第四話 婚約破棄とレオンの苦悩
波乱の一夜が明けると、早速ルイーザの父親であるマーロン・コルトバーン公爵が動いた。
娘の婚約者であるヘイゲンの不貞の証拠を添えて、セドロセン侯爵家の有責で婚約破棄の書類を作らせると、侯爵親子を呼び出した。
セドロセン侯爵はどれほど急いだのか、昼前には息子のヘイゲンを連れて昨夜辞去したばかりの公爵邸に馬車をつけた。
侯爵が執事に出迎えられて顔面を蒼白にしているのを、ルイーザの手の平の上に浮かんでいる球体を覗き込んで見守るのは、彼女とその母であった。
ヘイゲンは不満げな顔を隠さず、それを咎める侯爵の小声までこの術は拾ってくれる。さすが偵察用に開発された術だとルイーザは思った。
父親が名前を教えてくれなかったため、この術は名無しだ。軍事用に開発された術だから、おそらくその名は秘匿されているのだろう。
やがて父が待ち構えていた執務室に通されたセドロセン侯爵は床に頭をつけんばかりの様子だった。
歓待はされるはずがないものの、さすがにお茶すら出されないというのは、この館の主の怒りが相当なものだという事を意味する。
ルイーザの父親であり、公爵家の当主であり、現在この国で一番の魔法使いであるマーロン・コルトバーンを怒らせるという事は、場合によっては家門の破滅すら予期させるものだから、客人の反応は当然だった。
だが父は声を荒げることもなく、淡々とセドロセン侯爵家の有責として婚約破棄を言い渡した。
「賠償はいかようにも」と平身低頭する侯爵に、父は婚約をした際に取り決めた額の賠償金を支払う以上の責任は問わないと言う。
「どうやら、お相手のご令嬢をご子息は大層愛しておいでのようだ。このまま無理に婚姻を進めたとして、娘は不幸になるだけだろう。ご子息には真実愛する方との未来を歩んでいただきたい」
その言葉は一見優しくも聞こえたが、要するに、少なくともヘイゲンとコルトバーン公爵家は今後一切の関係を断つと宣言されたのと同義である。
元がついた婚約者のヘイゲンはそれを理解しなかったらしく顔を輝かせるが、彼の父親に無理矢理頭を下げさせられた。
もともと、セドロセン侯爵としては、魔力も低く出来がいいとは言い難い息子が、公爵家の跡取り娘の婿として公爵の目に止まった時には心底驚いたものだった。
侯爵は自分には気付けないが、息子には何か見どころがあるのかと思っていた。彼を見直し、将来彼が公爵家の当主であるルイーザの夫として家の役に立ってくれる事を期待していた。
だが、こんな事をしでかして、王家の血筋でもある公爵の心象を悪くしたという、言葉では言い表せないほどの事をしでかしてくれた。
せめてこれ以上公爵の機嫌を損ねる事なく、せめて跡取りである長男には累が及ぶ事のないようにしなければ、おそらくセドロセン侯爵家は没落を免れない。
しかも、こうまで言われれば、なんの旨みもない男爵家の娘をヘイゲンの相手として認めざるを得ない。
国でも有数の名家である公爵家に関わる婚約破棄となれば、国王まで事の詳細が知られているに決まっている。
出来の悪い息子とはいえ、侯爵家の者である以上放っておく事は出来ないのだから、せめて純愛を貫き通したのだと宣伝するしかないだろう。
こんな事をしでかした跡取りでもない息子は、はっきり言って厄介者でしかない、と侯爵は内心舌打ちした。
セドロセン侯爵は、申し訳ないと何度も深々と頭を下げながら、まだ事の重大さを理解していないらしい息子を連れて帰って行った。
ルイーザは術を解いた。
「あっけなく終わりましたわね。お父様は昨夜はほとんどお休みになっておられないのでしょう? お母様」
表情を動かさずにそう言ったルイーザを、レオンと母は心配そうに見つめてくる。
そんなふうに見ないで欲しかった。心が動かないものは仕方がない。婚約破棄という不名誉な傷がついたとしても婿候補には困りはしないだろうし、そもそもヘイゲンの事は好きでもなんでもなかった。
気まずくなって、ルイーザは明日の授業について調べておきたいからと図書室に逃げる事にした。ついて来ようとするレオンには休むように言って一人きりでその部屋を出た。
「あの子、本当に大丈夫かしら」
「どちらかと言えば、ヘイゲン様より、ご友人への思い入れの方が強いと思いますけどね」
公爵夫人は、娘から婚約者を寝取った令嬢への復讐を喜々として考え、セドロセン侯爵たちが屋敷を訪れる前にルイーザにその計画を説明していた。彼女の娘はその時も表情に感情を出さなかった。
「もしかしたら、例の令嬢の魅了の力に当てられている可能性があるわね。あの子を守りすぎたのかもしれないわ。いろいろな耐性をつける事を怠ってしまったと最近よく思うの」
「でもそうしなければお嬢様を守れなかった。そうでしょう?」
公爵夫人は少し下を向いた後、顔を上げ「ええ、そうね。そうだったわ」と言って悲しげな笑みを浮かべた。
レオンはそんな、母親代わりと言ってもいい公爵夫人に、ルイーザは必ず守ると言った。
明日からは通常通りに学院へ通わなくてはならない。
学院では、いや他のいかなる場所においても、「ルイーザを守れるのは自分だけだ」とレオンは常に自分に言い聞かせている。
おそらく彼女は悲しんでいるだろうと彼は思った。初めて出来た友人に裏切られたのだ。
レオンは彼女を大っぴらに慰める事が出来ない自分を不甲斐なく思う。
しかし、それは仕方のない事だ。レオンはルイーザの父親に雇われている公爵家の使用人の一人にすぎない。特殊な体質のおかげで護衛として彼女のそばにいられる事を、むしろ喜ぶべきだろう。
その力が漏れるのを恐れ、涙を流すことさえ満足に出来ない、彼の心を占める美しい人が、心の中で泣いていなければいいと思う。
彼の目の前で、心をゆるして涙を流してくれたら、ほんの少しは何かをしてやれる。泣き止ませる事は出来なくても、大丈夫だとくらいは言ってやれる。他にはどうしていいのか分からないけれど。
彼は複雑な気持ちの落としどころを探しながら、ルイーザが向かった図書室の方向を見やった。
つづく……




