朗々たる声で告げる。
「反乱軍は間近に近づきつつある。しかしこの帝都は十万の軍にも耐えうる強固な城である。」
帝都は街一つを城壁で囲む巨大な城でもあり、元からの帝都警護軍だけでも一万、入城した皇太子軍を含めれば現時点の兵力は六万に膨れ上がる。これを短期間で攻略するための大規模な攻城戦が必要となり、第二皇子軍もその予定で準備を進めている。
「基本戦略は敵をこの帝都前面におびき寄せて、わざと包囲させる。我が軍は敵の攻勢に耐え、その終息点で反抗作戦を行う。」
大雑把であるが、その内容は他の者の同意を得やすいもので皇太子もその戦略を是とした。後は軍の作戦行動を決める段階になるため場は解散となり、同時に帝国軍最高軍務会議の招集が命じられた。
「殿下はあくまで徹底抗戦か。」
「そのようだな。」
自室に戻ったあと身なりを整えて青翠の間に向かうフルブランドル将軍は、途中で会った帝都守護役のシャフーナ将軍からの問いかけに憮然としたまま答える。二人の将軍にとって忠誠の対象である帝室が二分している状況は好ましくない。無論、皇帝の意であれば最後まで戦い抜く所存だったが、その皇帝が戦意を失っている様子で自分自身の士気を下げる要因になっている。
同期である二人の将軍はそろって青翠の間に入ると、より暗い気持ちになる。これから行われる帝国軍最高軍務会議に招集された面々の様子から勝つ気配が薄い、そう感じたのはフルブランドル将軍だけでなく、シャフーナ将軍も同じだった。
座するのはドルニガル男爵やタイロス子爵の軍幹部に上級軍務官達。それがある者は目を瞑り、ある者は眉間に皺を寄せて押し黙っている。何より竜騎士団の単独先行を発案した兵站部のマーリッド上級軍務官は、誰とも目を合わせようとしない。作戦部の提案を蹴った形の為、責任問題として発展するのは必定であり、マーリッドは責任回避のためにも皇太子の居ない場で発言をするつもりが無かった。
「殿下はいかがされましたか。」
同じ皇太子頼みのマルド上級軍務官がフルブランドル将軍に尋ねる。
「いま、宰相殿と話されておる。もう間もなくこられるが、何か急ぎかね。」
フルブランドル将軍の言葉に棘があるのは仕方なく、マルドもそれ以上は沈黙を守る。重苦しい雰囲気のまま青翠の間は皇太子の登場を待つことになった。
「エイロンめ。」
赤耀の間に残った宰相は、皇太子の舌打ちを気が付かないふりでやり過ごすと皇太子親衛隊の隊長に尋ねる。
「帝都の防御は万全か。」
「はっ、シャフーナ将軍の指揮の下、全ての城門と砦に指揮官と兵を配置しました。十万程度では落ちません。」
親衛隊隊長の自信は事実であり、三重の城壁と十三の砦により守られた帝都の攻略は年単位を要すると考えられている。
「陛下のご様子は。」
皇太子は皇帝秘書官に尋ねる。
「お心が沈んでおられ、その。」
「この状況でそのような弱気な態度とは。」
言いよどむ秘書官に皇太子は不快感を隠さない。
「殿下、やはり先の戦の大敗が。」
宰相は最後まで言えなかった。
「大敗だと、それは何の話だ。」
皇太子の機嫌が加速度的に悪化していく様子に、身の危険を感じたためだ。
「申し訳ありません。」
宰相の謝罪に、周囲の自分を見る目を敏感に感じた皇太子は、すぐに態度を改める。
「いや、俺も不調法だった、許せ。それよりもこれから軍務会議だ。宰相は帝宮の引き締めと内戦後の財政立て直しの計画を任せる。」
「仰せの通りに。」
宰相が皇太子を評価するのがこの点だった。感情をすぐに御して常に明確な命令を出す皇太子は官僚にとって厳しくもありがたい存在であった。
宰相が退出すると皇太子は皇帝秘書官や一部の衛兵も下がらせてようやく緊張を解く。
「全く、あの弟には手を焼く。」
どちらの弟かはわからなくとも、側近である親衛隊隊長は反応については間違わない。
「殿下のご心労察します。」
「おまけに父上までもが。」
これにはさすがの隊長も発言を控える。毒によると思われる病臥からの復帰後、皇帝の覇気が衰えたと宮中の全員が感じている。それを契機とした官僚派の伸張への不満も増大した。隊長自身は皇帝に対する敬意は翳ってはいないが、それでも今回の皇帝の態度は腑に落ちない。
「まさか陛下は。」
この場で吐き出す事はあまりにも危険と、隊長は言葉を飲み込む。広間に残り少数の側近と今後について協議する、実際は愚痴を語っていた皇太子に自分の思い付きを告げるかどうか悩む。
傍にいる隊長の心境は知らずに、皇太子はついやけ気味に声を高める。
「だれかこの状況を打破する名案は無いか。次期将軍の座も用意するぞ。」
「では一つ、名案がありますれば、傾聴いただけますでしょうか。」
答えがあるはずの無い広間の入り口から朗々とした声が響く。
「何者だ。」
誰何した隊長は、甲冑姿の人影に警戒を強め腰の剣に手をあてる。親衛隊の騎士達も皇太子を守るように壁を作る。
「ご機嫌麗しく、従兄弟殿。」
油灯の光に照らされたエヴァの顔を見つけ、皇太子は思わず声を上げる。
「どうして貴様がここに。」




