第1話「青墨秋水は伝奇術師である」
秋水が転生したのは、超常現象の脅威に満ちた現代伝奇バトル世界だった。
「え?」
直前まで、恐ろしい夢を見ていたのだ。
巨大な天災が地球を破壊するため、宙から終末となって降り落ちる夢。
文句無しの悪夢。
だが目覚めると、秋水は青墨家の秋水になっていた。
「……?」
肉体の年齢も若返っていた。
信じられない。
八歳。
なんて脆弱で頼りないカラダ。
手なんかまだクリームパンみたいだった。
下の名前は変わっていない。
が、その他は年齢と同じく信じがたかった。
苗字が変わり、家庭環境やら常識やら、あらゆるものがまるっと様変わりしていて。
おかしなモノも、見えるようになった。
オバケや妖怪的なサムシングだ。
しかも襲ってくる。
「去ね」
ある老爺が、それを退治? した。
目にも止まらない速さで、何かをしたのだ。
「えっと……」
秋水はそれを見て思った。
どうやら、世界の関節は外れてしまったらしい。
生まれ変わった世界では、空想が現実化していた。
具体的には、怪異や魔物といった存在が人々の安全を脅かしていた。
伝奇術師という一部の人種が、その脅威に抗っているようだ。
困惑していた秋水は、祖父を名乗る老爺がバケモノを祓うのを幾度も目の当たりにした。
いや、正確には直視するように命令された。
──九字を切る、と言うのだろうか?
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」
「……」
老爺が呪文を唱え、手指を使って何か意味ありげな動作をする。
そうすると、靄のようだった曖昧なバケモノが、塵も残さず消えたのである。
バケモノは亡霊の類いで。
脅威度は低かったらしい。
「これらは雑魚だ」
と、老爺曰く。
なんでも青墨家は、代々術師の家系でうんぬんかんぬん。
要約すると、いわゆる退治屋を生業にしているそうで。
秋水は長男ということもあって、その退治家稼業を継ぐ事を期待されていた。
伝奇術師とは、その語源に由来する通り『現実には起こり得ない不可思議な出来事や怪奇的幻想的な物語』を形にする異能力者だとも、そのときに教えられた。
「かつて空想とされていた事柄は、おしなべて現実になった」
地球を破壊した災いは、科学では説明できない現象を引き起こしたのだと。
老爺は秋水が夢でしかないと思っていたコトにも触れて、「あっ」という口を挟む間もない内に驚くべき言葉を次々に言い放った。
──前世の記憶を持つ者は少ない。
──連続性のある人間は極めて希少だ。
──いまはもう適合者……新世界の法則に適応した新人類のなかにしか、昔を覚えている者はいない。
「それも、ごく僅かな数でしかないが」
あの災いは地球に、『再創世記』をもたらした。
結果、科学で説明がつけられた諸々の既存法則とはべつに、いまでは超常現象を成り立たせる『伝奇法則』が働くようになったのだとか。
要するに、世界は改変された。
国際的には、
「〝Abnormal Non-explainable Occurrence Manifested Against Logical Yield〟」
各語の頭文字を取って、『A.N.O.M.A.L.Y.』と呼ぶそうだ。
文法的にはやや、不自然さがある。
だが、
「これは和訳すれば〝論理的帰結に反して顕現した、説明不可能な異常事象〟となる」
つまり不自然さがあるのは、ある意味で正しいのだろうとも老爺は語った。
Abnormal(異常な)
Non-explainable(説明不可能な)
Occurrence(発生事象)
Manifested(顕現した)
Against(〜に反して)
Logical(論理的な)
Yield(帰結・結果)
たしかに、NATOとかと同じでグローバルな趣きを感じた。
平たく言えば、オシャレな言い回しだった。
漫画やゲームとかで、普通に出てきそうな用語だ。
しかし、それが実際に人間を脅かしているとなれば、冗談ではない。
「適合者とは、伝奇術師のことだ」
世界が改変された折り、それまで地球上にあった空想の事物は現実と化して産声をあげた。
と同時に、一部の人間のなかにも、異能という形で空想が入り込んだ。
「例えばそれは、九字護身法」
「先ほどのヤツですか……?」
「そうだ。これは修験道において、九字の呪文と九種類の印によって災難除けや精神統一を叶える祈祷作法だったが」
いまの世界では、本物の呪法になった。
魔除け。
そして戦勝の霊力利益をもたらす術式。
「よく、バケモノにはバケモノをぶつけるなどと言われるだろう。それと同じだ」
A.N.O.M.A.L.Y.には伝奇術でなければ対抗できない。
同じ世界に存在していても、違うルールで生きているモノに通常攻撃は無意味。
空想には空想を。
物語には物語を。
疑うワケにはいかなかった。
だって現実に、披露されてしまったからだ。
老爺は亡霊をよく捕まえてくると、秋水の前で拳銃などを撃ち放った。
頭がおかしいと思った。
このジジイ、絶対にカタギじゃないとも。
しかし一番おかしかったのは、亡霊に効果的だった攻撃が拳銃ではなく呪文の方だったコトだ。
「この通り、世界がまだ未開の闇で包まれていた頃、人々のあいだで実しやかに信じられていた『伝承』も含めて、我々はそれを形に変える異能を手にした」
「俺にも、同じことが出来るんですか……?」
「オマエには出来ん」
だが、違う伝奇術ならば。
九字護身法ではなく、べつの物語ならば出来ると。
老爺は断言した。
まずはそれが何なのか、探るところから始めるとも。
秋水はそれから、老爺のもとで多くを学んだ。
正確には、学ぶよう命令されたと言ったほうが適切かもしれない。
青墨家には老爺と秋水と、夏乃という女の子しかいなかった。
両親はA.N.O.M.A.L.Y.と戦い、すでに亡くなっていたのだ。
祖母も若くして亡くなっていて、老爺は肉親というより術師として秋水らに接した。
厳しく、冷たく、過酷な修行を課され。
従わなければ、虐待に近い折檻を受けた。
まさか令和の時代に、座敷牢に閉じ込められるとは。
秋水は最後まで、老爺を祖父とは認識できなかった。
というか、青墨家から与えられる情報の何もかもが、どこまでも非現実的で浮世離れしていたため。
情が無いと罵られるかもしれないが、妹でさえ妹とは思えない日々だった。
ある事件を切っ掛けにして、幸い、妹のことだけは肉親として愛せるようになったのだが。
老爺は最後まで、ただの老爺だった。
A.N.O.M.A.L.Y.と戦うための機械。
そんな印象ばかり残っている。
老爺の目に晒されると、秋水はいつも「オマエも同じ存在になれ」と言われている気がした。
イヤな目だった。
──なのに、どうして逃げもせず術師の道を選んだのか?
理由は、単純だ。
秋水は生まれ変わる前、三十歳だった。
幼い頃から『ちょっとヒステリックだけど優しいところもある教育熱心なママ』に育てられて。
家に帰れば、いつも仕事で疲れている『無愛想で怒りっぽいパパ』の機嫌を損ねないように過ごし。
両親や先生から『とにかく真面目で良い子』に育ちなさいと望まれ、規則を破らない普通の優等生であり続けた。
小中高とそんな調子だったのだから、大学に入って社会に出ても予後は知れている。
不思議なことに、社会に出れば『杓子定規な真面目くん』は没個性として地味なヤツ扱い。
どんなに真面目に働いても、真面目なだけでは「そんなの当たり前」として部品のように扱われた。
普通の優等生とは、現代において姿なき呪いに近かった。
たぶん、秋水だけじゃなく大勢が同じなのだ。
誰だって他人より、少しだけ優れた部分はある。
それを褒められ、「あなたは優秀なのよ」「キミならもっと上を目指せる」などと甘い言葉をかけられたら。
タチの悪い洗脳にかかって、華の十代を勉強とかで犠牲にしてしまったりもする。
そして、大人になった後から分かる。
子どもだった時にかけられていた洗脳。
それらは結局、手間のかからない大人しい子を生み出すための都合の良いメソッドだったのだと。
子どもだった頃は、「将来の夢は何?」などと何者かになれると期待させておいて。
大人になれば、オマエはべつに大した人間ではないのだと気づかされる。
そして、ただ無害で都合のいい歯車であろうとするコトさえも、時には鼻で笑われるのだ。
勇気を出して青春を取り戻そうとしても、「いい歳してイタイタしい」だとか、「そんなコトしてるくらいならキャリアップの努力をしろ」だとか。
一日最低八時間は労働に費やしているのに、このうえさらに捧げ物を要求するとかマジで鬼じゃないのか?
努力も勉強も、もううんざりするほどして来たんだよ。
友だちと遊ぶ時間があっても、親は子どもの交友費を出し渋って勉強をするよう言うだけだった。
遅く帰れば迷惑をかけるなと、心配してくれた気持ちまでは疑わないものの、次第に自由は制限された。
遊び方を知らない。
俺はもっと、趣味を楽しみたいし人生を華やかなものにしたいのに。
もちろん、西暦2020年代の日本において、一般的な国民に求められる“普通”がどれだけ高水準なものなのか。
発展途上国やら移民問題やらをニュースで見聞きすれば、自分が受けていた洗脳……教育が一概に間違っていたものだとは言えないし。
育まれた良識は、悪ではなかった。それは分かっていた。
でも。
「朝起きて、仕事をして、夜眠る」
そんな一日を、そんな一日でしかないものを、一度でも経験すれば誰かには共感してもらえるだろう。
職場環境に問題があったなら、転職すれば良かった?
そもそも就活で失敗したのが悪い?
残念ながら、どちらも違う。
秋水の職場はブラック企業ではなかったし、普通の優等生に相応しい、そこそこホワイトな中小企業だった。
そういう意味では、秋水は実に上手く育てられた部類だろう。
問題は、貧しいワケではないけれど、かと言って余裕があるワケでもない生活だ。
世間が要求する普通を全うしても、その先に待っていたのは余暇の少ない飼い殺しのような毎日で……
時間もお金も、リソースは限られていた。
秋水には、それが不満だった。
旨味を感じられなかった。
どうしようもない飢えが、喉奥に張り付き続けた。
三十歳。
ちょうど人生を振り返って、あまりの空虚さにドロドロとした想いを醸造する歳。
そんな時に、転生した。
普通ではない世界だ。
歳も若返って、やり直しのチャンスを得ている。
戦闘で死ぬ可能性が、怖くないワケじゃない。
バケモノに襲われるのも、そりゃあ勘弁して欲しかった。
老爺はスパルタだったし、修行なんて実際やってみると、少年漫画の登場人物はよく頑張れるなと何度も唾を吐きそうになった。
少年漫画と言えば。
新しい世界は、バトルファンタジー系の創作物みたいだった。
小難しい用語があったり、世界中の神話や伝説なんかからフレーズを持って来て戦うあたり、燃えゲーにも似ている。
伝奇術って、かなり厨二チックな異能力だったし。
いやいや、三十歳だよ? と。
こんな世界でいまさら、秋水は自分にノリノリの厨二バトルができるとも思えなかった。
……でも、どうだろう?
「覚悟はできたか?」
「……」
老爺は一度だけ、チャンスをくれた。
伝奇術師になるか。
一般人として暮らすか。
選択するチャンス。
「………………」
青墨邸の道場で、頬を泥に沈められて。
秋水は考えた。
聞くのが遅えよ、ジジイとか。
はて、どっちが良いのかな、と。
結果。
「──やりますよ」
「ほう」
秋水は立ち上がった。
だって普通の社会人になって、またもや以前と同じように杓子定規な労働エブリデイを送るよりも。
怪異や魔物と戦闘して、余った時間を自由に使える人生のほうが、最高に旨味があって美味しそうじゃないか?
しかも、伝奇術師の給料は高かった。
超常現象から人々を守る代わりに、多大な報酬を約束されていた。
悪霊一体、平均十万。
月に三体も倒せば、もう一般的な月収になる。
老爺から初めてそのあたりの報酬制度を聞いたとき、秋水の脳内でソロバンは止まらなかった。
伝奇術師になれば、都内駅近で家賃十万円の賃貸にだって余裕で住める!
さらに言えば、これは後から判明したことだけども。
秋水の術式は、非常に使い勝手が良かった。
その事実に気がつくまでは、ほんとうに何度もズルができないかを考えるだけの毎日だったが。
おかげでどうにかこうにか、裏技を見つけられた。
今では手数に溢れ、便利な小技もあれば大味の大技もあり、この世界で再び十四になる頃には、大抵のA.N.O.M.A.L.Y.が敵ではなくなっていた。
最強、と誤認しそうになるくらいに。
もっとも、精神年齢はとっくにオッサンの入り口に立っている秋水である。
浮き足立つことも、思い上がるとかも特に無かった。
「──成ったな」
だからかもしれない。
老爺は寿命で息を引き取る直前、静かに呟き縁側で笑った。
後にも先にも、それが青墨秋蔵の唯一の笑顔だった。
「逝ってしまったな」
親代わりとしては、正直、落第と言わざるを得ない人だったと秋水は思う。
特に妹である夏乃にした仕打ちは、十七になった今でも許しがたい。
それでも、彼がふたりを厳しく育てた背景には、やはり家族を襲ったA.N.O.M.A.L.Y.関連の不幸が多分に影響していたと察していたし。
多くを教わり、保護されていた事実には変わりがないから。
墓だけは、立派なものを用意させてもらった。
「供え物。何を用意すればいいのかも分からなかった」
不思議だった。
生きている時は、ついぞ情など覚えなかった相手にもかかわらず。
失ってから初めて、秋水は自分のなかに〝せめてまともな供養くらいはしよう〟と考える。
考える程度に、関係性が出来上がっていたのだと気付かされたのだ。
墓にはただ、ごく普通に。
花と線香の煙だけが添えられている。
「お兄様。これからわたくしたち、どうしましょう……」
「心配するな」
ある雨の日。
初夏を目前に控えた梅雨の盛り。
傘を叩く雨粒が、ボトボトとゴムのような音を立てるなか。
不安げに服を掴む妹に向かって、秋水は気を取り直すと力強く顎を引いた。
「これからは万事、この兄がオマエの人生を安堵する」
「お兄様……!」
祖父だった老爺の影響で、秋水は少しだけ古風な言い回しをするようになっていたかもしれない。
とはいえ、それが妹に老爺と似たような安心感を与えるものであったのなら、秋水には良かった。
薄情者の秋水とは違い、妹の夏乃はあんな過去があっても老爺に肉親の情を抱いていたし。
その愛情が秋水にも向けられているのは、ヒシと抱きつく腕の力で十分に理解できていた。
兄ならば、妹を守るのは当然だ。
それに秋水は、妹である夏乃がいたから、青墨である自分を受け入れる事ができた。
以前の秋水にも妹がいたから。
夏乃を守ろうと思った時、自然と兄である『青墨秋水』が自分と重なったのだ。
以来、ふたりは仲のいい兄妹だった。
お兄様と呼ばれることには、まだ多少、不慣れなことも多かったが。
少なくともお兄様と慕ってくれる程度には、妹側も兄に懐いてくれていると理解して。
兄は妹のためにも、現代伝奇バトルで人生をアガろうと想いを強めている。
さて、ちょうどそんなタイミングで。
ブブブブブッ!
秋水のズボンから、携帯端末のバイブレーションが鳴った。
ポケットから取り出し、画面を確認すると。
そこには仕事の連絡が入っていた。
A.N.O.M.A.L.Y.を退治する依頼だった。
目尻に涙を浮かべていた夏乃が、腕の中でハッと小さく息を呑む。
「お兄様……また、鳶瀬山ですか?」
「北嶺区は近頃、荒れているからな」
「祠を壊すだなんて、どうして流行ってしまったのでしょう……」
「仕方がないさ。俺たち術師と違って、一般人にはA.N.O.M.A.L.Y.の怖さが分からない」
おかげで楽な仕事が多くてウハウハだ、とは言わずに。
葬儀の直後ということもあって、秋水は生真面目に唇を引き結んだ。
すると、夏乃はもう一度だけギュッと抱きついてから、名残惜しさをいっぱいに溜め込んだ表情で「ご武運を」と離れた。
歳の割りに大人びた怜悧な顔立ち。
利口そうな細面とサラサラとした長い黒髪が、傘の外から雨粒に濡れる。
家の外では美人と名高い夏乃も、秋水の前でだけは兄離れのできていない妹でしかないのかもしれない。
秋水は苦笑して傘を渡した。
いまは身内を亡くしたばかりというのもあって、妹が少し辛気臭い。
もう少し時間が経てば、きっと普段の明るさを取り戻すだろう。
ゆえに、告げる言葉も短くなった。
「すぐ戻る」
「はいっ!」
秋水が霊脈に乗り、目的地に跳び立つと。
夏乃はすぐさま遠見を開始した。
雨が降りしきる霊園。
今日は天気も悪く、墓参りに来ている人間も少ない。
だから、秋水が忽然と姿を消してしまっても、ギョッとして驚きを露わにする者は一人もいなかった。
秋水が行ったのは、禹歩や反閇とも呼ばれる独特なステップ。
陰陽道においては、凶兆の方角に向かって大地を足で踏み鳴らすコトで、その災難を鎮めるというような意味合いを持つ呪術歩法。
当然、瞬間移動や縮地を叶える類いの技ではない。
しかしながら、秋水の術式は汎用性が高く、また解釈の幅も広かったため、普通の伝奇術師とは違って豊富な異能を実現していた。
いったいこの世のどこに、ただの〝魔除け〟で距離の概念をいじくれる術師がいるのか。
(いつも通り、さすがですわお兄様……!)
霊脈を渡る黒龍。
夏乃の遠見は霊視でもあるため、秋水の姿が漆黒の龍とも重なっている。
その威容を確認するたび、夏乃はいつも畏れに似た感情を抱きそうになるが、息を呑み込む暇もない。
秋水は神足通も斯くやと言わんばかりに、すでに目的地へ到着しているからだ。
- 汐坐市・北嶺区 -
- 北汐坐町鳶瀬山・千祠の森 -
そこは一般には公開されていない禁足地。
山奥の旧霊園跡地を囲むように呑み込んでしまった森。
立ち入りは特定の伝奇術師にのみ許可されている。
一般人の入場は、もちろん禁止だ。
風化した墓標と祠が、規則的に並ぶ本物の異界。
外周でも温度が低く、中央に進むほどに墓標と祠の数が増す。
今日は全国的に雨雲が広がり、汐坐市もまた朝から憂鬱な曇天に覆われているのに。
異界であるそこは、黄昏色に染まっている。
黄色に近い橙色の西陽が差し込み、見ようによっては綺麗とすら言える秋の夕暮れ。
しかしだからこそ、夏乃の背にはゾクリと冷たい畏怖が駆け上がる!
天候も季節も、時間帯すら塗り替える。
それは怪異に分類されるA.N.O.M.A.L.Y.のなかでも、神域に近い存在に多い異常特性。
夏乃は現場にいないというのに、膝から下が突如として無くなってしまったかのような錯覚すら覚えた。
「大丈夫よ」
「わ、わかっていますわ……!」
精神防御を任せている式神が、安心させるように耳元で囁いた。
そのおかげで、なんとか夏乃は平静さを保つコトができた。
だが代わりに、今度は兄への心配が増幅する。
「あぁ、ぁああ、お兄様がお兄様がお兄様がッ!」
「まったく」
どこか呆れたような声は、努めて無視した。
何故なら、いままさに千祠の森の中央では、秋水が怪異と相対しているからだ。
砕かれた人骨の砂利。
打ち棄てられた墓標と祠には、森の陰が舐めるように背を伸ばして黄昏を閉ざし。
異界を夜へと、変えていく。
夜は次第に影を膨らませ、森の地下から異形の獣を出現させた。
巨大な鹿である。
一戸建て住宅ほどはあろうかという体躯の、真っ赤なアカシカ。
ただしその顔面は液状化した闇に覆われ、樹冠を突き刺すように峻険な枝角は全てが卒塔婆と石灯籠で出来ていた。
鬼火が浮かぶ。
青い鬼火が、瞬く間に果実のように。
瞬間、
──ひ、ヒィ!? なんなんだよ、これぇ……!?
愚かにも禁を破った一般人が、秋水の足元で腰を抜かして失禁した。
キャップを斜めに被り、首からカメラを提げた大学生風の男。
如何にも頭の悪そうな風貌は、ひょっとすると近頃なにかと世間を騒がしがちな迷惑系ストリーマーと呼ばれる人種かもしれない。
いや、きっとそうだろう。
夏乃は腹立たしくて堪らないが、ここ汐坐市ではおよそ十年、A.N.O.M.A.L.Y.によって命を落とす人間が非常に激減している。
そのため、祟を軽んじて祠を壊す、こういった軽薄な手合いが増えていた。
無論、そんな人間の軽率さと粗相を、怪異『卒塔婆祈角』が許すはずもない。
弔われなかった魂に弔いを。
供養されなかった魂に祈りを。
異界のなかで何処からか、怨念じみた呻きを伴わせた読経が響き始める。
否、読経はアカシカの闇に覆われた口元から漏れているのだ。
(よりにもよって、卒塔婆祈角──!)
人間が不要な手出しさえしなければ、無害とされる怪異を呼び起こすなんて。
夏乃は舌打ちを懸命に堪えた。
問題無い。
夏乃の兄は最強だ。最強の伝奇術師だ。妹として、夏乃は心から信じている。あの年の八月を境に、青墨秋水は夏乃にとって最強の兄になった。だから問題は無い。心配も無い。卒塔婆祈角自体、何度も秋水は祓っている。そう、頭では理解しているのだが──!
「うっ、うぼぇぇ……! 心配すぎてゲボ吐きそうですわ……!」
「このブラコン」
「だってぇ〜〜」
夏乃は嘔吐きかけながら「ヒィ!」と震えた。
なにせ、伝奇術師の死亡率は70%を超える。
汐坐市に限らず、これは日本すら飛び越えた世界全体での共通認識。
A.N.O.M.A.L.Y.とはそれほどに危険な存在であり、基本的には上位存在なのだ。
当然である。
伝奇術師はたしかに異能を手にした。
しかしそれらは、本家本物の『原典』からすれば劣化互換を名乗るのも烏滸がましい『外典』にして『傍流』に過ぎない。
例えば、アーサー王伝説の聖剣、エクスカリバーの術式を持った伝奇術師がいたとしても。
もしもアーサー王のA.N.O.M.A.L.Y.が現れれば、その力の差は歴然だ。
猿真似、パクリ、偽物、レプリカ。
どちらがより本来の性能を十全に発揮できるかと言えば、答えはわざわざ言うまでもない。
伝奇術師が異能を獲得しても、その異能を成立させる法則の大前提はA.N.O.M.A.L.Y.側にある。
だから敵わない。
ただ異能を手にしただけの人間ごときでは、A.N.O.M.A.L.Y.には敵わない。
事実、夏乃は物心つく前に両親を奪われ、祖父は修羅に変えられてしまった。
修羅は兄を後継にするため無情に徹し、夏乃すら道具にされるところだった。
仕方が無いのだ。
汐坐の伝奇術師で、男性はほとんど生き残っていない。
伝奇術師に限らずとも、世界的にそういう傾向がある。
これは個々人で受け止め方が異なるだとか、夏乃の思い込みとかでは断じて無い。
客観的な事実として、そうなのである。
然れど。
──然れど!
鬼火が森の夜に星々の天蓋を形作る。
星火燎原がごとくして、次々に青色の炎がちっぽけな人間へ降り注ぐ。
足場など疾うに失せていた。
尋常の生命なら卒塔婆祈角の放つ炎熱によって、即座に荼毘に付され骨の燃え滓となる運命。
にもかかわらず!
〝カン〟
「来ましたわあああああ!」
「うるさっ!」
青墨秋水は、修羅の期待を裏切った。
修羅ならざる生き方を選びながら、修羅を超える術式使いとなった。
汐坐の筆頭術師。齢十七にして、百鬼夜行を打ち破り。
異能の可能性を拡げた。
原典のデッドコピーでしかなかったはずの術式を、原典から着想を得て創案された『新作』に変えたのだ。
だから、呪文を唱える。
たったそれだけの基礎でも、異界に囚われた人間は完全に護られてしまう!
伝奇詠唱。
己が異能を即時起動し、霊力の出力も底上げし、敢えて原典に倣うことで自分にとって都合のいい法則を引き寄せる技。
秋水が唱えたのは、密教において仏尊を象徴する一音節の呪文。
種子真言とも呼ばれる梵字・悉曇文字のシンボルでもあり。
有する意味は、不動明王。
すなわちは──
〝ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバボッケイビャク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン〟
大日如来とも習合される偉大な仏尊の威光そのものだ。
あらゆる煩悩や悪業を焼き尽くすとされる、極めて強力な長咒の開始。
これなるは唱えることで退魔を為し、災難を洗い浄め、所願成就をもたらすとされる咒式であり。
秋水が掌印で不動剣印を結べば。
〝不動明王火界咒・火生三昧倶利伽羅剣〟
〝!〟
卒塔婆祈角の星火は、押し戻されて突き破られる!
紅蓮の炎が、科学的な熱の温度差など捩じ伏せて、暴虐と呼んでいいうねりを生み出し。
うねりは刀剣状に天へ逆立ち、異界の天蓋を破壊する。
赤い軌跡が、北の空を劈いた。
夏乃は遠見を解除した。
「……ああ、お兄様ったら」
脱力し、ふぅ、と肩の力を抜いて傘を閉じる。
卒塔婆祈角は鎮圧された。
千祠の森の怪異は鎮められた。
それと同時に汐坐市の天気は、予報に無かった晴れ間を覗かせている。
憂鬱だった雨雲を突き刺すように、太陽の光が天使の梯子を幾つも落とした。
「これでまだ、本気では無いというのですから……本当にさすがとしか言えませんわ」
「毎度思うけど、なんで心配するの?」
「理屈では無いのです! 兄想う妹心なのですわ!」
「あっそ。どうでもいいけど、少しは元気が戻ったかしら」
式神の声に、夏乃は「ふふっ」と笑う。
「こんなにお天道様が出てしまっているんですもの」
いつまでも暗い顔をしていては、祖父とて浮かばれまい。
傘の雨粒を払いながら、夏乃は「梅雨明けも近いですわね」と独り言ちた。
すると、秋水が行きと同じく忽然と戻って来る。
「夏乃」
「はい、お疲れ様でしたお兄様!」
「今晩はジビエにしよう」
「え」
「鹿肉が食べたくなった」
「ええっとぉ……」
大好きな兄を、笑顔で出迎えた夏乃はしかし。
秋水の突然の発言に、ひそかに困惑を隠しきれない。
あれだけ畏れ多いA.N.O.M.A.L.Y.と対峙して。
人の死が濃密に香る地獄的な異界に入っておいて。
出てくる言葉が、これなのって……ねぇ?
「はぁ。お兄様って、そういうところありますわよねー」
「?」
疑問符を浮かべる秋水の腕を取って、夏乃は肩をくっつけた。
「べつにいいですけれど、まずは着替えてからにさせてください」
「ああ。喪服のままじゃ、動きづらいし匂いもつくしな」
見当違いの納得を見せる兄。
その横顔を、肉親に許された至近距離で斜め下から見上げて。
夏乃はギュッと、腕にしがみつく力を強める。
秋水は「うん?」と怪訝にしながらも、しかし拒絶しない。
それが嬉しい。
頬ずりをするように、身を寄り添わせてしまう。
「ねぇ、お兄様? 報酬はおいくらでしたか?」
「──驚け。なんと五十万だ」
「焼き肉大パーティですわね……!」
「お。いつもの調子が戻って来たか?」
「タンを所望しますわ! ネギ塩レモンで!」
「俺はローストがいいな。鹿のロースト」
「鹿タン鹿タン! シャレオツですわー!」
ああ、頼もしい。
夏乃は青墨秋水の妹である幸福を、その夜、上質な肉の脂と一緒に噛み締めた。
鹿のジビエって意外と、低脂質高タンパクでヘルシーでもあるし!
「お兄様だーいすき!」
「現金なヤツだな……」
「ふふふ」
高校生が舌鼓を打つには、少しだけ生意気な料金設定の肉料理店。
駅近の裏路地、隠れ家的な山小屋風店構え。
ふたりは薄暗い店内で、暖炉風の照明からオレンジ色を浴びて。
香ばしいスパイスと、爽やかなレモネードで唇を濡らす。
よくローストされたジビエには、酸味のあるワインとベリーのソースが添えられて。
優しい味付けのされたマッシュポテトと、色鮮やかなブロッコリーなどの温野菜、スモークチーズが一緒に提供されていた。
「「ベネ」」
────────────────────
tips
◆青墨秋水|兄|17|汐坐市伝奇術師協会筆頭
T179 B97.9 W75.3 H83.7 D17
青みがかった黒髪と白皙の肌の泣きぼくろ現代伝奇和風ファンタジー主人公系のビジュアル。
労働よりも戦闘を選んだクソボケ激メロ男。
転生後の世界を少年漫画や燃えゲーみたいな厨二バトル世界だと勘違いしている。
厨二病ではないけど、厨二病のノリは理解している感じ(ある意味で新世界の法則に適性が高かった)。
青春を謳歌して人生を充実させ、のんびり生きたい。
術式は倶利伽羅剣。
◆青墨夏乃|妹|16|紅の伝奇姫
T152 B82.5(Bcup)W55 H80
青みがかったサラサラ黒髪ロングの白皙お耽美系ダークホラーヒロイン美少女ビジュアル。
本作唯一かもしれないムネナシ科デスワ属サスオニ妹。
幼少期に起きたある事件を切っ掛けにして、ブラコン化した。
好きなお菓子は袋詰めできる高級チョコ店のミルクチョコ。
術式は【検閲対象です】。
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定型末尾文
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娯楽の氾濫した時代に本作を選んでくださり、感謝です。
本作は作者の脳が平成のサブカルで焼かれているため、以下の要素で作られていく予定です。
▣現代伝奇スローライフ×
▣厨二異能バトルアクションファンタジー×
▣背徳お色気ハーレムラブコメ




