第28話「海上遊園地デート【千歳と千景】・2」
午後になった。
秋水は千歳と一時別れ、中央広場に移動する。
スパワーの中央広場には、時計塔も兼ねた大型の噴水があり、パーク内での合流スポット。
または、待ち合わせスポットとして定番らしい。
歩いて行くと、すでに千景は秋水の迎えを待っていた。
十二時三十分。
噴水からは水のアーチが噴き上がり、時計塔から小気味のいい音楽が鳴る。
そこを、パーク内に降り立っていた鳩が一斉に飛び立ち、奇跡的にもロマンチックな瞬間を演出してくれた。
二人は互いに、互いの姿を白い翼のヴェールが通り過ぎた後で、視界に入れたのだ。
「お待たせしました。千景先輩」
「秋水くんっ! ううん。全然待ってないわ」
なんて、箸にも棒にもかからないお約束のセリフも交換して、どちらからともなくフッと微笑む。
「なんだか変な感じ。千歳とは楽しかった?」
「おかげさまで」
「今はどうしてるの?」
「千歳先輩なら、ここの少し先にある硝子温室で時間を潰すそうです」
「ああ。熱帯植物とか、フラワーガーデンとか好きなのよね」
千景は「納得」と頷く。
「服も緑系が多いし、好きなお菓子も抹茶系だし。千歳ってなんでか、緑色に目がないの」
「みたいですね」
「自然が好きなのは良いけど、植物なんて山で見慣れてるのに」
「南国の花とかは、また違った趣きがあるんじゃないですか?」
「そうかしら? 熱帯植物って、私は食虫植物とかジメジメしてるイメージがあるけど」
双子の姉妹でも、千景の好みは千歳とは違うようだ。
「千景先輩は、やっぱり春の桜とかが好きですか」
「うんっ。だって、ピンク色だし可愛いでしょ?」
「女の子って感じですね」
「女の子ですから」
ふわりと花のように嘯いて。
千景はそのまま、ゆるふわ系の香りを伴いながら、秋水の腕を自然に絡め取った。
おっぱいが当たるのも気にしない大胆な腕組み。侮れん。
「そ・れ・よ・り」
「はい」
「なんか、まだ聞いてない言葉があると思うなぁ?」
「すいません。つい見惚れて、言葉が遅れました」
「と言うと〜?」
「可愛いです。どうしてそんなに可愛いんですか?」
「えっとね? それはぁ? 秋水くんのぉ? カノジョだからっ! な、なんちゃって……!」
千景は精一杯と言った様子で、かわいこぶった。
しかし、秋水はもうバカになっているので、「いや本気で可愛いな?」と思わず唸ってしまう。
(千歳先輩も、あざと可愛いところがあるけど)
実を言うと、鳶瀬山家と秋水がそういう仲になって以来。
この通り、最もゲロ甘な方向性で可愛い言動を取るようになったのが、何を隠そう千景だった。
姉と従姉妹たちから、さすが少女脳と言われているだけある。
千景は秋水と二人っきりだと、度々、神をも恐れぬバカップルムーブを繰り出すのだ。
秋水も割とバカなカレシだと自覚があるが、千景はレベルが違った。
なにせ、正気を保ちながら照れを覚悟で甘々カノジョムーブをやめないのだ。
「ね、ね、どこが可愛い?」
「全部可愛いです」
「も〜、そうじゃなくて、今はちゃんと褒めて欲しいな? ──ムリじゃなければっ」
「お任せを」
女の子に恥はかかせられない。
秋水は入念に私服をチェックした。
今日の千景は、上はガーリーな白ブラウスに、同色のサマーカーディガン。
下は夏色カラーで涼しげに全体の印象を引き締める、スキニージーンズだった。
そこに可愛らしいショルダーポーチを組み合わせ、パイスラが凄いいいいいいが肝心なのはそこじゃない。
恐らく、千景が最も褒めてもらいたいのは──
「……本当に可愛いです。夏のオシャレって爽やかさが大事ですけど、千景先輩はちゃんと自分がしたい〝女の子らしいふんわりしたコーデ〟も上半身で実現しつつ、それでいてどうしてもお姉さん的な類い稀なスタイルからは逃れられないので、そこをスカートではなく敢えてのパンツルックで全体の印象を〝大人可愛い〟でまとめているところが、非常にオシャレ上級者だと思います」
「きゃ〜! 私の欲しかった言葉、ぜんぶ言ってくれる〜! 秋水くん大好き!」
ぎゅぅ〜♡
千景は秋水の腕にくっついたまま、頭をコテンと肩に倒して来た。
花のような良い香り。
それと、甘やかな女体の感触。
秋水は異性のオシャレを分析するために集中力を消耗し、ともすればA.N.O.M.A.L.Y.を倒すより激しい疲労感を覚えたが、報酬は努力に見合う十分さだった。
自分の好みの格好を考えるのと、相手の好みの格好を考えるのでは、また違った脳の筋肉を使うものである。
とはいえ、千景が上機嫌になったので秋水も上機嫌。
「それじゃあ、どこに行きましょうか? 何かご要望はありますか?」
「あ、うんっ。とりあえず最初は、海上ボードウォークとかどうかしら?」
「もちろん、構いませんよ」
海上ボードウォーク。
スパワーには海へ突き出した木製の桟橋がある。
ショップエリアから中央広場、硝子温室と遊園地ゾーンを通り過ぎると、海を眺めながらの散策が可能になっているのだ。
環境を保護しつつ、自然を楽しむための板張り遊歩道である。
「今から行けば、歩き終わる頃にはちょうど、お昼のピークも過ぎていそうですね」
「海上レストランに行きたいの?」
「デートですから。軽食くらいは楽しみましょう」
「ふふふっ。そうね? でも、その前に私は、ショーを楽しみたいかも」
「ショー?」
秋水がボードウォークの先にあるレストラン・軽食スタンドエリアに思いを馳せていると、千景が得意げな表情で「えっ、知らないの〜?」と見上げてくる。
「私より先に来てたのに、ちょっとリサーチ不足じゃないかしら?」
「……どうしたら許してくれますか?」
「んー、そうね。私をお姫様にしてくれたらぁ、許してあげるかもっ」
「分かりました」
「え?」
「失礼します」
「わっ、きゃっ!?」
秋水は千景をお姫様抱っこした。
スカートじゃなくてジーンズなので、遠慮の必要も無かった。
「このまま、ボードウォークまで行きましょう」
「ええええ〜!?」
だがさすがの千景も、これには周りの眼もあって、たちまちキャパオーバーになったようだ。
「お、おろして秋水くんっ! これはちょっとっ」
「恥ずかしい?」
「うんっ」
「でも、これ以上ないお姫様扱いだと思います」
「お姫様抱っこ=お姫様扱い!?」
千景が戦慄した様子で、顔を両手で覆う。
秋水は歩き出した。
口では「おろして」と主張しているが、千景の口端は対照的にとても嬉しそうに緩んでいたからだ。
秋水にも羞恥心が無いワケじゃない。
周りの目線は秋水とて気になる。
けれど、好きな人が喜ぶ事なら?
秋水は可能な限り、現実にする所存だった。
最初に提示している。
アリならアリ、ナシならナシ。
そして秋水たちは、互いの条件を互いに呑み込み、今の関係性を構築している。
だから、一方が与えるばかりでは、契約違反だった。
秋水は自分のほうが、与えてもらっている割合が多いと思っている。
「乗り心地はどうですか、お姫様?」
「……最高。好き、好き、大好き……私の王子様」
千景は顔を覆いながらも、小声でうっとりとお花畑モードになっていた。
恋愛とは、一種の狂気なのかもしれない。
ボードウォークまでの道中、他の遊園地客が二人を〝あまりに絵になるカップル〟だと思ったからか。
パーク側の一種のイベントと勘違いしかけて、注目が集まるシーンもあった。
が、そこは伝奇術師の特権。
途中で軽い認識阻害を発動し、周囲の関心を逸らすことで事なきを得た。
最初からやっておけば良かった。
それはそうと。
「ショーって、もしかしてアレですか?」
「うそ、もう着いちゃったの!?」
「着きましたよ、マイ・プリンセス」
「やぁん、もっと抱っこされてたいぃ」
「なら、このままで。で、アレが?」
「うんっ!」
認識阻害のおかげで、千景も少し堂々とし始めた。
秋水の腕のなかで、少女は甘えた声を発しながら男の首に腕を回し、側頭部をぐりぐりと押し付けてくる。
おっぱいもミチっ♡ ミチっ♡ と密着しているので、秋水はもっとやってくださいと思った。
と同時に、海岸の景色に驚いた。
「A.N.O.M.A.L.Y.がいる」
「式神よ? 実はここって、伝奇術師のお客さん向けに特別なショーもやってるみたいっ」
「すごいですね。水魔、水妖の類いの式神を、まさか見せ物にするなんて」
二人の前では、他にも数人の術師と思しいパーク客の前で、同じく術師と思われるショースタッフが水上ショーを開催していた。
よく見れば、ご丁寧に結界まで張られていて、非術師の一般人には分からないように配慮も行き届いている。
「よく許可が降りましたね」
「そうね。そこはまぁ、さすがの孔雀堂グループってところかしら?」
調伏済みの式神も然ることながら。
伝奇術を用いた娯楽サービスの提供など、本来なら安全性の観点から到底看過し得ない軽挙妄動。
協会が何のために、認識阻害の呪具を術師に携帯させているのか?
それは人間社会に、〝不可思議なもの〟が立ち入る隙を増やさないためだ。
人々の認識に異常なモノの存在を、極力入り込ませないためだ。
言い換えれば、A.N.O.M.A.L.Y.の発生率を抑えるために、術師は衆人環視のなかでの異能を制限されている。
でもそれは、
「術師も人間だから、持って生まれた力を使って、たまには息抜きしなくちゃ」
「……そのための、必要悪ってやつですか」
「必要悪? それはちょっと、大袈裟な言い方だと思うけれど」
千景は苦笑した。
事A.N.O.M.A.L.Y.絡みの話になると、秋水の思考と言動は筆頭としての意識に引っ張られる。
もちろん、秋水も千歳の言わんとしている事は分かっていた。
すべての術師がA.N.O.M.A.L.Y.と戦うわけじゃない。
特に汐坐では、秋水のせいで力を持て余している術師もいるだろう。
孔雀堂グループはそうした術師を雇用して、活躍の場を与えるのと同時に術師犯罪率の抑制化も図っているに違いない。
生活に困窮した術師が、野良堕ちして騒ぎを起こさないように経済的な支えを用意し。
サービスの利用客として訪れた術師には、一般人とは異なる〝特別な娯楽〟を提供することで、精神的な満足と安定を図る。
恐らく、そういった大義名分でこのショーは実現していた。
「見てっ、海獅子と海馬!」
「東南アジアと地中海の幻獣ですね」
「鱗毛が色鮮やかよねっ。とっても綺麗っ」
「そうですね。ハルミの鱗も、やっぱり白木蓮柄で日本特有の風情がありますけど、幻獣系は動物感が強くて、なんだかポケ●ンみたいですよね」
「いいなぁ。私、テイマー系の少女漫画が最近のお気に入りなの」
「テイマー系」
「女の子なら、可愛いくて素敵な幻獣を一度はテイムしてみたいわよね」
千景は童心にかえっているのか、純粋な眼差しでショーを楽しんでいた。
ショーの内容自体は、ごく普通のイルカショーやアシカショーなどと大して変わらない。
違いがあるとすれば、ファンタスティックでビーストな現象がときどき挟まるくらいで、大まかには既存の演出の延長線上だ。
ただ、その程度の特別感でも、やはり十分なのだろう。
見物客の大半は満足そうに「おー」と感心していたし、千景も瞳を輝かせている。
なんだかハルミが可哀想に思えてきた秋水だったが、鳶瀬山家とハルミの関係性を思うと残当としか言えない。
しばらくすると、千景が思い出したように言った。
「まぁ、私はどっちかて言うと、テイムされちゃった側なんだけどねっ」
「ん?」
「でしょ? ねぇ、ご主人様? 私は可愛くて素敵な式神ですか?」
腕のなかで、少女はとんでもなく魅惑的な言葉を吐く。
だから秋水もお返しした。
「……俺も、千景先輩に捕まえられてしまったので、もう二度と離れられそうにないです」
「いいの? 私、ワガママなお姫様かもしれないわよ?」
「だったら、俺は自分勝手なご主人様ですね」
どっちも相手を自分に縛り付けている。
秋水がそう言うと、千景は少し逡巡した様子になった。
「? どうしました?」
「……えっとね? 実は私、最近ドムサブ系も好きなの」
「ドムサブ系?」
「くっ、詳しくは後で調べてねっ? 少女漫画のジャンルのひとつよ?」
「はぁ」
「……ちなみに、私はサブに感情移入して目覚めてきちゃった感じ」
聞き慣れないフレーズに、秋水は「?」と疑問符を浮かべる事しか出来なかった。
しかし、千景はそんな秋水の胸板に顔を埋めながら、真っ赤になって「言っちゃった……!」と恥ずかしがっていたので。
(たぶん、俺にとってかなり気持ちのいい告白だな)
秋水は直観的に、そう判断した。
ショーは次第に終演へと進んでいく。
なんだかんだ、いい時間が過ぎていた。
「終わっちゃいましたね。次は、どうしましょうか?」
「お腹空いてきたし、あそこのお店はどう?」
「ホットスナック。いいですね」
千景が指差したのは、南湾岸区らしい国際色豊かな軽食屋台だった。
食べ歩き用フィッシュアンドチップス専門の〈Harbor Chips〉
専門店とは名ばかりなのか、なんとオニオンリングやシュリンプボックスも販売している。
「んっ、これ美味しいっ!」
「白身魚の脂がいいですね」
「オニオンリングも、チーズソースが合ってるっ!」
「この紙容器、海老フライが食べやすくていいな」
二人は唇をジャンキーな油で濡らし合った。
ああ、一応言っておくが、お姫様抱っこはさすがに中断している。
屋外に設置されたスタンドテーブルで真向かい合い、しばし休憩の時間帯だった。
「ところで、私の王子様は午前中どんなデートをしてたの?」
「千歳先輩とですか? えっと、水着とか選んでました」
「水着!? ……やるわね千歳」
「千景先輩も選びに行きますか?」
「え〜? 二番煎じはイヤっ」
「そう……です、か……」
「え。なんかすごくショック受けてる?」
「べつに、千景先輩の水着姿が見たかったとかじゃありません」
「すごい! ぜんぶダダ漏れだわ!」
千景は目を丸くして、「そんなに見たいの〜?」と歳上らしい余裕を見せ始めた。
しかし、すぐに苦笑に変わる。
「同じお店だと、サイズの都合で似たり寄ったりのデザインになっちゃうだろうから、ごめんね?」
「残念です」
「もうっ、どうせ秋水くんの好きなように出来るんだから、落ち込まないで? でしょ? だ・あ・り・ん♡」
言った後で、千景は静かにゆっくり赤くなった。
「俺のお姫様は、本当に可愛いですね。もっとやってください」
「……うっ」
「う?」
「な、なんでもないわ? 今のちょっと、ドムっぽくて良かっただけ……」
「はぁ」
「そ、それより! 次はメリーゴーランド乗らない?」
「お、いいですね」
千景からの提案に、秋水は少しテンションを上げて頷いた。
「実は午前中は、乗り物には乗らなかったんです」
「え、そうなの? 千歳、遠慮したのかしら……」
「かもしれませんね」
秋水と二人きりの時、千歳はまったくそんな素振りを見せなかったが、ああ見えて鳶瀬山家では長女的なポジションだそうだ。
豊葉と依穂、どちらの娘たちも双子なので、あまり明確な姉妹感は漂っていないものの。
八千代と八千花は、千歳と千景を「チト姉」「チカ姉」と呼んでいるし。
少なからず、本人たちの意識のなかにも千歳を長姉とする空気感があるに違いない。
千歳お姉ちゃんは、本当にお姉ちゃんなのだ。
であれば、妹である千景は──
「まぁ、私は遠慮なく楽しませてもらうけど」
「いいと思います」
「古来、妹っていうのは姉よりも、チャッカリしているものよねー?」
「はは」
案外、自我が強めだった。
一番最初のデートで、死桜を退治して終わって以来。
千景はきちんとしたデートを所望するようになった。
甘えるときは最大限に甘えるし。
イチャイチャするときは、最大限にイチャイチャする。
無論、秋水に否やは無い。
ホットスナックを食べ終えると、二人は腹ごなしも兼ねてゆったりパーク内を歩きながら、遊園地ゾーンに戻った。
ちなみにお姫様抱っこは、「今は体重が増えたからだめ」と可愛らしい理由で固辞された。
そうして、回転木馬の列まで向かっていくと……
〝AOoooooooooooooon──!〟
「イヌ?」
「オオカミじゃない?」
「まっさか〜」
スパワーのパーク内のどこかで、突如として獣の遠吠えのような声が響き渡った。
メリーゴーランドの行列に、先に並んでいた一般客の何人かが連れと顔を見合わせて、一斉に「何だろう?」と話し始める。
中にはキョロキョロと辺りを見渡し、遠吠えのヌシを探している人影もあった。
千景はもう、ハッとしている。
秋水も一気にテンションを下げていた。
直後、携帯端末からはA.N.O.M.A.L.Y.の発生を知らせる通報。
霊視局の探知源は、当然、南湾岸区汐高浜町・臨海遊園地〈Spiral Wharf〉 内。
ちょうど、秋水たちが乗ろうとしていた回転木馬が、A.N.O.M.A.L.Y.化していた。
逆走を始めるメリーゴーランド。
不気味に半有機化していく串刺しの馬たち。
小さな子どもの群霊が、乗っていた客たちを外へと放り落とす。
回転木馬は反対方向に廻り始めて、ケタケタとポルターガイスト現象を起こした。
──ア そ ぼ ぅ ?
──も ッ と ア そ ん で ?
──と き を も ど せ !
悲鳴の〝起こり〟が生じた。
異変を感じ取った一般客たちが、一斉にパニックに陥りかけて行列が乱れ始める。
事態を察知したスパワーの術師スタッフが、急いで結界を発動する。
秋水はそこを、即座に解決しようとして──
「待って?」
「っ、と。なんです?」
「ここは私がやるわ」
腕を組んでいた千景に、行動を制止された。
「秋水くんの術式じゃ、メリーゴーランド焼け焦げになっちゃう」
「それは……そうですが」
言われている間に、悲鳴は完全に悲鳴としてパーク内に浸透してしまった。
それなりに人だかりが出来ていた行列も、瞬く間に蜘蛛の子を散らしたように閑散としていく。
さすがに、スタッフとして術師が雇われているだけある。
有事の際に、パニックを鎮静化させて落ち着いた避難を実現する結界だ。
おかげで、秋水が咄嗟に危惧したほど、ひどい混乱は巻き起こらなかったが。
そんななかで、なおも不気味にケタケタと笑っているのが、回転木馬に取り憑いたA.N.O.M.A.L.Y.だった。
典型的な騒霊、悪霊の類い。
結界が発動しても、二人が立ち去らなかったからだろう。
スタッフたちが気がつき、「もしや、筆頭ですか!?」と驚愕した。
それを横目に、
「千景! 秋水くんっ!」
「千歳! いいところに来たわ!」
「これって、A.N.O.M.A.L.Y.!?」
遊園地ゾーンの横にある硝子温室から、異常を察して千歳も合流した。
千景は秋水を制止したまま、姉妹の呼吸で姉に合図を送る。
「やるわよ!」
「わかった!」
秋水が見守っている前で、少女たちの姿が伝奇正装へと変じる。
鳶瀬山の退魔巫女。
蛇狐巫神の神巫。
春の再生と秋の豊穣司る、神域禁足地の結界管理者。
葛の葉と桜の花弁が、春雷稲光を供として渦巻いた。
変身が終わると、二人はそれぞれ狐耳と狐尾を生やし。
榛摺色の長髪の毛先が、まるでゴルゴンのように蛇と化した神代巫女となっている。
「……」
秋水は任せることにした。
出現したA.N.O.M.A.L.Y.は、格が低い。
現状の二人なら、二段階目に到達している事実を以って、充分以上に対処可能だと判断した。
千景がウィンクする。
「ぶっ壊し税もバカにはならないでしょ?」
孔雀堂グループが運営する遊園地の乗り物。
たしかに、燃やして壊してしまえば、さぞや修理費が嵩むに違いない。
もっとも、
「今の俺たちなら、気にする必要は無いと思いますが」
「あ、そうだった」
「でも、ここはたくさんの人が楽しむ遊園地だからっ」
行列ができるほど人気のアトラクションを、一時的にでも使用不可能にしてしまうのは心が痛い。
千歳はすぐに、状況を理解した様子だった。
周囲ではパークスタッフたちが、固唾を飲んで推移を見守っている。
千歳と千景。
瓜二つの双子姉妹は、そこでおもむろに舞った。
〝 せせらぎの 流れがごとく 〟
〝 安らぎの 静けさ満ちる 〟
詩が詠われる。
舞踊型の巫術の一環として、それは律動と奉納を兼ねた高度な伝奇詠唱。
以前、秋水は同じものを北嶺区の里山公園でも耳にした。
その効果は、非常に劇的だ。
〝 頬撫ぜる 風は涼しく 〟
〝 忘れじの 思い出揺れる 〟
〝 ああ ああ ああ 〟
〝 草原は遠くかすか 〟
メリーゴーランドを中心に、大きく乱れていた霊的バランスが均衡を取り戻していく。
騒霊、悪霊によって広がり始めた穢れが、瞬く間に浄化されて調整される。
すると必然、攻撃を受けたA.N.O.M.A.L.Y.は反撃のために、二人へ敵意を向ける。
逆転・逆走する回転木馬は、見たところさしづめ、〝いつまでも遊んでいたい〟という子ども心の反映か。
ならばそこから生じる異常事象は、回転を邪魔するモノを串刺しにして強制的に〝木馬〟へ変えるホラー・スプラッター。
遊園地ではピエロに次いで、発生しやすいホラー系のA.N.O.M.A.L.Y.である。
けれども。
〝 金色の 波ごとく 〟
詩が二段目に入る。
串刺しの脅威は、少女たちを貫かない。
それもそのはずだ。
(鳶瀬山家の術式は──)
先祖代々、相伝されてきた術式名は。
「『大宮能売神楽・宮比鎮祭』」
由来は、日本古来の神道のなかで、宮殿の平安を守るとされる女神である。
大宮能売神、または宮比神。
だが本質的には、この女神の別名・真名のほうが術式のルーツを説明しやすい。
天鈿女命。
非常に有名な女神だ。
この女神は天照大神が神話のなかで、岩戸隠れをした際。
世界から陽の光が消え、大変なことになったことを解決した巫女女神である。
日本最古の芸能神であり、踊り子。
有名な逸話は、艶やかな舞踊だ。
言葉を選ばないで表現するなら、卑猥な振り付けや過激な装束によるエロダンスだ。
天照大神が岩戸隠れしたことで、多くの神々は困っていた。
どうにか天照大神に機嫌を直してもらって、岩戸から出てきて欲しかった。
そこで天鈿女命が、エロダンスをした。
神々は困り果てた事態のなかで、不謹慎にもかかわらず笑い和んだ。
それを不審に思った天照大神。
岩戸に引きこもったことで、世界は大変なはずなのに。
どうして皆、笑ってるのか?
天照大神は岩戸から、そ〜っとエロダンスを覗き見した。
そこを、腕力自慢の別の神がすかさず引っ張り出して、世界には陽の光が取り戻された。
天照大神は日本神道の主神で、太陽神である。
神話において、この逸話があったからこそ、世界の安定と成り立ちに不可欠な種々様々な秩序が復活したと語られている。
つまり、日本神代はエロダンスによって救済されたのだ。
その功績を称えられたからか。
天鈿女命は後に、大宮能売神と名前を変えて、天照大神に仕える侍女となったそうである。
その権能は、宮殿で善言美詞を用いて君臣のあいだを取り持つと謳われ。
エロ巫女時代から続く『調律・調和』の性格を受け継いでいる。
そして……
〝 稲はただ よろこびに 〟
〝 大地のぬくもり 早駆けて 〟
〝 我は鳴いた 秋豊か 〟
一説には、この女神は穀物神ウカノミタマに仕えていた巫女を神格化したものだとも。
現に伏見稲荷大社でも祀られていて、現代では旅館や百貨店などで商売繁盛・接客業の守護神とも親しまれている。
宮殿に鎮座し、君臣のあいだを取り持ち。
和やかに心安らがせて、秩序和合の働きをする。
きっとそうした性質が、〝豊穣の世の安定さ〟や〝人と人を結び付ける営み〟とも通じたのだ。
ゆえに。
(詩が終わるな)
〝 しっぽがひとつ またひとつ 〟
〝 増えて生えて 揺れりゃいい 〟
〝 さすればきっと 蜜月の 〟
〝 冬は春に 恋焦がれ 〟
鳶瀬山家の相伝術式『大宮能売神楽・宮比鎮祭』
その異能が有するのは、舞・歌・宴芸・技芸・恋愛感情・共同生活など。
日常のあらゆる所作や想いを〝秩序和合の霊力〟へと変換する神楽演舞術式。
普段の巫女業務。
奉納の儀式のなかで、擬似的に行われる食事・会話・接触・口噛み行為ですら、北嶺区の神域と禁足地を封印するための重要な結界維持だった。
「──〝宮比ノ祝詞〟」
「──〝天岩戸興舞〟」
締めの演舞名。
千歳と千景が、舞の型を終える。
今回は怪異の鎮静化や霊的安定性を意図した演舞だった。
なお、同じ詩でも振り付けが変わることで、演舞名と術式効果が変わるらしい。
とにかく、辺りはもうすっかり綺麗なものだった。
よくないものは祓われ、メリーゴーランドは元の姿を取り戻している。
危なげない瞬間も特に無かった。
上々の首尾だ。
二人が変身を解く。
「ふぅ」
「いい感じ?」
「十分に。物的破損もゼロですしね」
惜しみない賞讃を送ると、姉妹は「「やったっ」」とハイタッチした。
事態が落ち着いたからだろう。
パークのスタッフたちが、すぐに事後対応に回り始めた。
そのうちの一人が、「筆頭!」と駆け寄ってくる。
「ありがとうございました! おかげでとても、助かりました!」
「礼なら、こちらの二人にどうぞ。俺は今回、なにもしてないですよ」
「ううんっ! そんなことないよ!」
「秋水くんが傍で見守ってくれてたから、私たちも安心して対応できたのっ」
「で、ではっ、お三方とも誠にありがとうございました……!」
「後は任せていいですか?」
「もちろんです! こうした事態のマニュアルもございますのでっ、〈Spiral Wharf〉 は通常営業を続行いたします!」
「それは、凄いですね」
スタッフはもう一度だけ、深々と一礼すると足早に去っていく。
通常営業を続けるとは言っていたが、さすがにメリーゴーランド周辺は多少、緊急メンテナンスに迫られるのだろう。
気づけば結界も順次解除が進み、一般の方たちの人影も戻りつつある。
「えー? メリーゴーランド、乗れなくなっちゃったのー?」
「そうね。ちょっと、調子が悪くなっちゃったみたい」
「そっかー。じゃあ、早く直るといいねっ」
「ええ。でも、特に大きく壊れてはなさそうだから、きっとすぐ大丈夫になるわね」
「よかったー!」
家族連れの一般客からは、実に微笑ましい親子の会話も聞こえて来た。
「俺が動いてたら、こうはなりませんでしたね」
「あはは……」
市外任務の光景を覚えているからだろう。
千歳は否定はできないらしく、苦笑だった。
「でも困ったわ」
「千景?」
「私たち、ちょうどメリーゴーランドに乗ろうと思ってたのに」
「あっ、そっか! 邪魔しちゃアレだよねっ」
「待って。いいわよ、千歳。どうせもう十六時だし」
「そ、そう?」
「せっかく合流しちゃったんだから、この後は予定通り、ね?」
「いいの? 千景がいいなら、私はもちろん嬉しいけどっ」
「じゃあ、そういうことで。秋水くんも、それでいい?」
「ええ。悪いわけがありません」
「そーれーじゃーあっ」
「あー!」
千景が秋水の左腕を、ギュッと抱き込む。
「こっちはもーらいっ。左手は結婚指輪をつけるほうの手だものね?」
「なにそれぇ! 秋水くんは右利きなんだけどっ?」
「だから?」
「右手のほうが、いろいろ……便利なの!」
「どういう意味よ? やらしい意味?」
「ちーかーげー!?」
「うわっ、気遣い家の姉が怒ったわっ! 助けて秋水くんっ」
「怒ってないっ、ね? そうだよね? 秋水くん?」
千歳が秋水の右腕を、ギュッと抱き込んで訊ねる。
秋水はニッコニッコだった。
ポーカーフェイスがデフォルトなので、当社比ではあったが。
近しい者が見ればそうと分かる、かなり上機嫌なスマイルフェイスだった。
「それじゃ、三人でこのあとはどうしましょうか?」
「話聞いてないわ!?」
「うーん。まだ早いかもだけど、観覧車はどう?」
「観覧車。いいですね」
「あー……たしかに? それに、並ぶ時間と乗ってる時間を合わせたら、ちょうどてっぺん辺りでイイカンジじゃないかしら?」
「ねっ! かもしれないよねっ!」
どうやら、姉妹は夕焼けに染まった観覧車を恋人と、というシチュエーションをご所望のようだ。
遊園地に来て観覧車があるなら、たしかにカップルにとっては外せないイベントだろう。
両側を爆乳に挟まれて、秋水は下がっていたテンションの再急上昇を感じる。
先ほどの遠吠えが何だったのか?
どうして急に、A.N.O.M.A.L.Y.対策が施されているはずのパーク内で、悪霊の類が出現したのか?
原因は薄々察していたが、思考を割くに値しなかった。
千歳と千景以外に、いま、大事なものなんて無い。
観覧車の列に並び、順番が来たので三人で乗り込む。
すると、地上からしばらくの間は、ごく普通の時間だった。
男一、女二。
重さのバランスを取るため、左右に分かれて座った秋水たちだったが。
ある一定の高さに到達すると、姉妹が示し合わせたかのようなタイミングで、同時に席を立った。
「? 危ないですよ?」
「だ、大丈夫よ」
「もし落ちちゃっても、秋水くんなら助けてくれるでしょう?」
「もちろん」
迷いなく頷く秋水に、二人は先ほどと同様、挟み込む形で秋水の隣に来る。
観覧車が明らかに、グウゥンと傾いた。
「……狭くないですか?」
「ねぇ、秋水くん」
「そろそろ、いつものやつ……いい?」
姉妹が双子特有のシンクロで、鏡合わせみたいに髪を耳にかける。
その頬は、ちょうど差し込んできた夕日のせいなのか。
あるいは別の理由で、朱色を帯びているのか。
耳まで熱を持ち、瞳を潤ませては生温かな吐息を秋水の首筋に与えた。
いつものやつと言えば、ひとつしかない。
「……最初から、これを狙ってたんですか?」
「だって、お約束でしょ?」
「せっかくの三人デートだもの」
「「──双子同時に、キスしよっ?」」
秋水は目を瞑った。
今日はまだ二人と、一日一回のペナルティを消化していない。
だから一日の終わりが近づいて来れば、どんな形であれキスをしないわけにはいかなかった。
だが、まさか双子同時にと来るとは……
(背徳的だ……)
インモラルで、ハーレムだからこそだった。
秋水の沈黙を了承と受け取ったのだろう。
二人は体勢を変えて、半ば秋水の両膝に乗り掛かるようにして、身体を押し付けてくる。
「チュ……ン、ちゅ……」
「すき……キス、すき……チュッ」
姉妹の唇が、触れ合うような繊細さにもかかわらず、蠱惑的な音を立てる。
自分の唇が美少女の唇で押しつぶされ、その柔らかな膨らみが親鳥の愛を乞う雛のように、貪欲に重ね合わせられる。
観覧車のゴンドラは、たちまち秘密の睦み合い空間に変貌してしまった。
三人はもう、なにひとつとして外の景色など観覧していない。
秋水は自然と、少女たちの細い腰を強く抱き寄せていた。
「ンンっ!?」
「あっ──いいっ、おねがい、それもっとシて……!」
男の腕力で、やや強引にしている。
千歳と千景のお尻が、思わず座席から数センチほど浮いてしまうくらいに。
だから二人は、秋水の膝に両側から片方の太腿を乗り上げる。
そのまま、勢いに任せて男の膝へお尻をズラす。
「ハァ……ちゅっ、ハァ……♥」
千歳は特にトロンとした眼で、息遣いだった。
キスが始まってから、人間の言葉は一度も使っていない。
「ちゅ……んっ、これわたしの……わたしのなのっ♥」
一方で、千景は特に愛情表現が優しかった。
積極的に自分の気持ちを言葉にして、秋水に対する想いをダイレクトにぶつけて来る。
なお、舌は入れていない。
どちらもバードキスだけだ。
秋水は両腕、手甲、首筋、コメカミ等にバキバキと血管が浮き立つのを感じた。
一日最低一回のキスペナルティ。
それは、鳶瀬山家の面々をとんでもないキス魔に変えていたがっ!
そこから先はっ!
一切ッ進んでいない生殺しの刑罰に他ならなかったっ!
理由は、ひとつ。
ヒナギクである。
秋水と鳶瀬山家は、ヒナギクの力を介して主従契約が結ばれている。
キスペナルティもまた、ヒナギクの性質や意向を多分に反映した結果となっている。
で、あるがゆえに。
それ以上の段階に、ひとつひとつ進むにも。
ヒナギク由来の条件をクリアしないといけなかった。
なお、その条件内容は何も判明していない。
当のヒナギクでさえ、「なんとなく思い浮かぶものはあるけど、基本は気分よね気分っ!」と胡乱だった。
しかも酷いのが、条件をクリアせずに進もうとすると落命である。
(主人に不利益を与える式神とは、これ如何に……ッ)
バキバキッ! ゴキっ!
ゴリゴリゴリッ!
バキグキゴギャバキッ!!
チュッチュッ♥
対照的な擬音が響くなか。
三人はそのまま、結局ゴンドラが三巡するほどの時間をキスに費やすのだった。
茹るような、夏の開幕だった。
明日は八千代と八千花とデートなのに、保つのか? これ?
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tips
◆大宮能売神楽・宮比鎮祭
鳶瀬山家の本来の相伝術式。
退魔巫女に相応しい秩序和合・調律調和の効果を持つ異能。
神楽を奉じ、詩とともに舞踊を演じ〝尊し〟と為す。
八百万の神々を大笑させ、最古の芸能神は云った。
貴方様より尊い神が生じたのだ。
古き御代、日本では凡霊説が当然だった。
万物に神が宿り、すべてのものは精霊を宿していた。
つまり、天照大神とは、あらゆる尊きモノの源だったのだ。
以下に型の種類と演舞名を記す。
▣神楽舞天|基本演舞
⇒広域霊場調整・味方強化
▣艶宴戯芸|結界演舞
⇒会食・酒宴・浴による霊力循環促進
▣恋迎ノ舞|回復演舞
⇒自己強化・血縁同調・契り強化
▣夢見神楽|精神演舞
⇒感情・精神防御・無意識共有
▣宮比ノ祝詞|禊祓演舞
⇒穢れ・霊的汚染・怪異侵食鎮静化
▣天岩戸興舞|上級演舞
⇒全演舞効果相乗
現在、鳶瀬山家はこれらを通常技としている。
二段階目の証である伝奇正装変身時では、
▣天鈿女命依・神楽姫|奥義演舞
⇒神巫化による神性変異・周囲空間神聖化
を可能にし、幸福・高揚・恋愛感情が強くなるほど、土地や八百万の神々の力を借りて術式出力を激増させる。
そして、第二術式である『姦姦蛇螺』の力もまた──




