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実熟れ時  作者: 皇 凪沙
19/30

18.引廻


 引廻しの列がゆっくりと進む。

 初秋の空は、暑くなりそうな予感を感じさせながらも、高く澄んでいる。

 裸馬の傍らに付き添いながら、男は彼の顔を見上げた。

 集まる野次馬から飛ぶ罵声を、彼はもう気にかける様子もなくただ静かに前を見つめている。

 馴染みの土地を引廻されるなら、様々な思いがあるのだろう。どうせ死ぬなら最期に暮らした町を、じっくりと見てから死にたいと、引廻しを喜ぶ罪人も多いと言う。しかし、この土地に馴染む間もなかった彼には、そうした思いがあるはずもない。前に向けられた目は、ただじっと己の心の内を見つめているようだった。

 まだ、苦しむつもりか───

 眉根を寄せたその表情を見上げ、男は思う。

「───何を、考えている。」

 呟くように問うと、彼は首を曲げて男を見た。

「此の期に及んで、まだ考える事があるか───」

 彼の目を見上げてそう問うと、彼は微笑みを浮かべた。

「───最期まで、悩めばいいと言われたのは、貴方様です。考え続けるのが、私の役目だと───」

 男は頷く。

「───ですから、考えて居りました───どうすれば、この罪が償えるかと。」

 そう言って彼は、笑みを浮かべたまま心細げに男を見る。

「───命では、足りぬか。」

 問うと彼は、

───分かりませぬ。と、項垂れた。

「───磔は、重い刑と分かっております。楽な死ではないだろうとも思います。しかし───罪を償うに足るのかどうか、私には分かりません。」

 そうだな───と、頷いて見上げると、涙の浮かんだ一際心細げな瞳が男を見ていた。

「───私は、どうなるのでしょう。」

 問われて、男は俯く。

 磔柱に括られ非人の槍に突き殺されて、無残な姿を三日三晩晒した後で、その(むくろ)は刑場の片隅に取り捨てられる。

 そして───

「───忘れられるだろうな。」

 俯いたまま、男は言った。

「あの世での事は知らぬが、この世ではお前はいずれ忘れられる───その頃には、事件そのものも忘れられるだろう。」

───それで罪が償われるのかは分からぬがな。

 と、そう言うと、彼の目から涙の雫が落ちた。

「───忘れては、下さらぬ方もいらっしゃいます。」

 そうだな、と男は頷く。

「心の内に生涯消えぬ傷を負う者も居るだろう───しかし、それはもうお前にはどうする事も出来ぬ事だ。」

 そう言って男は、自分の心の内にもその傷は残るのだろうと覚悟する。

 ぽつぽつと、涙の雫が足元に散った。

「───死ぬのは、やはり辛うございます。」

 涙を零しながら、彼が言う。

「これまでに、多くの皆さまに恩を受けながら、何ひとつお返しする事も出来ず、ただ悲しみだけを残してゆく身が───口惜(くちお)しゅうございます。」

 次々と足元に散る涙を見つめ、男は言った。

口惜(くや)しければ、すきなだけ泣くがいい。どれ程泣いたとて、もはやどうにもならぬ───だから、安心して泣け。」

 堰を切ったように、嗚咽を漏らしながら彼が泣き出す。進んでゆく列の後に、涙の跡が点々と散る。裸馬の横に付き、男はじっと足元を見つめたままゆっくりと歩みを進めた。


 陽が中天に掛かり、やがて西に傾く。

 ゆっくりと進む引廻しの列もとうとう町を抜け、刑場へと向かう小さな橋に差し掛かる。いつの間にか泣き止んだ彼の顔は、今は静かに前に向けられ、自分の行く末を見つめていた。

 此岸と彼岸を分けるような、小さな橋を渡り、列が藪の中の小道を進む。やがて行手に刑場を囲むまだ青々しい竹矢来を見ると、彼は己の行き着く先を見定める様に、顔を高く上げた。

「───御師様は、どうされたでしょうか。」

 ひとり言を呟く様に、前を見つめたまま彼が言う。

「既に、お構い場所を出ただろう。おそらくは城下の外に居られる筈だ。」

 男が言うと、彼はほっとした表情を浮かべた。

 刑場の前を横に逸れ、小さな閻魔堂の前で列は止まる。馬の背を下ろされると、彼は男を見上げた。

「───ありがとう、御座いました。」

 そう言って、深々と頭を下げる。

「本来ならば、甘えてはならない方と分かっていながら、ただ心細さのままに慈悲に縋り、ここまで甘えてしまいました───」

───お許し下さい。と、彼は再び頭を下げる。

「───それも役目だ。気にすることはない。」

 首を振りそう言うと、彼は男を見上げて微笑んだ。

「それでも私にとっては───三人目の師を得たように心強うございました。」

 そう言って、もう一度ゆっくりと頭を下げ、彼は閻魔堂に入って行った。

 罪人の最期の祈りの為に、扉が閉ざされる。

 ぴたりと閉ざされた扉を見つめ、男は誰にも悟られぬよう、そっと込み上げた涙を拭った───


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