第三話 宴の後
別棟から招待客を全て送り出す頃には、外は暗闇に包まれていた。
その招待客の中には、ついさっき彼女を裏切ったばかりの二人の姿もあった。
友人のソフィアは「また学院で」と微笑み、婚約者は愛おしそうにルイーザの名を呼んで見せた。
そこでルイーザは気づいた。ずっと前から裏切られていたのかもしれないと。それほどに二人はいつも通りの二人だった。何の後ろめたさも見えない。
屋敷に戻り、一休みするために立ち寄ったサロンで人払いをすると、ルイーザは両親に事の顛末を話した。
にわかには信じられないと言った様子の両親に、手の平に出現させた球体に映し出される二人の様子を見せる。
「もういい。消しなさい。その記録は私が預かろう」
父はそう言って自分の手の平にそれを移動させると忌々しそうにそれを握りつぶした。とはいえ、また出現させる事が出来るので、記録が消えるという事はない。
母は「随分と馬鹿にしてくださること」と言った。これは二人とも、かなりお怒りだ。
だが流石にルイーザよりもはるかに人生経験が豊富な両親だ。取り乱したりはしない。父などは起こった事よりも、ルイーザが使った術の方が気になるようだった。
「これは敵情視察のために私が開発した……発動できる者も希少な術を……。このような使い方をする羽目になるのならば教えるべきではなかった」
後悔の言葉を発する父を尻目に、母は「不貞の証拠を得るのに使うのは本来の使用目的通りですわ。あの者たちは私たちの敵となったのですから」と切り捨てて話を進めた。
母はレオンに向き直った。
「なぜあの者たちは誰にも咎められる事無くルイーザの部屋に入れたのかしら。調べさせているの?」
「いえ、この侵入事件をどこまで広めてよいものか判断がつかず、まだ何の指示も出しておりません。お嬢様の名誉に関わる事ですし」
「では、現場を見てみなければ。あなた。転移魔法を」
母が言った瞬間、父はルイーザのように手を繋ぐ事なく、床に魔方陣を広げ一瞬で四人全員をルイーザの寝室へ移動させた。
さすがは魔法省にその長として君臨し、魔法騎士団をその傘下に持つ大魔法使いだ。場合によっては数千の兵を一瞬で移動させる事もあると聞いた。
ルイーザは父から膨大な魔力を受け継いだが、まだ勉強中の身であり、どうやったらそんな事が出来るのか想像もつかない。
母はルイーザの寝室を忌々しげに眺めながら、しかしわずかにためらいながら言った。
「まったく、なぜよりによってルイーザの寝室で……。あら? あなた、ルイーザ、何かお感じにならない?」
「いえ。お母様、私には何も」
「いや、確かに魔力の痕跡は感じるな。だが大した力ではない。しかし、これは魅了の……?」
母に確認するように視線を動かしながら言った父に、ルイーザは驚いた。
母とルイーザは、二人とも珍しい能力である、魅了の力の持ち主だった。二人の能力は血によって繋がったものであり、完全に同質のものである。だから影響し合うことは無いのだという。
ところが、他の血筋が持つ魅了の力同士は、性質がわずかに異なるために互いに影響を与え合う。
別の家系の魅了の力の持ち主と会った経験があると言う母は、他人の魅了の力と自分のそれの違いが分かるという。
「これはルイーザのものではないわ。あの女が魅了の力を持っているのでしょう」
「恥ずかしながら私は全く気付きませんでした」
「自分の内に秘めた力と見分けることが出来なかったのね。本当にわずかな差なの。これは経験しなければ分からないものだから仕方がないわ」
そこで父がレオンと話し始める。
「だとすると、その力で使用人を操った可能性がある。ルイーザの身の回りに置く者はともかく、それ以外の者は魔力を多少なりとも持っている。魅了の力に操られる事もあるだろう」
「お嬢様の部屋はあの男が知ってますし、婚約者として旦那様の検知魔法に登録されてしまっていますから、奴とその連れならば、それにもひっかかりませんよね」
「痕跡を辿ってくる。お前たちはもう休みなさい」
父はそう言うと一瞬で姿を消した。
母は使用人を呼び、急いで娘の寝室を別の場所に用意するように言いつけた。
ルイーザは驚いてしまった。
「お母様、皆も疲れております。この部屋でも平気です」
おそらく表情の動いていないルイーザを母は心配げに見やった。
「心を殺しすぎるのはおよしなさい。いつか崩壊してしまうから。いえ、あなたのせいではないの。でもここは私に任せて」
「では、今日は客間を使います。それならば負担は少ないでしょうから」
「分かったわ。客間の用意が出来るまでルイーザに食堂でお茶を。レオン、ルイーザを頼むわよ」
使用人と母を残し、事情を知らされていないメイドにも心配されながら、食堂に案内されて目の前に薫り高いお茶が置かれた。はずである。
ルイーザは思ったよりも疲れていたことに気づいた。お茶の香りも分からないままに口をつける。
彼女は、まだ幼く力の制御が不安定であった頃、何度も危険に襲われた。それは信頼していた相手からのものばかりだった。
それは当然だった。ルイーザに近寄れたのは魔力が低いか、全身を覆う防御魔法の使い手である事が彼女の両親によって厳しく確認された家庭教師やメイドくらいのものだったからだ。
しかし、その頃の彼女は感情が揺れるたびに、非常に強い魅了の力を放ってしまい、それに当てられた者はどんなに条件を満たした者であっても彼女を襲おうとした。
母が常に同席していたから決定的な傷を負う事はなかったが、彼女に恐怖心を植え付けるには十分な経験だった。
そんな時に父が連れてきたのが、この国では珍しい、魔力を全く持たず、魔力に対する感応性もなく、魅了の力に影響を受ける事はあり得ない、孤児院出身のレオンだった。
ルイーザが十歳。レオンが十一歳の時の事だった。
父親に促されて力を解き放っても何の変化も見せないレオンの不思議そうな顔を見て号泣してしまったのは、幼いルイーザにとっては当然の事だった。彼女が力を抑え込まなくても一緒に居られるのは、それまで両親だけだったのだから。
単に嬉し泣きだったのだが、泣かれた側のレオンはひどく動揺してしまい、とても可哀想だった。
彼はその時の事を「せっかく孤児院から抜け出せたと思ったのに、その家の子供に嫌われたら終わりだと思ったんだ」と今でも恨みがましく言う。もちろん笑い話としてである。
「ルイーザ。部屋の準備ができたってさ」
「ええ、分かったわ」
ルイーザは両親の他に唯一信頼できる相手であるレオンが差し出した手を取って立ち上がった。
明日以降に備えて眠らなくてはならない。これで終わりにならない。
「落とし前はつけさせてやるわ」と息巻いていた母親や、権力の中枢にいる誇り高き父親が、あの二人に何もしないわけがない。
これからの事に不安を覚えつつ、ルイーザはレオンと共に歩き出したのだった。
つづく……