〜平安の勇者様と昭和の勇者様(5)〜
敵の気配。
千夜がそう言い、目を細めた時には理香は朝緋の後を追っていた。
外へと続く玄関の扉を開けた瞬間だった。
「────っ!?」
前方から、得体の知れない気配が伝わってきた。知らず、息を呑んでいた。
(誰、あれ……)
星の光さえ無い真っ暗な闇。夜を彩る雪。その中に、異様な姿をした人物がいた。
長身痩躯の──男性だろう。白を基準とし、薄緑の衣装が施された狩衣に、長羽織。足には下駄。そして、その顔には白の布地。
まるで、千夜や朝緋のように時代の壁を超えて来た人物のようだ。何よりも、彼が放つ異様な気配。一目で、只者でないことは知れた。
「……理香さん、下がっていてください」
理香を庇うかのように彼女の前に立ちはだかった朝緋が、変わらず無表情のまま静かに異様な男を見据えた。
理香は確かに見た。
朝緋が、懐から鋭利な刃を取り出したところを。
「……貴方は何者ですか」
「……」
息を呑むことさえ危険に感じる、静かでそれでいて緊迫した雰囲気。その中で発せられた問いかけに、答える声はなかった。
だが。
「!?」
目を見開き、震わせた理香の先に───怪異が起こった。
男が顔に纏う布に、文字が現れたのだ。
「……『依頼』」
(どういう事……?)
何も書かれていない所に魔法のように突然文字が現れた事よりも、その現れた文字へと意識が集中した。一体どういう事だと、目を凝らそうとした瞬間だった。
男が、消えた。
理香がその事に気付く前に、彼女の目の前で二つの刃が交わっていた。
男と朝緋。
どちらが先に攻撃を仕掛けたのかは分からなかった。だが、二人が得物を噛み合わせているのは、理香の前だ。今ここで理香を襲う可能性があるのは、この得体の知れない男だけだ。
「私を、殺しに来たの?」
情けない。声が震えていた。
「……理香さん、家に戻って下さい。この方は……危険です」
表情が全く無かった朝緋の額から、一筋の冷や汗が流れていた。それが意味することは───
「……っ!!」
理香は咄嗟に身を翻した。そのまま、千夜がいる自宅へと駆け出そうとした、その時だ。
「殿方が、か弱き女子の前で刃を交えるなど物騒にも程がありますよ」
艶やかな声。だが、その響きは嘲りを孕んでいた。
思わず、振り向く。すると、そこには一人の女性が佇んでいた。
雪を纏う風に吹かれる、絹のような黒髪。紫と橙が織り成す鮮やかなグラデーションの双眸。この地を隠す雪のように白い肌。様々な色を取り入れた着物を身に纏ったその人は、まるで古の絵巻物から出てきた者のようだ。
「こんにちは、相沢理香さん。私は平安時代の勇者として選ばれた美雨と申します。末長くよろしくお願いしますわ」
浮かんだ三日月の笑み。ただ、それは赤くてけれども、美しかった。
「平安の勇者さん……?」
確かに、その容姿と身なりから雅な世界からやってきたことが悟れる。だが、彼女の持つ美しさは血臭を纏っていた。
そんな彼女は、衝撃を受ける理香に動じないどころか、艶やかな笑みを浮かべ、その瞳を朝緋へと向けた。
「あなたが私達よりも先にこの地へ舞い降りた勇者様ですね?分かりますわ、この身に流れる血が騒いでいますもの。同じ勇者に選ばれた者同士、仲良くしましょう」
そう言って、平安の勇者──美雨は、懐から短剣を取り出した。その剣先は、朝緋と対峙していた男へと向けられた。
「私も仲間に入れさせて頂きますわ」
千夜は体を震わせる少年を後ろにやらせると、意識を研ぎ澄ませた。その手は腰元の剣へと向かう。
「隠れても無駄だよ。気配を殺しているようだけど、俺、こういうの敏感だから」
そこにいるんでしょ?、と視線がリビングの窓際へと向けられた。
「……隠れるつもりなんてないけど」
小さく、静かな声。その声が辺りに落ちると同時に一人の少年が姿を現した。
暗闇と同化しそうな肩下までの藍色の髪は無造作に流されており、片目を前髪で隠しているが、左目からその双眸が赤いことが悟れる。着服しているのは、鎌倉時代に居た千夜が目にしたことのない白衣というものだ。年齢は十五、十六程か。声はそれほど低くない。
ただ、雰囲気は異様だ。この感じは───
「君…俺と同じ類の人間だね」
千夜の口角が上がった。
ああ、今すぐにでもこの少年と全力で戦いたい。互いの四肢がバラバラになるまで刃を交わらせ、体を巡る血が枯れ果てるまで戦いたい。
この少年は自分と同じ、戦闘狂の匂いがするから。
(我慢、我慢……今はそれどころじゃないよ)
家の外から感じる、妙な気配。一つは自分や朝緋、そしてこの藍色の少年と同じものだ。おそらく、この少年と共にやってきた新たな勇者だろう。そう推測できるわけは、【声主】がこの平成の世に、十二人の勇者を召喚すると言っていたから。伝わってくるこの気配は間違いない。
これは、血と戦闘を愛する者のものだ。
「【勇者】には戦闘狂が選ばれるのかな。…だとしたら面白い事になりそうだね」
これから邂逅することになるだろう各時代から選び抜かれた勇者達。
【勇者】の存在理由は、この『平成の世を正す』という事だ。【声主】からそう聞かされた。
正すというのはどういう意味なのか。
普通の人間ならば、この時代をここまで荒れ果てさせた【敵】を倒し、平穏な世に戻すことだと考えるだろうが────狂った【勇者】達の考えは違う。
(ふふ……【声主】、君の考えは読めないけど、俺は自由にさせてもらうよ)
口許に薄い笑みを浮かべた千夜は少年に背を向けた。
「君…藍色の少年君には後で、理香達の前で自己紹介してもらうからね?【勇者】で、しかもわざわざここまでやって来たということは、【相沢 理香】に用があるんでしょ?なら、俺達は【仲間】だからね」
てことで、これからよろしくねー、と軽い調子で言った千夜は理香達がいる外へと出た。そんな彼を追いかけるように、白髪の男の子もその場を後にする。
───静寂が落ちた。
「……面倒くさい」
少年────昭和の勇者は、懐から短剣を取り出すと、千夜達の後に続いた。
理香は恐怖し、臆し、それと同時に高揚していた。
突然現れた敵らしき男、それと対峙する鎌倉の勇者、そして戦闘に介入した平安の勇者、時代と常識を越えた邂逅に────。
「俺も仲間に入れて欲しいな〜」
そこに割り込んだ、陽気な声。不可思議な出会いの中に、仲間入りしたのは千夜だ。
理香に甘い言葉を囁いて動悸と調子を高ぶらせ、すかさず叩き落とす油断出来ない男。
そんな彼も、勇者。
殺伐とした三者の間に自然と溶け込んでしまう。
「あら、あなたは【声主】が言っていた、先にこの時代へ舞い降りた勇者様?」
艶やかな微笑を浮かべたまま問い掛けたのは平安の勇者。
「うん、そうだよ。よろしくね」
「ふふ、私は美雨と申します。こちらこそよろしくお願いしますわ」
互いにまるで"仲間"を見つけたような感動を浮かべているが、その瞳には危うい光がちらついていた。そして、それと同時に愉悦も。
「やはり、私とあなたは【同じ】なのですね。一度、じっくりと剣を交えるべきですね」
「すごく同意だよ、でも今はその時じゃないよ」
「残念ですがそのようですね。ふふ、その代わり近々全力で─────殺りあいましょう」
「そうだね、そうしよう!」
一体、何という会話をしているのか。
狂った発言を両者とも笑顔で言っているのだから、口許はさらに引きつる。
「……挨拶は、済ませて貰えたでしょうか」
水を差すような静かな声。朝緋だ。
彼は、自身の新たな敵である千夜がやって来たのにも関わらず、突然身動きを一つも取らなくなった布面の男から視線を外さない。
「うん、終わったよ。朝緋君、そいつが何?」
そいつ、と千夜の意識が向けられたのは、朝緋と対峙していた布面の男だ。
「……分かりません。ただ、危険です」
数刻前、異様な化け物たちに囲まれても、動揺する素振りすら見せなかった朝緋が、無表情ながらも一筋の冷や汗を流していた。
その様子に、ふぅ〜ん、と意味深な笑みを浮かべながら千夜は男へと歩み寄った。
「ねえ、君の名は────何?」
しばしの間があった。
だが、千夜の問い掛けに、布面の男は答えた。
「『陽炎』……ね」
布面に映された文字に大した驚きも見せなかった千夜は、面白そうに口許を歪める。
そして、質問を重ねた。
「陽炎君、君は何者?その雰囲気から、暗殺者か殺し屋……ああ、同じか。俺と同じ職の奴だってことは分かるけど、君…ちょっと異様なんだね」
理香には分からない、千夜の言う布面の男──陽炎の雰囲気から、悟れたらしい陽炎の正体の一部。けれども、やはりそれは陽炎という謎に包まれた男を暴くピースのかけらでしかなくて、彼を真に知り得ることはできない。
異風な陽炎に多少の興味が湧いたらしい。千夜は、正体を問うた。
答えは────
「くす…生意気」
『考えろ』
それが、陽炎の答えだった。
(詳しく教えたくないってこと…?)
それとも、答えるのが面倒くさいだけなのか。理香には分からない。
だが、陽炎は顔を覆う布面に新たな文字を映した。
『【相沢 理香】に用がある』
突然自分の名を出され、理香は息を呑んだ。
何をされるか分からない恐怖に駆られた理香は、いつの間にか理香を陽炎から守るように理香の前に動いていた千夜の片腕に咄嗟に、抱き付いた。
彼女の行動に、一度驚いたように目を大きくさせた千夜だったが、さり気なく彼女の腰を抱いた。
そして、そのままゆらりと剣を構えた。
「この娘は、俺が気に入っている子だからね…ちょっと聞き逃せない言葉だ。────何の用?」
いつも通り、子供のような無邪気な笑みを湛えた千夜だったが、漆黒の瞳を一度、危険な光が過った。それと同時に、朝緋と美雨が剣を構え直し、白髪の男の子が怯えながらも理香を守るように彼女に抱きつく。
昭和の勇者は───つまらなさそうに無気力に佇んでいるだけだった。
すると、陽炎は狩衣の長い袖に隠されて見えない両手を悠然とした動きで上げた。
『インプット』
布面に言葉が浮かび上がった時には、もう手遅れだった。
「──っ!!!?」
声にならない、理香の声があがった。
理香の脳内を支配するように、呪文の様に長々しい言葉が彼女の頭の中へと入ってくる。その様子は、当人である理香にしか分からない。千夜達は、只ならぬ理香の状態に焦りを浮かべる事しかできなかった。
理香は、異様な物に思考を支配される様な感覚から逃れようとするものの、それは無駄なあがきだった。脳内に入り込んだ言葉の一つ一つが型にはまる様に、頭の中で溶けていく。
やがて、理香は正気を取り戻した。
「私は…いったい…」
何があったんだと視線を彷徨わせた理香だったが、暴れさせていた理香の四肢を鎮めていた千夜が彼女の様子に気付き、初めて安堵を見せた。
「よかった、理香!びっくりしたんだよ?一体、どうしたの?」
いつになく安心した様子を見せる千夜だったが、理香は彼の問いかけにどう答えればいいか分からなかった。ただ、動揺だけが理香の脳内を占めていた。
「……何を、したのですか」
無感情な声。それを発したのはもちろん朝緋だ。
「……」
その問い掛けに対して、理香に何かを働いた陽炎本人は答えなかった。
だが、次の瞬間、彼は別の言葉を映し出していた。
『任務完了』
その言葉を残した後、彼は一瞬にしてその場から消え去った。
「一体、何だったのかなぁ」
突然現れ、突然消えた男。顔も声も正体も何もかもが秘せられていた。わかった事は、名は【陽炎】、そして『任務完了』という言葉と殺しを職とする特有の雰囲気から推測できた、陽炎は何者かに雇われたという事だけだ。
「まあ、またどこかで出会いそうだから、その時こそ完璧に正体を掴んでやろうっと」
千夜は、陽炎に害された理香を見、一度凶悪な光をその瞳にちらつかせると、ほくそ笑んだ。
「ついに、あいつまで動いたのか」
陽炎と理香、勇者達の邂逅の一部始終を密かに見ていた男──零月は、楽しそうに口角を上げた。
「陽炎……【時空暗殺者】」
そう呟くと、零月は背後を振り返った。
そこには──
「お前は、誰に雇われている?」
衣服と髪を風になびかせる、陽炎がいた。




