第十五話 パトリシア、聖女になる
──法王庁はごった返していた。普段の荘厳さが消え、慌ただしく指示を出す司祭やそれを受け小走りで走り回る職員たちの姿が見える。
これからここで、皇帝の弾劾裁判と『聖女』のお披露目が行われるのだ。聖女とはもちろんパトリシアのことである。記録によれば実に四百年ぶりである。古の典礼に則り、民衆に聖女の降臨を知らしめねばならない。それが今後、大陸を治めていく教会の仕事である。
庁内の奥まった場所にある執務室。枢機卿コルベールは、法王ニコリス三世と今回の件についての密談をしている。
「皇帝ババロアが地下通路で辺境伯によって捕らわれました。予定通り裁判で責任はすべて皇帝と一部選帝侯に負わせましょう」
「そうですか。それは何よりですね。民衆は生け贄を必要としています。皇帝はまるで無能な人間でしたが、最後に役に立つのも天命でしょう。時に枢機卿。『聖女』さまのご様子はどうですか?」
法王は穏やかな笑みを浮かべ、深い泉のような澄んだ瞳で尋ねる。
枢機卿は少し苦笑をしながら。
「リリアからの報告では、間もなく到着しますでしょう。しかし、まあ、噂通りの野育ちだそうです。ただ、見目も良く、その言動も人を惹きつける素質があるということです。生まれついてのものでしょう」
「そうですか。聖女には魅力が何よりも大切な資質です。あとはしっかりと教会がコントロールをすれば良いでしょう」
「はい。計画通り皇帝制を廃して、聖女を象徴とする政治体制を作りあげます」
「任せましたよ。枢機卿。我々はついていました。これこそ神のお導きでしょう。それでは聖杯の探索は一時保留しましょう」
法王は満足げに頷いた。
「はい。法王さま。奇跡の数は限られています。発見された石版は宝物庫に保管しておきます」
コルベール枢機卿は答える。
ベイグラハム領で発見された聖遺物の手がかりとなる石版は宝物庫にしまわれることになった。
「ところで聖女さまはまだ十四歳だとか」
法王の瞳にチラッと情欲の色がこもる。
枢機卿は表情を崩さず事務的な口調で。
「そうですね。彼女には色々と教育が必要でしょう」
「仕方ありません。折りをみて神の加護を与えましょう」
法王は薄く笑うのであった。
早朝に宿舎を発った馬車は問題なく帝都へ入れました。現在は、枢機卿から使いが来たので、リリアさんが馬車の外へ出て応対をしているところです。
わたしの横に座っていたライザさんが手を上にあげ大きくノビをしながら。
「緊張してバカみたいだったな。それにしてもずいぶんとあっけなく入れたものだぜ」
と、お菓子に手を伸ばします。
「はい。ホントそうですねえ」
わたしは取りやすいようにバスケットを向けてあげます。
「おお。悪いな」
「いえ。わたしもいただきます。でも、どうして検問所に誰もいなかったのでしょう」
マーシャが横目でチラリと咎めるように見た気がしましたが、うんうん、焼き菓子の一つくらいなら太らないのです。
すると、リリアさんが笑いながら馬車の中に戻ってきて。
「おい! 皇帝が捕まったぞ! なんでもお嬢ちゃんの親父さん、大活躍だったそうだ。あと、それから、お嬢ちゃんは正式に聖女に決まったからよろしくな!」
と立て続けに喋ります。
はい? 一体何がおきたのでしょう? わたしの頭が理解に追いつきません。
「……あの~。聖女ってなんのことです?」
とアワアワしながら聞き返すのがやっとでした。
☆
「聖女様。どうぞこちらへ」
案内されたのは大きな大きなお風呂です。
まさか庁内で入浴できるとは思いませんでした。なんでも天然の温泉らしいのです。法王庁についたわたしは、さっそくにシスターさんの集団に拉致されて、強制的に湯浴みをさせられています。何でもこれから、聖女のお披露目式が行われるので、沐浴ということなのです。
旅塵にまみれたウイッグを綺麗に櫛を入れられ手入れされます。着替えにはノルド王家の正統な衣装が用意されています。家にあるエレイン様の肖像画で見た記憶があります。
うんうん。まさかまさかの急展開です。わたしは水泳でも出来そうなくらい広い湯船に浸かりながら、先ほどリリアさんから言われたことを指折りながら整理します。
えっと、お父さまとお母さまのチート夫婦がピエールパパのセザール侯爵を黒幕にして挙兵したと。
そして、たちまち議会と軍の大半を掌握すると、皇帝も捕まえてしまったという。
ちなみにお兄さまも無事。
うんうん。これで家族は無事なようですし、わたしの火炙りルートも避けられたようなのです。
「それと……」わたしは口に出しながら四つ目の指を折ります。婚約者のピエールが民衆を引き連れ帝都に先ほど乗りこんで来たとか。
本当にピエールは何をやっているのでしょう? 「パトリシアを助けるんだ!」とか周りに公言して突っ走ったらしいのですが、相変わらずのド直球です。信じられません。
ふっ~。
でもなんだかホッとしました。安心したのです。思えば、ガウリンにて今回の事件を聞いてから、気が休まることはありませんでした。わたしはお湯に映る自分の顔を見ます。二週間も経っていないのに凄い時間を過ごした気がします。
「それに……。髪、切ってしまいましたし……」
わたしは短くなった自分の髪を指でクルクル巻きながら独りごちます。
似合わないこともないのですが、なんだか男の子のようでもあります。そう言えば、ピエールはわたしの長い髪をいつも褒めてくれましたけ……。
て、あれ!?
ポチャン! わたしの手が浴槽にすべり落ちます。
もしかして……、もしかして、わたし、ピエールと別れなくても良いの?
そう気がつきましたら変なのです。おかしいのです。
鼻の奥がツンとして、耳が海に潜ったみたいにキーンとします。目頭がジンジン熱いです。なぜかグスングスンと嗚咽もこみあげて来るのです。
えっ。なんで? どうしてなの? 胸の奥が焦がれるように痛いのです。とても切ないのです。キュルキュルと穴をうがつように刺してくるのです。
わたし、もしかして……、好きなの? 彼が……。ずっと、むかしむかしの小さい頃から……。
「ピエール……」
わたしは浴槽で呟いているのでした。目から零れた水滴が湯面に波紋をこさえていました。後から後から次々と。
☆ ☆ ☆
──法王庁前。わたしはテラスの影でその様子を眺めていました。
広場を埋め尽くす大群集です。たったいま、断罪の宣告を受けた前皇帝のババロア・フォーク・アリューシアが引っ立てられて行きます。血の気が引いたように青ざめた顔をしています。ブツブツと何か呟いていますが言葉としては意味をなしていないようです。
「さあ、聖女様。どうぞこちらへ。まもなく式典が始まります」
付き添って下さるシスターが声をかけます。
聖女だなんて違います。わたしはただの平凡な少女なのです。パトリシア・ノルド・ベイグラハム。それ以上でもそれ以下でもありません。それなのに……。
「ああ、なんとお美しいのでしょう。可憐で清楚で、上品で神々しい。まるで神話に出てくる女神さまのようです」
と褒めちぎるのです。
違います。わたしは聖女ではありません。第一、聖女になりましたら、わたしは例え肉親であろうとも自由に会う事はできなくなるのだそうです。
その生涯、神にこの身を捧げ、神殿の奥でヒッソリと暮らす日々なのだそうです。
お父さまもお母さまも本当に良くしてくれました。お兄さまもマーシャもロズベルト先生もです。そして……、ピエール。もちろんあなたもです。
わたしの前に居並ぶ家族と知り合い。もしかしたらこれが自由に話す最後の機会かも知れません。
平和のため。民の生活を守るために、わたしは聖女として生きるべきなのでしょうか? わからない。わからないのです。
お父さま。お母さまとわたしは抱き合って別れを惜しみます。マーシャともです。
そして、ピエールの前に立ちました。涙でぼやけて久しぶりの対面なのに顔がよく見られないのです。
「ピエール……」
わたしは鼻声です。
ピエールは優しくうなづくと、ポンと温かい手をわたしの頭の上に載せ。
「パトリシア。綺麗だよ。キミが聖女になることは、ボクの誇りだ。ボクは貴族の身分を捨てて、僧侶になろう。そして生涯独身を貫こう。それがボクのパトリシアに捧げる気持ちだよ」
ピエールは笑顔を見せるのです。
ウソです。ウソです。ピエールはウソをついています。だって、ピエールは、ピエールの笑顔は、もっと眩しくて太陽のようなのです。
こんな作り物のような笑顔ではありません。
嫌です。そんなの嫌です。
わたしは、パトリシアは生涯をピエールと共に歩みたいのです。
「パトリシア? どうしたの? 泣いているの?」
だって、わたしは。わたしは。わたしは。
「わたしはピエールと共にいたいの! 聖女になんかなりたくない!」
するとピエールは、突然、わたしの手を掴みセザール侯爵を振り返ると。
「親父! ごめん!」
セザール侯爵は顔をしかめながら。
「行け! バカ息子!」
駆け出します。一緒に。二人で。未来に向けて。
「パトリシア! ここは任せなさい!」
マーガレットお母さまです。
「我が名はアレクサンダー・ベイグラハム! 娘の幸せを邪魔する者は、剣のサビにしてくれる!」
お父さまもやけくそのような大音声です。
お父さまとお母さまは追いかけようとする者の前に立ちはだかります。
「お嬢さま。こちらへ」
マーシャです。ヤレヤレ困ったという笑顔です。
「あはは。ホント、お前はバカお嬢だ。でも、気に入った! 道はあたしが開いてやるぜ!」
抜刀したライザさんも加わります。
わたしとピエールはマーシャとライザさんの助けもあり、広場の群集の中に紛れ込みます。
「捕まえろ~!!!」
後方はもの凄い喧噪ですが知ったことではありません。
『私は今を後悔しない』いつか夢で会ったエレイン様の声が聞こえた気がしました。そうです。わたしはピエールと何処までも駆けて行くのです。この手は決して離しません。
こうして、わたしとピエールは広場から逃げおおせました。
──わたしは聖女にならず済みました。
もっともそれは、お父さまの「あとは任せた」の声に、セザール侯爵が「……任された」と小さく頷き、必死になって交渉した結果なのですけれども。
うふふ。ピエールパパさん。また、少し額の面積が広くなったようなのです。
次話。第一部完結編。明日、更新します。




