第32話「高級ホテルデート【豊葉と依穂】・2」
豊葉との個別デートは、急遽中断せざるを得なくなった。
「効果が切れるまで、大人しく部屋にいるわ」
「ハルミ。時間はどれくらいかかる?」
「ふーむ。まぁ、だいたい二〜三時間といったところかや」
「だったら、結界を張って少し身を隠していれば、差し当たっては大丈夫そうですね」
高級ホテル〈グランド・ハーバー汐坐〉は、孔雀堂家が運営に携わっているだけあって、元からセキュリティ面が高い。
術師のなかには千里眼や霊視などで、遠見の技を持つ者もいる。
そうした術師は、言ってしまえば天性の〝覗き魔〟だ。
ゆえに、そうした術師たちからの視線を遮ったり、トラップなどを用意して対策を施すのは現代社会において常識。
西洋ではポピュラーな魔眼対策として、敢えて卑猥なアクセサリーを身につけることで、邪視を誘導・回避するといった護符系魔術もある。
日本の一般家宅においても、だいたい、それと似たような理屈で国の定めた覗き魔対策が取り込まれている。
なので、客室内にも一応、自分たちで結界を張って大人しくさえしていれば、いったんの対処は問題無かった。
温浴場フロアからの移動でも、秋水が禹歩を使うことで誰にも見られてはいない。
鳶瀬山家は結界に関して、プロでもあった。
「はい。あくまで一時的なものだけど、ここを仮の神域にしたわ」
「おおっ、居心地がよくなったのぅ!」
「そりゃあ貴方の力を使ったもの」
豊葉は霊符を浮かべ、スイートルーム内の四方八方に向けて飛ばす。
すると、壁に貼られた霊符は神棚へと変化した。
祀っているのは当然、ハルミだ。
「大した巫術じゃ。妾の力を使っておるとはいえ、これはもう幽世と言っていいかや」
「そういうわけだから、秋水くん」
「はい」
「私はもう大丈夫だから、依穂ちゃんとのデートに行ってきて?」
「なにかあれば、すぐに駆けつけますので」
「ええ。信じてる」
十七、八歳になった豊葉は、セーラービキニのまま秋水を送り出した。
秋水は心配だったが、しかし、客観的に見てそれは杞憂と言えた。
豊葉も二段階目に到達している。
一段階目の時であっても、もともと退魔巫女頭として確かな地力を持っていたのだ。
豊葉こそは、鳶瀬山家で最も優れた巫術使いであり、最も優れた結界使い。
焼いて滅して、従えるばかりが能の秋水とは器用さが違う。
そんなわけで、場所も同じホテル内で変わらないことから、秋水は少し予定よりも早かったが依穂とのデートに移った。
仮にあの短時間で、豊葉の若返りを覗き見ていたものがいたとしたら、依穂をひとりにしておくのもマズかった。
四人娘の安全については、今日は北嶺区で夏乃とヒナギクと一緒にいるので問題無い。
待ち合わせ場所であるバーラウンジに行くと、幸い、依穂は無事だった。
それどころか、豊葉と瓜二つの爆乳美女は、いつも通りにお酒まで楽しんでいるところだった。
「──」
バーラウンジの入り口で、秋水はその姿に知らず目を奪われる。
依穂はドレス姿だった。
青緑の和中華風イブニングドレス。
しかも、かなりセクシーなデザイン。
ワンピース型のそれは、肩も背中も胸元も大きく露出され、下半身は右側半分がほとんどスリットだった。
依穂はそこに、レース素材が組み合わさったアームグローブと、太ももの付け根近くまで伸びた同じくレース素材のストッキングを履いている。
どちらもデニール数は、20〜30といったところだろうか?
男の視線を吸い寄せる透け感。
生白い素肌とムッチリした肉感が、非常に艶かしく扇情的に演出されている。
だが、色香にばかり注目を寄せる装いじゃない。
鳶瀬山家自慢の榛摺色の長髪。
依穂は黒に近い青薔薇のヘッドドレス……いや、バックカチューシャ? を着けていて、それが一気に〝綺麗めフォーマル〟といった印象を強めている。
朱色のアイシャドウ。
軽く紅が引かれた唇。
バーラウンジを待ち合わせ場所に指定された時点で、ある程度は想像できていた。
だが、依穂は秋水以上にバチバチにキメて来ていた。
──勝負はいま、ここでキメる!
そんな意気込みすら、感じられた。
ただ、予定よりもまだ早い時間だからだろう。
依穂はカクテル・グラスを片手に、本を読んでいた。
高級そうな革素材のブックカバーをお仕着せされているが、中身はサイズ感からして文庫本だろう。
バーラウンジ。
名前は〈Sky Nocturne〉と、如何にも気取っている。
天井は七メートルほどの高さ。
夜の星空を模した濃紺色。
極小のLEDが満天の粒となって、キラキラと煌めき。
ガラス製のシャンデリアは、シャンパンの泡が昇るような形状をしている。
床はウォールナット材で、艶が出るよう加工されている。
歩くと足音が予想以上に響くが、ここでバタバタと動き回る人間は少ない。
物静かに歩く大人の憩いの場。
ゆえに、壁もマホガニー製で真鍮のラインが描かれ、壁面の半分以上は自由書架となっていた。
どことなく、談話室のような様相でもある。
きっと、アフタヌーンティーやノンアルコールドリンクと一緒に、ライブラリーサービスもしているからだろう。
スタッフに声をかけると、恋愛小説やミステリなどと、軽いジャンル指定だけでもオススメを席まで運んで来てくれるようだ。
秋水がチラリと本棚のラインナップを確認すると、古典文学、旅行記、詩集、世界神話、風水史、超常学などが置かれていた。
ピアノのソロ演奏、クラシックレコードのBGMも合わさり、たしかに読書するには居心地のいい空間である。
窓は全面ガラス張りで、南湾岸区のコンテナターミナルやクルーズ船、ベイブリッジなどが一望できた。
そんななか、バーカウンターは黒檀の一枚天板で、座席は意外にも少なめな十二席。
大半の客はソファ席のほうが良いのか、カウンター席には依穂しか座っていなかった。
たしか、こういったバーラウンジでは座席の利用にチャージ料、といった料金がかかったはずなので、どうせ金を払うなら座り心地の良い方を、という心理かもしれない。
バックバーにはザッと見て、200本以上のボトルが並んでいる。
ウィスキー、ワイン、モクテル用素材、ビール、ハーブ、霊薬酒なんてものまで。
黒蝶ネクタイに白タキシード姿の男性スタッフと。
黒ベストに白ロングエプロン、シニヨンヘアーの女性スタッフが寡黙に働いている。
秋水は音を立てず動いた。
「……なにを読んでるんですか?」
「! 秋水くんっ? あ、やだっ、いたの? ぜんぜん気がつかなかったわっ?」
「すみません。驚かせましたか?」
「え、ええ。ちょっと、この本に集中していたものだから……」
「と言うと、豊葉さんの件は──」
「っ、豊葉? ──ああ、いま把握したわ。って、え、何それ……」
よほど本の内容に集中していたのだろうか?
依穂は隣に座った秋水に驚き、姉の身に起こったトンデモ事実に顔をしかめる。
まるで、〝お婆ちゃんに車輪をつけたらバイクになるよ?〟とでも言われた時みたいな、困惑顔だった。
しかし、ひとしきり顔をしかめた後でも。
依穂は秋水がページを覗き込む前に、素早く文庫本を閉じてしまう。
気のせいでなければ、それは秋水の目から文庫本を遠ざけようとするような動きだった。
「と、とりあえず、状況は理解したわ……」
「良かった。説明の手間が省けるのって、正直助かります」
「いろいろ不便も多いのだけれどね……誰かが風邪を引いたり体調を崩せば、それが一気に全滅に繋がっちゃうから」
「なるほど。一長一短、というわけですね」
「ええ」
「それで、なにを読んでたんですか?」
「えっ? あっ、これは……そのぅ……」
「その?」
「れっ恋愛小説! 豊葉に借りたのっ! 私のじゃないわ……!」
「? そうなんですか」
質問に対する回答としては、少々違和感を覚える所有者情報の補足だったが、秋水は「なるほど」と頷いた。
つい先刻まで、豊葉の嗜好を実際に目の当たりにしていたため、姉妹で恋愛小説の貸し借りくらいはするだろうと納得したのだ。
「ちなみに、タイトルは?」
「──チャ、『チャタレイ夫人の恋人』……」
「へ〜? 海外の作品ですか?」
「まぁ、そうねっ?」
「依穂さんは読書家ですね」
「そうとも、言うわね……!」
依穂は妙に、難局を凌ぎ切ったような顔をしていた。
その理由は分からないが、秋水は純粋に感心していた。
伝奇術師としての修行の一環で、秋水は割と古今東西の物語に造詣が深い。
もちろん、アカシック・レコードよろしく、全ての物語を網羅しているわけではないが。
先日の姦姦蛇螺の調伏時然り。
同年代の術師のなかでも、それなりに多くの知識を修めている方だと自認している。
そんな秋水をして、聞き馴染みのない物語だ。
恐らくは、最近の作品なのだろう。
秋水の興味は、依穂が飲んでるカクテルに移った。
「いま飲んでるこれは?」
「あっ、これ? これはチャイナブルーって言って、ライチとグレープフルーツのお酒よ?」
「夏っぽくて、綺麗な青色ですね」
「度数も低めだし、味もジュースみたいだから女には飲みやすいの」
「さすが、依穂さん。お酒には詳しいですね」
「ぜんぜんっ。私なんて、ただアルコールが摂れればいいだけの女だし……」
「どうして、そんなにお酒を?」
「お酒はすべてを、忘れさせてくれる気がするから……」
「気がするだけ、ですか」
秋水は水を注文し、ついでに幾らかバーフードも頼んだ。
気の遣い過ぎかとも思ったが、少しは水も飲ませておかないと心配になる。
デートはもう始まっていた。
「俺も早く、依穂さんと一緒にお酒を飲めるようになりたいです」
「秋水くんは、どんなお酒を飲んでみたいの?」
「そうですねぇ」
酒の話になると、依穂の緊張も少し和らぐ。
秋水と話す時は、いつも硬直しがちな依穂なのだが、好きな物の話をする時はリラックスしていくのだ。
だから秋水は、依穂との距離感に一番慎重を期していた。
相手がたとえ大人の女性であっても、その内側まで傷つきにくいとは限らない。
即物的な欲求に忠実な人間は、秋水を含めて意外と繊細なものだ。
「俺は、結構甘党なところがあるので、カルーアミルクとか飲んでみたいですね」
「甘いお酒に興味があるのね。納得だわ」
「ハハハ。そんなに、普段から甘党でしたか?」
「そうね。私たちと一緒に、スイーツたくさん食べるじゃない?」
「好きですから。効率もいいですし」
「だからよ。男の子なのに、珍しいなぁって思ってたわ」
「男らしくはないかもしれませんね」
「まさか」
依穂は眉を八の字に下げて、首を振る。
「秋水くんほど雄々しい男の子なんて、他にはいないわよ」
「主語がデカくないです?」
「ええ? だって、市外任務の時だって、ねぇ? すごくカッコよかったから……」
チャイナブルーを一口含んで、依穂はどこかうっとりとカクテルグラスを揺らす。
爽やかな青色が、ドレスの青緑色とも非常に似合っていた。
そこに、先ほど注文した水とバーフードが幾つか運ばれて来る。
ウィスキーボンボンや、ブランデーボンボンが乗ったチョコレートワゴン。
ラムレーズントリュフ、オレンジピールチョコ、ピスタチオガナッシュなど。
まさに、秋水の甘党を証明するメニューが最初に姿を現した。
「依穂さん」
「?」
「あ〜ん」
「……えっ?」
「ですから、あ〜ん、してください」
「は、恥ずかしいわよ……」
「ボンボンは俺、食べられないですから」
「……ちょっとくらいは、いいんじゃない?」
「悪い大人ですね。でも、ダメです」
秋水は「あ〜ん」と繰り返した。
依穂を見つめて、ゆっくりと辛抱強く待つ。
すると、依穂はしばらく逡巡したのち、上品に小さな口を開けた。
髪を反対の手で耳に掛けて、
「あ、あ〜んっ」
「はい、あ〜ん」
「ん……美味しい」
「良かった。じゃあ、俺にもお願いしていいですか? ボンボン以外で」
「……して欲しいの?」
「はい。キザな言葉を吐きますよ? ──依穂さんの手で運ばれたチョコなら、きっとさらに甘くなると思うんです」
「………………あ〜ん」
「はい、あ〜ん」
「お、美味しい?」
「ん。とっても」
「もうっ、バカみたいだわ……」
依穂は照れた。
照れて顔を背けて、チャイナブルーを一気に飲み干してしまう。
飲みっぷりは豪快だが、とても可愛らしい女性だ。
「ポルノスター・マティーニを」
照れを隠すためだろうか?
空いたグラスの代わりに、依穂はすごい名前のカクテルを注文した。
秋水は知らない名前のカクテルだ。
だが、マティーニと聞けば、アルコール度数が高い事くらいは容易に察せられる。
「大丈夫ですか? 俺が来る前から、結構飲んでますよね?」
「ま、まだまだ平気よ?」
「水も適度に飲んでくださいね」
「……ありがとう。でも、私のほうが大人なんだから、心配しないで?」
赤みの増した顔で、依穂は背筋を伸ばした。
どうやら秋水の前で大人の余裕を見せるために、敢えて度数の高いお酒を注文したくさい。
にしても、
「ポルノスター・マティーニって、すごい名前ですね」
「で、でしょう? 若い子には、注文しにくいカクテルよねっ」
「どんなお酒なんです?」
「バニラ味のウォッカと、パッションフルーツのリキュール、お砂糖なんかを混ぜたカクテルなの」
やはり、依穂は酒類に詳しい。
「マティーニって名前はつくけど、ジンもベルモットも入ってなくてね?」
「ふむふむ」
「マティーニグラスに注がれるから、マティーニって名前が付けられているんですって」
「じゃあ、そんなに度数は?」
「ウォッカが入ってるから」
「ああ」
では、度数が高いことに変わりはないようだ。
そんな会話をしていると、しばらくしてポルノスター・マティーニが運ばれた。
しかし、マティーニグラスとはべつに、ショットグラスも添えられている。
「? シャンパンのショットって、頼んでないですよね?」
「ううん。このお酒はね? シャンパンのショットと一緒に味わうものなの」
「そうなんですか?」
「パッションフルーツのトロピカルな甘さと、バニラの濃厚な香り。それを口に含んだあと、よく冷えたシャンパンを一口飲んで、また交互にマリアージュを楽しむ」
それが、ポルノスター・マティーニの伝統的な飲み方なのだと依穂は語った。
「甘党な秋水くんには、かなり好みだと思うわ」
「見た感じ、結構フルーティな甘酸っぱさがありそうだと思いましたが、どうしてポルノスターなんですかね?」
「えっと、たしかこのお酒を飲む人は、情熱的な遊び人でスターみたいな華があるに違いない、ってイメージからじゃなかったかしら……」
言っていて途中から、依穂は「むむむ」と眉根を寄せた。
「あはは……そう考えたら、私にはぜんぜん似合わないお酒だわ」
「俺のために、注文してくれたんですよね?」
「……見栄を張ったのよ。ダメね? 私。今日は大人らしいところを見せようって、すっごく意気込んで来たのに」
「成功していますよ」
「……そう? でも、どんなに見てくれを取り繕ったって、中身が伴わないわ」
依穂はネガティブに入ってしまった。
かと思うと、あっという間も無い内に、ポルノスター・マティーニを豪快に一気飲みしてしまう。
秋水は目を丸くした。
「依穂さんっ?」
「ぷはっ。おいちい」
「マリアージュ云々の飲み方はっ?」
「ごくごく。おいちい」
「酔っ払うスピードがとんでもない……!」
「やはりおちゃけ。おちゃけこそがすべてをかいけちゅするのよ」
「水飲んでください」
呂律が回っていない。
赤ちゃん言葉みたいになってしまった。
シャンパンのショットもグイッと一口で呷り、依穂の肌は肩から艶やかに火照っていく。
軽く汗までかき始めたようだ。
「うわっ、なんで急に一気飲みしたんですかっ」
「情けない自分を、わちゅれたくなってつい……」
「依穂さんは情けなくなんかないですよっ」
「だぁってぇ〜、しゅうしゅいくんはこんなにかっくいいのにぃ、私はダメな女だからぁ〜!」
顔を覆い、しくしくと依穂は泣き始めた。
いや、よく見ると泣いてはいない。
「ちらっ、ちらっ」
「…………依穂さん?」
「えへへっ、へへ……慰めて? しゅうしゅいくん♥ 依穂をなぐさめてぇ?」
「酒の力を借りて、とんでもない絡み方し始めましたね」
誰がしゅうしゅいくんだ。
依穂が泣いていなくて一安心した秋水だったが、コテコテな酔っ払いダメ女ムーブにどうしたものかと思案する。
右肩に乗せられた依穂の頭。
寄りかかるように胸板をまさぐる妖しい手。
割と毎度、いつもの事だが。
依穂とのデートは、だいたいこんな感じになる。
あまり褒められた流れではない。
健全とも言い難い。
けれども。
「ねぇねぇ、しゅうしゅいくん♥」
「……なんです?」
「ちゅう、しちゃうわね? ちゅうちゅうちゅう〜♥」
酔っ払った依穂は、酔っ払う直前のバッドが嘘だったかのようにベタベタになるので、秋水はそれを期待してしまう自分を否定できずにいた。
頬、耳元、首筋、など、どんどんキスマークがつけられていく。
バーラウンジスタッフが、さりげなく視線を逸らしたり客のプライバシーに配慮しているのが分かった。さすがは高級ホテル。
秋水が変なところに感心を覚えていると、依穂がチョコレートワゴンからラムレーズントリュフをつまんで、唇にくっつけた。
そして、カクテルと唾液の湿り気で濡れたトリュフを、そのまま唇で咥えた状態で「ん〜♥」と突き出して来る。
秋水は遠慮なくいただいた。
「っ! ん〜〜〜!♥」
「──甘い。さすがに、酔い過ぎですね」
「あぁん♥ どこ行くのぉ?」
「部屋に戻りますよ。介抱してあげます」
「……もぉ〜、そんなこと言って、えっちなことするつもりでしょ〜?♥」
「酔いが冷めたら、考えてあげますから」
「きゃ〜ん♥」
依穂がふらつきながらも、立ち上がった。
腕を支えて、秋水は禹歩を使い豊葉もいる客室に戻る。
すると、自分がうっかりしていた事実に気がついた。
「あ」
「あ〜! しゅうすいくんだわ〜!」
「ん〜? ごしゅじんさまかや〜……?」
豊葉とハルミも、依穂からのフィードバックを受けて酔っ払い状態になっていたのだ。
普段、鳶瀬山家は依穂からの酒デバフを、〝飲酒は八百万の神々をもてなす奉納の一種〟として扱うことで無効化しているらしい。
だからこそ、依穂が日常的にアルコールを摂取していても、他の家族には影響が無い、という状態だった。
しかし、今の豊葉は肉体の年齢が十代の頃に戻っている。
豊葉が十代の頃は、依穂だって十代だったのだから酒の味は知らなかったはずだ。
そうなると、現状は過去に戻ったとも言える状態なわけで。
未来で獲得していたデバフ耐性が、剥がれていてもおかしくはない。
ハルミに関しては謎だが、蛇はうわばみだ。
もともと大酒飲みであったとしても不思議はないし、温泉に浸かって気分が良くなった後なら、酔いたい気分になっていても不自然はない。
つまり、鳶瀬山家の大人組が、一斉に酔っ払いと化していた。
「むむむ〜? あ〜!」
秋水に肩を貸されていた依穂が、姉を見つけてフラフラしながら指をさす。
「豊葉ってば、コスプレしてる〜!」
「コスプレじゃないわよ〜、これはね〜、せ・い・ふ・く!」
「え〜? どうして〜?」
「若くなっちゃったったから! せっかくだしぃ、キャピ♡ キャピ♡ したくなったのよね〜」
「じゃあ……私もするぅ〜!」
豊葉は女子高生の制服を着ていた。
しかも、北汐坐学園の制服だ。
娘たちが通っている高校の制服なんて、どこで調達して来たのだろう?
どうやら秋水がバーラウンジに赴いていたあいだ、豊葉は若返りタイムをそれなりに満喫していたらしい。
「む? なんじゃ、依穂も着たいのかや? しかたがないの〜」
「わぁ〜」
依穂の格好が、ドレス姿から豊葉と同じ制服姿に変わった。
「なるほど」
先ほどの疑問の答えは、ハルミにあったようだ。
いや、どういう理屈だ?
「ハルミ。なんだこれは」
「おお、ごしゅじんさまっ! なんだこれはとは、なにかや?」
「……どうやって制服を」
「ふむ? そんなの……肉体を《春》に変えるのと比べれば、いかほどの苦労があるかや」
「服まで《春》にできるのか?」
「正確には、当人それぞれの《春》に、最も合った装いを過去からサルベージしているだけかや〜……ひっく!」
神はサラッと、めちゃくちゃな事を言う。
たしかに、現代を生きる人間にとって、青春とはたいてい十代の学生時代を指すだろうが。
まさか、そんな理屈で服まで変えられてしまうなんて、権能に関する解釈の幅が大きすぎるだろう。
「……いや、それを言うと俺もヒトのことは言えないか」
「しゅうしゅいくん? どうちたの?」
「ねぇねぇ、しゅうすいくぅん。豊葉の制服、どうっ? かわいいっ?」
「あ〜んっ、依穂のも見てっ?」
「ついでじゃ。妾も着てみるかやっ、それそれっ、そ〜れっ!」
まばたきをひとつ、しただけだった。
気がつくと室内はホテルのスイートルームではなくなっていて、どこかの学校、その教室に変わっていた。
窓から吹き込む、桜の花びら。
春の爽風を見下ろす気持ちのいい晴天。
ワックス掛けされたばかりの床。
整然と並べられた机と椅子。
黒板には〝入学おめでとうございます〟と、白いチョークで大きな文字が書かれていて。
秋水の目の前には、三人の同級生がいる。
豊葉、依穂、ハルミ。
いつの間にか全員、少女の頃で。
制服の胸元には、新入生の証である胸花をつけていた。
しかし、意外だったのは依穂の姿が、今よりもかなり大人しめなことだ。
前髪で片目を隠すような感じで、メガネまでかけたおさげの地味女子。
図書委員や、文学少女といった印象がある。
ハルミと豊葉は、ある程度イメージが変わっていないが、依穂はかなりギャップがあった。
あ、おっぱいでっかいのは全員変わっていない。
(なんだこれ。存在しない記憶すぎる)
秋水は幻覚だと分かったが、それを指摘するのは瞬時に控えた。
たとえ、これが泡沫のような夢幻であっても。
目の前の三人は、間違いなく〝現在〟を楽しんでいる。
秋水もまた、学園ラブコメが嫌いなわけじゃない。
むしろ、大好物なのだから。
「とても、よくお似合いです。可愛すぎて、本当に同級生だったらと悔しくなりました」
「クックックッ、ごしゅじんさまもメロメロかやっ? 当世の装いも、案外悪くないのぅ……ひっく!」
「しゅうすいくん。同級生ごっこ、しゅる?」
「どっ、同級生ごっこ〜!? しょんなの、えっちすぎるわよっ、豊葉〜っ」
心なしか、三人は精神のほうも若い肉体に引っ張られているようだ。
ハルミはなんだか、いつもよりも険がなくて素直な感じがするし。
豊葉は一見なにも変わっていないようだが、インモラルな誘い文句にもカラッとした雰囲気があった。
歳下の男の子を、純粋に揶揄っているような笑顔と声の調子だ。
そして依穂は、先ほどまでと違って、多少奥手な部分が膨れ上がっているようだった。
なので秋水はまず、依穂に近づいた。
「依穂さん」
「っ、な、なに? しゅうしゅいくん……?」
「俺になにか、して欲しい事はありますか?」
「し、して欲しいことっ?」
「そうです。今の依穂さんが、俺にして欲しい事です」
「な──なんでも、いいの……?」
「はい。なんでもいいですよ」
「え〜! ずる〜いっ、依穂ちゃん!」
「豊葉は酔うと、ヤキモチ焼きになるかや」
ククク、と肩を震わすハルミ。
プク〜、と頬を膨らませる豊葉の前で。
依穂はドキドキした表情で、躊躇いがちに秋水を見上げる。
目と目が合うと、まつ毛が揺れて目線が下がって、引っ込み思案な感じで顔が逸らされるが。
秋水はゆっくり、待った。
すると。
「じゃあ……」
「はい」
「じゃあ、ね? 少し、強引な感じで……」
「強引な感じで?」
「顎をね?」
「顎を?」
「クイっ、て持ち上げて、キスを……」
「──」
「ンっ!?」
「「ひゅ〜♪」」
恐る恐るの懇願。
恥じらいを堪えつつも、けれど確かに吐き出された欲。
依穂の要望に応えて、秋水は照れを覚えながらも望まれた通りにした。
しっとり、でもなければ。
ぷるん、でもない中間。
強いて言えば、〝じんわりとろんっ〟とした唇肉の感触。
触れ合うだけで、啄めも出来なければ絡み合わせる事もできない、もどかしい重ね合わせ。
「──こう、ですか?」
「………………うん」
「もっと、しますか?」
「うんっ、して……」
「なんですか? 聞こえません」
「っ……おね、がいします……もっと、もっとしてくださいっ!」
「じゃあ、もっとこっちに」
「ンっ!? んん〜っ!? ……♥」
顎だけではなく、腰も後ろから抱き寄せる。
下腹部同士が密着し、お互いの胸部は言うまでもなく。
女のカラダを、男が腕力で逃がさないように閉じ込めた。
依穂の両腕が、肘を曲げたWの形でしばらく所在なげにビクビクし、やがてダラリと弛緩。
口付けを終える。
「……」
「……はぁ、んっ、はぁ……」
依穂はすっかり蕩け、出来上がった様子だった。
熱い呼吸を繰り返す妹の変化に、姉が両手で顔を隠しつつも、目元だけしっかり指の間から開けた状態で感嘆する。
「すっごい……依穂ちゃんの夢、叶っちゃった」
「夢?」
「と、とよは〜……!」
「そう、夢。私たち姉妹の、学生時代の夢っ」
「なるほどの〜? 依穂は当時から、欲求不満だったかや」
「……っ」
「教室で男の子に、ちょっと好き放題されちゃうっていう……たしか、昔読んでた小説と同じシチュエーション、だものね?」
返答はせず。
ただ顔を俯け、メカクレ眼鏡の少女依穂は茹で蛸のように固まった。
その唇が、まだ秋水の余熱を残す内に、いじらしい言葉を紡ぐ。
「はしたない女だと、思わないで……」
「男からしたら、むしろ大歓迎ですよ」
「そうなのっ!?」
「え〜? じゃ〜あっ、次は私ね〜?」
「もちろんです」
豊葉が近づいて来る。
制服のスカートを、これ見よがしに翻しながら。
秋水の手を引いて、黒板のもとまで移動する。
「なにを書くのかや?」
「ふふっ」
チョークを持った手が、ニンマリと相合傘を描いた。
三角形と直線。
大きいハートマーク。
昔から定番の落書き。
豊葉はそのまま、自分の分だけ名前を書く。
「と、よ、は、っと」
「俺の名前は?」
「しゅうすいくんが、書いてくれる……?」
「なるほど」
どうやら秋水自身の手で、落書きを完成させて欲しかったらしい。
秋水が名前を書き終えると、豊葉は「きゃっ♡、両思い♡」と小さくジャンプした。
「ああ、でも、どうしましょう? しゅうすいくん」
「? どうしました?」
「これって、恋のおまじないでしょう?」
「そうですね。昔からよくあるやつです」
「でも、成功したかどうか分からないわ……証拠をくれる?」
「──上手いですね」
「え〜? なんのことかしら〜?」
「男にねだるのが、ですよ」
「ンっ! ん〜〜〜〜♥」
キス意外に、この場で与えられる証など無い。
秋水は豊葉の望み通りに、口付けを行った。
そうしていると、ちょうど時間が来たのか若返りの効果が切れ始める。
腕のなかで。
制服のなかで。
豊葉の肉体が元の成熟さを取り戻していき、パツパツ♥ と官能的に膨らみ始めた。
大人の色香もまた溢れ出し、それに呼応するように依穂のほうも元の姿を取り戻す。
ギチギチ♥ ミチミチ♥
「わたしもっ、わたしも……!」
「いいわっ、一緒に、一緒にしましょうっ?」
ふたりはいつしか、貪るように同時に秋水の口元へ群がっていた。
姉が妹を受け入れ、交互に押し寄せる。
あるいは順番など分からなくなるほどに、めちゃくちゃに。
だが、この場にはまだ、一日の義務を終えていない女がいた。
秋水は苦心しつつも、双子姉妹の勢いを一度だけ抑えて、蛇狐巫神を呼ぶ。
「ハルミ。来い」
「……妾はべつに、あとでテキトウにでも……」
「いいから、来い」
「っ、それは命令かや……?」
「命令だ」
「め、命令かや……式神はご主人様に、逆らえないかや……」
酔いが冷めて来ていたのだろう。
ハルミの口調は普段のそれに近く、だからこそ豊葉と依穂の姿も元に戻った。
冷静に状況を客観視し、ハルミはキョドキョドと挙動不審になっている。
しかし、逃げることなど許されない。
「俺と唇を重ねるのは、嫌かもしれないが」
「わっ、分かっているかやっ! それにっ」
「……それに?」
「べつに……嫌とまでは言ってないかや」
「だったら、早くしろ」
「〜〜! ご主人様は妾にだけ、ナチュラルにご主人様かや!」
ええいっ! と。
半ば勢い任せに、ハルミが双子姉妹の真ん中に飛び込んでくる。
いつしか、場所はホテルのベッドソファの上だった。
まさに、圧巻という他ない。
それだけの乳圧が、秋水の上半身を三方から押し潰した。
「ちゅっ♥ ちゅっ♥ せいぜい妾の神気を受けて、天手力男神のように精悍な益荒雄になるがいいかや……!」
「女神の加護か?」
「わ、妾の唇を奪った男ならっ、ちゅ♥ せめてそれくらいの! んちゅ♥ 男の子であって欲しい、ちゅ♥ だけかや……!」
「! いいわね、それ…… ちゅっ♥ しゅうすいくんが、んちゅ〜♥ っぷはっ、もっと強くて、カッコ良くなるんでしょうっ?」
「私たちのためにっ? はぁ♥ はぁ♥ もっと、ちゅ♥ しゅうしゅいくんが、えっちになっちゃうの? いやいや♥ そんなのわたしおかしくなっちゃう……!」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
バキバキッ! ゴキっ!
ゴリゴリゴリッ!
バキグキゴギャバキッ!!
チュッチュッ♥
対照的な擬音が響くなか。
三人と一体はそのまま、結界が自動解除されるまでの時間をキスに費やすのだった。
茹だるような、夏のほとばしり。
明日は夏乃とヒナギクが相手なので、秋水は少しだけ安心した。
五日間のクールタイム?
ああ、アイツならもう死んだよ。
(我慢の限界だ)
そろそろ真面目に、次の段階に進む頃合いだった。
では、何が起これば、『運命の恋』を先に進められるのか?
答えは、ヒナギクに潜んでいる。
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tips
◆ハルミの神気
経口摂取による《春秋》の影響は、神巫ならざる秋水にも軽微ながら霊的な干渉をもたらす。
具体的には、肉体の健康面や機能面について、活性化と成長を促進。
且つ、最盛期を更新し続けながらの維持。
それはもちろん、秋水と霊的な繋がりを持つ者全員にも、間接的に循環する。
言わば半永続バフ。
ちなみに、ハルミが秋水に満更でもない態度を取り始めた理由は、何度も唇を重ねている内に情が芽生えたから。




