第十四話 パトリシアとピエール
翌日は抜けるような青空であった。
革命軍が駐屯した天幕を朝の光が照らす。
「う~ん。今日は忙しくなりそうね」
姫騎士プラムが伸びをしながら、顔を洗いに水場に行くと先客がいた。ピエールである。完徹なのであろうか。目の下にクマを作っているがニヤニヤして切り株に腰掛けている。
「おはよ。それ? なに?」
プラムはピエールの持っている小箱に気がつき声をかける。
「うん。これ、パトリシアへのプレゼント。リングなんだ。ほら」
フタを開けると金細工の可愛らしいリングがある。
「わあ~。ステキね」
「だろ? パトリシアは、ボクの前だと、いつも顔を真っ赤にしてうつむいているか、泣いているか、プンプン怒っているかで、あんまり笑顔を見た事がないんだよね。本当、笑顔は可憐で天使のようなのに」
「はいはい。朝からごちそうさまです」
ヤレヤレという風にプラムは手を振る。まさか、朝からのろけ話を聞かされるとは思わなかった。
しかし、微妙な空気を読まないピエールは話を続ける。
「だからボクは……。この戦いが終わったら、もう一度パトリシアに『好きだ!』と告白するんだ」
と、屈託のない笑みをみせる。
ざわ。
風がそよいだ。
………………。
しばしの沈黙も訪れた。
プラムは、ふっーとひとつ肩で息をつくと、こめかみを押さえながら。
「……あの~。気を悪くしたらごめんなさい。そういうのフラグと言うんだから気をつけた方が良いと思う」
ピエールはキョトンとして、首を斜めに傾げながら。
「フラグ? それなんだい?」
カアー。
頭上でカラスが鳴いた。
仕事は優秀なのに、相変わらずどこか抜けているピエールであった。戦場に出る前の一コマであった。
──帝都中央ビスケット宮殿。
アリューシア帝国、現皇帝、美男王ババロア・フォーク・アリューシアを囲んでの御前会議は紛糾していた。遂に帝都でも謀反が起こり政権は風前の灯火となってしまったのだ。
帝国、建国して四百年。その最大の危機がたった一夜にして訪れてしまった。
武門の名門、幽閉されていたはずのアレクサンダー・ベイグラハム辺境伯が兵を起こした。軍師には当代きっての切れ者と言われたセザール・ルブラン侯爵がついている。
そもそも、アレクサンダーは貴族学校時代に、開学以来の馬上槍試合二十連勝という記録がある。これが効いた。かつての学友を中心にたちまち造反者が集まり、有力諸侯や帝国軍幹部も巻き込んでしまった。
おかげで軍は機能不全だ。もはや、会議の内容は徹底抗戦か全面降伏かで揉めている。そもそも十二人いる最高幹部の選帝侯も半分しかこの場にいない。
軍師であるセザールによって籠絡されてしまったのだ。
集まってくる報告には良い知らせが一つもない。
各地にある帝国軍の駐屯地とも満足に連絡は取れず、すでにノルド地方の北方軍は寝返って、廃嫡王子のマカロンの指揮下に入ってしまったという情報が入ってきている。
宮殿は近衛の精鋭一万五千で守ってはいるが、その内の何割が死力を尽くすかは未知数だ。
ズズーン! 突然、大きな衝撃音が会議室まで響く。
兵士が駆け込んでくると。
「正門が破られました。お逃げ下さい」
宰相は顔を真っ赤にし。
「近衛はどうした? 守備隊は?」
と状況を確認する。
「近衛は寝返りました!」
その場にいる全員が絶句した。
抜かったわ。近衛の部隊長はほぼ全員、アレクサンダーの学友であった。こんな事なら、サッサとあのノルド野郎を処刑しておくのだった。
「秘密通路から脱出しましょう」
宰相は皇帝ババロアに進言する。もはや、それしか道はなかった。
ババロアは小動物のように丸い目をオドオドさせながら。
「よ、良きに計らえ」と命じる。
美男王と呼ばれているババロアだったが、それは皇太子時代の話である。今や、体全体にミッチリと肉がつきデカい顔がそのまま胴体にめり込んでいるようななりをしている。
とてもではないが、自力で歩く事は無理だ。でも、今の宰相らに取って、皇帝の身柄は革命軍と交渉の材料になる大事な身体である。
──是が非でも生かしたまま、逃げおおせなければならない。
宰相は手押し車を用意させると、皇帝を乗せ通路を通り、出口である法王庁を目指す。
湿気が充満しカビ臭い通路である。
ピチャッ! 水滴が顔にかかると「ひゃっ!」と子供のように怯えた声をあげる皇帝であった。
(黙れ! この豚!)
そう言いたい気持ちを押さえ、宰相以下も続く。通路の先に松明の灯りが見えた。先行していた守備隊であろうか。
「ご苦労!」
そう言って通りすぎようとした宰相は首根っこを掴まれた。
「おっと、待ちな!」
相手はグッと顔を近付けてくる。二カッと人の悪い笑みを浮かべている。
「ろ、狼藉者! 離せ……!?」
「よう! 待ちくたびれたぜ」
ホラ貝のような声だ。誰あろう。反乱軍大将、アレクサンダー・ベイグラハムその人であった。
☆ ☆ ☆
【おまけ】(パトリシア九才のときの話なのです)
──ノルド地方。ベイグラハム辺境伯領。初夏。
「おっほほほほ。捕まえてごらんなさい!」
豊かな亜麻色の髪を靡かせ、スラッとした少女が馬を駆っています。
ストーンヘンジが点在する草原です。毛長ウシの群れが草を食んでいます。
子供とは思えない華麗な手綱さばき。小生意気です。ちょこざいなのです。ノルドの子天狗とも言われているパトリシアお嬢さまなのです。
「待ってよ! パトリシア~」
顔を真っ赤にして一生懸命追いかけているのは、宮廷貴族ルブラン侯爵家の嫡子ピエールくんです。都会っ子の彼はパトリシアほど上手に馬を御せません。
「おっほほほっ。『待て』と言われて待つお人好しなどいないのですよ~」
あらあら、お嬢さま、いつもの倍ははっちゃけております。笑顔が弾け太陽のように輝いています。ピエールくんとの追いかけっこです。もうテンションがだだ上がりなのです。
でも、そのことを指摘するとプンプンするので、周りはみんな生暖かく見守っているのですが。
☆
一時間ほど前です。帝都からピエールくんが遊びに来ました。
去年のプリンの一件もあり、意識し過ぎて彼の顔をまともに見られないパトリシアお嬢さまです。
黒歴史です。自分はどうしようもない暴力女なのです。
もしかしたら嫌われてしまったのではないか? 口もきいてはくれないのではないか? 不安で不安で仕方がなかった乙女なパトリシアなのです。
馬車からピエールとピエールパパが降りてきても、迎えに行く勇気が出ませんでした。部屋の衣装タンスに三日分の水と食料を持ち込み隠れていたのです。しかし、呼びに来た侍女のマーシャに一瞬で捕まりました。そのまま、猫の仔のように首根っこを掴まれズルズル連行されたのです。
しょうがありません。デカいだけが取り柄のアレクサンダーお父さまの後に隠れ、上目遣いでチラチラとピエールの様子を窺います。
「やあ~♪」
ピエールと目が合いました。ニコリと微笑んでいます。相変わらずのイケメンぶりです。いつもと変わらないピエールくんなのです。プリン事件は気にしていないようです。なんと心の大きな人間なのでしょう。謝らなくては……。謝らなくていけません。勇気を振り絞り、アレクパパの影から一歩踏み出します。
大きく息を吸い込みます。ごっ、ゴホッ! 思わず過呼吸になりそうです。
「よ、よ、よく、来やがりましたですね……」
言葉がおかしいパトリシアです。おまけになぜか両手を腰に当て、胸を反らしエバっているのです。難儀です。我ながら自分という人間がわからなくなるパトリシアなのです。カーッと一瞬で茹で蛸のように顔が真っ赤になってしまいました。
ピエールはプッと吹き出すと。
「うん。来やがりました。パトリシア。約束だよ。乗馬で駆けっこをするって」
うんうん。帝都で会ったときに、そんな約束をしたような気もします。
「おっほほほっ。そ、そう。約束なら仕方ないわね。そ、そうだわ。駆けっこで勝ったら何でも『お願い』を一つだけきくことにしましょう」
「お願い? なんでも?」
ピエールはパッと顔をほころばします。
「そ、そうよ。何でもよ。そうね。わ、わたしが勝ったらピエールは家来になりなさい」
照れ隠しで、ピシッとピエールを指さしながら宣言するパトリシアです。
「うん。いいよ。ボクは何にしようかな」
「おっほほほっ。この馬術の天才の勝とうなんて、百年早いわ!」
「うんうん。ボクはパトリシアと百年経っても一緒にいたいよ」
「…………」
ピエールくん。相変わらずの直球勝負です。案の定、パトリシアは黙り込んでしまいました。かなり深いダメージを与えたようです。摘みたてのトマトのように真っ赤になっています。固く固く握りしめた手がプルプル震えているのです。再び暴力事件に発展しなかったのは奇跡でした。
☆
そして、再び、追いかけっこの場面に戻ります。
さて、幼い頃から馬に跨がっているパトリシアです。都会のお坊ちゃん育ちの馬術では追いつけるわけありません。
しかし、ピエールくんという少年は、ことパトリシアのこととなると諦めません。それが彼の持ち味なのです。
捕まえてごらんなさい! で始まった追いかけっこ。あははは。うふふふふ。いつまで経っても終わりません。
そこへ、巣穴を刺激したのでしょうか? 突然、パトリシアの前を野ウサギが横切ります。どう。どう、どう。驚く馬を冷静に御すパトリシアです。
すると。
「あっ!?」
という悲鳴と共に馬のいななきです。パトリシアが振り返ると、ウサギに驚いた馬が飛び上がり、空中にピエールが放り出されています。目を大きく見開き、『ビックリ!』という表情を浮かべています。
「ピエール!!!」パトリシアが叫ぶのと、
ドシャ! ピエールの身体が草原に叩きつけられたのは、ほぼ同時。
馬はそのまま駆けていきます。でも、今はピエールが大事なのです。
パトリシアは馬から飛び降りると。
「大丈夫!?」
ピエールの頭の下に手をあて上半身を起こします。
血の気が引いて顔が青ざめています。目もつむったまま動きません。腕がダランと下がります。
パトリシアの頭の中を嫌な想像がグルグル渦巻きます。
ダメッ! ピエール! 死んじゃやだ!!!
自分の心臓がギュッと鷲づかみにされたようです。どうしよう。頭の中が真っ白です。
すると、まぶたがピクッと動きます。良かった。生きてる。ホッとするパトリシアなのです。
ピエールは目をあけると。
「イタタ~ッ」と顔をしかめます。
「ドコが痛いの? わたしすぐにお父さまたちを呼んでくる。待ってて!」
「うん。でも大丈夫そう。少し痛いけど、動けるよ。手を貸して」
ピエールは手を伸ばします。
パトリシアはその手を握ると。
「本当に?」
と顔を覗きこみます。ポタポタと涙が零れピエールくんにかかります。
「泣き虫だなぁ。パトリシアは~。心配ないよ」
ピエールは笑みを浮かべます。
「だって。わたし、ムチャをしたから……」
パトリシアは涙が止まりません。
「でも、おかげで捕まえたよ。ボクの天使」
勝ち誇ったように口角が上がるピエールくんです。この後に及んでも、直球勝負を捨てないピエールくんなのです。これは、流石……なのでしょうか?
「ば、バカね」
パトリシアはピエールくんと握っている手に力を込めるのです。良かった。本当に良かったのです。
それから、ピエールくんを前に乗せ二人乗りで帰ったパトリシアです。屋敷に戻ると、ピエールが乗っていた馬だけ戻って来たので、心配した大人たちが様子を見に行くところでした。
ピエールはベッドに寝かされ医者に診て貰います。一方、パトリシアは生まれて初めて、アレクサンダーお父さまから怒られたのです。屋敷全体が震えるようなもの凄い雷でした。後にも先にも、怒られたのはこれ一回限りです。
でも、自分が悪いのはわかっていたパトリシアはグッと我慢して今度は涙を零しませんでした。こういうところはさすがに貴族としての血筋でしょうか。誇り高いのです。
幸い、ピエールの怪我は手足の打撲だけで済みました。客室のベッドで寝かされています。
もう、一生懸命にピエールの世話を焼くパトリシアなのです。
食事をアーンしてピエールくんに食べさせたり、隣で本を読んであげたりと至れり尽くせりです。ピエールくんが屈託なく微笑むと、パトリシアも頬を赤らめながら遠慮がちにはにかむのでした。
まったくお似合いの二人なのです。マーガレットお母さまは笑っていました。ピエールの父であるセザール侯爵もです。
しかし、ただ一人、アレクパパだけは「ぐぬぬっ」と言いながら悔しそうにしていたとか、いないとか。
それはそれは今から五年前の出来事なのでした。




