19.仕置
閻魔堂の暗がりに、彼は静かに座った。
須弥壇を見上げると、鮮やかな色に塗られた木彫りの閻魔王が見下ろしている。忿怒の形相に一抹の憂いを帯びたその顔を見上げて、彼は静かに頭を垂れた。
おそらくは、直ぐに再びその面前に跪く事になるのだと、はっきりとそう分かる。怖れは、無かった。
命を奪った師の冥福と、罪を負わせてしまった師の無事と、人々へ感謝と、悔いと───
湧き上がる思いをただ祈りに乗せて、心の内で手を合わせる。そうして彼はゆっくりと顔を上げた。
最後に一度目を閉じて、彼は己の心の内の御仏に向かう。
問う事も、応えを求めて呼ぶ事もせず、ただじっと其処に在る御仏に向かう。変わらず其処に御仏の在る事を確かめて、彼は目を開けた。
見下ろす閻魔像に静かに頭を下げて、立ち上がる。
戸口に立って扉が開けられるのを待つ間、ふと、名残りの夏を惜しむような蝉の声が響いているのに気がついて、彼は小さく笑って息をついた。
閻魔堂を出ると、降るような蝉の声が聞こえた。
見上げると高くなってきた空に、傾きかけた陽がまだ強い日射しを放っている。
「───もういいのか。」
問われて、彼は静かに頷いた。
「───後はもう、私にはどうにもならぬ事でございます。ですから全て受け入れて、身を任せてみようと思います。」
見上げて微笑むと、男は悲しげな笑顔を浮かべて頷いた。
もう馬には乗らず、ゆっくりと歩いて彼は刑場へと向かう。刑場の入り口で役人の男に最後にひとつ頭を下げて、彼は非人等の手に渡された。
縄が解かれ、罪木に横たえられて磔柱に括られる。今日まで身につける事を許された僧衣の脇が切り裂かれ、槍が突かれる脇腹の辺りを剥き出しにして前でまとめられた。露わになった肌にひやりとした風を感じて、小さく身を竦める。非人のひとりが彼を見た。
───坊主でも、死ぬのはやっぱり怖いか。
呟く非人に、彼は小さく頷いた。
安心したよ───とそう言って、手足に掛かる縄を確かめ、その非人は離れていった。
準備が整い、罪木が立てられる。磔柱に高く掲げられると、周囲の様子がよく見えた。
竹矢来の外から好奇の目を向ける野次馬達、穏やかに彼を見上げる役人の男、控える非人達。槍を手に時を待つ非人は、先程彼に声を掛けた男だった。僧衣で僧形のまま磔柱に掛かる彼を突くのは、気持ちの良いものではないだろうと、彼はその男に申し訳無く思う。
準備が整った事が検使の役人に伝えられ、彼に最期を言い渡す役人が磔柱の前に立った。後ろには寺社の役人が、見届け役として控えている。
「───間違いは、ないな。」
彼の名と所属寺、罪状を読み上げて、検使の役人が厳しい顔で問う。
磔柱の上で彼は静かに頷いた。
「ございません───」
役人が頷く。
「───僧籍にありながら、その罪状重々不届至極につき、僧衣のまま磔とする。」
沙汰が読み上げられ、執行を告げる声が響いた。
掛け声と共に見せ槍がなされ、彼の目の前に鋭く光る槍の穂先が突き出される。胃の腑が縮み上がり、彼は奥歯を噛んで両手を握り締めた。
この槍が引かれれば、次の瞬間には目の前に光る穂先が彼の身体を突き通し、苦悶の内に死なねばならない。その恐怖に、小さく喉が鳴る。見せ槍が引かれると同時に、彼は目をつぶり身を竦めた───
どすりと肉を突く音がした。
まだ若いその僧は、一度閉じた目を見開いて短い呻き声を上げた。首を巡らし、見開いた目が己を貫く槍を見る。その目が槍を捉えたと見えたその時に、ひと槍目が抜き出され、どっと血が吹き出した。すかさずふた槍目が繰り出され、驚いた様な顔が苦痛に歪む。
ふた槍目が抜き出され、み槍目が突き込まれると、その僧は視線を宙に漂わせて首を垂れ、四、五槍程突かれると身を震わせて動かなくなった。
がっくりと首を落としたまま、幾度も幾度も槍に貫かれ、血に塗れてゆく骸を、えんは悲しい気持ちで見守った。
やがて、喉元に留めの槍を突いて処刑が終わり、野次馬達が三々五々帰って行くと、刑場は静かになった。非人等が張り番の小屋掛けをするその傍らで、見届け役の役人が、じっと骸を見上げている。その目が悲しげに光っているのを、えんは見た。
これから三日の間骸は晒され、やがて埋葬ではなく、取り捨てと言う名目で刑場の隅に埋められる。
今夜には会う事になる若い僧の無残な骸に背を向けて、えんは閻魔堂へと足を向けた。
夕日の照らす閻魔堂の前に立ち、小さなため息をついて扉を開ける。
須弥壇の前に、しゃがみ込む人影が見えた。
手を合わせ、何やら一心に祈っている男等は、どうやら非人の様だった。えんが入って来た事に気がつくと、男等はばつが悪そうに顔をあげた。
その顔に見覚えがある気がして、えんは男達を見つめる。微かに血の匂いを嗅いで、えんは彼等が槍取りの非人だった事を思い出した。
「───坊主を殺したのは、初めてだったからな。」
ひとりが、苦い笑いを浮かべてそう言った。
よく見れば、衣服を改め手足や顔を拭ってはいるものの、落とし切れなかった血飛沫が点々と散っている。
「罪人と分かっていても、寝覚めのいいもんじゃない。」
もうひとりがそう言って、顔を顰めて堂の外に目を遣った。此処からは見えないが、すぐ其処の刑場には僧の死骸が無残な姿のまま晒されている。
「今まで幾人も殺してるんだろう───?」
問うと、二人は顔を見合わせ、「まあな」と肯いた。
「首を切るのは俺たちの仕事じゃねえが───」
磔や火罪は彼等が手を下す。自分が殺した罪人が、死後も晒されるのを見るのは、どんな気持ちがするものかと、えんはうそ寒く思った。
「いろんな奴がいる。ふてぶてしいのや泣き喚くのはまだいい。だが───ああいうのは、正直ごめん被りたい。」
目を見合わせ、男等は言った。
「ああいうの、ってのは坊主かい?」
えんの問いに、男等が首を振る。
「そうじゃない。坊主だって、悪い奴はいるだろうよ。」
ひとりが言うと、もうひとりが頷いた。
「あれは───違うんだろうな。稚児上がりの坊主だと聞いたが、その辺の坊主どもよりずっと清らげで、人殺しには見えなかった。」
そう言って、二人は再び目を見交わす。
「だから、思わず突き損なった───三槍目で死んだ筈だよ。」
そう呟いて、男はえんを見た。
「ひと槍目で失敗ろうかとも思ったが、死ぬのが怖い様だったからな。覚悟する時間が要るかと思ったのよ。」
そう言って男は相方を見る。
「ふた槍目は左から右だ。」
ふた槍目を突いたらしい、相方が言った。
男が頷く。
「だから、み槍目で突き損なって心の臓を破った───まあ、失敗らなくとも大抵はその辺りで死ぬんだが。」
───六、七槍も生きてる奴もいるからな。
と、そう言って、男等は須弥壇の上を見上げた。
ひとりがぽつりと言う。
「罪木に括り付ける時、身を縮めて震えてたんだ。こっちも坊主なんぞを殺すのは気味が悪いからな。揶揄うつもりで聞いてやったんだ───坊主でもやっぱり死ぬのは怖いのかとな。そしたら、素直に頷きやがる。それが───」
───なんともいえず、後生が悪い気がしてな。
「そうかい───」
えんが呟くと、男等の目がえんを見る。
「───もっとも今更手を合わせてみたところで、遅かろうがな。」
えんと目が合うと、男等はそう言って閻魔の像を見上げた。その顔には自嘲の色が浮かんでいる。
命じられた仕事とはいえ、泣き叫んで許しを請う者を、苦悶にのたうつ者を、その手で無惨に殺して来た。土台穢れた身である上に、罪を重ねた身であれば、まともな寺には手を合わせる事すら憚られる。
だから、罪人が最期に祈るのを許される此処ならばと、そっと手を合わせていたのだと、男等は笑った。
「気休めにもならねえが───」
そう言って男等は、もう一度閻魔像に手を合わせ頭を垂れた。
やがて立ち上がり、邪魔をしたとそう言い置いて、男達は夕暮れの小道を帰って行った。
男等を見送って、えんは閻魔堂の戸口に立つ。暮れてゆく陽が辺りを赤く染めていた。
刑場に目を遣ると、夕日に照らされた磔柱が地面に黒い影を落としている。既に張り番の非人等を残して、人影は無くなっていた。
夜半まで見張りが付くらしく、篝火が用意される。
───長い夜になりそうだ。
夕日に目を細めながら、えんは小さくそう呟いた。




