第五話 報復の下準備
翌日、この数日間に起こった婚約破棄騒動など無かったかのような、いつも通りの無表情でルイーザは学院の門をくぐった。レオンに護衛されながら馬車止めから校舎へ歩く。
彼女の婚約破棄は両家の間で速やかに行われた。大々的に発表されたわけではなかったが、すでに大部分の生徒は知っているはずだった。
ルイーザの父が主だった貴族に向けて、元婚約者の家との関係を伝えたという事もあったし、それ以外の所から漏れ聞いた者もいるだろう。
ソフィアは既に昨日のうちに、ルイーザの元婚約者であるヘイゲンと婚約を結んだと聞いた。
ルイーザの父が、早急にそうせざるを得ない状況に彼らを追い込んでいたのを彼女も聞いていたから、そうなる事は知っていた。
そのソフィアが数多い友人たちに自分の都合の良いように話を広げているかもしれないと思うのは考え過ぎだろうか。
ルイーザの視線は常に前を向いていて、歩調も早い。そんなルイーザの横を他の生徒たちがすれ違って行く。
もともとルイーザに気軽に声をかけてくる者はいなかった。
婚約破棄に関しても、一昨日の彼女の誕生日にしても、知らない者の方が少数派だろうが、誰からも声をかけられないのはルイーザにとっては自然な事だった。
そんな中、横を歩くレオンが授業内容について聞いて来るのもいつもの事だ。
レオンに魔力はなく、魔法は一切使えないのだが、護衛のために授業は全てルイーザに合わせている。そのせいで不得意な科目ばかりを履修しなくてはならず、とても苦労している。特に試験に実技がある授業では、成績が最下位になってしまう。
彼はそれだけでも大変だろうに、ルイーザの帰宅後は彼女の父であるコルトバーン公爵の元で騎士としての訓練を受けている。
父親の傘下の騎士団とは、魔法騎士団である。基本的に強い魔力を持つ者しか入団出来ない。彼は例外だ。そちらでも苦労をしている事だろう。
一度、あまりにも過酷ではないかと聞いた事があるが、それでもいいのだとレオンは言った。
そもそも彼にとっては学位など不相応なものだし、何よりもルイーザを守るために自分はいるのだからと。
ルイーザは、父と母以外にも信じていい人がいるのだと思わせてくれた、歳の近いレオンの存在にいつも助けられている。
この日も彼が隣に居てくれる事に勇気づけられて、授業後に呼び出してあった友人……。いや、元友人のソフィアのもとへ向かった。
ルイーザの元婚約者のヘイゲンから婚約を申し込まれてそれを受けたと言うソフィアは、涙を流しながら謝って見せた。とても演技が上手だと思う。
「本当にごめんなさいっ。大切なお友だちの婚約者であると分かっていながら、ヘイゲン様を愛してしまったの。でも公爵閣下は私たちの事を許してくださったとお聞きしたわ。ルイーザ様も許してくれるのでしょう?」
彼女はルイーザよりも小柄だ。彼女はルイーザの両手を取り、上目遣いで見つめながら囁くように言った。
一瞬頭が揺れ、ルイーザは全て許してしまいたくなった。
だがその瞬間、打ち合わせ通りにレオンが咳払いをしてくれたので彼女は我に返った。
これがソフィアの魅了の力に、その性質や特徴に、初めて気づいた瞬間だった。
確かにルイーザと全く同じ性質を持つ母のものとは、わずかながら違いを感じた。
ルイーザは父のように万能な防御魔法を常に自分にかけ続けられるほどの修行を積めていない。しかし、今だけ、他人の魔法から自分を守る事が出来る術を使う事は出来る。
ルイーザは気づかれないようにその術を発動して、彼女の力から逃れた。
その力から解放されたためか、清々しい空気が胸を満たした。
強い人間不信であり、人となるべく関わらないようにしてきたルイーザが簡単にソフィアを友人として受け入れてしまったのも、ソフィアに対して思慕にも似た気持ちを持っていたのも、やはり彼女の魅了の力に影響されてのものだったようだ。
ルイーザを、コルトバーン公爵家をこけにした二人への報復を計画している母親から指示された事は実行すべきだと思えた。
ためらいが無いわけではなかったが、それよりもソフィアに裏切られた事への怒りや悲しみが強い。しかし、ルイーザはそれらの感情を押し殺して平静を保った。
ルイーザはソフィアに握りしめられていた手を、さりげなく髪を触る仕草をする事で離させた。
「あなたは魅了の力をお持ちだと聞いたの。母が気づいたのだけれど」
その言葉を聞いたソフィアは、スッと涙をおさめると、ルイーザを嘲るように見た。強い魔力を持っているくせに自分では気づかなかったのか、とでも言いたげな笑顔だった。
まだ彼女はルイーザに自分の力が効果を発揮していて、いいように操れると思っているのだろう。だがそれはルイーザにとっても好都合だった。
「そう。お気づきになったのね。あなたのお母様は魅了の力をお持ちだと有名ですものね。もしかして、ヘイゲン様をその力を使って奪ったとでも言いたいのかしら? でもそれは誤解なのよ。ヘイゲン様は婚約者は笑いもしなければ話もつまらないとおっしゃっていたから。私にあなたとは違うものを見出したのではないかしら」
ソフィアがそう言い終わる前にレオンが剣を引き寄せる音が聞こえて、ルイーザは手の一振りで彼を制した。レオンはこんなにも堪え性が無かっただろうか。
ルイーザはまだソフィアに魅了されている振りを続けた。
「あなたのおっしゃるとおりね。私はあなたのように可愛らしくはないし、つまらない女だったのでしょう。でもあなたがお友達になってくれて本当に嬉しかったのよ」
ソフィアは得意げな友人面で言う。
「運命の相手というのはいるものよ、ルイーザ様。あなたもいつか巡り合えるわ」
「ええ。あなたの言うとおりね」
ルイーザは下を向きながら、罠を仕掛ける時だと覚悟を決めた。
「これは本当に限られた人々しか知らない事なのだけれど、実は私も魅了の力を持っているの」
ルイーザの言葉に、ソフィアは眉根を寄せた。
「嘘でしょ。ではなぜヘイゲン様に使わなかったの?」
ヘイゲンは魅了の力に影響を受けない体質だ。ソフィアはそれに気づかなかったらしい。ヘイゲンはソフィアが言った通り、単純に彼女の魅力に惹かれただけだったのだろうに。
そして、そもそもルイーザは好きでもないヘイゲン相手に魅了の力を使おうと思った事は一度も無かった。彼から好かれようと思った事もない。
しかし、それを明かす必要はもちろんない。
「両親からは、この力は私の立場では使うべきではないと言われて育ったの。制御法を学んでからは抑え続けてきたから、誰にも影響を与える事はないわ」
ルイーザは、自分は今後もその力を使うつもりはないし、どうせなら友人には幸せになって欲しいのだと告げた。
「あなたが望むのならば、私の魅了の力を注ぎ込んで力を強める事が出来るのだけれど」
その言葉にソフィアの顔が輝いた。
「そんな事が出来るの?」
ルイーザは頷いた。
「でも、もともと魅力的なあなたには必要ないわね」と付け足したのは、母から絶対にそうするようにと言われていたからだ。
ソフィアは飛びついた。
近いうちに、隣国の第一王子がこの国を訪れる予定がある。そして歓迎の夜会が開かれる。彼女は、そこの夜会の場で婚約者となったヘイゲンに、より魅力的に思われたいと言い出した。
考えている事が非常に分かりやすかった。婚約したばかりの婚約者から、隣国の王子に乗り換える気なのだろう。
それが母の狙いだったから、ルイーザは騙された振りをしてそれを快諾したのだった。
◆
ルイーザは屋敷に帰り、新しく用意された自分の部屋にたどり着くと、どっと疲れが押し寄せた。ソフィアと話している間中、魔力防御の術をかけ続けていたためだろう。
ルイーザはソファに腰かけようとして、途中で倒れかけた。しかし、倒れ込む前にレオンが抱き留めて、メイドに寝室の用意をするように言うと、優しくソファに寝かせてくれる。
やり取りの全てを一緒に見ていたレオンと二人きりになった途端、ついつい弱音が溢れた。
「私には何でこんな力があるのかしら」
ルイーザがソフィアに感じていた感情は偽物だった。ソフィアと本当に友人になれたと思っていたが、それは全くの間違いだった。
こんな、他人の感情を無理矢理作り出せてしまう力が自分の中にも存在する事が無性に恐ろしくなって、涙が溢れる。
感情を露わにすると魅了の力が漏れてしまう可能性があるが、レオンは魅了の力の影響を受けないので安心だ。彼がルイーザを裏切る事はない。
差し出されたハンカチで目元を押さえていると、上から彼の声が落ちてきた。
「俺はルイーザにその力がなかったら、公爵家に拾われてなかった。あんたとも絶対に出会ってないからね。あって良かったよ」
彼にそう言われると、そうなのかもしれないと思えた。
レオンはルイーザの横にしゃがみ込み、ただ手を繋いで、彼女の涙が止まるまで側にいてくれた。
つづく……




